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母の懐は海より深し

「銀時様、家賃の回収に参りました。」
扉の破壊者はそう言った。

爆発により大破した扉の破片が、爆風によってあたしたちの方へ舞ってくる。
こんな無茶苦茶なことをするくらいだから、どんな怖い顔をしたバケモノかと思ったけれど、あたしの想像はことごとく覆された。

透き通るような綺麗な声。メイドのような服に、緑色の長髪は丁寧に編まれて後ろで束ねられており、その手にはなぜかモップを一本携えている。
そんな女の人はあたしを見つけて、一瞬きょとんとした顔をして、銀さんの方にまた顔を戻した。
「銀時様。いつの間に奥様がいらっしゃったのですか。」

「えっ。なに?名前のこと?」
「名前様、とおっしゃるのですね。私、下の階のスナックお登勢で働いている、からくりのたまと申します。よろしくお願いいたします。」
「あ、からくり・・・。ご丁寧にどうも・・・って、いや!あの!あたし、違います!ただの新しい従業員です!!」

からくり、と聞いて、見た目からは想像もつかないその破壊力に納得がいく。そして、丁寧にぺこりと頭まで下げられたら、つい反射で、どうも、と頭を下げそうになったけれど、踏みとどまった。
違う。
奥様だなんて、断じて違う。
変な誤解をされてしまっては困るので、そこははっきり違いますと言っておいた。
そうすると、たまさんは、なぜか少しだけ残念そうに眉を下げて、それから、ここに来た目的を思い出して、また銀さんに詰め寄っていた。
「銀時様。そうです、家賃です。今月はさすがに払ってもらわないとお登勢様がお困りになります。」

「そんなこと言ったって、無いもんは無いんだよ。今度金入ったら真っ先に家賃払いに行くからさァ。お願い!こないだアレ直してやったろ。」
「アレは実際にはちゃんと直っておりません。画面がまた突然モノクロになったり、消えたりするのです。」
「じゃあ、アレなんだろ。もう寿命だろ。」

同じ機械ということもあってか、たまさんは銀さんのアレへの辛辣な一言に、激昂してモップを振りかざし始めた。銀さんは必死に「落ち着け、落ち着け!」と言いながら、たまさんを止めようとするが、謝罪する気は毛頭無いようだ。死んだ魚の目がそれを物語っていた。
あたしは、そんな銀さんを救いたいわけではなかったし、むしろ、家賃をろくに払わない人には制裁を加えるべきだとも思ったけれど、なぜか声を上げて出てきた言葉は結果的に銀さんを救うことになる。
「あの!・・・あたしが払いましょうか?家賃。」

自分でも何を言ってるんだと驚いた。
ただ、このまま放っておいてもどうにもならない、と思ったのは事実だ。
なんて厄介な性格なんだ、と心底自分を呪ったのはまた別の話。

「名前ー!マジでか!!マジで払ってくれんの!?」
「い、いいですよ。一ヶ月分だけですよね。」
「・・・え・・・あーと、いや・・・・・・三ヶ月分。」
「・・・・・・・・・。あたし、何か言いましたっけ?」
「イヤイヤイヤイヤ、家賃払います、って自ら名乗り出てたよね!?あれは何だったの!?名前女神サマ!!」
「ちょっ、三ヶ月分んんん!!?ハァァァァァァァ!!?」

三ヶ月分の家賃を滞納。
ていうか、こないだも滞納してたとか言ってなかった?どんなけ滞納すれば気がすむんだよ、このロクデナシ!さすがの名前女神サマでもキレますよ?
あたしはまだいいけれど、子ども二人にお給料もろくに払わないで働かせて、大家さんにまで迷惑かけてるなんて・・・。
内心では、ありとあらゆる毒を吐いたが、あまりのロクデナシのロクデナシっぷりに、実際のあたしは空いた口が塞がらず、引き攣った顔が変な笑い顔になっているだけだった。
子ども二人、もとい神楽と新八もそんなあたしを見て、何だか申し訳なさそうな恥ずかしそうな顔をしていたから、二人の方がよっぽど大人だな、としみじみ思う。
そして、子どもたちにまでなんていう顔をさせてんだ、と原因のロクデナシを一瞥したけれど、そこにはやはり死んだ魚の目以外に何もなかったのだった。



そういうわけで、さすがに家賃三ヶ月分を一度に肩代わりできるわけもなく。
あたしだって、自分ちの家賃や光熱費、食費、その他消耗品とか必要なお金を、汗水垂らして働いてこつこつ貯めた貯金でまかなって生活しているのだ。職場とはいえ、人の家の家賃を払っている余裕なんかない。
とりあえず下にお登勢さんが今居るとのことで、何とか今日のところは一ヶ月分で勘弁してもらえないかと交渉に行こうということになった。まだ挨拶もできていなかったし、それもついでに。いい機会だし、と思って。
途端に扉の前で緊張し始めたあたしとは真逆で、飄々とした銀さんが扉をガラリと開いた。まるで自分ちのように。それだけお世話になっているということだろう。よくもそんな顔をしてられるな。

「こ、ここここんにちは!初めまして!」
「あ?銀時、アンタいつの間に嫁さんもらったんだい。」
「いつだっけなァ。5日くらい前かァ?」
「なんであたしに聞いてんですか!?違うでしょうが!否定してください!本当みたいになるじゃないですか!!」
「なんだい。違うのかィ。そうさね、こんなロクデナシに嫁さんなんか出来っこないね。」
「んだと、ババァ!!オメェに言われたかねェよ!!」
「んだと、天パ!!オメェはさっさと家賃払いな!!」

今回のところは家賃を一ヶ月分で、という交渉に来たはずが、何故か喧嘩をし始めた銀さんに、ほとほと呆れるしかない。もはや手遅れだとも思ったけれど、あたしは慌てて喧嘩中の二人の間に割って入ってそれを制止した。
「やめてください二人とも!銀さん、何喧嘩してるんですか!?ごめんなさい、お登勢さん。ほら、銀さんも謝ってください。」

あたしが言うと、銀さんも渋々という感じでお登勢さんに短く謝っていた。これで一息ついた、と思ったら今度はあたしがまだ名乗っていなかったことに気づく。
「あっ、あの。あたし、万事屋で新しく働かせていただいてます、名前と申します。こないだの沢庵、美味しかったです。お登勢さんがくれたものだと伺っていたので、お礼をしなくちゃと思っていたんですけど、遅くなってしまってすみません。」

「なんだい。そんなこと言いにわざわざ来たのかィ。」
「あ、いえ。家賃のことで」
「なんだい。」
「こっ、今回のところは、一ヶ月分でご勘弁願えないでしょうか・・!万事屋も金欠という言葉で足りないくらい、それはもう本当にお金が無くって。それで、あたしの貯金でも一ヶ月分が精一杯で・・・」

ちらと恐る恐るお登勢さんの表情を盗み見ると、煙草の煙をゆっくりと吐いて渋い顔をしていた。けれど、怒られると思っていたあたしに降りかかってきたのは意外と優しい声音だった。
「アンタ。名前って言ったかィ?自分の金は大事にしな。」

「え、それは」
「そんなロクデナシの肩代わりする必要ないって言ってんだ。名前の気持ちに免じて、今回は勘弁してやる。」
「あ、ありがとうございます!お登勢さん!」
「だが、来月は四ヶ月分ちゃんとまとめて払いに来るんだよ、銀時。」
「・・・わーったよ。」

お登勢さんは、あたしが思っていたよりも凄く優しい人だった。
銀さんのお母さんみたいで、その懐の大きさに、あたしもこんなお母さんが欲しいなと、お店を出る頃には銀さんが少しだけ羨ましくなっていたくらいだ。




「銀さん。良かったですね。」
「そうアル。名前のお陰ヨ。」
「でも、なんか納得いかねェんだよなァ。だって結局まけてもらえてねェんだぜ。」

万事屋の玄関扉の前まで来て、新八と神楽が銀さんに反省しろと言わんばかりに、大人な言葉をかけていた。

「何言ってんですか。素直じゃないですね、銀さんは。ちゃんと名前さんにお礼言ってください。」
「そんなんじゃ、名前に嫌われるアルヨ。嫌われても知らないからな!言うまで万事屋入ってくんじゃねーヨ」

捨て台詞を残して、扉をピシャリと閉められた。後には、少しだけ肩を落とす銀さんと、あたしだけ。
鍵を忘れて家に入れず途方にくれる小学生みたいに、あたしたち二人は暫く立ち尽くして。
それから、おもむろに銀さんが口を開いた。
「悪かったな」

「・・・何がですか?」
「アレだよ。気遣わせちまっただろ。」
「アレ、ですね・・・ふふっ。大丈夫ですよ。ちょっと疲れましたけど。でも、お登勢さん、優しくて良かったですね。」
「いや、アレは違ェだろ。お前が必死になってくれたから、だろ。」

銀さんの顔は見えないけれど、あたしの顔も見られないで良かったと思う。
俯いていれば、あたしより背の高い彼には決して見えないだろうあたしの少しにやけた顔は、きっと誰にも見られないままでいい。

「・・・中入りましょっか。」
「そうだな。」

そう言って、銀さんの大きな掌があたしの頭に置かれたのも、あたしたち以外の誰にも知られないままでいい。

今日は疲れたからぐっすり眠れそうだ。





2017.3.20

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