03


「にしても本当にいい男」
「そうよねぇ。ラリスなんかにはもったいないわ」
「おいおい、今日は俺たちの相手をするためにここに居るんだろ?」

 兵士たちの席で彼らにしなだれかかっていた女の一人がジョシュアを熱っぽく見つめながら呟いた。
 すると、堰を切ったように他の女からもジョシュアに向けて言葉が飛ぶ。

「顔が良いうえに、品も良い。なにより優しい……。ねえラリスったら、どこでこんな育ちのよさそうな男を見つけたのよ」

 かと思えば兵士を押しのけ、こちらの空いた席に座ってラリスにぐいっと詰め寄った。
 問われたラリスは「えっと……」と言葉に詰まって視線を逸らす。
 どこでも何も、昔からの古い馴染みだ。

「い、いろいろあったって、昔から言ってたでしょ」

 言葉を濁しながら答えるラリス。その返事はあまりハッキリとしたものではない。
 女たちもそれでは納得できないのだろう。
 今度は標的をジョシュアに変えて、男を魅了しようとする手慣れた仕草で近づいてきた。

「ねえお兄さん。こんな子放って、今夜はアタシと過ごさない?」

 距離が縮まり花のような香りが鼻孔を擽る。
 市場で出会った店主はきっとこの類のものを売っていたのだろう。
 この場にあまり関係のない点と点が線で繋がったことにくすりと笑ったジョシュアはゆっくりと首を横に振る。

「申し訳ないが、彼女以外に興味がないんだ」
「えー、もったいない!」

 ジョシュアが笑みを浮かべたことで勘違いした女は一瞬花のような笑みを浮かべたが、飛び出てきた言葉にすぐさま顔をしかめる。
 そんなことを言われても、ジョシュアにとってはラリスでなければ意味がない。
 それはきっとラリスも同じで、自分たちは似た者同士だという事実にまたジョシュアの口角が上がる。

「僕から言えることは、僕の幸せは彼女の隣にしかない。ただそれだけだよ」
「ちょ、ちょっとジョシュア……!」

 思ったことを伝えれば、何故か隣のラリスが慌ててジョシュアの裾を引く。
 真っ赤になった頬と震える指先を見て、つまらなそうに女は「あっそう」と簡単に諦めていった。

「あなた、もっと言い方ってものが……!」

 代わりにラリスが今度はジョシュアに近づく。
 ガタンッと音を立て椅子と椅子がぶつかり合うがお構いなしだ。
 距離を縮めた二人に後ろ兵士たちからヤジが飛ぶが二人の耳には届かない。

「事実を言ったまでだよ?」
「だ、だからそういうことを言うと、またみんな好き放題言い始めるでしょ……!」
「慣れてる、なんだろう?」
「さ、さっきはそう言ったけど!」

 それとこれとは話が違うと喚くラリスは「あーもう!」と声を上げると勢いよく肉に噛り付く。

「それよりも、君はみなさんにどんな話を聞かせてたんだい?」
「んぐっ」
「どうにも僕たちのことに詳しいみたいじゃないか」

 視線をラリスに向ければ彼女は咽て、慌てて水を飲みほしていた。
 そっとその背中を摩ってあげれば、軽く咳き込んだ後に真っ赤な顔でジョシュアを睨む。

「関係……なく、ないか……」

 もご、とラリスが言葉を詰まらせれば正面に座っていたイサベルが肩を竦める。

「むしろ当事者でしょう。あなたが言いにくいなら私が言ってあげてもいいけど?」
「なんっ⁉ や、でも……」

 イサベルの進言にぴくりと体を跳ね上げたラリスは慌てて手を振るが、否定しきる前に別の方から声がかかる。

「おい、嬢ちゃん! こっち来てくれ!」
「えっ⁉」

 片手を軽くつかまれたラリスは簡単に引っ張られ、少し離れた席へと連れていかれる。
 ここからじゃ会話は聞こえないが、椅子に座らせれてしまってしばらくは帰ってこられないだろう。
 急なことにジョシュアが瞳を瞬かせているとイサベルが深く息を吐く。

「まったく……上手くやってほしいとは伝えたけど、随分と強引なんだから」
「……わざと彼女を引き離したんですね」
「ええ。あなたには気づかれたみたいだけど、あの子は多分大丈夫でしょう」

 イサベルに向きなおれば柔らかな瞳がラリスを見ている。
 何か彼女なりに事情がって自分とラリスを引き離したのだろう。
 隠れ家で何度か顔を合わせたことはあるが、ほぼ初対面と言っていい相手。
 彼女が何のために場を仕込んだのかはわからないが、ラリスには聞かせたくないということはわかる。

「部屋に移っても構わないかしら」

 そう言って奥の部屋を指させば、給仕係が扉の前で頭を下げる。

「もちろん、あの子に誤解されたくないって言うならここでもいいけど」
「……いえ、大丈夫です。ラリスも流石にあなたと僕の関係を疑うことはないでしょう」
「そう? 信頼してるのね」
「……してほしい、が正しいかな」

 ちらりとラリスを見ればこちらの動きを気にしているそぶりはない。
 兵士たちの弄りにうんざりしていそうだが、懐かしい顔ぶれへの安堵も見え隠れしている。
 しばらくの間なら離れていても平気だろう。

「ふふ、それじゃあ奥へどうぞ」

 優雅な仕草でイサベルに誘われたジョシュアは躊躇うことなく部屋へと入った。

◆◇◆

 うっすらとした明かりに照らされた室内にはジョシュアとイサベルの二人だけ。
 蠟燭の炎が風で揺れる度に二人の影もゆらゆらと蠢いた。

「それで、話というのは」
「……どこから話すべきか、ずっと考えていたわ」

 普段から落ち着いたイサベルの声音が一段落ちる。
 明るい、良い話……というわけではないのだろう。
 そうであれば、こんなところでするはずもない。
 彼女に促されて手近な椅子に腰かけたジョシュアが立ったままのイサベルを見上げれば、彼女は少し悲しそうな笑みを浮かべる。

「あの子が来たときは……まだ十五だったかしら」

 あの子……ラリスの遠い遠い記憶の姿が脳裏に浮かぶ。
 けれど、その姿は朧気で。ジョシュアはあまり知らない彼女だ。
 なにせ、昏睡から目覚めたばかりだというのに「もう大丈夫ね」と彼女は自分を置いて旅立った。
 たまに報告に帰って来たかと思えばそれは自分が眠っている間で、目覚めた時に先ほどまで滞在していたと聞かされて何度肩を落としたかわからない。

「それこそ、兵士たちが言う通りまだ成熟しきっていない少女で。そんな子が『ここで働きたい』って言ってきたのよ」
「それで……あなたはなんて?」
「事情があるのはすぐに分かった。けれど、夜のとばりの看板に泥を塗るわけにはいかないから」

 初めは見習い扱いだった。
 娼館という場所に馴染まない少女は少しずつこの世界を学んだ。
 男が女を買って、女が男を買って。
 薄い壁から漏れ聞こえる声に顔をしかめたラリスは随分滑稽だったとイサベルは言う。

「本当に行く当てがなかったり、手ひどく扱われた経験のある子が生きていくために身を売るっていうのはよくあるけどね。ラリスはそうじゃなかったでしょう?」

 窓の外に視線を移したイサベルが何を見ているかはわからない。
 ぼんやりと見える遠くの明かりか。その下で密談を交わす男女の姿か。
 それとも在りし日の別の誰かか……。

「よく言っていたの『好きな人がいる』『王子様みたいな素敵な人』なんだか物語でも聞かされてる気分だったわ」
「………………」

 誰のことかわかっているであろうイサベルはジョシュアを見て目を細める。
 そんな風に自分のことを語っていたのかと居た堪れなくなったジョシュアが片手で顔を覆う。

『王子様みたいな素敵な人』

 そんな言葉を向けてもらえるほど自分は立派な人間ではない。
 守りたかった、傍に居たかった。
 けれど、そのどれもが叶えられず。彼女を捕まえられたのだってつい最近のこと。
 なにより自分は本来なら命を落としていた身だ。
 こうして隣を歩く日々を送れていること自体奇跡そのもの。
 半ば頭を抱えるジョシュアを気にする様子もなくイサベルは話を続けた。

「けれど、その人の傍にはいられないとも言っていた」
「……なぜ?」
「その人には役目があって、傍に居たら足を引っ張ってしまうから。……だから、せめて少しでも役に立ちたいからここで世界のことを知りたいの。それがあの子の口癖だった」

 そう言ってイサベルは息を吐く。
 同じ女性として何か思う部分があるのだろうか。
 ジョシュアからしてみればあまりにも不器用で、自分を自ら追い詰めてしまっている。
 けれど『ただ傍に居てほしい』と伝えられなかった自分も同罪なのだろう。
 詰まるような息を吐き出し、イサベルを見上げれば彼女は小さく頷いた。

「だから、あの子は自分なりの働き方を見つけた。『身体は絶対に売りたくない』って聞かなくてね」

 おかしな娼婦でしょう?と笑ったイサベルの瞳にはきっと当時のラリスが映っているのだろう。

「理由については固く口を噤んでたけど」

 イサベルは小さく笑う。

「私はなんとなく分かっていたわ。散々、その人のことを聞かされていたしね」

 そう言って、懐かしそうに目を細めたイサベルは肩を竦める。

「……もちろん、私たちだって抱かれるだけが役割じゃない。客は癒しを求めてる。だからあの子の『安心して寝られる場所』を提供するっていうのも間違いじゃないの」

 イサベルの言葉に兵士たちの語る娼婦時代のラリスが過る。
 俺ぁ三回は寝た。そう語る兵士たちはラリスの膝で眠ったという。
 血生臭い戦場で、生きるか死ぬかを味わってきた男たちにとって、柔らかな女性に包まれながら眠るというのはジョシュアが想像するよりも幸福なことなのだろう。
 そして、ラリスはきっとそんな安心感を与えながら、言葉巧みに軍の動きを聞き出していた。
 教団員伝手で持ち込まれる情報はいつも正確で、彼女がどれだけ兵士に信頼されていたかは言われなくともわかっている。

「けどね、全員が全員規則を守る良心的な客だとは限らないでしょう」
「……なにか、あったんですか?」

 イサベルはすぐには答えなかった。
 組んだ指先を見つめる。まるで昔を思い出しているように。
 そして「……ええ」とだけ答えた。

「これがあなたを呼び出した本題。……実はね、今日来てもらったのもこれが目的なの。シド……クライヴにも言ってある」
「なるほど……。だから兵士たちはなんの合図もなしに僕たちを引き離したんですね」
「話が早くて助かるわ」

 イサベルはジョシュアの正面に椅子を持ってきて自身も座ると息を吐く。
 きっと、語るにも重い話なのだろう。
 姿勢を正したジョシュアの心臓が嫌な音を立てて軋みだす。
 けれど、おそらくこれは自分は知らなければいけない話なのだろう。
 逃げることは許されない。そんな視線がイサベルから向けられる。
 自分は彼女の過去を知りたいと思っていた。
 けれど本当に扉が開かれようとしている今、胸の奥が妙に冷える。
 聞けばきっと後戻りはできない。それでも知らなければならない。ラリスが……大切な女性が歩いてきた道を。
 ジョシュアがごくりと息を呑むのとイサベルが口を開くのはほぼ同時だった。

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