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突然、名前が消えた。


素直に好きって言えたら誰も苦労しない



いつものように愛読書ジャンプをぺらぺら捲る。
いつものようにどの漫画も最初から最後まで隅々まで読む。
いつものように時折欠伸を挟む。
唯一、いつもと違うのは、ページを捲る指先を見た時、欠伸の余韻に浸っている時、同じ光景が逐一頭によぎるということ。
驚いたような、それでいて困ったような昨日の名前の顔と、その目に映る俺の情けない面。

神楽の「銀ちゃーん。お腹空いたアルー」も

新八の「さっきから溜息ばっかり吐いてどうしたんスか。」も

まるで耳に入らず、煩い蠅のごとく耳周りを飛び回り鬱陶しいったらありゃしない。堪らず、ジャンプをテーブルに放り投げ、ソファから立ち上がった。

「さっきからギャアギャアやかましーいんだよ。神楽、お前は冷蔵庫の中のもん勝手に食ってろ。新八、てめーはただの眼鏡掛け器になってりゃいいんだよ。」

そして、手をひらひら振って廊下を進んだ。ブーツを履く。玄関戸をガラリと引くと、陽は沈みかけているというのに目がくらりと揺れて、やはり同じ光景がまた脳裏に浮かぶ。
色んな意味でくらくらした。
なおもギャアギャアやかましいガキどもから逃げるように、俺は万事屋を出た。

少し歩けば、いつもなら知り合いの一人や二人簡単に出会すのに、運の良いことに今日は一人も会わない。
ガキどもから逃げて逃げて、俺はどこに向かっているのかもよく解らなくなってきたところで、やはり名前の顔が浮かんだ。

結局のところ、俺は名前からも逃げてきたのかもしれない。
名前を押し倒しといて、てめーの気持ちの一つも吐かずに、アイツの心に土足で踏み入るような真似して、少しでも拒絶されるや否や、寝て起きたらさも昨日のことはまるまる忘れました、みたいな面平気でしやがる。

最初は、俺のことなんかどうでもいいみたいな発言をする名前に腹が立った。だが、言葉の端や困った目の中に見え隠れする、俺への好意みたいなものを感じた時、本当は俺のこと好きなんじゃねェの?ってそんな期待をさせる名前に腹が立った。
だから、“お前は俺のことが好きなのか”、なんて馬鹿な質問ぶつけて、挙句情けなく玉砕して、それの全部が全部恥ずかしくて馬鹿らしくなって、“無かったこと”にしようとした。

最初は名前に腹が立っていたはずだ。
だが今は違う。アイツにじゃねェ。
俺は俺自身にムカついていた。
不甲斐ない俺に心底腹が立つ。



──「はぁーーーっ!親父!ラーメン!」

ふいに見えた屋台の暖簾を揺らした。
知り合いの一人目が、頭に白いタオルを巻きつけて、驚いた顔をしていた。
「どうした旦那ァ。女にでも振られたかィ。」

「うっせー!!早く出せ!!」

親父は、俺の剣幕にも動じず、麺のお湯を切りながら豪快に笑った。
どうしてラーメンを食べるためだけに来たのに、溜息の出どころまで詮索されなきゃならねェんだ。

「ガッハハハ!!そういやあ、あの新入りの子、元気かィ?」

親父の言う“新入りの子”というのは、名前のことだ。

「……あー。まぁ、そうだな……」

名前がまだ万事屋に来て間もない頃、ここにラーメンを食べさせに連れて来たことが一度だけあった。たったの一度、しかも結構前のことなのに、親父が覚えているとは驚きだ。

「ははーん。もしかしてその子だな?」
「ぶっ!!」
「図星かィ。まあ可愛いもんなァ、あの子。」

勘が良いというか何というか……。
反論すれば余計に揶揄われるだろうから、口を噤んで睨みを効かせた。しかし、親父は俺の睨みなんて屁でもないという風に、吹き飛ばすようにまた笑う。

「旦那ァ。女って生きものは、繰り返し繰り返し言葉にしねェと解らねェもんだぜ。一回振られたぐらいで落ち込むんじゃねェや。」

「だァから。振られてねーっての。」
「そりゃあ、振られる位置にも立ててねェってことか?情けないねェ。」
「うっせー!!早くラーメン出しやがれ!!」

“貴方の思ってる好きとは違う”って言われてる時点でもう終わってんのか、これ。
と思ったりしたが、アレは告白なんかじゃねェ。だから、振られてもいない。
振られる位置にも立ってねェんだ。
本意ではないが、ラーメン屋の親父に少しだけ元気付けられて、睨んだり急かしたりしたことを心の中で詫びた。

しばらくして出てきたラーメンは、あの日あの時、名前と食べに来たラーメンと何も変わらない美味しさだった。
ラーメンを啜る嬉しそうな横顔が、笑った名前の顔が、脳を掠める。
“無かったことに”なんて、絶対にできないのは解っているし、
“無かったことにしたい”と思われててもそれはそれで哀しい。
でも、俺は、名前が何も無かったような顔でまた俺の前に現れてくれないだろうか、と願っている。
我儘で情けねェ。

ラーメンを一心不乱に貪った。

西日の眩しい太陽はすぐに沈んだ。
ふいに、人が駆ける音が聞こえてきて、俺の背後でその音が止んだ。
初めは気にしなかったが、もしかして名前じゃねェかと馬鹿なことを思って、箸を置いた。同時に背後から肩を叩かれた。それも荒々しく。

名前なんかじゃなかった。代わりに知り合いの二人目がそこに突っ立っていた。黒の隊服に、蜂蜜色の髪。腰の刀ががちゃ、と鈍い音を立てた。



「名前が、……攫われやした。」



沖田くんの、えらく焦っているような声で、乱れた髪で、告げられる言葉に、俺は愕然とした。

「何、言ってんの……。どうしたんだよ、そんな血相変えて。アイツは、……」

あのボロアパートに居るはず。

簡単な言葉が、どうしても喉に引っかかって出てきてくれなかった。
なぜなら、沖田くんの顔を見て、これは嘘じゃないと解ってしまったからだ。
だいたい、わざわざ俺に嘘を吐きに来るほど暇じゃねェだろうし、俺にそんな嘘を吐いて沖田くんには何の得もねェだろう。
なら、もし、本当に名前が攫われたとしたら、アイツを攫ったのは────

「誰だ。」

誰がアイツを攫った。
問えば、沖田くんは歳に合わない苦い顔をしてこう答えた。





「高杉晋助でィ。」









2018.3.12

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