03
仕事は人間関係がとにかく大事


どうにもこうにも、完璧には晴れない気分を押し殺して、笑顔を作った。

「名前ちゃんね。私、女中頭の福神よ。よろしく。」
「ふく、がみ、さん?縁起の良いお名前ですね。」
「いいでしょう。よく言われるわ。」

七福神の誰かに似ている。福耳が印象的な、感じの良い笑顔で迎えてくれたのは、女中のリーダー、福神さん。50代半ばくらいの年齢らしい。詳しくは教えてもらえなかった。
他の女中さんは、今はこの場に居ないけれど、福神さんが言うには、「口が悪かったり、無愛想だったり、仕事一筋だったり、まあ難しい人もいるけど、みんな根は良い人だから、解らないことがあったら何でも聞いてね。」らしい。
ちなみに年齢は、40代の方が多いが、数人30代の方もいるとか。
総悟に9割おばちゃんと、聞いていたので、それを聞いた時思わず声が出てしまって、慌てて誤魔化した。簡単に仕事の説明を一通り聞いている後ろで、総悟が部屋の入り口にずっと佇んでいたので、睨んでみたが、悪魔のような笑顔を返されただけだった。

そうか、こいつにしたら、30代もおばちゃんになるんだ。怖い。

しかしながら、仕事の内容は、本当に総悟の言うように、掃除炊事洗濯、家事全般。お茶出しとかもあるので、それが雑用に分類されるのだろうか。とにかく、難しい仕事ではなさそうなので、一安心した。福神さんもとても良い人そうだし、良かった。

「で。どうなの?」
「え……?どう……?」

服装は特に決まってはいないけど、掃除炊事洗濯をする際は、タスキを支給するからそれで袖を捲ること。また、お茶出しの際は隊士の方に失礼になるので逆にタスキを外す、外に買い出しに行く時は自由。と、説明を受けたところで、メモを必死に取っていると、突然福神さんから向けられる好奇の目。

「あらやだ。名前ちゃんったら惚けちゃってー。さっきまでそこにいたでしょう。」
「え……。あれ?居ない……。」
「ねぇ、どうなの!」
「……どう、って。どう……?」
「沖田隊長。ああ見えて、意外と紳士なところもあるのよ。」

これは、もしかして、もしかしなくても、総悟を勧められている。さっきまで部屋の入り口に居たのに、いつの間に立ち去ったのか、居なくなっていた総悟の良いところを必死にアピールしてくる福神さん。終いには、「私はお似合いだと思うわよー。」などと、ぐいぐい推してくる。

「いやいやいや。ないないないない。無いですってば。総悟は、ああ見えて、あのままの腹黒悪魔ですからね。」
「そっ!そうご、なんて!もうそんなに仲良いのね!!」

久しぶりの恋バナに、随分と興奮してしまっている50代の中年女性には、何を言い返しても、こちらが不利になるようにしか受け取られかねない。なんとか笑顔を取り繕って、仕事に関する質問をしてみる。これには、きちんと答えてくれたが、どうにも顔がニヤニヤしていて、本当に幸せそうだ。
実際に、あたしたちが付き合っていれば良かったんですけどね。生憎、そんなことは天地がひっくり返ってもないので、すみません。


「おい、名前。」
「名前!?」
「福さん。こいつ、ちょっと借りていきやすぜ。」
「えっ、ちょっ、と。まだ仕事……」
「いいから、来なせェ。名前。」

居なくなっていた総悟が、突然戻ってきては、あたしのことを名前で呼んだ。いつも“雌ブタ”とか、良くても“お前”呼ばわりなのに、いきなりの名前呼びに心臓がとくんと跳ねた。でも、あたしには解っている。福神さんを見れば、さらに目をキラキラさせて、頬なんか恋する乙女のように桃色に染まっていた。総悟の思う壺である。
これでは、あたしたちがそういう関係だと噂されても仕方がないかもしれない。きっと、おばちゃんは別のおばちゃんに、別のおばちゃんはまた別のおばちゃんに、という具合に、噂は瞬く間に広がっていくだろう。もちろん、尾ひれが付いて。

「離せっ、このバカ!」
「バカじゃねェ。総悟だろィ。ったく、名前は恥ずかしがり屋でいけねェや。福さん、じゃあまた。」
「はいよ。沖田隊長。名前ちゃんを幸せにしてやるんだよ!」
「へーい。」











「………って何が、へーい、だよ!!!」

あたしの腕を引っ張って、ずんずん縁側を進む総悟に向かって、そう叫び、腕を振り払った。ぶん、と力任せに思いっきり振りかぶったら、案外呆気なく解放された。

「幸せにしてやる、なんて、これっぽっちも思ってないくせに!テキトーに返事して!絶対変な噂立つでしょうが!今から働くって時に!」
「…………………」
「な、なんで、黙ってんのよ。気持ち悪い。」
「テキトーじゃねェ。」
「何?またデタラメ言って……」
「名前。」

屯所のどの辺りの縁側か解らない場所で、止まって、怒鳴り散らしていたら、また名前を呼ばれた。しかも、今度は蕩けそうなほど甘い声で。
ぼうっとしていたら、総悟の顔がすぐ近くに迫っていて、変に冷静な脳みそで、“初めてコイツと会った時にも、同じようなことされたよな。”なんて、考えてしまっていた。脳みそは冷静なのに、初めて会ったあの時のように、怒って怖い顔をすればいいのに。何故か、身体は動いてくれない。
ぼうっと、じっと、総悟の顔を見つめるだけ。
これじゃあ、まるで、あたし…………。


「こういう時は目ェくれぇ閉じるもんだろィ。」

視界いっぱいに広がっていた顔が、離れていった。一気に広くなった視野に、驚いて瞬きをすれば、身体が解放されたように力が抜けてゆくのが解った。

「あーあ。興醒めでさァ。俺ァ、てっきり、初対面の時みてぇに、顔赤くして怒り出すもんだと思ってたのに。」

少し離れた位置に居る総悟は、逆に怒ったような不機嫌な顔で続ける。

「これじゃあ、まるで、ただのアバズレじゃねぇかィ。」
「あ……。あ、あば、…………」

空いた口が塞がらない。
薄々、自分でも思っていた恥ずかしいことを、まさかコイツに、はっきりと言われてしまうなんて。
しかもだ。そっちから迫ってきておいて、興醒め?なんで、アンタがそんなに不機嫌な顔してんの?いや、何かあたし可笑しい事しましたっけ?してないよね?嫌だ!もういやだ!!
ここで、働くなんて、むり!!!

気づいた時には、180度方向転換して、走り出していた。あたし、こんなに走れたんだ。まだまだいけるかも。などと、自惚れもいいところだ。必死に走ることに気を取られて、前を見ていなかったらしい。

「オイ!!!」
「えっ……」

走っていたら、人にぶつかるという、まるで奇妙な交通事故を起こしてしまったのだった。











夢を見ていた。
ふわふわした意識の中、綿あめのようなほんのり甘い香りがする。それは、とても心地良くて、これは夢なのだと解ってはいても、夢の中ですら眠ってしまいたいと思う。ぼんやりと霞むあたしの視界に、微かに暖かい光が差し込む。あたしは引き込まれるように手を伸ばす。その手を掴んでくれたのは、一体誰なんだろう。


────そこで、あたしの目が覚めた。
のそりと、身体を起こせば、微かな光は消えていて、代わりに蛍光灯の目に悪そうな光が、あたしを照らしている。
どこからが夢でどこからが現実か、よく解らないまま、ただ、最後にあたしの手を握ってくれた人は、ふわふわの銀色の髪をしていたことを、はっきりと覚えている。

「目ェ覚めたか。」

ある低い声で現実に引き戻される。
声の方に顔を向けると、部屋の襖を申し訳程度に開けて、外の廊下に声の主が胡座をかいて座っている。向こうを向いているから、顔は見えないが、間違いなく土方さんだ。煙草の匂いがほんのり香ってくる。
そこで、あたしは、夢を見る前の現実を思い出して、慌てて、寝かされていた布団から這い出る。四つん這いの状態で、部屋を少し移動して、土方さんに近づいた。土方さんは急に動き出したあたしに、驚きを隠せない表情でこちらを向いた。

「なっ、なんだよ!」
「ごめんなさい!!前方不注意のあたしが100パーセント悪かったです!!」

土下座のような恰好で、頭を下げる。深い溜息が一つ聞こえたので、目をぎゅっと瞑って怒られる覚悟を決めた時、頭の上にポンと何かが乗る。それは土方さんの掌だった。あまりにも優しいそれに驚いて顔を上げると、土方さんは手を引っ込めて腕を組んだ。

「こっちこそ、悪かったな。」
「……いいえ、土方さんは何も悪くないです!」
「いや。総悟のことだ。」
「……え?」
「アイツがお前に、その……ア……ア、アバ……」

あの鬼の副長、土方さんが、どもっている。徐々に顔を赤くして、まるで、言いづらい言葉を言うか言わまいか、考えあぐねているような。あたしはそこで、土方さんが一体何を言おうとしているのか、解ってしまった。

「アバ、……」
「だっ!!ダメです!!!土方さんの口からそんな言葉聞きたくありません!!!」

土方さんに飛びかかる勢いで、口を塞いだ。あたしの必死の形相に、多少引かれてはいるだろうが、これで最悪の事態は避けられた。

「あの、総悟に、その……酷い言葉をかけられて、それで嫌になって前も見れなくなるほど走ってた、っていうのは、事実です。ですが、土方さんにぶつかってしまったのは、あたしで、これは総悟がどうとか関係なくて、あたしが悪いことなので。すみませんでした。」
「名前………。まあ、なんだ。俺は怪我もしてねェし、逆にぶっ倒れたのはお前の方だし、何も怒ってねェから。だから顔上げろ。」

鬼の副長が優しい。
何だか、最近優しさ成分を補給できていなかったみたいだ。土方さんの言葉と優しい声音が、心に染みわたって泣きそうになる。涙を堪えて、顔を上げる。想像していた通りの土方さんの優しい顔。
そして、これは想像していなかった、土方さんの背後に立つ人影。

「ア?どうした。顎でも攣ったか?」

あわあわ、と口が塞がらない状態で、声も出てくれなくて、それでも、土方さんに必死に念を送ってみる。
悪魔が……!悪魔が……貴方の後ろに、いるんですよ!!

「ケッ。つまんねーなァ。これじゃあ、土方に卑猥な発言させて、微妙な空気になって気まずくなって、名前に嫌われろ作戦が失敗でさァ。」
「そっ、総悟!!テメェ、背後に気配消して立つんじゃねェ!!」
「気配なんか消してねぇですぜ。土方さんがそのアバズレに見惚れてて、気づかなかっただけじゃねーですかィ。」
「誰がアバズレじゃい!!」
「オイ名前!総悟のペースに巻き込まれんじゃねェ!」
「やっと本性現してきやがったねィ。この猫かぶりが。」

総悟の乱入によって、一気にはちゃめちゃな空気になってしまった。こんなはずじゃなかったのに。土方さんにちゃんと謝って許してもらって、女中のお仕事もお断りして、早く退散しようと思ってたのに。
意地悪な笑みを携えた総悟の肩を掴み、ゆさゆさと揺すった。
「猫かぶりなんかでもない!」
されるがままに人形のように首が据わらない総悟。どうも抵抗する気はないらしい。

「もうっ、女中なんかっ、やめてっ、やるっ!」

慌てて、それを止めに入るのは土方さん。抵抗しない総悟と、あたしの狂気ぶりに、心配を隠しきれない顔をしている。だが、急に真面目な顔して「女中になるのは、考え直してくれねェか。」と言う。

「正直、女中が一気に何人も辞めるもんで、困ってんだ。」

「それは、きっとコイツが原因のような気がします」とは、言い返せず、総悟から手を離し、本当に困ったように項垂れる土方さんを見る。鬼がしゅんとしている姿は、何故か見過ごせない。もし、これが悪魔だったら、何か絶対裏があるに違いない、と思って信用ならないが。

「俺も、名前には女中の仕事が合ってんじゃねーかって思って、呼んだんでィ。じゃなけりゃあ、わざわざ迎えに行ったりしねェでさァ。」

信用ならない悪魔が横から会話に入り込んでくる。目だけで総悟の方を見ると、飄々としたいつもの表情をしていて、本当なのか嘘なのかよく解らなかった。また土方さんの方に視線を向けると、やはり困ったような顔で、「給料はチラシに書いてあるプラス5万でいい。頼む。」と言われてしまい、さすがに心が揺らいだ。

「…………仕方がないですね。プラス5万で引き受けさせていただきます。」
「ほ、本当か!!ありがてェ!」

パーの形の右手を挙げて、女中の仕事をする覚悟をしたことを告げると、飛びつく勢いで喜ばれた。こんなに喜ばれると、正直嫌な気持ちが吹っ飛ぶ。お仕事内容も悪くないし、女中のおば様方とも上手くやっていく自信がある。それに、思っていたお給料の5万円も多くいただけるのなら、良いこと尽くしじゃないの。

「そうと決まれば、早速仕事でさァ。来い、女中。」
「うぇっ、あ、わっ……」

急に着物の襟首が掴まれて、喉が苦しい。土方さんに助けを求めようにも、あまりにも早い総悟の行動に、成すすべ無し状態で、廊下に引きずり出され、ずんずん廊下を進んてゆく。ずっと引っ張られたままで、あたしの足は意味が解らないほど絡まって、危うく転ぶ、というところで、ようやく総悟が立ち止まった。

「ちょっと、なんなのよもう!引っ張んないでよ。着崩れるでしょうが。」
「こんくらいで着崩れるようじゃダメでさァ。もっと精進しなせェ。」
「うるさいわ!……で?どこに連れてく気?」
「俺の部屋。」

良いこと尽くしの女中のお仕事の中で、唯一、総悟の存在だけが、大きなマイナスポイントだということを、あたしは改めて痛感したのだった。


「……………………やっぱり、辞めようかな」






2019.03.07


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