05


「良い答えね。でも最悪な気分って顔に書いてある」

 そう言ってジョシュアの隣を通り過ぎるとイサベルは扉を開いた。
 暗い室内に店内の明かりと酔った兵士や娼婦の声が入ってくる。
 遠くからは「いい加減にしてよ!」と恥ずかしそうなラリスの声もする。

「そろそろあの子にあなたを返してあげなきゃ。ずっと私が独占してたら拗ねられてしまうわ」
「マダム……」

 茶化すようにそう言って、重い空気を払ったマダムはくすりと笑う。

「私たち≠フ大切な娘をよろしくね」
「……はい」

 強く頷いた先に見えた光がやけに眩しく見えた。

◆◇◆

「ジョシュア……! マダムと何を話してたの?」

 部屋を出れば、兵士から逃げだしたラリスが駆け寄ってくる。
 少し息が荒いのは兵士と言い合いをしていたせいだろう。
 返事に困って黙って頬に触れれば瞳を瞬かせたラリスが首をかしげる。

「ジョシュア……?」

 君のことだよ。
 そう言うのは簡単だ。
 けれどラリスの秘密を勝手に聞いてしまったことを伝えてしまうのは憚られる。
 きっとイサベルはそんな為に聞かせてくれたわけではないだろう。

「娼館で働く気はないかって口説いてたのよ」
「えっ⁉」
「なんてね。クライヴへの伝言があったから、酒の席でするような話でもなかったからあっちでしていただけよ」
「そう……なの?」

 確認を取るように自分に視線を向けたラリスに少しだけ遅れて頷く。
 兵士たちは事情は知っているのだから、ラリスが騙せればそれでいい。

「付近の魔物について相談されたんだ。自警団だけだと厳しい部分もあるしね」
「そうなんだ……」

 元々クライヴに頼まれて足を運んだのもあってラリスは納得してくれたらしい。
 頷く彼女の頬をそっと撫でてから背中に手を添える。

「食事は終わったかい? 用事も済んだしそろそろ宿に行こう」
「あ、うん」

 誰かに呼び止められるかとも思ったが、イサベルの目的が果たされたとわかっているのだろう。
 兵士たちはただ笑みを浮かべてこちらを見ると静かに手を振っている。

「ジョシュア」

 けれど、イサベルだけがジョシュアを手招きする。

「マダム? まだなにか……?」

 ラリスを一人入り口に向かわせて駆けよれば、耳元に手を添えられて小声で囁かれる。

「お上品なのは構わないけれど、いざとなったらラリスをちゃんと押し倒すのよ」
「……は?」
「ふふ、冗談……とは言わないわ。ラリスをお願いね」
「マダム!」

 揶揄われているのはわかっているが、きっと本心でもあるのだろう。
 くすくすと笑うみんなに見送られながら二人は鉄の酒樽亭を後にした。



 酒場の賑やかさに反して宿の近くは静寂が包み込んでいる。
 もちろん、街のすべてが寝静まっているわけではない。
 娼館では今日も誰かが熱い夜を過ごしているのだろう。
 けれど、それはジョシュアと今のラリスには関係のない話だ。

「はあ……疲れた……。もう二度とこない」
「随分人気だったね」
「だから、あれは揶揄われてるだけだって言ってるでしょ……」

 二つ並んだベッドの片方に飛び込むように横になったラリスはシーツに顔を埋めながら唸るように返してくる。
 旅の疲れもあるのだろう。
うとうとと船を漕いで、目を離したらすぐにも眠ってしまいそうだ。

「……なに話してたの?」
「ん?」
「マダムと」

 ベッドの外へと投げ出された彼女の足から靴を脱がせ、自身もベッドに入る準備を進める。
 その片手間に声に耳を傾けていると先ほどの話が掘り返された。

(やはり誤魔化されてはくれないか……)

 あの場で追及されなかっただけで、引っかかってはいるのだろう。
 静かなラリスの問いかけに苦笑したジョシュアはどう答えようか悩みながらグローブを外す。
 少しだけ胸元を緩めながら隣のベッドに腰を下ろすととろんとした瞳のラリスと目が合った。
 問い詰めるわけでも、不安に思っているわけでもない。
 ただ聞きたいと訴える澄んだ瞳にどこまで話していいものか。

「大した話じゃないよ」

 嘘だ。
 全然大した話だ。
 マダムから託された想いはあまりにも大事すぎて、ジョシュアだってまだ受け止め切れていない。

(僕もたいがい嘘つきだな)

 これでは君のことをとやかく言えない。
 そんなことを考えながらラリスの投げ出された手を握る。

「君をよろしく頼むと、そう言われたんだ。まるで母親みたいにね」
「ふふ、マダムらしい……。自分をみんなのお母さんだと思ってるって言ってたもの」

 柔らかな指先に力は籠っていない。
 代わりにジョシュアが握ってあげればラリスはくすぐったそうに微笑んだ。

「おやすみなさい、ジョシュア」
「おやすみラリス。良い夢を」

 ゆっくりと瞼が閉じて、やがて寝息が聞こえてくる。
 少し前までこの時間を当たり前のように甘受していた自分が憎らしい。
 いや、それでも奇跡だとは思っていた。
 けれど、それは自分の背負っていたものに対してだけ。
 フェニックスとしての役割。石化が進む体。なによりアルテマのこと、世界のこと。
 大きな理由ばかり見えていて、彼女がひっそりと背負っていた覚悟なんて知りもしなかった。

「僕は、君がただ傍に居てくれればそれでよかったのに」

 きっと、もっとハッキリと言葉にして伝えて行かなければならないのだろう。
 彼女には何故かそれだけのことが伝わらない。
 アルテマとの決戦前にもこのことで揉めた記憶が新しい。

「難しく考えないで、というのは無理なお願いなのかな」

 けれどあの手紙を受け取った今のラリスならきっとわかってくれている。
 そう信じてジョシュアもベッドへ身を預けた。



 数日の滞在を経て、隠れ家への帰路につく頃にはラリスは随分疲れ切っていた。
 それでも、どこか嬉しそうだったのはジョシュアの気のせいじゃないだろう。
 離れてから時間が経っても変わらずに自分を受け入れてくれる。
 そんな場所は望んでいたって得られないこともある。
 どれだけ得難い大切な場所だということがラリス自身にもわかっているのだろう。

「しばらくノースリーチには近寄りたくない……」
「そうは言っても買い出しで来ることもあるだろう?」
「タルヤ先生やヨーテに行ってもらうわ」
「二人も忙しいと思うけどね」

 すっかりご機嫌斜めになってしまったラリスはジョシュアの手を握るとぶらぶらと揺らしながらだいぶ小さくなった市場へと振り向いた。
 さすがにもう自分たちを見送っている人はいないだろう。
 だからこそなのか、彼女は大きく手を振った。
 それは別れを告げるというよりは、行ってきますという合図だったのかもしれない。
 聞くことが出来たのは苦い記憶ばかりだったけれど、次に来るときはもっといい話を聞けたらいいな。
 そう思いながらジョシュアもノースリーチに向かって手を振った。

◆◇◆

 隠れ家に戻ればいつもの日常が待っていた。
 子供たちはラリスとジョシュアを先生と慕い、大人たちは世界が抱える様々な問題と向き合って。
 順調とは言えない、けれど少しずつ進展ある日々はどこか清々しい。
 そんな毎日を過ごしながら、夜更けの桟橋で一人湖を眺めていると後ろから誰かが近づいてくる。

「マダムに聞いたぞ」
「兄さん……」
「ラリスのこと。……相変わらず危ういだろう」

 少し笑いながら話しているのはもう終わったことだからだろうか。

「危ういというか……彼女なりに考えているんだろうけど、僕の気持ちはいつも置き去りだ」
「伝えないお前が悪い」
「痛っ」

 隣に並んだクライヴは間髪入れずにそう言ってジョシュアを小突く。
 対して痛くもないのに叩かれた肩をさすったジョシュアは水面に映る自分を見つめて「そうかな」と呟いた。

「……そうかも」

 なんとも情けない自分の顔に苦笑し、自分で肯定すればクライヴが大きく息を吐き出した。

「でも兄さんに言われたくない」
「なに?」
「僕はまだ許してないからね。兄さんだっていつもジルに我慢させてばかりじゃないか」
「それは……」

 かつてジョシュアが殴った左頬をさすったクライヴが気まずそうに視線を彷徨わせる。
 どうにも自分たち幼馴染は良くない癖が似ているらしい。
 クライヴとジョシュアはなんでも一人で抱え込む。
 ジルはクライヴが望むなら自分の気持ちに蓋をしてまで我慢してしまう。
 そして、……ラリスは自己犠牲で抱え込んで勝手な結論を出してしまう。
 お互いがお互いを思うゆえにすれ違うなんて馬鹿げた話だ。
 
「ありがとう」

 だからこそ、ジョシュアはこの兄に心からの感謝を伝えなければならなかった。
 当然、突然の言葉に困惑したクライヴはジョシュアを一度見ると視線を逸らし、またジョシュアを見つめて首をかしげる。
 綺麗な二度見にくすりと笑ったジョシュアは伝わらなかったのだと、また人の難しさを知る。

「なんだ急に」
「兄さんが連れ出してくれたおかげだ」

 きっとそれは随分強引だったはず。
 なにせ、ラリスはあそこで活動を続けることがジョシュアの為になると信じていた。
 その先に何が待っているのかもわかった上で、二度と会えない覚悟まで決めて身を粉にして働き続けた。

「今のラリスが……ラリスが、僕の隣に居てくれるのは兄さんのおかげなんだ」

 ジョシュアの傍からラリスが居なくなって十三年。
 彼女の居場所が掴めなくなった内五年はこの隠れ家で安全に、誰に求められるわけでもなく平和に暮らしていた。
 それだけでも随分と心が軽くなってくる。
 初めは困ったような顔をしてジョシュアの言葉を受け止めていたクライヴは、少し考えこんだ末に「ああ」と小さく零す。

「見つけた時には驚いた。『なぜ彼女がこんな場所に』と。それから……このまま置いておくわけにはいかないと思った」

 ラリスと再会した時のことを思い出しているのだろう。
 クライヴは己の手のひらを見つめると、ぎゅっと握りしめて息を吐く。

「だから問い詰めたんだ『今の君の姿をもし知ればジョシュアが悲しむ』と。お前が生きているとはまだ知らなかったが、お前の彼女への想いは誰よりも知っていたからな」
「……ラリスはなんて?」

 少なくとも彼女はその言葉を聞いて困ったはずだ。
 ジョシュアが生きていることをクライヴに伝えてはならないと教団員から聞いていたはず。

「『そんなこと考えたこともない』」

 ぱちぱちと瞬きをしながら瞳を瞬かせるラリスの姿が目に浮かぶ。

「……今にしてみればお前が生きているのを知っているからそう言ったのかとも思ったが、お前が止めなかったからなのかもしれないな」
「僕は……」
「『止めれなかった』か? ラリスは自分で決めたら引かないからな」
「……いや、僕が悪いんだ。……僕も、かな」

 肩を竦めるクライヴはきっとすべての事情を知っているのだろう。
 何か言いたげに開いた唇は言葉を探すように何度も閉じる。
 言うべきか、言わざるべきかを選んでいる。そんな素振りだ。

「僕はラリスに……」

 強く言うべきだったのだろうか。
 そんなことをしなくていいと、彼女が決めたことを否定して。
 約束も出来ない未来に彼女を縛り付けて、安全なところに囲い込むなんてそれこそ自己満足にしか思えない。

「……あの人にはこっぴどく怒られた」
「あの人?」
「稼ぎ頭を盗られたとな」
「ああ、マダムか……」

 ジョシュアからくすりと笑みが漏れれば、クライヴはさらに続ける。

「それからこうも言っていた」
「なに?」
「護衛をつけるなら、情で動かない者にしろと」
「っ、それは……」

 どこからか一枚の紙を取り出したクライヴはジョシュアに押し付けるように渡す。
 それは見慣れた報告書で、不死鳥教団の団員が好んで使っているものだった。

「マダムの話を聞いてヨーテやシリルに尋ねてみたんだ。当時ラリスの護衛に当たっていた教団員を知っているか、とな」

 その結果がこれだ。
 そう言って石化していない右手で報告書の一点を指さしたクライヴはため息をつく。

「ラリスに頼み込まれたのだと、事が発覚したら自分のせいにしてくれと、……そう言われたらしい」

 神経質そうな文字で記されたのは事件の詳細。ラリスの状況。最終的な報告内容。
 すぐさま宗主であるジョシュアに伝えるべきだと思ったことや、ラリスに乞われてそれを取りやめたことまで事細かに書かれている。

「……ハハッ、まったく彼女ときたら」

 予想していたとはいえ、まさか本当に教団員まで味方につけてしまっているとは末恐ろしい。
 確かに、こんな報告を受けていたなら自分は文字通り飛んでいって彼女をあそこから引き離していただろう。

「敵わないなラリスには……」
「それはマダムも言っていた。お転婆すぎるから手に負えないとな」

 肩を竦めたクライヴは「けれど」と続ける。

「お前と一緒に居る姿を見て安心したとも言っていた」

 浮かべた笑みは柔らかく、きっとクライヴの本心も混ざってる。
 何故かそう感じたジョシュアは静かな湖畔に響くクライヴの声を正面から受けとめた。

「なら、よかった」

 ここまで来て「お前にラリスは任せられない」などと言われた日には、どうすべきか頭を抱えるところだ。

「それと伝言なんだが」
「なに?」
「『早くしなさいよ』とだけ言われたんだが、なんのことかわかるか?」
「…………、多分」

 一瞬だけきょとんとしたジョシュアだったが、すぐに言葉の意味を理解する。

(なにも兄さん伝手に念を押さなくても……)

 それだけ、自分が奥手そうに見えたのだろうか。
 いや……ここまで拗らせた故の代償なのかもしれない。
 月明りの差す部屋で無防備に眠るラリスの姿が脳裏をよぎる。
 きっと今日も難しいことを考えながら眠りについたのだろう。

(きっといつか、とは言ってられないのかもしれないね……)

 ジョシュアはそんなラリスの姿を思い浮かべながら目を閉じた。

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