個性が戻ったことがきっかけで見つかった父方の親戚を訪ねて3日目のことだった。
酷い暑さに外に出る気など起きず、冷房の効いた座敷で談笑していた時だった。
座敷のテレビからもたらされる情報に、なまえは言葉を失った。
流れてくる文字と音の意味を処理するので精一杯だった。
冷房の効いた屋内にいて、だらだらと汗が流れ出てくる。
明らかに動揺しだしたなまえに周囲が声を掛けていることにさえ気付かなかった。
CMに切り替わると、今度は心臓の音が耳元で鳴り始めた。
意識不明、重軽傷、行方不明。
不吉なワードに緑谷と、そして爆豪の顔が過る。
肩を叩く感触にやっと我に返ったなまえは、「…友達が、あの、クラスにいるんです」と言うのがやっとだった。
座敷を離れ、まずは爆豪に電話を掛けた。
しかし電源が切られているのか電波が届かないのか、繋がらない旨を伝える自動音声が返事をするだけだった。もう一度掛け直すも同じだったため、なまえは電話を諦めメッセージを入れた。
震える指先で『ニュース見ました。心配なので、メッセージで良いから返事ください』と送り、しばらく画面を眺めた。既読がつかないか期待したが、その動きもなかった。
次いで緑谷に電話を掛けるも、同様に繋がらなかった。こちらはひたすら呼び出し音が鳴り続けるだけだった。緑谷にもメッセージを送ったなまえは浅く息を吐いた。
──お願い、返事して。無事でいて。
胸の騒つきと心臓の音は収まらず、なまえはスマートフォンごと胸を抱えるようにして瞼を閉じた。
落ち着くことができないまま、予定の新幹線に乗るべく帰り支度をしていた時だった。
キャスターの近くに置いていたスマートフォンが振動し、なまえはすぐさま手に取り立ち上がった。
緑谷の名前が表示されていた。
「っもしもし!?」
『なまえちゃん』
「出久くん…!えと、無事?今どこ?怪我、あの、ニュース、観て…っ」
言い募るなまえに、『と、とりあえず落ち着いて!』と焦る声がスピーカーの向こうから聞こえてくる。
「ご、ごめん。すごい、心配で…」
『…ううん。ありがとう』
緑谷の言葉に深呼吸をしたなまえは、「出久くんは、怪我、したの?」と尋ねる。
『隠してもあれだから…、割と大怪我しちゃって。でも入院して治してもらったから、あとは日にち薬だよ』
「…治るんだよね?」
『うん。リハビリしたらちゃんと治るよ』
「っよ、かった…!」
しっかり受け答えする声に無事を実感し、なまえは思わず柱に額を預けた。
安堵からうっすら涙が浮かぶのを左手で拭う。
「おばさんは?連絡できてる?」
『うん。お見舞いにも来てくれてたみたい。…寝てて、気付かなかったけど』
乾いた笑いを零す緑谷の声に、優しくて温和な笑顔が浮かんだ。
友人の自分でも血の気が引く思いをしたのだ。彼の母親の胸中を思うと胸が締め付けられた。
「クラスの人も、大変だったみたいだね…」
『あ…、うん。でも、命に別状はないみたい、で…』
心なしか歯切れの悪い緑谷の言葉に、なまえの心臓が揺れた。
『まだ目を覚まさない子とか、入院してる子がいるけど、でも、大丈夫だっ、て…』
「そっか…」
『すぐ、他のヒーローとか救急隊が駆け付けてくれたから。…なんとか、なったみたい』
肝心の名前が出てこない。まるで避けるような会話に動悸が速まる。
「…っあの『なまえちゃん』
痺れを切らしたなまえが問い掛けたと同時、緑谷の少し大きい声が右耳に届いた。
「な、に?」
『言うなって、言われたから、ここだけの話に、して欲しい』
「…うん」
強張り震える緑谷の声に、なまえも喉が引き攣る。眉根とスマートフォンを持つ右手に自然と力が入った。
『行方不明者…は、かっちゃん、なんだ』
────勝己くん、が、行方不明…。
『っごめん!僕、近くにいたのに、わかってたのに、助けられなかった…!』
緑谷の言葉に耳を傾けるしかできない。
『かっちゃんが、ヴィランに攫われたんだ』
眉、瞼、唇、全てに力を込めていないと平衡感覚を失う気がした。
『ほんとに、ごめん…!』
苦しそうで悔しそうで、今にも叫び出しそうな声に胸が引き裂かれるようだった。
恐らく数秒だったが、永遠にも感じられた沈黙の後、なまえが言葉を発した。
「ありがとう」
『なまえちゃん』
「勝己くん、連絡取れなかったから。教えてもらえなかったらわからないまま、もっと不安だった」
『そんな…』
「出久くんが無事で良かった。助けられなかったなんて、思わないで」
『違うよ、それは…!』
慰めようとしているのではない。これは本心だ。
「そんなことがあって、出久くんが何もしないわけないよ。危ないのに、きっと助けようとしたんだなって、今のですごくわかった」
『…ッ』
「早く治してね。今はそれが一番大事だよ」
『…あ、りがとう』
「あと、ごめんは違うよ」
『え?』
「出久くんに謝られるようなこと、わたしされてないもん」
ヴィラン相手に警察やヒーロー以外の人間が出来ることなどないし、ヒーローを目指しているとはいえ、緑谷はまだ一般人だ。彼の責任ではないことに苛まれて欲しくはなかった。
右耳のスピーカーから、息を吐く気配がした。
『何かあったら連絡するよ』
「ありがとう。でも、出久くんが怒られるのも本意じゃないから。待つから大丈夫だよ」
『なまえちゃん…』
「警察とヒーローが動いてるんだろうし。…出久くん、思い詰めないでね」
真面目で真っ直ぐな彼の顔が悔しさで歪む様が浮かび、思わず声を掛けた。
「本当に。悪いのはヴィランだからね…」
『うん、ありがとう』
緑谷の声が晴れることは最後までなかったが、これ以上なまえに出来ることもなかった。
電話の礼を言い、なまえは通話を終えた。
電話を切った後、なまえはドサリ、と膝をついた。
先ほどまで耐えていたものが一気に胃の底から這い上がってくる感覚に、強烈な吐き気を覚える。
汗が吹き出す。握り締めていた左手は震え、拳を解くことができない。
緑谷の言葉が頭の中でリフレインした。
──ヴィラン、攫われた、ごめん、行方不明者はかっちゃん…
なまえの呼吸は次第に荒くなっていく。
ヒュー、ヒュー、と上辺の呼吸しか出来ず、視界が歪む。涙が止めどなく溢れ出る。
廊下の向こうから「なまえちゃん!?」と駆けてくる音が聞こえるが、狭くなっていく視界に床を見つめることしかできない。息苦しい。
──勝己くん。
頭の中で名前を呼んだ時、何故かあの日の映像が頭に浮かんだ。
警察官に付き添われて入った暗い、冷たい、無機質な部屋。そこに並ぶ2体の身体。捲られた白い布の下で眠る顔。
────なんで。違う、違う、違う。
激しく頭を振るも、その映像がただただ繰り返される脳内に嘔吐いてしまう。映像は鮮明さを増していく一方だった。
「っぅえ゛、ぁ…」
なまえの背中をさすりながらどこかに向かって声を荒げる伯母と、「俺の目見て、ゆーっくり息吐いて」と言う伯父に、ただただ縋るしかできなかった。
祈るしか