06
悪ガキを止められるのは
鬼だけ



目を覚ますと汗をかいていた。じんわりと身体に籠る熱が鬱陶しい。あたしは、被っていた薄い布団を蹴り飛ばし身体を起こす。湿度が高いと、乾燥には悩まされないけれど、逆に肌がべとべとするのがどうしようもなく嫌だ。そして、今日一日が始まるのも、とてつもなく嫌だ。

「なんでィ、起きてやがったのかィ。」

掛けられた声にびっくりして扉の方を見れば、湿気とは無縁のような爽やかな顔をした、サディスティック星の王子様が佇んでいた。

「なんでィ、じゃないの。寝起きの女子の部屋勝手に覗くヤツがあるか。出てけ。」
「酷いねィ。昨日相当疲れてるみてェだったから、二日目から寝坊させちゃいけねェと思って、わざわざ、この俺が、起こしに来てやってんのに。」
「いや、こっちはアンタのせいで疲れてんのよ。」
「けっ。生意気でさァ。」
「うるさい。」

だいたい今何時だと思ってるのか。
部屋に備え付けの小さいアナログの置き時計を確認すると、なんと、4時。朝の4時。5時に起きて、6時から朝ごはんの用意をしようと思っていたのに。真選組の朝ってこんなにも早いものなのだろうか。

「あーダメだ。まだ眠い。あと一時間寝る。」

そう言って、再び布団に潜り込んだはいいものの、じわりじわりと汗をかく。それに、総悟が一向に動こうとしない。ずっと立ってそこで見てる気?余計に汗をかく。嫌だ。気分悪い。

「っだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!わかりましたっ、起きますよ起きればいいんでしょ。どうせ、この気温と湿度もあたしをこの時間から寝かせてなんてくれないんだからっ。」
「……お前、キャラ変わってね?」



そのあと、総悟は朝稽古へ。
なんだ、アイツも真面目なところあるんだ、と少し感心した。
しかし、あたしを起こす必要がどこにあったのだろう。まったく。嫌がらせとしか思えない。あー嫌だ。嫌になる。
と、言いながら根は真面目なあたし。そこは二度寝することなく、真面目にこっそりと朝ごはんを準備していた。
と言っても、福神さんの教えの通り、昨日のうちに仕込みは済ませてあったので、30分もかからないうちに終わってしまった。
相方さんは通いの女中さんなので、まだ来るにはもう少しかかるだろう。後は、配膳の準備のみを残して、あたしは部屋に戻ろうとした。
しかし、自然と足は部屋を通り過ぎる。

気づいたら、男たちが剣を振るう汗臭い場所、稽古場の入り口の扉の前に居た。
竹刀がぶつかり合う音、足が道場の床と擦り合う音、土方さんの気合いの入る怒号。
凄まじい。
懐かしさと同時に、そんなことを思った。
いや、考えてみれば当たり前だ。毎日、生きるか死ぬかの狭間で、自身の剣と同志たちに命を預けて闘っているのだ。そんな人たちが生温い鍛錬をしているはずがない。そう解ってはいるのだけど、総悟のふざけた顔とか、土方さんの時折優しい顔とか、ゴリラ局長のストーカーっぷりを耳にして知っているから、何だか不思議な感覚だ。

「オイ。突っ立ってんなら、手伝え。」
ふわふわした感覚から、急に現実に引き戻される。総悟だ。

「ちょっ!あぶなっ……」
「俺と一戦ヤろうぜ。」

いつの間にか目の前に居た総悟が、竹刀を投げつけてくる。慌てて受け止めて、一息吐いたのも束の間、総悟のその眼を見て、びくり、と肩が震えた。あたしの頭の中では色々なことが渦巻いていた。いきなり何を言い出すんだ、とか、着物だと不利だ、とか、そもそも着物の女中が道場に立ち入っていいのか、とも思った。でも、何故か、自然と道場の中に入って、竹刀を構えてしまっている自分がいることに気づいた。

あたしはそこまで馬鹿じゃない。煽られたからといって、喧嘩に乗るわけないし、圧倒的不利だと解っている相手との遊びに付き合うわけない。じゃあ、どうしてこんなことをしているのか。そう聞かれたら、それは恐らく、本能だ。
こいつには逆らえない。いや、逆らっちゃいけない。頭の中の警鐘が、それはもう煩すぎるくらいに鳴り響いている。

殺らなきゃ殺られる。

いつもの総悟でないことは、もう見るからに明らかだった。喉の奥が変な音を立てる。脚に力を入れるとギシッと鳴った床。その音を合図に、総悟が飛びかかってくる。

駄目だ、声が出ない。竹刀を受け止めるだけで精一杯で、押し返すことも、横に流すことすらできそうにない。少しでも気を抜けば、そのまま押し倒されてしまう。

「へっ。やっぱり思った通りでィ。まだまだ身体は動くみてぇだな」

総悟がお姉さんの命日で落ち込んでいる時に、あたしの昔の話をちらっとした記憶が、今更になって蘇る。剣道場の娘だった、ってことを覚えてて、尚且つ、まだ剣を振るえる身体だってことを、予想してたってこと?身体が咄嗟に動いたからいいものの、もしも全く動きませんでした、だとしたら、どうしたんだろう。きっと総悟のことだから、たとえ流血したとしても、動けないあたしが悪いとでも言うんだろうな。

「あり?怖くて声も出せねぇか。」

考えていたら、どうやら声を出すのを忘れていたらしい。
そして、総悟が続ける。
「そんなんじゃ、お父様に叱られやすぜ。」と。

ニヤリと薄ら笑みを浮かべる総悟。
何故か“お父様”というワードに反応してしまって、情けない。
お父様がもし、生きていれば、あたしに叱咤するだろうか。「そんなことじゃあ、男に負けるぞ。いざという時に負けてちゃあ、日々の鍛錬の意味が無い。」お父様は、よくあたしにそんな言葉をかけていたっけ。
でも、もう……。

「……っもう、お父様は居ないの。それにっ、鍛錬だってしてないし…」
「そんなことじゃあ、お父様が悲しむんじゃねぇですかィ?」
「悲しむ……?」
「いや。もう、無理か。悲しむこともできねぇんだったな。」
あたしが驚いていると、身辺調査はもう済んでるんだ、と、総悟が加える。

そうか。お父様が亡くなっていることも、お見通しなんだ。それにきっと、誰にどんな状況で殺されたかも。あたしがその時、どうしていたのかも。ここまで来て、あたしの中の何かが切れたような感覚がした。身辺調査したからって何?あたしがあの時、どんな悔しさで、どんな顔で、剣を握っていたか、アンタに解るの?解るはずないよね。解るはずないアンタに、何であたしがこんなに責められなきゃいけないわけ?理不尽も甚だしい。

「……っるさい」

「あ?」
「う、るさいって……言ってんのよ!!!」

あたしの竹刀が風を斬った。くるりと180度回転し、総悟の背後に回る。総悟が驚いて動けずにいる隙に飛び上がって竹刀を振り下ろした。総悟は素早くそれを避けるけれど、あたしは止まらない。いや、止められないと言う方が正しいかもしれない。あたしか総悟か、どちらかがこの道場の床に倒れるまで、きっとあたしたちは止められない。
突き刺し、滑らせて、踊るように。身体が勝手に動き始める。そのどの攻撃をも総悟は軽やかに避けてはいるけれど、避ける動きが見えていることに、あたしは自分でも驚いていた。必然的に総悟の攻撃も避けれるようになっていた。総悟はまたニヤリと笑みを浮かべる。

「そんなに楽しい?」
負けじと口角を上げて尋ねれば、総悟は笑みをそのままに動きを止め、再び狙いを定めてくる。

「……久しぶりにうずうずしてらァ。」

来る……と思った、その瞬間、あたしと総悟の間に黒い影が現れる。


「オイ、テメェらそのへんにしとけ。」


鬼が鋭い眼差しをあたしたちに向けていた。






2021.09.01

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