15

「名前さん。これ、・・・お味噌入ってませんよ?」
「はい?お味噌?・・・・・・ああぁ!!入れてない!それ、まだ入れてないからちょっと待ってぇぇ!」



お味噌のない味噌汁はただの汁


名前さんの様子がおかしい。
普段しっかりしている彼女が、味噌汁にお味噌を入れ忘れて、「はい、完成したから持ってって〜」と言うなんて。
天と地がひっくり返っても起こりそうにないことなのに。
朝会った時から、眠たそうだなとは思ったけれど、いつもの明るい笑顔で僕も元気を貰って、「おはよう!」と明るく挨拶を交わしたはず。
名前さんがぼーっとしている、と感じたのは、味噌汁にお味噌を入れ忘れるというあるまじき行為を目の当たりにした後からだった。

「名前さん?何か、ありましたか?」
「へっ!?なななないない!!何も無いよ?」
「わぁっ!ちょ、落ち着いて!おたま振り回さないでください!熱っ!!」
「ごっ、ごめん!大丈夫?」
「僕は大丈夫です。それより、名前さんが心配ですよ。」
「えっ?あたしは大丈夫だよ。ちょっと、寝不足気味なだけ。」

でも、と続けるのは、謝罪の言葉。
昨日お登勢さんのところで働き始めたらしく、遅くまで働くのが久しぶりだから、寝不足なのを理由に気が抜けていた、と。
どうやら彼女のポリシーとして、兼業はどちらの仕事先にも迷惑を掛けない、というのが根底にあるらしい。世間的に見れば、至極当然のことだろうけど、別に此方に迷惑を掛けられては困るとも思わない。だって、万事屋の主人があんなんだもの。味噌汁にお味噌を入れ忘れるくらい笑って許せる。
むしろ、女の子なんて、ちょっと抜けてるくらいが可愛いし、名前さんが笑って「あ、ごめん〜」なんて言ってくれたら、こっちも笑って和むところだ。
けれど、名前さんときたら、本当に申し訳なさそうに、項垂れている。
いや、そういうところも彼女の可愛らしさではあるとは思うんだけど。

「名前さん。僕、一ミリすら怒ってなんかいませんから。お味噌入れ忘れたくらいで、そんなに申し訳ない顔しなきゃならないなら、銀さんはもはや切腹ですよ。」
「せ、切腹!?そんなに?」
「はい。ですから、その、笑ってください。」

少し泣きそうな顔をして、それからすぐにいつもの名前さんに戻って、笑ってくれた。
そうそう。これ。こうじゃないと一日が始まらない。名前さんには、やっぱり笑顔が一番似合う。僕はそう思ったところで、彼女の手元に目線を逸らすと、お味噌をまた入れようとしていた。

「ああっ!!い、入れすぎじゃないですか!?」
「へっ!?あ!あたしさっき、入れた・・・?」
「・・・わ、笑ってくださーい。スマーイル。名前さん、スマーイルですよ。」
「・・・ゴメンナサイ。」



そういうわけで、間一髪のところで辛くて飲めない味噌汁が完成されることは食い止められたのだけれど。どうにも、名前さんの元気がない。というか、さっきから溜息が一分置きくらいに聞こえてくる。溜息の後に、首をぶんぶん振って無理くり笑顔を作って、ご飯に手をつけ、また一分後くらいに溜息を吐く。その繰り返し。

「新八。なんで、名前あんなに元気ないアルか?」

僕の隣に座る神楽ちゃんですら、そうやって気を遣って僕にだけに聞こえる声で尋ねてくるのに。
銀さんときたら、何なんだよあの態度。
「お前、さっきから溜息吐きすぎ。今日は結構な謝礼期待できるんだから、そんな顔すんなよ。ちゃんとお前にも取り分やるから。」
と、いやらしい顔で親指と人差し指で丸を作って、あの有名なお金のマークを作っていた。それを名前さんにちらちらと見せびらかしては、落ち込んでいる彼女の心を気にも留めていないようで、僕は腹が立っていた。

「銀さん、いい加減にしてください。ほんっとデリカシーの欠片も無いな。」
「はいっ、メガネ取り分無しな!」
「えぇ!!なんでそうなるんですか!?ちょっとは名前さんの気持ち考えてくださいよ!元気ないのくらい見て分からないんですか!?」
「え?あたし、元気ない?」
「ほら、見てみろ。名前は元気ですぅ。いつも通りですぅ。」

どういうことか、名前さんには溜息を吐き続けている自覚が無いらしい。銀さんも名前さんには随分と甘い節があるから、名前さんから何か言ってもらえれば反省もするだろうが、当の名前さんが自覚が無いなら、此方としてもこれ以上強気には出れない。

名前さんの溜息につられてか、僕も溜息を漏らした。







今日珍しく入った仕事の依頼人は、ここらでもそこそこ有名な武家屋敷のご主人だ。銀さんがいやらしく顔を緩めるのも無理はない。高額な謝礼が期待できる、というか、もしかしたら僕らが思ってるよりも高額な謝礼を頂けるかもしれない。それくらいお金持ちで有名な方だ。
お屋敷の中に入れてもらうのも、少し躊躇うほどに、門構えももちろん立派で、特に門をくぐった後が驚きの連続だった。
一般的に言う玄関に辿り着くまでに、結構な距離があって、そこへ行く道中には手入れの行き届いた日本庭園が広がっていた。玄関を上がると一人の女性が立っていた。お手伝いさんだろうか。その人もお登勢さんくらいの老齢な雰囲気がありながら、ガサツさの欠片も無く、この豪邸に相応しい気品がどことなく感じられた。
その女性に案内されるままに、長い長い廊下を連れ立って歩いて行くと、ある一室へ辿り着いた。その後、案内人の女性が一礼して去って行き、僕ら四人はこうやって思い思いにこの豪邸を楽しんでいる。

「ねえ!見てくださいよ!カポーンがある!ほら、カポーンしてる!凄い凄い、初めて見た!」
「いや、お前それカポーンて何よ。鹿威しだろ。」
「そんなの知ってますぅ。」

中庭にも落ち着いた日本庭園が広がっていて、それを見て名前さんも、さっきの落ち込みようが嘘のようにいつもの明るい笑顔を見せているので、それはそれで良かったと素直に思った。その笑顔が銀さんに向けられているのが、なんだか癪だけれど。でも、名前さんって銀さんに向ける笑顔がなんて言うか、一番輝いてる気がするんだよな。それに、ああやって二人で並んでいると、長年連れ添った夫婦みたいに自然でしっくりくるというか。名前さんが万事屋に来たのはつい最近のことなのに。
僕は、そんなことを思いながら、どうやらにやけてしまっていたようで、神楽ちゃんに侮蔑の眼差しを喰らった。

「新八、キモいアル。なに銀ちゃんと名前見てニヤニヤしてるアルか。」
「べっ!別にニヤニヤしてねェよ!」
「本当アルかー?名前見て妄想してたら容赦無くその眼鏡かち割るからナ。」
「そんな変な妄想とか断じてしてないから!」
「ふんっ。怪しいネ。でも、名前が元気になったみたいで、良かったアルナ。」
「あ、あぁ。そうだね。」

僕が返事をすると、神楽ちゃんは中庭を見ている二人の方へパタパタと駆けて行った。そうして、銀さんと名前さんの間に割って入って、銀さんに嫌な顔をされていた。こうやって、三人で並ぶと家族みたいだ。銀さんがお父さんで、名前さんがお母さんで、神楽ちゃんが子ども。そして、僕は神楽ちゃんのお兄ちゃん、ってところか。
いやいや。そもそも銀さんはともかく、名前さんが銀さんに特別な感情を持っているのかどうか解らないじゃないか。
僕が虚妄を振り払ったところで、いきなり部屋の襖が開かれた。

「いやいや。万事屋さん。総出でお越しいただき、ありがとうございます。」

この屋敷のご主人だ。
顔には、人の良さそうな笑みを浮かべ、部屋に入った後で一度深々と僕たちに向かって頭を下げてみせた。そのどっしりとした身体を纏う着物は、キラキラ金色に輝く装飾が所々に施されている。まったくもって、武家の当主に相応しい雰囲気がある。
座るように促され、僕たちは四人並んで座った。僕は一番左、隣に神楽ちゃん、銀さん、名前さんという並びだった。

「実は、私の一人息子のことなんですがね・・・。ここ数日、家に帰って来ないのですよ。」

何だかこういう依頼を前にも受けたことがあるような気がする。
由緒正しい武家のお家事情とか何とかで、警察には相談しづらいということで、きっと僕らに話が回って来たのだろう。僕はそう思いながらも、何も言わずに話を聞いた。
話の内容を要約するとこうだ。
ここの一人息子の次期当主が一週間前の夜、友達と食事に行くと出てったきり、帰ってこない。息子の友達を片っ端から訪ねてみたり、屋敷総出で探しているのだが、消息がまったく掴めない。手がかりもゼロ。
ちなみに息子さんは、真面目で寺子屋の成績も優秀だった、とか。

「うーむ。頭の良い子というのは、いきなり突拍子も無いことを考えたりしますからね。そういうのは、わたくしどもにお任せください。息子さんの思考は大体解ります。」
「本当ですか!では、手がかりがまったくないので申し訳ないのですが、早急に見つけていただけますか。写真はありますので、そちらだけお渡しします。」
「はい。ところで、謝礼の方は・・・?」
「それはもちろん。ご用意しております。」

銀さんが目ざとく謝礼の話にすり替えると、ご主人は先ほどのお手伝いさんを呼んだ。彼女が運んできたのは、ご主人が用意していると言ったそれで、ご主人は受け取ると僕らの目の前のテーブルに置いた。
それは、ドシっと音がしそうなほど、封筒にパンパンに入れられた札束だった。
思わず、銀さんも神楽ちゃんも大声を上げそうになっていて、銀さんを名前さんが、神楽ちゃんを銀さんが、それぞれ制御している光景には、いつもなら苦笑いするところだけれど、さすがの僕もこの札束には、興奮して心の中で叫んだ。

「こんなに、よろしいので?」
「はい。ただし、見つけていただければ、ですが。」

「「「「全力で探します!!!」」」」


この日、初めて僕らの声が重なった。




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