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お花見にはお酒がつきものです

あたしが万事屋に来てから、初めての春を迎える。早くも花粉が飛んでいるようで、定春も時々くしゃみをしていた。
あたしは多分花粉症ではないので、特に嫌なこともないし、暖かいし、時折吹く風は心地良いしで、とても気分が良い。
「うーん!今日もいい天気!」

万事屋の玄関扉をガラリと開けて、いつも通りまずは銀さん・・・の寝顔は最近覗いていない。台所に向かおうと思ったけれど、今日は新八が朝ごはん当番だったと気づく。すると、玄関扉が開いて新八がやって来た。
「あ、おはよう。今日は早いね。」
「あ、おはようございます。朝ごはん当番なので。早速作り始めますね!」

新八は、その後すぐに台所に行って準備をしてくれる。その間特にあたしはやることも無いので、神楽を起こして銀さんを起こすようにお願いする。それから、昨日セットしていた洗濯機から洗濯物を籠に出して行く。


「ねえねえ名前ー。銀ちゃんが起きないアル。名前じゃなきゃ嫌とかクソガキみたいなこと言うアル。もうわたし銀ちゃん起こすの嫌ヨ。疲れたヨ。」

暫くして、後ろから声が掛かったと思い、振り返れば、パジャマ姿の神楽が、寝惚け眼をごしごし擦りながら項垂れていた。
少し前に銀さんから、同じ布団にダイブさせられるというセクハラを受けたので、銀さんを起こしに行くのをここ最近は神楽に任せていた。寝顔を覗く習慣が無くなったのもそういう理由からだ。

「神楽。疲れたの?あたしの貞操がどうなってもいいわけ?」
「それは嫌アル!!・・・でも、銀ちゃん全然起きないアル。毛ほども起きないアル。揺すっても蹴っても殴っても起きないアル。」
「え・・・それって、起きないんじゃなくて、もしかして起きれないんじゃない?むしろ永遠に起きないんじゃないの銀さん。ちょっ、心配だから見てくるわ。」

神楽の頭をぽんぽんと軽く叩いて、一応彼女なりに起こそうとしてくれたことを労い、洗濯籠を両手で持って廊下を進む。ソファが並ぶリビングの隣の銀さんが寝ている和室に向かう。和室の扉の前で、洗濯籠を一旦置いてから、一言断りを入れてあたしは襖を開いた。

「おはようございます。銀さん大丈夫ですか。生きてますか?死んでますか?」
「いや、死んでますか、って何?悪意感じるんだけど。名前まだアレ怒ってんの?最近起こしに来てくれねェから、全然元気出ねェんだけどォ。」
「朝からセクハラする元気出されても困ります。それより、生きてるんならさっさと起きてください。」
「つか、まだ眠いんだけど。なんで起きなきゃいけないわけ?今日も仕事ねーし。やることなんもねーし。つーか、名前ちゃんもうちょい近づこう?半径一メートル以内に入るなって誰かに命令されてんの?」
「これは自己防衛本能です。」

そう。あたしは銀さんの半径一メートル外から、突っ立って銀さんを見下ろしている。一メートル以内には入らないようにしようと考えての行動ではなくて、自然にというか、言うなればまさしく本能なのだ。
銀さんは落ち込む様子も見せたけれど、何故か楽しそうに笑ってあたしの名を呼ぶ。

「何ですか。」
「なんか、元気出たわ。」
「何ですかそれ。良かったですね。なら早く出てください。洗濯物ついでに布団も干しましょう。今日はいい天気ですから。」
「いい天気なの?じゃあアレしようぜ。アレ。ちょうど見頃じゃね?」

何を言い出すのか、と思って訝しげに銀さんを睨むと、未だ寝転んだまま上目遣いで此方を見上げる彼の双眸が心なしか輝いていた。見頃、と言えば、季節柄桜を連想するがまさかと思う。銀さんから、風情のあるお誘いなんて受けたことがない。受けるのはいつもセクハラか、稼いだお金を全額パチンコに費やして帰ってくる衝撃くらいだ。

「まさかとは思いますが、アレってアレじゃないですよね。春と言えば、のアレじゃないですよね。ピンクとか白とかのひらひら舞って風情のある、雨降っちゃうとすぐ無くなっちゃう・・」
「そうそれそれ。分かってんじゃん。お花見行こーぜ。名前の特製弁当持って。」
「・・・・・・・・・え。」


マジでか。
とりあえず、洗濯物干そう。





あたしが何も返事をしないで洗濯物を干すため、ベランダに向かってゆくのを慌てて止める銀さん。そのほんの数時間前の光景がフラッシュバックして、苦笑を漏らす。
あたしたちは今、河川敷を歩いている。

「きゃっほーい!お花見アルー!」
「あー!神楽ちゃん!先に行かないでよ!場所分からないでしょ!」
「あーあー。なんでお前らも来ちゃうかなぁ。俺は名前としっぽり大人のお花見をしようと思ってたんだけど」

大人のお花見ってなんだよ。
しっぽりってなんだよ。
というツッコミは、新八が走って先行く神楽を追いかけて行ってしまったため、あたしが心の中で一応しておく。

「先に行っちゃうならレジャーシート持ってって貰って、場所取りして貰えば良かったですね。」

隣を歩く人は、片手でレジャーシートを抱えて、もう片方であたしの特製弁当をぶら提げながら、短く溜息を吐いた。

「まあ、花見の季節とは言え、平日の昼間からそんなに人も居ねェだろ。それより、ソレ、重くね?」
「ん?これですか?お酒はいるでしょ。お花見にお酒無いなんて、それは最早お花見じゃありません。ただの木の下でご飯食べる会です。」
「どんだけ酒好きなの。そんなに強くねーくせに。そうじゃねぇよ。お酒持ってくんなって言ってんじゃないの。ほら。」
「え?持ってくれるんですか?いいですよ、別にこれくらい持てますから。銀さんこそそれ以上持ったら重いでしょう。」
「女の子が可愛くねェこと言ってんじゃねーよ。俺はいいの。」

酒瓶を二本包んだ手ぬぐいを片手に。紙コップやら紙皿やら割り箸、ウェットティッシュやゴミ袋などを入れたショッピングバッグを肩から提げ、あたしは特に不自由も無く歩いていた。
お酒は先ほど言ったように、お花見にはつきものだという考えで生きてきたし、あたしが飲みたいと思って持ってきたものだから、自分で持って当たり前だと思っていた。それに、銀さんはお弁当とレジャーシートを持ってくれているのだし。
“別にこれくらい持てますから。”この言葉が本音も本音。
しかし、銀さんは器用にもレジャーシートを抱えた手で一度お弁当を持ち、空いた手で酒瓶の入った手ぬぐいをいとも容易く奪ってみせたのだ。
何だか、優しくされたのがむず痒くて、恥ずかしいし、可愛くないあたしには正直にありがとうなんて言えない。でも嬉しいから、返してと喚いて、銀さんの好意を無駄にはしたくなくて。
「銀さんにもそのお酒、分けてあげますよ。」
なんて、可愛くない言葉を掛ける。

「バカヤロー。むしろ、俺のための酒だろ。」
「ろくに仕事もしてない人が言いますねぇ。」
「うるせーよ。名前だってそれ言うなら一緒だろーが。同じ仕事仲間だろ?俺ら同じ穴のムジナだろ?なァ名前ちゃん。」
「ふざけないでください。パチンコかお酒ばっかりの人と一緒にされたくありません。」
「ちぇっ。つれねーの。」

なんて、お互いに素直じゃないやり取りをしながら河川敷を進む。銀さんは、少しだけ不貞腐れて死んだ魚のような目を、空へと向けていた。つられて見上げると、青い空に少しばかりの白い雲がぷかぷか浮かんでいた。銀さんの髪の毛に似ているなぁ、と思ってしまって可笑しくなって一人バレないようにくすりと笑った。

「あら。銀さんじゃないですか。」

ふと声が聞こえて顔を元に戻すと、前方に女の人が居た。淡いピンク色の着物を着て、笑顔がとても綺麗でしとやかな彼女が、銀さんを見て、次いであたしを見て、また銀さんを見て、目を瞬かせた。
「銀さん。いつの間にこんなに可愛らしい方を娶ったんですか?」

「おい。どいつもこいつも、同じリアクションすんじゃねェよ。つっこむの面倒くせェからもう否定しなくていい?こいつは俺の嫁宣言しちゃってもいい?」
「ちょ、何言ってんですか!あの、あたしこの人の嫁でも何でもありません。万事屋の新しい従業員の名前って言います。初めまして。」

慌てて軽く会釈をすると、目の前の女性は、女のあたしでも見惚れてしまうほどに綺麗な笑顔を浮かべて、会釈をし返してくれた。
「初めまして、名前さん。私は志村妙です。実は新ちゃんからお話は少し伺ってましたのよ。」

「え、新ちゃん?誰ですかそれ。」
「バカ!新八だよ。こいつは新八の姉。」
「えっ!?新八のお姉さん!?こんなに綺麗な人が!?」
「うふふっ。綺麗だなんて、そんなお世辞はいいんですよ。新ちゃんから聞いていた通りの素敵なお人ですね、名前さんって。」

お世辞を言ったつもりはなかったのだけど。逆に、素敵な人だと言われて、あたしが恥ずかしくなってしまった。

「お二人でどこかへお出掛けですか?」
「あ、今から向こうの広場でお花見するんです。ちなみに二人じゃなくて、新八と神楽もいますよ!先に走ってっちゃって・・・。」
「あら、お花見ですか。いいですね。もう満開に近いですし、きっと見頃ですよ。」
「よければ、お妙さんもどうですか?大勢の方が楽しいですし!」
「え?悪くないかしら。いきなりお邪魔しても。ねえ、銀さん?」
「え?何?俺に聞かれても。こいつがいいならいいんじゃねェの。それに新八と神楽も喜ぶだろ。」

銀さんは、此方には目もくれず、一応の肯定を示すと、前をすたすたと歩いて行ってしまった。

「うふふ。なら、名前さん、お弁当持って後から伺いますね。お友達も誘ってもいいかしら。」
「あ、はい!ぜひ!」

あたしたちはお互いに、ひらひらと手を振って、また会いましょうと約束を交わした。お妙さんが道の角を曲がって見えなくなってから、あたしは進行方向に向き直る。
前を行く背中は想像してたより小さくなっていて、慌てて追い掛けた。すると、走っている途中で、背中がくるりと回転して此方を向いた。
「早く来ねェと、酒、全部飲んじまうぞ。」

銀さんが紡ぐその言葉は、憎たらしくて、でもとても銀さんらしくて。
その死んだ魚の目の奥が、仄かに優しさを含んでいるような気がした。





2017.4.23

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