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「万事屋いつ復帰すんの?」





オムライスはケチャップだけ掛けておけ



低い声が、耳の奥でじんじんした。
銀さんの大きくて重たい身体を支えてひいひい言っている今この状況で、そんな質問しないで欲しい。

「いつ、って。……も、もう少ししたら、ですかね。」

曖昧に答えたら、反応が皆無だった。
銀さんが何を考えているのか、まったく解らない。皆目、見当がつかない。何を思って、さっきの質問を口にしたのかも。
そもそも銀さんは、あたしに戻ってきて欲しいんだろうか。
新八と神楽は、スナックお登勢でのあの態度を見て、寂しがってくれているのだと、自惚れているかもしれないけれど、そう思った。
しかし、銀さんはどうだろう。この人は、あたしのことなんか気にせずに、どこぞで飲み歩いて、ふらふらとスナックお登勢にやって来ただけだ。
そうだ。あたしのことなんか、なんとも思ってないんじゃないか。

短い廊下をようやく抜け、リビングに入ると、銀さんを絨毯を敷いただけの床に座らせた。
窓から月明かりが少し射し込むだけの薄暗い部屋。冬に活躍した炬燵、ならぬ小さな丸い卓袱台。その上に覆い被さるように、銀さんは突っ伏した。
少し唸っていると思えば、それから顔をぱっと上げて、此方を見据える。

「なぁ。病院でのことは、アレ、誤解だよ。」

「……何を言うかと思ったら。さっちゃんのことですか?もういいですよ、どっちでも。」
「……なんで?」
「同じベッドで寝てたのは、確かに見ました。最初は驚いて、でも、銀さんがさっちゃんと付き合ってても、別に可笑しくないなぁと思ったから。だから、興味本位で聞いてみただけで。別にどっちでも、あたしには関係のないことですから。」
「いや付き合ってねーから。どっちでもよくねーから、そこ。」
「付き合ってないのに同じベッドで寝てたんだ。」
「いや、だからね。誤解なの。」
「ふーん。」


あたしは卓袱台を挟んで銀さんの向かい側に座った。
お酒の匂いと、銀さんの匂い。
混ざり合って、頭がくらくらしそうだった。
銀さんも別の意味でくらくらしているのか、頭を抱えている。
これは二日酔いのパターンだな。

「ふう……。たしかお客さん用の布団が一式あったはずなんで、それ敷くんで、もう寝ましょう。」
「え?名前も一緒に?」
「あたしは隣の部屋のベッドで寝ますよ。」

言いながらクローゼットを開けると、すぐに布団が出てきた。あんまり使ってないし、臭いとか多分大丈夫。
リビングにそれを敷いて、ふと銀さんを見ると、ふたたび卓袱台に突っ伏している。銀色の天然パーマが、ふわふわと雲のように卓袱台の上で揺れていた。

「銀さん!起きてください。すぐそこに布団敷きましたから。布団で寝ましょう。」

この体勢で眠られてもあたしは困らないけれど、放置した自分のせいで銀さんが風邪でも引いたら、気分が悪い。
自分がぐっすり眠るためにも、なんとしても銀さんを布団で寝かせなければ。
規則正しく上下する肩を揺すると、唸り声が聞こえて、ゆっくりと頭が動く。まるで大きな子どものようで、くすりと笑っていると、その大きな身体が此方に向かってきて、筋肉質な腕が伸びてきた。

一瞬の出来事だった。

背中にはリビングの床。
上からは短くて重い溜息が降ってくる。


「お前さあ。なんで俺がさっちゃんと付き合ってても付き合ってなくても、どっちでもいいなんて、言えんの?」
「……え…………?」
「あの時、さっちゃんと同じベッドで寝てた俺見て、すぐ帰ったんだろ。気持ち悪ィって思った?げんなりした?こいつサイテーって思った?」
「ううん。違います。あの時……あの時は、……驚きが勝ってしまって……。銀さんにもそういう人いるんだ、と思ったら、どうしようもなく、こう、苦しくなって、」

「名前って、俺のこと好きなの?」



銀さんの顔には影がかかっていた。
暗くて表情が見えない。
いや、見えたとしても、きっと銀さんの心の中までは解らない。
どうしてあたしを押し倒したのか、とか、どうしてそんな質問をしたのか、とか、まるっきり、解らない。
何の意図があって、こんな言動をとっているのか。
酔っ払いの戯言?
だとしたら、きっと日が明けたら全部忘れてるに違いない。

「……銀さんは……大事な人です。困ってる時はいつも助けてくれるし、信頼もしてます。でも、銀さんが思い浮かべている好きとは、違うと思います。」

あたしが答えたこともすべて忘れているに違いない。そして、その声が少し震えていたこともきっと。

銀さんはまた溜息を吐いた。
暫く黙った後、身体を起こして、布団に転がり込んで、それから何も言わなくなった。

暗闇の中で、銀さんの表情は、怒ってるように熱を帯びて、悲しみで泣き出しそうな、そんなあたしが見たこともない顔をしていた気がした。
それを隠すように、吐き出すまいとするように、冷静にならんとするように。
布団に潜るその背中は、まるで大きな子どもだった。
しかし、さっきのように、笑えなかった。くすり、とも笑えるはずもなかった。

代わりに、溜息をひとつ。

あたしは、布団のそばをそっと通って、隣の部屋のベッドで寝た。









目覚めたら、もうお昼時だった。
身体を起こしてリビングに行くと、布団の抜け殻があった。
まさか、あたしがあの銀さんより遅く起きるなんてこと。
そんなことがあって溜まるか、と思ったけれど、台所に立つ銀さんを見て、我に返った。

「遅せーな。」

「……何してるんですか。」
「何、って。見て解んね?朝飯作ってんの。いや、昼飯か。」
「えーっと、それは解ります。」

てっきり、昨日の気まずさから、起きてすぐ帰っているものと思ったから。
布団の抜け殻だけを置いて、銀さんは二日酔いの重たい頭を抱えて、ふらふらと万事屋に……。
え?なんで?
二日酔いですらないの?

「まあまあ、たまには俺が作ってやるから。名前は座ってテレビでも見てなさーい。」

そう言って背中を押され、台所にすら入らせてもらえなかった。
大人しく、リビングの絨毯に座ってテレビを点けた。
お昼のニュースが流れている。
寝起きだからなのか頭がぼーっとする。音が右から左へ受け流されてゆく。内容が何にも頭に入ってこなかった。

「出来たぞー」

銀さんのその掛け声で、肩が震えた。
振り返ると、お盆にオムライスとサラダとスープを載せた銀さんが、お母さんさながらに立ち竦んでいて、完全にテレビの音はあたしの中に入らなくなった。

「あ、ありがとうございます。」
「銀さん特製プレート。これにプリン付けたら完璧だな。」
「あープリンは常備されてないですね。すみません……て、あれ?銀さんの分は?」
「俺は今から万事屋戻るから。新八と神楽も腹空かして待ってるだろうから、向こうで食うわ。」
「あ。そう、ですか……。」
「つーことで、ちゃんと残さず食えよ。じゃ。」

オムライスたちが一人前しかないことは、何となく予想していた。もし、二人前あって銀さんが向かいに座っていたとしても、それはそれで食べ辛かっただろうし、これでいいのだとは思うけれど。
どうにも、しっくりこない。
お母さんみたいに、ちゃんと残さず、と言いながら、頭の上に置かれた大きな掌も。
それに伴って降ってきた、作り笑いも。
じゃ、と言って廊下を歩いてゆく後ろ姿も。
どうしてそんなに、優しくて、よそよそしいんだろう。

頭上に残る僅かな感触と、鼻腔に残る銀さんの匂いが、あたしの胸を締めつける。

万事屋に戻って来い、と言ってくれればいいのに。
いつ戻ってくるのかなんて、そんなの本音は今すぐにでも戻りたいよ。走って、その背中を追いかけて、一緒に並んで万事屋に戻りたい。
「昨日の夜、どうして押し倒したりしたんですか?」って笑って質問して、一言「酔ってたから悪ィ」とか何でもいいから、今なら何でも許すから、そんな他愛もない会話をしながら、万事屋に帰りたい。

何事もなかったような顔しながら、何事も全部置いてくなんて狡い。


黄色の上に赤が乗った、見本のようなオムライス。
狭くて蒸し蒸しする部屋の中で、あたしは悔しくも、それを完食した。










2018.2.9

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