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あたしとパフェとどっちが大事なの



「てめェの腹はえらく正直者らしいなァ。」

高杉はそう言いながら、一歩足を踏み出す。
肩の辺りが無意識に強張る。
あたしは、ぎゅっと目を瞑った。

あぁ。もう。こんな時でも、お腹は減るもんだ。生理現象だもん。しょうがない。

「オイ。起きてんだろ。聞いてんのか?」

一歩、二歩と徐々に近づいてくる足音。
あたしは目を瞑ったまま静止し続けた。
さっきは首を噛まれたし、今度は何をされるのだろう。
犯されて、ボロボロになるまで無茶苦茶にされて、それからきっと、色んな酷いことをされて、最終的に捨てられそうだ。高杉ならやり兼ねない。あたしの中の高杉のイメージは、もうすでに、“史上最悪サイテーなクソ野郎”で塗り固められていた。

どさっ。

足音ではなく、何かが落ちる物音が聞こえたかと思えば、また高杉の声がする。
「話くらい普通に聞けねェのか」と。

先ほどよりも随分と近くから聞こえた声に驚いて、思わず顔を上げると、すぐ隣に高杉が胡座をかいて座っていた。

「話をしに来た。」
そう言う高杉は、あたしを布団に押し倒した時のそれに比べれば、少しだけ穏やかな眼をしていた、ような気がした。

「……は?話?」

「フッ。ようやく顔を上げたか。」
「な、なによ。話をしに来たんでしょ。聞いてあげようとしてる人に向かって鼻で笑うって酷くない?」

辛うじて抗議の声を上げるが、それが聞こえなかったかのように、目の前の口が開いて勝手に話を始めた。

「あの日、道場でお前を助けたのは、たまたまだ。だが、あの時、お前の立ち姿と剣捌きと、お前のその目を見て、ピンと来た。」

つらつらと、あたしの目を見て話しをする高杉に、素直に耳を傾けたあたしを、銀さんは馬鹿だと笑うだろうか。もしこの場に銀さんが居たならば、“まともに聞くんじゃねェ”と止めただろうか。
でも、どうしても、高杉が出鱈目に話をしているようには見えなかった。
そうやって言えば、やっぱり笑って怒るだろうか。

───「名前。俺の仲間になれ。」


あたしはあの日以来、ショックで昔の記憶が、ところどころ、思い出せたり思い出せなかったりしていた。
あの日のことは覚えていて、誰かに助けられたのは頭の片隅にあっても、それが高杉だったことは忘れてしまっていたように、道場の仲間と外でご飯を食べに行ったことは覚えていても、その時誰が居たかやどんな会話をしたのかは、思い出せなかった。思い出せないことがたくさんあった。

「…………正直、貴方に助けてもらったことは、忘れてた。でも、あの時、言ってくれたでしょ。今思い出したんだけど、覚えてる。“江戸へ走れ。幸せになりな。”って。なのに、今さらあたしをどうしようっていうの?」
「おめェは……。ったく、どうしようもねェ女だなァ。そういうのは覚えていやがるのか。」

あの日、道場で息をしているのが、あたしと高杉の二人だけになった後、お互いに名前を聞いて、おもむろに高杉があたしに言ったのだ。
その言葉を胸に、走って走って、涙が出ようが怪我をしようが構わず走って、江戸に上京したのだ。それからずっと、江戸に住むうち、というよりは多分、走り出したあの瞬間から、もう記憶に蓋をしようとしていたのだろう、高杉のことは忘れかけていた。

今までずっと生きることに必死だった。
働いてお金を稼いで、家賃を払って、ご飯を食べて、銭湯に行って寝る。その繰り返しだった。
だから、休む暇なんかなかったし、ずっとあの日のことは頭の片隅に残ってはいても、詳細に思い出そうとはしなかった。思い出しても無駄だと思ったし、何より忙しい日々では、時間にしがみつくので精一杯だった。
「あの日、貴方が居なかったら、あたしは生きてなかったかもしれない。あの日、貴方が江戸へ行けと行ってくれなかったら、あたしは今どこかでのたれ死んでたかもしれない。でも、…………晋助。貴方に感謝はしても、貴方の言いなりになるつもりは無い。」

「……名前。俺ァ、お前のことを……」

言いかけて、晋助は自嘲気味に鼻で笑った。その後見せた顔は、驚くほど酷く優しい色をしていた。

「しん、すけ……」

────「晋助様ッ!!!」

扉の向こうからふいに叫び声にも似た声が聞こえた。声音から酷く焦っているようで、思わずあたしの肩もびくりと震えた。扉の向こうの声が続けて叫ぶ。
「幕府の犬どもッス!!」

何となく聞いたことのある声だと思っていたら、なるほど、先ほど晋助を呼びに来ていたあの女の人の声だ。側近か何かなんだろうか。
悠長に考えていると、晋助に睨まれた。

「なっ、何?早く逃げた方がいいんじゃないの?あの人も物凄く焦ってるみたいだし。」
「てめェも来い。立て。」
「えっ!?嫌だ。立てない。」
「二度と立てなくしてやろォか?」
「い、イヤです……。」

そうして、人質になってしまったあたしは、晋助に腕を荒く引かれながら、呼びに来た女の人(実際に対面すると“女の子”という方がしっくりくる見た目年齢だった)に何故か物凄く睨まれながら、建物の中をぐるぐる歩き回った。
階段を上ったり降りたり、扉をくぐったり、また階段を上がって、上がって上がりきって、どうやら建物の一番高い所に辿り着いたらしい。夜空が良く見渡せる。少しの月明かりと、建物の屋上にある申し訳程度の電灯があたしたちを照らしている。そして、向こうの建物に、夜に負けず劣らず黒い色の軍団が居た。

「チッ。囲まれてやがる。」

真選組だ。
下からはパトカーのサイレン音も鳴り響いている。
階段を駆ける音が聞こえたが、上がって来たのは、晋助の率いるいわゆる鬼兵隊という組織の人間だろう。真剣を鞘から抜き、真選組は建物の向こうだというのに、今にも斬りかからんばかりの形相だ。

「晋助。舟がもうじき来るでござる。逃げるぞ。」
「晋助様。この女はどうするんスか!?まさか、一緒に連れてくなんてことないッスよね!?ね!?どうなんスか!!」

なんだ。
一人ぼっちのような鋭く寂しい眼をしてるから、晋助はてっきり一人なんだと思ってたのに。
居るじゃないの。安心した。
なんて、人質にされていながら、馬鹿みたいなことを心中で唱え、晋助を横目で見た。

「煩ェ、騒ぐんじゃねェ。コイツは人質だ。俺がコイツを放ったら合図だ、いいな。」

そうそう。あたしは人質。晋助の仲間になるつもりも、一緒に着いて行くつもりもさらさら……ん?なんだって?放る?ま、まさか、建物から放るってわけじゃないよね?
「ねぇ、晋助。……あの、放る、って……?」

「簡単に人のモンになる女じゃねェよなァ。そういう女だよ、お前は。」
「晋助?ねぇ、聞いてる?聞いてないよね?」

晋助はあたしを盾にしながら、一歩一歩真選組が居る向こうの建物の方へと近づいて行く。建物の屋上のちょうど端まで来た時、向こうの建物が少しばかり低いことが解った。物理的に言えば放るとすれば、向こうが高いよりは低い方が良い気がする。……て、何考えてんだあたし。放る、っていうか、これ、落とされる!!

「ちょ、まっ、ししし晋助っ!ねぇ、放るなんて嘘だよね?向こうまで跳べる気しないよ?あたし。」
「黙ってろ。死にやしねェさ。それより、よく見てみろ。黒に混じって、変なのが居やがる。」

“変なの”が何なのか、すぐに解った。
白地に青の渦巻きがあしらわれた着流しを、右腕だけ袖に通さずにして、その右腕の先には木刀。ふわふわ揺れる銀色の天然パーマ。

「銀さんっ!!」
「ククッ。本当にお前に惚れているらしい。」

真選組に混じって、向こうの建物の屋上に居る。薄明るい僅かな電灯が照らしているのは、紛れもなく、銀さんだ。
じっと見ていると、何やら向こうは向こうでガヤガヤ騒いでいるらしい。


「おい!!ジミー、なんで名前はあっちに居んだよ!この建物じゃなかったのかよ!?」
「だ、旦那ァ!落ち着いてください!!そっ、その名前さんって人が、人質にされてるんですよっ!!」
「だァから、落ち着けるかってんだよ!!お前バカなの?バカだろ!」

あ、あれは一度だけ見たことがある、あれ?二度だったかな?ジミーと呼ばれている地味目な人。あの人が、銀さんに胸倉を掴まれてゆさゆさと揺すられている。可愛そうなくらい乱暴にされているが、それよりも何よりも、銀さんがあたしの心配をしてくれているのが、素直に嬉しい。

「まあ、携帯の電波拾うのも、なかなか難しいんでさァ。多少の誤差は勘弁してくだせェよ、旦那。今度、パフェ奢るんで。土方さんが。」
「ハァァァ!?なんで、俺なんだよ。奢るわきゃねェだろ!」
「ま、まあ、パフェ奢ってくれんだったら、いいよ。今回は許す。」

いや、怒れよそこは。
あたしよりパフェが大事なんですか、銀さんは。

「はぁー。なんか、もう、早く放って。いつでも。心の準備はできてるんで。」

真選組サイドの遣り取りを眺めていたら、何となく、自分が向こうに助けを求めていいのか自信が無くなってきて、溜息を吐きながら半ば自棄クソぎみに言えば、晋助に怪訝な顔をされた。
「ハッ。肝が据わってると言ってやるよ。」

「ああ、慰めてくれてるの?ありがと。」
「名前。」

名前を呼ばれて、斜め後ろの位置に居る彼の方に首を捻ると、目が合った。改めて名前を呼ぶなんて何を言い出すのか、と待っていると、晋助の唇がゆっくり動き出す。

「アイツに飽きたらいつでも来い。」

「晋助…………。て、ちょっ、待ってぇぇぇえええええ!!!!」


と、同時に建物の屋上から放られ、夜の街にあたしの悲鳴が沈んでいった。






2018.4.3

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