05
……あれからほんの少しだけ時間が過ぎて、明日ついに三人はオリジンへと旅立つ。
今日が彼らとの最後の夜になるだろう。
そんな空気が隠れ家を覆っていてやけに静かだ。
まるで世界が終わるみたい。
「ジョシュア……」
無理やり唇を重ねてきたというのに、彼はあれ以上なにかを追求することはなかった。
少しの間抱きしめられて、名残惜しそうに離れて、けど相変わらず手だけは離さない。
それが却って本当に寂しかっただけなのだと訴えかけられているようで、私からあの手を解くことが出来なくなった。
ヨーテの安心した顔も、クライヴやジル、それにタルヤ先生にガブに……みんなの生暖かい視線だけが耐え難かったけど、ただそれだけだった。
今日も医務室で彼が寝付くまで傍に居て、私は彼が知らない私の世界をほんの少しだけ教えてあげた。
ネクタールと話せるクライヴが羨ましいとか、ジルみたいに裁縫に挑戦したけど上手く行かなかったとか、シドにはお前みたいな小娘が娼婦なんて十年早いと笑われたとか。
そんなささやかな日常でジョシュアが喜んでくれるなんてずっと知らなかった。
自室に戻った私は、彼の筆跡で私の名前が書かれた封筒を開ける。
先ほど渡されたばかりで「僕たちが行ったら読んでね」と言われていたけど、私はそういうのを待てない性質だ。
ほんの少しの罪悪感とともに手紙を開く、彼の心に深く踏み込む気がしたから。
『ラリスへ
僕たちはもうじき旅立つ。
君がこの手紙を読んでいるということは、君にとっては明日の出来事だろうね。
兄さんやディオンとも話し合ったけど、僕たちが帰ってくることは叶わないだろう。
僕たちはその覚悟の下で行く。
この決断は君を怒らせると思う。
それでも、人が人として……自分たちの意思で生きていくために僕は行くよ。
その先の世界では、君が君らしく、何にも怯えることなく生きられることを願って。
ロザリスの外から来た君は僕の世界を広げてくれた。
君の話す世界は眩しくて、一緒に見に行けない自分の弱さが悔しかった。
そんな君を守りたいと、強くなりたいと思ったのはあの火事の日だ。
僕にベアラーだと知られて、泣いて、怯える君を見て、幼いながらに君を守れる人になりたいと願った。
フェニックスとして生まれた僕が背負った使命は随分と形を変えたけれど、その気持ちだけはずっと変わらない。
僕は、僕の願いのために戦うよ。
ジョシュア・ロズフィールド』
最期だと語るのに、短くまとめられた手紙。
たった数枚の紙きれに託された想いは一度で受け止めるには重すぎる。
指先で彼の筆跡をなぞって、何度も何度も読み返すほど胸が苦しい。
死地に向かうというに、その先に待つのは死という無なのに、彼の手紙にはそれに対する恐怖が見えない。
じんわりと熱くなっているのは胸なのか、瞼なのか。
喉の奥がひりついて、うまく息が吸えなくなる。
「私を……なんだと思ってるのよ……」
涙と一緒に零れ落ちたのは、少しばかりの彼への愚痴。
……そんなに怒りっぽい印象があるのかな。
彼は何を思いながらこの手紙を書いたんだろう。
世界のこと?ロザリアでのこと?……私のこと?
「ジョシュアはやっぱり何もわかってくれてない……」
どうしてそんな穏やかな文字で、こんな別れを書けるんだろう。
私だけが、置いていかれるみたい。
私はなによりも……あなたが居ない世界が怖いのに。
◆◇◆
その夜は結局ほとんど眠れなかった。
朝焼けの空に浮かぶオリジンは、昨日よりもずっと近く見えた。
光沢のないクリスタルで形作られた、蛹のような新たなマザークリスタル。
まるで私たち人を見下ろすようなそれが、ジョシュアたちの向かう先。
旅立てば、もう後には引けない。
隠れ家中の……ううん、大罪人シドと繋がりの深い人々がみんな集まって、彼らを決戦の地へと送り出す。
ミドが最初に声をかけて、それぞれが別れを惜しむ。
「……若様、私が調合した薬はちゃんと持ったの?」
ヨーテと言葉を交わしているジョシュアに歩み寄ったタルヤ先生。
そんな彼女に腕を引かれて一緒に来た私を見るとヨーテは静かに頷いた。
「飲まなかったらニンジン食べさせるわよ……いい?」
「分かった。タルヤ先生、ありがとう」
二人の会話が終わり、ヨーテは「さあ」と私の背を押す。
私が逃げないようにか、私の背に手を添えたままの彼女がジョシュアを見ると彼も頷く。
「ラリス……」
「……出立の時くらいちゃんとしなさいよね」
「えっ」
彼が言葉を紡ぐ前に、ジョシュアの服に手を伸ばす。
少しだけよれた襟先を丁寧に整える。
指の震えが知られないように、丁寧に、丁寧に、……この時間が終わらなければいいのに。
「……ありがとう」
自分を見下ろしたジョシュアは微笑むと私の震える指先を捕まえる。
震えごと包み込むように、大きな手が私に触れる。
いつのまにかヨーテは少し離れたところに下がっていて、空いていた私の背中に彼の腕が回る。
「……っ」
ジョシュアはびっくりするくらい積極的で、みんなも私の背を押してくれたのに、肝心の私が最後の一歩が踏み込めない。
状況に耐え兼ね、思わず少しだけ瞳を伏せると見計らっていたかのように一瞬だけ唇が触れて離れる。
「ちょっと……!」
真っ赤になった私を見て、ジョシュアはどこか満足そうに目を細める。
なんだか手のひらの上で転がされているようで、咎めるようにほんの少し声を張り上げればくすりと笑ったジョシュアがヨーテに向かって目配せをした。
「どうせ、君のことだから手紙は読んでしまったんだろう」
「なっ」
「もう一通、ヨーテに託してるんだ。今度こそ、僕たちが居なくなってから読んで」
図星を突かれて何も返せない私に笑ったジョシュアは「もう一度だけ」とゆっくりと唇同士を押し当てた。
「行ってきます」
最後の最後まで、名残惜しそうに離れなかった右手の温もりが抜けていく。
クライヴの声を合図に駆け出した三人は一瞬強い光を放って遠い上空へとあっという間に行ってしまった。
「クライヴ……!」
その背中を追いかけて駆け出したジルは、バハムートに乗ったジョシュアとクライヴの姿が見えなくなるまで泣きながら彼らを見送る。
……彼女のように素直になることは私にはできなかった。
誰もが動けず、ただ空を見上げていた。
さっきまで彼らがいたはずなのに、空は驚くほど静かで、穏やかな雲だけがゆっくり流れていく。
これから命を懸けた戦いが始まるなんて嘘みたい。
不安な気持ちをかき消すように、縋るように指先でクリスタルに触れれば、一緒にポケットに押し込んだ手紙だけがやけに重くて……。
それでも、私は彼らが消えた空から目が離せなかった。
いつまでもそうしているとヨーテが遠慮がちに声をかけてくる。
「ジョシュア様からお預かりしたものです」
「これが……」
「……一通目は」
「ジョシュアの言う通り、もう読んじゃった」
昨夜は彼は私のことをわかってないと思ったのに、その考えが覆る。
受け取った封筒を慎重に開ければ、一通目と同じようにそれは私の名前から始まった。
『ラリスへ
僕はずっと君が傍に居てくれないことが納得できなかった。
どんな情報よりも、君が身一つで隣に居てくれればそれでいいのにと何度願ったかわからない。
でも、僕は結局君と同じことをしている。
君が守らないといけないと思った僕から、君を守れる僕になれただろうか。
あの日の僕は君の言葉を否定したけれど、今ならあの頃の君の気持がよくわかる。
もし僕が生きて帰れたら、その時は返事を聞かせてほしい。
君を、愛しているんだ。
ジョシュア・ロズフィールド』
一文字一文字、一つも取りこぼさないように文字を拾い上げる。
言葉に込められた想いは私もよく知るもので、唇を噛み締めているとヨーテがまるで独り言のようにぽつりと呟く。
「その手紙は……昨晩、あなたが帰ってから書き上げたものです」
「昨日……?」
「一通目はあのクリスタルが浮かび上がった直後に筆を取られていましたから……ジョシュア様のお考えに何か変化があったのではないでしょうか」
オリジンを一瞬見上げたヨーテはジョシュアによく似たまっすぐな瞳で私を見つめる。
「あなたのことを責められないと、そう笑っていました」
「ジョシュア……」
もう一度手紙に目を通す。
『今ならあの頃の君の気持ちがよくわかる』
その一文をなぞるたびに、それは自分の台詞だと返したくなる。
「私もやっとジョシュアの気持ちがわかった……」
五年も時が止まっていたはずなのに、ジョシュアは私よりもずっとずっと聡明で、先に居て、そして……きっともう手が届かない。
ちゃんと返事をすればよかった。
ずっと遠ざけてごめんねって素直になって、無茶だとわかっていても「帰ってきてね」って言えばよかった。
読み返すたびに積もる後悔には行く当てがない。
目が眩むような光と炎の洪水が空の果てで渦巻いたと思ったら、長い長い沈黙が私たちを待っていた。
やがて轟音と共に崩壊し始めるクリスタルは澄み切った空と風だけを運んで、彼らを返してはくれなかった──。
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