17
護れなかったもの


あたしが幼い時に、母は亡くなった。そう聞かされている。母の記憶は無い。物心ついた頃には、父とともに剣を振っていた。
父は田舎で剣道場を開き、十数人の門下生に剣術を教えていた師範代。そして、母のいないあたしの、そのちっぽけな世界の中心に居た人。

あたしは、その道場でいつしか一番強くなった。周りは男の子だらけだったのに、女が一番強いなんて今考えたら笑っちゃうけど。
父は、女だから娘だからといって、あたしを特別扱いもせず、剣を辞めろとも言わなかった。
女のあたしに、娘に、自分らしい闘い方と生き方を教えてくれた。

「お父さま!あたしもっと強くなって、お父さまにもし何かあった時はあたしが護ってみせますからね!」
だから安心してください、とあたしは当時、口癖のように言っていた。ませた子どもだったのか、それとも母がいない分、責任感があったのか。当時、幼いあたしが何を考えていたのかはっきりと思い出すことはできないけれど、“もっと強くなりたい。もっと強くなってお父さまを護りたい。”と、そう思っていたのは事実だ。

だが、できなかった。
何にもできなかった。

その昔、攘夷戦争が勃発した。
天人が地球に降り立ち地球を侵略しようとし、それに対抗する侍が、天人と戦争を始めていた。
その戦争真っ只中だということは、当時まだ十代前半だったあたしの耳にも入ってきた。ただ、田舎で暮らすあたしたちにはあまり関係のないこと。そう思っていた。
だから、変わらずいつものように近くの川へ洗濯に行き、いつものように空を仰ぎ見て今日の天気は何だろうと思いを馳せながら、いつものように家路を歩く。
そして、いつものように、道場には明るい挨拶が響き、父の笑顔が見える。
・・・はずだった。
その日、あたしは当たり前が当たり前じゃなくなることが、急に訪れるものだと知った。



道場があった場所は廃墟のように荒み、辺り一面赤色に塗れていた。門も外壁も壊された道場の中には、初めて見る生々しい血の色と、倒れている門下生の仲間と、そして、父の無念な顔で転がった身体だけがあった。

「・・・っ、ァッ・・・」

声も出ない。涙も出ない。
普通なら、現実だと受け入れるのに時間が掛かるだろうが、違った。
天人が何十という数の群れを成し、我が物顔で、庭の砂を、道場の床を踏んでいたからだ。
あたしは気づいた時には、辺りに落ちていた剣を握って走っていた。声も涙も出なかったけど、身体だけは本能のように滑らかに動いてくれた。

「こいつ・・・!女のくせに、生意気な!!」

「うわああああァァァァ!!腕やられた!!」

「おい!!女に何手こずっ・・・」

「ギャああああァァァァ!!!」


断末魔と血飛沫。
ここは、例えるなら地獄。

「お前、なかなかやるな。おい、俺は殺るなよ。お前の味方だ。」
そんな地獄に降り立ったのは、ひとりの見知らぬ男。年はあたしより少し上のような気がしたけれど、まだ幼少の面影が抜けきらない少年だった。
その男はあたしの背中に背中を預け、剣を振るった。あたしも男に背中を預けた。血を浴び、屍の上を舞う。腕を伸ばし剣を突き刺す。また引き抜いて横へ滑らす。双眸に映るは恐怖の眼。耳に届くのは懇願の声。無情に流れゆく血。くずおれる無数の死体。
あたしに向かってくる者がいなくなった後、その地獄に立っていたのは、男とあたしの二人だけだった。

「ハッ・・・ハッ・・・あなた、名前は・・・?」
「俺か?俺は・・・」








「はぁっ・・・!ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・」

隣には、薄暗い路地の汚いゴミ箱。なぜか縛られていた紐が取られ解放されている腕。ぐるぐると思考を巡らせると、大吉に何かハンカチのようなものを顔に押し当てられた記憶が蘇る。
どうやら、あたしは薬を嗅がされて寝てしまっていたらしい。
しかも、嫌な夢を見た。いや、正確には昔現実に起こったことであって、夢ではないのだけれど。昔のことを未だに夢に見る。

「うぇ・・・。気持ちわる。」
その後は決まってしばらく胸が気持ち悪い。そして父を思い出して苦しくなる。
駄目だ駄目だ。無理矢理意識を戻して、周りを観察する。
ここは、どこだろうか。
海の匂いがする。少し先にコンテナが積まれているのが見える。港が近いらしい。

「後で覚えてろよ。大吉。」

独り言を合図にあたしは立ち上がる。とりあえず西郷ママの言っていた船を見つけ出そうと、コンテナだらけの中を進む。映画やドラマとかじゃ、この辺りで敵に見つかって襲撃されるのがオチなのに、誰も来ない。それどころか、足音すらしない。逆に怖いくらいに静かで、不気味だ。あたしの足音だけがコツコツ響く。まだ気持ち悪い胸を押さえながら、吸い込まれるように足を動かす。コンテナの間を抜けきる直前になってようやく、人の気配を感じた。
少しひらけた場所に出ると、海が見えた。想像していたより幾分も大きい船が一隻浮かんでいる。これが西郷ママが言ってた怪しい船。そして、手前には人影がふたつ。

ふたつは向かい合っていて、ひとりはこちら側を向き、真剣を構える派手な女物の着物を身に纏った隻眼の男。
もうひとりは向こう側を向いて顔は見えないけれど、見慣れた柄の着物を纏って右腕だけ袖に通さず、その右手に木刀をぶら下げている。

「銀さん!!!」

あたしのヒーローだ。
驚いた顔をした銀さんの双眸があたしを捉える。それと同時に隻眼の男が動く。銀さんの脇腹に刀を突き刺し引き抜くと、刃に血を滴らせて不敵に笑む。

「銀さんッ!!!」

考える前に身体が動いた。銀さんの手から落ちた木刀を拾い、男に振りかざす。男は軽々受け止め、線の細い身体のどこにそんな力があったのかと思うほどに強い力で押し返してきた。
隠れていない方の眼は、鋭くあたしを見つめ、それでいて女のように妖艶で、口角はさっきからずっと上がっている。どこか嬉しそうに見えるのはあたしの勘違いではないと思う。

「ククッ。」
「何がおかしいの」
「随分と女らしくなったじゃねェか。・・・名前。」
「っどうして、あたしの・・・!」

そういえば、その男は街中で見かける指名手配犯の顔写真でよく見る顔だった。過激派のテロリストだろう。だが、あたしがその男を写真で見かけることはあっても、男があたしを知っていることは無いはずだ。
あたしがどんなに男を睨んでも、男は表情を崩さない。むしろ、また楽しそうに笑った。その不敵な笑顔のまま、腕に力を入れると、あたしを押しやり、男の力に負けたあたしは後ろに弾かれる。

ちょうど後ろに居た銀さんのそばへ寄ると、銀さんは少し驚いた顔をしていた。
「戦えるんだったら言ってよ。名前ちゃん。」

いつものへらへらした顔であたしを安心させてくれようとしているのはすぐに解った。でも、そんなこと言ってる場合じゃない。銀さんの脇腹からはどくどくと音が聞こえてきそうなほど、血が溢れていた。
無情に流れる鮮血。苦しそうな荒い息。

もし。もしも、このまま血が止まらなかったら。銀さんが、もしも居なくなったら。
そんなこと考えたくはないのに、考えるなと思う度に嫌な妄想が膨らむ。

「名前・・・?名前、おい。俺の顔見ろって。」
「・・・ごめんなさい。あたしのせいで。」
「顔色悪ィな。手も震えてるみてーだし。大丈夫か?」

言われるまで気づかなかった。
あたしの手は、まるであの時、父を護れなかったあの時、天人を斬り倒し血を浴び、最後に死体だらけの道場を視界に入れた時のように。
ぶるぶると情けなく、震えていた。






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