02
世間は狭いですね



「ただいまー」

万事屋に通っていると、向こうの生活に慣れてしまって、“家に帰ったらただいま”が習慣化した。
今では自分の家に帰って来た時も、無意識で「ただいま」が出てしまうのだから、慣れって凄い。
一人暮らしの部屋だから、「おかえり」が返ってきたら、それはそれで怖いし、「おかえり」を誰かに言って欲しいわけでもないのだけれど。ただただ、息を吐くように言葉が出てしまうという境地に陥っている。

「おう。待ちくたびれたぜィ。」

あれ?
なんか、おかしいな。
今、声が聞こえて……なわけないか。
だって、一人暮らしの自分の部屋だよ。ちゃんと鍵開けて入って来たし。部屋を間違えるはずもない。ないない。そんなわけない。
きっとこれは、空耳。
昼間に団子屋で一悶着あったから、それできっと疲れてるんだ。
そうだよ!疲れてるんだよあたし!
銀さんにも、蟻さんポイポイを買って来いと言われ、仕方がなく蟻さんポイポイだけ買って万事屋に帰って、思っくそ投げつけてきたけど、まだ怒りが治まってないし。
今日一日色々あって、疲れてるんだ───


「……って、なに人の部屋勝手に上がり込んでんじゃーーーい!!!」

「うるせェ。俺の鼓膜潰す気かよ。」

最近夏用に衣替えした涼しい色のカーペットの上に、ここに居てはいけないはずのアイツが、涼しい顔して寝転んでいた。
新八さながらのツッコミをお見舞いしてやったら、耳を両手で塞いで、心底嫌そうな顔をされる。
いや。耳塞いで嫌そうな顔したいのこっちなんですけど。何なの?ストーカーなの?真選組は局長を筆頭に実はストーカー集団なの?

「あたしの心臓潰す気かよ。」

終いには、テレビを点けて「なんでィ、今の時間、良い番組やってねーなァ。使えねェ。」と言って、リモコンを放り投げた。あたしの素晴らしい運動神経で、飛んできたリモコンを手中に収めたのだけれど、残念ながら、バランスを崩してそのままカーペットにぱたり。

「うわっ。何してんでィ。だっせぇ。」
「うるさいわ!総悟のせいでしょ!」
「は?」
「いや、こっちが、は?なんですけど。大体、どうやって部屋に入ってきたっていうのよ!?今日は鍵閉めて出掛けたはずなんだけど!?」
「大家の爺さんに開けてもらったんでィ。」

えっ、まさかの大家さん!!!?

なんと、犯人は大家さんらしい。
でも本当にこの世にそんなことをする大家さんがいるだろうか。知らない男に、うら若き乙女の一人暮らしの部屋の鍵を開けろと言われて、素直に従うのだろうか。あり得ないだろうと思って、そう返すと、なんとなんと、総悟は白壁荘の大家のお爺さんと知り合いらしかった。

「昔、この辺りで事件が起こった時に、あの爺さんに捜査の協力してもらったことがあってねィ。それからは会えば世間話くれぇはする仲でさァ。」

勝ち誇ったような顔でそう言われた。
総悟がここの大家さんと知り合いだなんて、もうあたしの人生終わった。ストーカーし放題じゃん。勝手に上がり込まれることが、この先何回もあっては堪ったもんじゃない。
そして、何故、あたしですら顔を見たことのない大家さんと、この腹黒悪魔が知り合い……。
これはもう不運としか言いようがない。

「……で、本題でィ。座れ。」

ショックで気が動転して、立ち上がっていたあたしに向かって総悟が命令する。まるで、飼い犬に躾けをする飼い主のようなその物言いが、鼻に付かないではなかったが、力も抜けてしまって、あたしはその場にすとん、と座り込んだ。

「悪い話じゃねぇ。まあ、ろくに仕事のねぇお前にとったら、きっと朗報でさァ。」
「なに…………?」
「お前、真選組の女中になれ。」
「…………はい?」









「明日から仕事開始でさァ。遅刻すんじゃねーぞ。」と言う捨て台詞を吐いて、総悟が帰って行ったのは、昨日のこと。
半ば強制的な命令を受けたかのような気分で、去り行く総悟を呆然と見届けた後、その後の記憶が無かった。
起きたらベッドには寝ていた。それだけでも良しとしよう。いつもの銭湯に朝風呂に行き、帰ってきてから、とりあえずパンを齧った。

薄っぺらい“女中募集”と書かれたチラシが一枚、手元に残されていた。総悟が置き土産として置いていったもので、それを改めてぼうっと眺めてみる。一ヶ月ほど前からこのチラシを使って、募集してはいたのだが、まったく応募が来ないらしい。それもそのはず、チラシは一言で言えば殺風景。真選組の男所帯の感じが良く出ていて、無理やり褒めるとすれば、その部分だけが良いところだと言えなくもない。まず、これが街中で貼られていたとしても、目に留まるのかと聞かれれば甚だ疑問である。風景と一体化して誰にも気付かれず、ひっそりと貼られるチラシを容易に想像することができた。

「……気乗りしないなぁー。というより、女中とか、良いように遣われる気しかしない。でもなぁー。やっぱお給料はいいんだよねぇー。」

一人の部屋で、独り言をぶつぶつ呟きながら、真選組屯所に行くか行かまいかについて、葛藤を繰り返していた。
昨日いきなり「女中になれ」と言われたところで、「はい、やります」とやる気を出せるほど年若くもない。しかし、真選組は、国の警察組織であり、公務員に充てられる。ゆえに、その女中も月給が破格の高さで、心惹かれる。

その時、まったくここ数年と仕事をしていない部屋のチャイムが鳴った。嫌な予感しかしない。出るのを渋っていると、また鳴った。かと思えば間髪入れずにまた鳴るものだから、あたしは仕方なく重い身体を上げて、玄関に向かった。

「はいはーい!今出ますー!」

扉を開けると、黒い制服を身に纏った真選組隊士、沖田総悟が玄関前に突っ立っている。嫌な予感が的中して、溜息が溢れた。
彼は眠たそうな顔をしているが、無理も無い。今は朝の6時だ。昨日総悟が言い残した屯所に来いという時間は7時だったので、一応あたしも起きてはいたが、あんなに記憶は無いのに、睡眠の質が良くなかったのか、こちらも眠たい。

「迎えに来てやったんだから、行くぞ。準備できてんだろ。」
「あ、え、っと、まだ心の準備が……」
「そんなもん、行きゃあ嫌でもできる」
「えええぇー。そう、かな……?」

とりあえず出掛ける前に、万事屋に本日欠席の旨を伝えるため、電話だけさせて欲しいと言うと、「こんな時間に旦那が起きてるわけねぇだろィ。」と一蹴されてしまった。確かに、と納得したあたしは、荷物を持ち鍵をかけて真選組屯所に向かうことにした。まだ正直気乗りはしていないけれど、「やっぱり嫌だ行きたくない」と駄々をこねたところで、総悟の前でどうにかなるわけもないと思ったのだ。

まあ、いいや。
万事屋に行ってもどうせ仕事なんてないのだし、確かにこの時間に銀さんも神楽も起きてるわけはないのだし。ただ、心配だけ掛けないように、後でお昼頃にでも連絡を入れようと決めた。

「ねえ、総悟。女中って具体的に何するの?」

ここから屯所までは、徒歩で2、30分かかるだろうから、何か話題を出したかった。無言で歩くのは少し気まずい。

「一言で言えば、俺たちの世話だな。」

小さい溜息が一つ溢れた。
俺たち、ということは、その中に総悟も入っているのは明らかで、その中にはむさ苦しい男たちしかきっといないのである。具体的に、と聞いているのに、一言で纏められても、とてもじゃないけれど、「ああそう。よかった。」とはならない。

「なんか、不安しかないんですけど。やっぱり辞めようかな。」
「大丈夫でィ。土方も近藤さんもお前ならいいんじゃねぇかって言ってくれてるし、お前はへらへら笑って、掃除炊事洗濯、家事、その他雑用全般やってれば、それでいいんでさァ。」
「いや、なんか、それ普通にブラック臭しかしない。ところで、他の女中さんとかは?年齢層はどんな感じ?」
「おばちゃんが9割。残り1割がお前ってところか。」
「それって、周りみんなおばちゃんってこと?」
「そうでィ。」
「んーまあそっか。あたし、年上に結構気に入られるから、それなら何とかやっていけそう。」

嘘じゃなかった。
昔から先輩っ子だったし、後輩よりも先輩と仲良くしてたし、何故か、年上の方に言い寄られることが多かったし。女中の中には女の人しかいないわけだけど。女の人でも、年下か年上か、どちらと一緒に働きたいかと聞かれれば、間違いなく後者を選ぶ。

無理やり安堵したあたしは、一歩手前を歩く総悟の隣に並んで、歩みを早めた。
総悟は、じっとあたしを見ていたようだけれど、気にしないようにしていれば、すぐにまた前を向いた。

「お前、やっぱ変わってんな。」

そんな総悟の言葉は、あたしに対する応援のような気もして、「ありがと」と返すと、鼻で軽く笑われた。心外だ。






2019.01.18


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