04
少しふわふわした気持ちのまま外に出れば、ベッドから出ることが許されたのか朝日を背負ったジョシュアが私の前に立つ。
どうやらしばらく隠れ家の中を歩き回っていたらしく彼の髪は乱れている。
寝起きだからだろうかと思ったけれど、それにしては少しだけ息が弾んでいた。
私を探していたのだろうか。
そんな考えが一瞬だけ浮かんですぐに打ち消す。
まさか、そんなはずはない。
それよりも自分の乱れた前髪の方が気になって、慌てて整えるように少し弄れば彼はくすりと笑った。
「少し話したいことがあるんだけど、いいかな?」
柔らかい笑みを携えたままジョシュアは私の手を軽く引く。
「構わないけど……」
再会してから何度も繰り返された呼び出しに私はすぐに頷いた。
けれど、連れ出された先は医務室ではなかった。
隠れ家の少し人通りが少ないところ。
私がいつも湖を眺めているその場所で、柵を背にしたジョシュアは私をまっすぐ見つめる。
「ずっと聞きたかったことがあるんだ」
「ずっと?」
「……娼館で何をしていたの」
「っ⁉」
驚きで思わず後ずされば、ジョシュアは昨日と同じく私の手をそっと握る。
けれど少しだけ力が強い。
まるで逃げないでと言われているようで、覚悟を決めて向きなおればジョシュアの綺麗な瞳が私を貫く。
「僕が君の居場所を知らないと思った?」
責めるような棘のある声。
「それは……」
可能性を考えなかったわけじゃない。
教団にまだ帰っていた頃はいつも寝ている所を見計らっていたけど、どんなに隠し通したって教団員に一言尋ねてしまえば私の秘密なんて簡単に暴かれる。
視線を彷徨わせるだけで答えを返さない私に痺れを切らしたのか、ジョシュアはただ握っていただけの手の指を絡め始めた。
ほんの少し熱っぽい、男の人の手。
娼館なんて場所に居たくせに、経験の浅い私は赤くなる頬を誤魔化せなかった。
「ちょ、ちょっと……っ!」
「……碌に君を知りもしない男が君に触れたの?」
「っ」
低く落ちた声に胸の奥が小さく震えた。
怒っている。
でも、それだけではないような気がした。
何をしていたのか問い詰めたいのに、聞いてしまえばきっと傷つく。
そんな顔をしているようにも見えて、私は何も答えられなかった。
確かめるように何度も、何度も、ジョシュアの手が私の手を握る。
「ジョ、ジョシュア……それやめてっ……」
手だけじゃない。余っていた方の手で私の頬に触れ、逃げるように顔を逸らせば顎を掬って。
……少なくとも、子供の頃のジョシュアはこんなことしない。
改めて、大人になったジョシュアのことを何も知らないんだと思い知らされる。
私たちの間に出来てしまった溝は思っていたよりもっともっと深いのかもしれない。
強制的に顔を逸らせなくなってしまった私は、数度瞬きを繰り返してからぽつりと呟く。
「……別に、あなたも今の私のこと知らないでしょ」
零れ落ちてしまった言葉は本音のようなものだった。
だって、私はちゃんと役に立てていた。
私は今のあなたを形作る何かを知らなくて、あなたは今の私を作ったものを知らなくて。
「ヨーテだって、シリルだって、……みんなが役に立ったって言ってくれたもの!」
そうして確保できた教団員の安全は、やがてジョシュアの糧となる。
私はずっとそう信じて、彼の言う碌に私を知らない人≠ニ懇意にしてきた。
「僕は君にそんなこと望んでない……!」
「じゃあどうすればよかったのよ!」
少なくとも、私に教団の本拠地でやれることなんて何もなかった。
国が燃えて、世界が変わって、私に残されたのはちっぽけな自分の命とジョシュアだけ。
「ヨーテが居ればそれでよかったじゃない! 私なんかよりずっとずっと優秀で、四つも年下なのにあなたの看病を任されて」
眠るジョシュアの傍で薬を用意していたヨーテ。
彼女は私が何をすればいいのかも分からず立ち尽くしている間にも、迷いなく必要なものを揃えていた。
「これを飲ませてください」
「次に熱が上がったらシリルを呼んでください」
短い言葉で指示を出し、教団員たちと連携していく。
私はただ、その様子を眺めていた。
私だったらジョシュアに何をしてあげられただろう。
薬の名前もわからない。
傷の手当てもできない。
容体が悪くなった時にどうすればいいのかも知らない。
話すことしかできない私と違って、ヨーテにはジョシュアを生かすために必要なものを持っていた。
話すだけが取り柄の私と寡黙で従者としても優秀な彼女。
しかも、私は唯一の取り柄も五年の月日で枯れ果てて、あなたに伝えられることが何もなくなった。
大人になった今ですら、教団を飛び出て娼婦としての技術を身に着けた気になって、嘘を纏って、自分を守りながら生きていくだけで精一杯だった私とは天と地ほどの差がある。
「私には何もなかった……っ」
きっと、多分最初から。
叫ぶような私の言葉をぶつけられたのに、ジョシュアはまっすぐ私を見つめていて目を逸らさない。
「ジョシュ……」
何か言い返されると思った。
責められると思った。
けれどジョシュアは怒ったように眉を寄せたまま、ひどく苦しそうに息を吐いた。
なんでそんな辛そうなのよ……っ。
思わぬ反応に言葉に詰まった私より、ジョシュアの方が先に口を開く。
「僕は、ただ傍にいて欲しかった」
「は……えっ……?」
思わず聞き返してしまった。
ただ、傍にいる。
それが何になるというのだろう。
薬を用意するでもない。
傷を治せるわけでもない。
敵の情報を持ってくるわけでもない。
そんな私が傍に居たところで、何の役にも立たないというのに。
ぱちぱちと瞬きを繰り返す私と違って、ジョシュアはずっと私を見つめた。
「傍に居て欲しかった……?」
思わず呟いてしまえば、ジョシュアは静かに頷く。
何度頭の中で繰り返しても、やっぱり意味がわからない。
彼の言葉を飲み込み切れず固まる私の耳に遠い誰かの笑い声が届いた。
朝の隠れ家はもう動き始めているのに、私たちだけが取り残されたみたいだ。
「でも、それって何の役にも……」
「どうして僕を避け続けたの」
「えっ」
役に立たない。
そう言い切る前にジョシュアが私の言葉を遮る。
「なんで会ってくれなかったの」
「それは……」
「いつも目覚めた時には君がすでにいなくて、僕はそれがずっと辛かった」
「…………っ」
立て続けにそう言って、指先で私の頬を撫でたジョシュアは「ラリス」と静かに名前を呼んだ。
私は思わずそのジョシュアの姿を想像する。
目を覚ましたジョシュアが誰も居ない部屋を見回す。
私がいつもジョシュアは目覚めたか聞いていたように、きっと誰かに尋ねたのだろう。
ラリスはどこにいるの、と。
そんな姿を想像してしまって、胸が痛くなる。
私は知っている。
自分の問いに、教団員が静かに首を横に振る苦しさを。
けれど私は知らなかった。
私がいなくなった後、あなたが何を思っていたかなんて考えすらしなかった。
だって私は、あなたの役に立てていると思っていたから。
「…………、だって」
だって、あなたに面と向かって「やめてほしい」なんて言われたら、私は「はい」以外言えなくなっちゃう。
今だってすぐに「ごめんね」って伝えたい。
けれど、自分なりに考えて、ちゃんとジョシュアの役に立てていると信じていた。
私は、私の仕事に誇りを持ててた。
それ以上の言葉が紡げなくて、せめてもの悪あがきに目を逸らせばジョシュアが私に向かって一歩踏み込む。
「僕を見て」
また一歩。
「今の僕を、ちゃんと見て」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
今の、ジョシュア。
昨日もそうだった。
大人になった身体も、低くなった声も、私の知らない表情も。
私はずっと、昔の彼を見ていた。
小さな手で私の手を握ってくれた、あの頃のジョシュアを。
けれど今、目の前にいる彼は違う。
私の知らない十三年間を生きていた、一人の男性だった。
耐えきれなくて、言われるがままに前を向けば、すっかり大人の男性になったジョシュアが私を正面から見据えている。
「ち、近い……近いよジョシュア……」
あまりにもジョシュアが近づいてくるので一歩下がれば体が柵に当たってこれ以上動けない。
逃げ場がなくて、息が詰まる。
近づいたジョシュアの吐息が触れるほど近いのに、彼は何もしてこなかった。
ただ、何かを確かめるみたいに私を見つめている。
その熱のせいか、反論する勇気も失ってしまった私を見ていたジョシュアがふと目を閉じる。
絡んでいたはずの手はいつのまにか解放されて、代わりに背中に手が回る。
「ジョシュ……っ」
なんだかいけないことが起こる気がした。
慌てて手を上げる。突き放そうと思った。
なのに、その手はジョシュアの胸に触れたまま動かなかった。
逃げようと思えば、きっと逃げられた。
嫌だと言えば、彼はきっと止まってくれた。
それなのに。
私は、何もしなかった。
触れ合っただけの唇の温度だけが残される。
「〜〜〜〜っ⁉」
頭の中で考えていた様々なことが全部吹き飛んで、視界がジョシュアの少し寂し気な笑顔で埋め尽くされる。
「僕は出会った時から君のことが好きなんだ」
その言葉が意味するものを私はすぐに理解できなかった。
だってジョシュアはずっと、私にとって手の届かない王子様だったから。
始めて会ったあの日から。
私の世界に突然、星が瞬いたように見えたあの時から。
まさか、あの時から……?
そんなはずがないと思うのに、胸の奥だけが、どうしようもなく騒いでいた。
それ以上ジョシュアは言葉を重ねない。
なのに私はまるで「逃げないで」と言われた気がして、その場から動くことができなかった。
拒みたくなかった。
そう思ってしまった自分に気づいて、余計に胸が苦しくなった。
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