24

「銀さん、あまり飲みすぎちゃダメですよ。」
そう念押ししたのに。



酔っ払いと短い廊下



「……どうして、べろんべろんなんですかもう。」

スナックお登勢の勤務も終わり、お給料から新八と神楽の食事代を差し引いた分を手取りでいただいた。
食事代引いたら、もうほんのちょっとだろうと思っていたら、予想より大金だった。多分、お登勢さんの優しさが嵩増しされている。
そんなちょっと嬉しい大金を手にし、新八も万事屋に泊まっていくとのことで、銀さんと神楽と新八と万事屋に帰ってきたところだ。

帰ると言っても2階に上がるだけなんだけど、これがまた大変だった。なんてったって、この酔っ払いがいるんだもの。新八が支えながら上ってくれたんだけど、足元が覚束ない銀さんを支えるのは相当辛かったようで、危うく下まですってんころりんしそうだった。
そして、あたしと神楽まで巻き込まれて、4人で団子になるところだった。
危ない危ない。


「すってんころりん、って、お前ェ……!」
「はあ?何笑ってんですか!キレますよ!?」
「だって、すってんころりんだよ?ぷぷぷっ…!」
「何がそんなに可笑しいんですか!ムカつくなぁ。その顔。」

ムキになればなるほど、腹を抱えて笑い出す目の前の人に、心底腹が立つ。
しかも、神楽も新八も、眠いと言ってそそくさと床についてしまったので、頼もしい味方も居ない。
とにかく、この酔っ払いの相手を今すぐ引き上げて、体力と精神力を極力削らずに家に帰る。
これに限る。

「よし。帰ります。銀さん、さっさとお休みなさいませ。」
「あー?なに帰んの?え…………マジで?」
「マジです。」
「あ、ちょっ、もう帰んの?俺をひとりにして、罪悪感とかないわけ?」
「ごめんなさい。これっぽっちもありません。だから、離してください。」

酔っ払うと力の加減が解らなくなるんだろうか。
少し痛いくらいの強さで、銀さんはあたしの右手首を握っている。気を抜けばそのまま引っ張られて、ソファに座っているその逞しい身体にダイブしてしまいそうだ。ダメダメ。駄目。
引き留めても無駄ですよ。あたしは、もう覚悟を決めてるんですから。
心の中でそう唱えながら、どこか片隅では可哀想だと思うダメなあたしが居た。

「ていうか、泊まってけば?」

加えて、悪魔の囁き、ならぬ、銀さんの戯言が聞こえる。

俺の布団でよければある。
とか、そういう問題じゃないでしょうよ。アンタの布団で寝れるわけないでしょうよ。
バカなの?ていうか、バカだろ。
あ、酔っ払ってるからか。酔っ払ってるから、そんなバカなこと空気みたいに言えるのか。

「なに言ってんですか。」
「あ。でも隣の部屋ぱっつぁん寝てるしなぁー…………ってことで、ここで俺と一緒に寝る?」
「なっ!?なに言ってんですか!てことで、の意味がまったく解りません!もう、馬鹿なこと言ってないで、とっとと寝てください!」
「ちぇー。なんだよ、そんなに怒んなくても……あー。まあ、アレだな。あー…………じゃあ……送ってく。」
ふらり。
銀さんは立ち上がって、意外としっかりした足取りで、廊下に出た。
いきなり、我に返ったのか、酔いが覚めてきたのか。
廊下がミシミシと鈍い音を立てていた。
慌てて後を追った。子どもたちを起こさないように、出来るだけ静かに廊下を歩いたつもりだったが、やっぱり鈍い音はどうしても鳴った。
玄関でブーツを履いているその大きい背中を見ながら、無性に胸が苦しくなった。




雨の気配がする。
じとじとと、べとべとと、纏わり付くような湿気が、体力をじわりじわりと吸い取っていくような気がした。
それとは裏腹に、暗い空に無数の星が浮かんでいる。

「お前も星とか見るんだな。」

「…………あたしだって星くらい見ますよ。見ない奴だと思われてたんですか。」
「うん。名前はそういう奴だと……。」
「銀さんこそ、星見るんですね。銀さんも星見ないタイプかと思ってた。」
「え。何だよその勝手なイメージ。俺のこと何も知らないくせに。」
「銀さんだって、あたしのこと何も知らないくせに。」

空から前方へと目線を移せば、前を歩く銀さんも空を見上げていて、どこか新鮮な眺めに心臓が脈打つ。
最後は言い合いのようになってしまったけれど、とどのつまり、銀さんもあたしも、お互いのことをよく知らない、そういう関係なのだ。それなのに、こんなにも銀さんと居ると安心するのは、なぜだろう。

無言で再び歩き出した銀さんは、背中から声を発する。



「高杉と知り合いなの?」



“そう来たか。”
率直な感想はまさにそれだった。
次に思ったのは、“銀さんってこんな真剣な声も出せるんだ。”だった。

「知り合い……っていうか、昔一度だけ会ったことがあって、」
「ふーん。」
「……簡単に言うと、命の恩人?的な?銀さんに言ったことありませんでしたよね。父が剣道場を営んでいたんですけど、昔その道場を天人に襲撃されて、その際に一緒に戦ってくれたんです。」
「へーえ。そう、なんだ。」

「銀さんこそ、高杉とは知り合いなんですか……?」
「あ?俺?」
「そう、俺。」
「んー。知り合いっつーか……昔同じ寺子屋で勉強してた。同じ先生から、学問と剣術を教わった。昔馴染み?同志?的な?」

怪訝そうな、眠たそうな顔をして、銀さんは此方を振り返った。
銀さんも寺子屋通ってたんだ、という驚きとともに、その先生に会ってみたいという感情が芽生えたけれど、それは心の内に留めておく。
「今、そのお父さんは?」なんて野暮な質問、銀さんはしてこないから。
だから、あたしも「今、その先生は?」なんて馬鹿な質問したくない。
代わりに、ずっと気になっていたことを聞いてみよう。

「あたしも……ひとつ、聞いてもいいですか。」

「はい」も「いいえ」も求めないそれに、銀さんが返事をしたとするならば、それはほんのわずかに息を吐いたことだろうか。じっと見ていなければ、見過ごしてしまうくらいの、小さな小さな溜息。それをしっかり捉えた自分を少しだけ褒めてやりたい。

「銀さんは、さっちゃんと付き合ってるんですか?」


ぽつ、ぽつ……
暗い空にさらに暗い雲が覆い被さった。
堪らず落ちる雫が、あたしたちの身体を打つ。
普段から死んだ魚の目がさらに死んでいる。
ああ、この人は酔っているんだった。こんなこと、このタイミングで聞くんじゃなかった。どんな答えが返ってきても、納得できない気がする。

「うわっ、雨かよ。走るぞ。」

「ふぁっ?」
「なんつー声出してんだよ。走るぞー。」
「えっ?ちょちょ、ちょっと…!」

銀さんはあたしの右手首を左手で握って、走り始めた。
あたしは呼吸をするのに必死で、小雨の中慌てて走る銀さんを止めることも叶わない。ていうか、銀さん酔ってるのに結構速いよ。
この辺でいいだろう、と言って止まったのはそれから幾ら走った後だっただろうか。

銀さんは、にやり、と笑った。

「はっ……はっ……銀さんっ!もうっ、どうして、走ったり、するんですかっ……」
「いやぁ、雨降ってきたから。」
「全然っ、もう、止んでるじゃないですか。」

通り雨か、なんなのか。
空は相変わらず墨のように黒く、暗い色をしていたが、雨は止んでいた。
息を切らして銀さんに突っかかってみるが、銀さんはへらっとしている。
それが余計に腹立たしかった。
あたしの質問に答えてもらっていない。答えるつもりがないのか、答える必要がないと思っているのか、それとも、聞こえなかったのか。
いずれにしろ、無かったことにされるのは嫌だった。

「銀さん。さっきの……」
「うぇ………きもちわる…………」
「…………はっ……!?吐くんですか!?え、ちょ、やめてくださいあっち向いてください。大丈夫ですか?」

あっちを向いて蹲る背中。
大きいはずの背中が、この時ばかりはとても小さく見えて、か細くて弱々しくて、あたしは思わず背中をさすった。
温かい体温と嫌な湿気が、掌を伝ってあたしを侵食する。
走ったからか、心臓が大きく脈を打った。

「よしよし。気持ち悪いね。」
「なにそれ……赤ちゃんプレイ……?」
「プレイではありません。」
「いいわ。それ……もっと、やって。」
「よしよし。いい子いい子。」



お酒を飲んだ後よりふらふらした足取りの銀さんを見守りながら、ようやく家に辿り着いた時には、あたしももうふらふらだった。
とりあえず、銀さんを家に上げてやり、台所の水道水をコップに一杯淹れて持って行った。玄関に戻って来た時には、銀さんは自前のブーツをなんとか脱ぎ、そこで体力を使い果たしたのか、廊下で項垂れていた。

「飲みすぎ、加えて走りすぎです。」
「んー。」
「眠たいんですか?」
「んー。」

喉を鳴らす銀さんが猫に見えてきて可愛い。
そうポジティブに考えたあたしを誰か褒めてください。
持って来た水を、銀さんは一口二口飲むと、コップを廊下に置いた。勢いで少しの水が跳ねて、廊下を濡らした。このくらいなら拭かなくても大丈夫だろう、というくらいの量で良かった。
しかし、銀さんはどうすべきか。ここで寝られても困るし、かと言って、一人で万事屋までまた戻れるとは思えない。

「あーもう。起きてください。寝ちゃダメよ。起きろー。部屋行くよー。」
「あ、タメ語。やっぱいいわ。」
「重たっ。銀さん、もうちょっと自分で、歩いて、もらえます?」

廊下が短くて良かった、とこの時初めて思った。
銀さんの腕を首に掛け引き上げると、身体が密着した。想像してたより、熱い。熱いのは分かってたけど、熱い。銀さんの体温のすべてが、あたしに流れ込んでくるみたい。苦しくて溢れそうで、そして全身が痺れるように熱い。
いっぱいいっぱいのこの状況で、しかし銀さんはへらっといつもの顔をして、あたしの名前を呼んだ。

辛うじて返事をすると、銀さんは低い声でこう言った。




「万事屋いつ復帰すんの?」





それは、今、聞くことなのかな?







2018.1.29

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