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魔法使いは意外と近くに居る、かもね


厄介な奴に会っちまった。
なんだって、こんなに気分が悪い時に、たまたま屯所にアイツが居るんでィ。
どうしてこんな時に、俺はアイツの目見ちまったんだ。
あのまっすぐな目は、何となく、俺を叱る時の姉上を思い出させる。

“私のことなんか思い出して、他の人に当たったらダメよ。”
なんて言われてるみたいに。

胸糞悪くてしょうがねぇや。



風呂から上がると、太陽が傾いていた。アイツはもしかしたら、もうこんな所おさらばして、あのオンボロアパートに帰ってんじゃねぇか、って、そんな考えがふとよぎった。俺のあの態度だ。普通なら怒るか、気ィまわして帰っていても可笑しくねェ。
だが、アイツはそんな奴じゃねェことくらい知ってる。
最近知り合った、しかもお互いまだ心を開いていないだろう関係で、アイツの行動が読めるのは、俺の勘が良いからだ。というのは嘘で、(まあ俺の勘は良いことには違いねェが)アイツの目を見りゃ解る。

案の定、風呂場から少しだけ離れた縁側に、アイツはひとりで所在無げに座っていた。俺は溜息を小さく吐くと、後ろから声を掛けた。小さな肩はびくりと揺れて、それから首がゆっくり俺の方を向いた。笑いてぇのか泣きてぇのか、よく解らない顔で俺を見ると、アイツの口が開いた。

「………………続き。」

短い言葉を紡いだ口が、また開いてくれるのは、俺が隣に座るまではないだろう。俺の勘はそう告げた。


「……アンタ。馬鹿なんですかィ。俺じゃなけりゃあ、通じてねぇですよ。」
「いいの。だって、通じたんだもの。」
「結果論は理由にならねェ。」
「いいの。元には戻れないから。巻き戻しはできないから。大事なのは、今なの。」

凛として透き通るような、まっすぐなその目と同じような声が、柄にも無く素直に綺麗だと思った。同時に、俺はこいつのことを良く知りもしないのに、こいつらしい、と妙なことも思った。
俺が名前の隣に座ると、そいつは、ひとつだけ深呼吸をして再び口を開いた。


「ごめん。土方さんから聞いた。……今日が、お姉さんの命日なんでしょ。」
「……はぁ。それがどうした。別にそれが返り血浴びるのと関係あるとは限らねェだろィ。それに、どうしてお前が謝るんでィ。」

俺が突き放すように言うと、こっちを見てた目がシュンとなって、それから名前は下を向いた。その様を横目で見ていると、伏し目のその睫毛が案外長いことに気づいた。膝の上に置いた掌をぎゅっと握って、まるで小せぇ餓鬼が何か買ってもらえないお菓子を我慢してるみてーにして、しかし、その口がまた開いたから驚いた。
「……あたしもね。小さい時に父を亡くしてるの。命日なんてハッキリ覚えてないはずなのに、その日になると朝から、こう、胃の辺りがムカムカしてて、気分も乗らないし、一日中何だかぼーっとしちゃって。毎年それで気づくの。あ、そうか、今日だった。って。それから、父が亡くなった時を思い出して、悲しくて、悔しくて、どうしようもなくて……。部屋でひとりで泣き喚いた時もある。
沖田とあたしは違うからさ。沖田の気持ちはあたしには解んないよ。でもさ……今日くらい、思い出してあげてもいいんじゃないかな。悲しくて、悔しくて、どうしようもない気持ちを、命日の日くらい、思い出したっていいじゃない。そうして、自分をもっと、許してあげなよ。」


名前はそこまで言ってから、我に返ったように急に立ち上がって、それから様子を伺うように俺を見下ろした。
見上げるとそこには、姉上に似ても似つかねぇ顔があった。だが俺は、その顔を見て、何故か変に安心してしまった。それに良く知りもしねぇ女が、俺にわざわざ過去を暴露してまで俺を励まそうとしてんのが、馬鹿らしくて正直笑えた。

「やっぱり馬鹿なんですかィ、アンタ。」
「アンタじゃない、苗字名前。」
「名前。」
「な、なに。」
「その馬鹿面見てたら、暗い顔してた俺が馬鹿らしくなってきちまったじゃねーか。どう責任取ってくれんでィ。」
「は!?何なの!?素直にありがとうくらい言えないわけ?アンタこそ馬鹿なの?」
「アンタじゃねェや。沖田総悟でさァ。」
「………………総悟……。」

名前は初めて俺の名前を呼んだ。
俺を上から睨みつけて、また悪態を吐くのかと思えば、長い沈黙の後、躊躇いながらではあるが、まるで、高価な食いもんを咀嚼するようにそっと呟いた。
こんなもんで満足するなんて、俺らしくねぇ。
だが、その時の俺は可笑しくなっちまってたのか、姉上が居た頃を思い出し悲しみで荒んだ心が、俺の名前を呼ぶその一言だけで潤っていく気がした。
名前はずっと突っ立ってた身体を再び床に下ろして、すっきりした顔で凛とした声で、こんな言葉まで吐いた。

「いい名前だね。」

何でィそれ。
社交辞令みてぇな、在り来たりな言葉。
だが、俺にはそれが、何か特別な呪文のように聞こえて、魔法をかけられたような不思議な感覚がした。もしかして、こいつは魔法使いなんじゃねぇか、と自分でも笑っちまう妄想がもわもわと浮かんで来た。挙げ句の果てに、姫に意地悪するイヤな魔女の方か、はたまた、世界を救う英雄の相方的魔女の方か、どっちだろうなぁ、と、どうでもいいことまで深く考えちまって、気づいたら俺は本当に声に出して笑ってた。

「絶っ対ェお前は前者だろィ。おもしれぇ。腹痛ぇ……!」

すると、目をまん丸に見開いた名前が、目の前で慌てふためくもんだから、余計に面白くなって、久しぶりに馬鹿笑いした。

「なっ……は!?ちょ、なんで笑ってるの!?意味解んないんだけど。ていうか、いい加減笑うのやめてよ。なんかすっごい腹立つ。」
「あぁ。悪ぃ悪ぃ。」

大して悪いとは思ってもいないが、一応謝っておく。名前はむすっとした表情で、縁側の先の中庭に目線を移した。綺麗な黒髪の隙間から覗く横顔は、やはり姉上には似ても似つかない顔で、だが、どことなく姉上を連想させる。
こんなに気が強くてガサツっぽい女に、姉上の面影があるなんて、死んでも認めたくなかったが、芯があって凛としているところだけは、姉上に似ていなくもねぇ。だけ、というとこが重要だ。

名前は、それからすぐに機嫌を直し、というか、実際にはそこまで怒ってもいなかったんだろう。すぐに俺の方を見て、たまに会う近所のおばちゃんみたいに「雨降ってきそうだね。」と言った。
見上げると、空は綺麗な橙に染まっていて、そこには不釣り合いな暗い雲がもくもく浮かんでいた。ああ、本当だな、と口を開きかけたところで、奴は弾かれたように立ち上がり、「帰るわ。」と一言言って、すたすた歩いて行きやがった。
マイペースというか、なんというか、変わってることには違いねぇ。
俺の中での名前は、まさにこの時、“気の強いクソアマ”から、“可笑しな奴”に変わったのだった。
姿勢の良い後ろ姿を見送りながら、このことを知ったらアイツは、格上げか格下げかどっちなんだ、とすかさず突っ込みを入れてくるに違いない。
いや、それ以前に、なんだそれ、と、どっちでも良さげな顔をしながら、可笑しな奴で悪かったね、とあの凜とした声で答えてくれるだろうか。

姉上。僕は、元気でやってます。
だから、安心してください。
僕の勘が正しければ、アイツは俺のいい奴隷……いや、いい友達になれそうなんです。



「あ。ひとつ、言い忘れてた。今度、美味しい団子屋行こうよ、総悟。」

ほら。
言ったでしょう。
僕の勘は当たるんですよ。


「もちろん、アンタの奢りね。」


あ。やっぱ前言撤回。

アイツは、可笑しなクソアマ。
これで決定だな。




2017.12.24

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