02


「お、お久しぶりです……」

 気まずそうに頭を下げたラリスが扉をくぐると店内に沈黙が訪れる。
 客の首に腕を回していた娼婦も、その腰に手を添えていた客も、そんなやり取りを見守るように腕を組んで見つめていたマダムも予期せぬ来訪者に瞬いた。
 けれど、何故かその視線は彼女を通り過ぎて後ろに立つジョシュアに向かう。
 後ろ手に扉を閉めたジョシュアが顔を上げれば誰かが小さく「あっ」と呟く。

「噂の彼ね!」

 少し前まで甘い声を出して男を誘っていたとは思えない……まるで少女のような声で一人の娼婦が沈黙を破れば店内は一気に賑やかになる。
 男も女も、娼婦も男娼も、客も用心棒もみんながラリスとジョシュアを取り囲む。

「まさか実在してたとはな!」
「絶対に嘘だと思ってたのに!」
「一緒にいるってことは、まさか恋仲なのか⁉」
「ちょっ……!」

 一気に捲し立てられ、少しよろめいたラリスを抱き留めればただそれだけのことに歓声が上がる。
 ひゅーひゅーと指笛を吹くものもいれば、ラリスを妬ましそうに見る娼婦もいる。
 様々な思考が入り乱れ、誰にでも共通していることはラリスとジョシュアに興味があるということだけだった。

「まっ、っちょっと、私は……っ」
「ついに連れてきたんだなぁ!」
「ここに来たってことはそういうことだろ! 部屋なら空いてるぜ!」
「空いてるから何よ⁉」

 好き勝手騒ぐ人々に流石のラリスもお手上げのようで完全に振り回されている。
 奥の部屋を指さす一人に真っ赤になったラリスが声を上げれば全員がニヤニヤと笑う。

「こっ、こんな壁の薄いところで何もしないわよ!」
「やだ〜! アタシたちはただ部屋があるって言っただけなのに何を想像したのかしら!」
「なっ、うっぐぐぐ……!」

 せっかくやっとマダム……イサベルの所にたどり着いたのに、肝心の彼女が人ごみに隠れて見えやしない。
 下手に自分が口を挟めばより事態が悪化することを見越したジョシュアはせめてラリスが倒れないよう支えているが、おそらくこの状況をラリスに治めることはできないだろう。
 やだ、やめて。そんなことを言いながら手を振ってはいるが、誰もラリスの言葉に耳を傾けない。
 さてどうしたものか……と状況を見つめていれば、兵士の後ろで誰かが動く気配がする。

「みんな、そこまで。ラリスが困っているでしょう」
「マダム、でも!」
「でもじゃない。せっかく会いに来てくれたのにラリスが怒って帰っちゃったら何も聞けなくなるわよ」
「それは……」

 食い下がろうと娼婦を静かに宥めるとイサベルは「彼女の性格、わかってるでしょう」とラリスを見る。
 彼女の言う通り、ジョシュアに支えられたラリスは真っ赤な顔で何かを耐えるように震えていて、すでに爆発寸前だ。

「ごめんなさいね。ほら、あなたたちは仕事に戻りなさい」

 ジョシュアをちらりと見て謝るとイサベルは娼婦も客も簡単に散らす。

「ラリス……、大丈夫?」

 人が捌けて落ち着いたのを見計らって声をかければラリスは小さく頷いた。
 けれど、頷くだけで返事はない。
 張り詰めていた体からは力が抜けて、すっかりジョシュアに身を預けている。
 そんな二人を黙って見守っていたイサベルはくすりと笑うと柔らかな笑みを浮かべて外へと促す。

「ここだと落ち着いて話せないでしょう。……どこに行っても注目は浴びるとは思うけど、せめて座れる場所へ行くのはどう?」

 ラリスはこの言葉にも頷くだけで口を開かない。
 よっぽど限界まで追い込まれていたのだろう。
 その様子がおかしくて、ジョシュアはイサベルと顔を見合わせて肩を竦ませた。

◆◇◆

 鉄の酒樽亭と呼ばれる店に足を運べば、給仕係は最初品定めするようにジョシュアを見つめた。
 けれどすぐに彼と手を繋いで俯いたままのラリスと、なによりもイサベルの姿を認めると笑顔で席へ誘った。

「……わかりやすい店でしょう。いろんな意味で」
「ええ」

 店内には夜のとばりを利用していたのと同じ鎧を身にまとった兵士たちの姿が多い。
 その中の一人が席に着いた自分たちを見て「おっ」と声を上げるのは必然だろう。

「ラリスじゃないか!」

 酒を片手にやってきた兵士はイサベルへの挨拶もほどほどに空いている席に腰を掛けるとジョシュアを見て瞬く。

「もしかして噂の片想い相手か⁉」
「まったく……、せっかく店から移ってきたのに」
「うっ……」

 肩を竦めたイサベルがそう言ってしまえば肯定したも同然で、兵士はもちろん様子を伺っていた他の客たちも騒めきだす。
 顔を両手で覆ったラリスはぷるぷると震え、可哀想なくらい耳まで真っ赤だ。

「おいおいおい、本当に居たんだなぁ!」
「嬢ちゃん、こんな上等な男を放って俺らの相手をしてたのか⁉」
「そりゃ抱かせてくれねぇわけだ」

 男の言葉にジョシュアの体が無意識に跳ねる。
 けれど、悟られないようにと息を吐き出し冷静を装った。
 すでに酒が回っているせいもあるのだろう。
 浮かれきった男たちや、彼らに付き添っていた娼婦に囲まれてしまえば本当に夜のとばりに居たときと変わらない。
 一つだけ違いがあるとすれば、それぞれみんな自分の席があって、注文した品が運ばれてくればそそくさと席に戻っていくことくらいだろう。

「……本当に大丈夫?」

 丸まった背中をそっと撫でてあげればラリスは静かに頷く。
 ずっと彼女の声を聞いていないジョシュアが小さくため息を付きながらその頭を撫でれば兵士たちが沸き立った。

「片想いじゃなかったのかよ!」
「聞いてた話とちげぇじゃねぇか!」
「突然居なくなったかと思えば、やっと添い遂げたってことか⁉」

 好き勝手騒ぎたてる兵士たちの声に耳を傾けていれば、ついにラリスが勢い良く立ち上がる。

「うるさい!」

 店に響き渡る彼女の声はあまりにも必死で、切実で。
 一瞬店内が静まり返るが、数秒後には誰もが腹を抱えて笑い出す。

「あーあー……完全におもちゃにされちゃって……」

 助け舟を出すでもなく、事態が収束するのを黙って見守っていたイサベルはようやく運ばれてきた食事に手を付けながらため息を付いていた。

◆◇◆

 さんざん弄ばれたラリスはついに限界を超えてしまったのか、諦めたように静かになった。
 赤くなることもなく、ただ無心で兵士たちの声に耳を傾けている。
 というよりも、彼らにそうやって揶揄われること自体にはなれているのだろう。
 今日はジョシュアが居て、そのことについて弄られたから羞恥が勝った。
 気が付けば兵士や娼婦はジョシュアのことを聞くのではなく、当時のラリスの様子を語りだしている。
 自分のことを好き放題語る兵士に不満そうに頬を膨らませてはいるが取り乱す様子はどこにもない。

「喋らなきゃ良い女に育ったよ」
「昔はあんなにちんちくりんだったのになぁ」
「マダムの後ろをちょこちょこ歩いて、俺らを見ると露骨に嫌そうな顔してなぁ」

 ガハハ!と笑う兵士の頭の中には当時のラリスの姿が思い浮かんでいるのだろう。
 ラリスがこの地を拠点にしたのは十五歳の頃。
 まだ少女と呼ばれるべき年齢だった頃のラリスが、兵士たちの言葉のおかげでジョシュアの中で輪郭を持ち始める。

「あの頃に比べたら胸だけは育ったな。そこらの娼婦にゃ負けねぇだろ」
「膝枕されてる時に上を見るとよ。胸がデカくて顔が見えねぇんだ」

 悪気はないのだろうが品のない言葉がラリスに向けられるせいで胸がざわつく。
 内心、穏やかじゃない気分で話を聞いていれば頷いた一人の兵士がジョシュアを見る。

「あー、いい景色だよなぁ〜。兄ちゃんは知ってるか?」
「ぶっ、あ、えっ僕……?」

 急に振られた話に思わず飲んでいたものを噴き出しかけたジョシュアは慌てて口を拭うと兵士を見つめ返す。
 きっと彼にはそれだけで十分だったのだろう。
 あーあ、と笑った男は骨付き肉に噛り付くとラリスの背中に向かって大きく笑う。

「嬢ちゃんそりゃないだろ! せっかく捕まえたなら良い思いさせてやらなきゃ!」
「俺ぁ三回は寝たぜ」
「………………」

 ばしっと背中を叩かれるラリスを見つめたジョシュアのこめかみがぴくりと動く。
 彼にとっては何気ない言葉なのだろう。
 なによりラリスが望んで選んだ働き方だ。頭では理解している。……理解しているはずなのに。
 あまりの居心地の悪さにジョシュアは静かに再度水を呷った。
 いつのまにか、また自分に……いや、自分たちに話が戻ってきている。
 それに、悪意はないのだろうが。ラリスを軽々しく話題にされることは面白いとは思えない。
 盛り上がる兵士たちの声を意識的に遠ざけて、ラリスと同じく黙々と食事に手を付けていれば「まったく」とそれまで黙認を貫いていたイサベルが口を開く。

「あなたたちいい加減にして。二人とも困ってるじゃない」

 凛とした声が店内に響くとそれまで誰が何を言っても笑い声に満ちていた店内に静寂が訪れる。

「品のない連中でごめんなさいね。悪気はないの。みんな、あなたたちが来てくれて嬉しいのよ」
「いえ……まあ……」

 ジョシュアが曖昧な返事で頷けば、ラリスもまた静かに頷いた。

「昔からああなの。困った人たちよね……」

 可哀そうなほどくたびれた顔で零すラリスはため息を付く。
 こうした宴のような席とは長らく無縁だったジョシュアだが、子供の頃に混ざったロザリアの兵士たちの宴会も思えば今の彼らと変わらない気がする。
 酒の力で羽目を外し、気分が大きくなった大人たちは普段言えないことを好き放題。さらには歌まで歌いだし……思えばあの頃も居心地が悪かった。
 皿の片隅に寄せたニンジンを食べられていないのも昔から変わらない。
 おそらく自分がこういった場に慣れることはないのだろう。

「……君は随分慣れてるみたいだ」
「慣れるしかなったもの。最初は嫌だったけど」

 無遠慮に投げつけられる品のない言葉に最初から何も感じるなという方が無茶というもの。

「僕はあまり好きじゃないかな」
「でしょうね」

 けれど、これがラリスの過ごしてきた日常だ。
 客は金を払って今夜の相手を買って、買われたものは割り切って相手を満たす。
 それがこの場所の規則であり、その生き方を選んだ者たちに課せられた役目。
 ──かつてのラリスが選んだ道。
 どれだけ水を呷っても、胸を満たす靄が晴れることはなかった。

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