(※主人公の友達や趣味の話が出てきます)






部屋の鍵を閉め階段を降り、玄関ホールに出る。ドアを押し開くとまだ夏を孕んだ熱気が身体を包んだ。




夏休みが明け、2学期が始まった。
それに合わせてなまえは施設を出、一人暮らしを始めた。

施設は殉職したヒーローの子どもや災害や事故、事件で身寄りをなくした子どもが生活している。保護者が見つかったなまえが出るのは当然の成り行きだった。
施設を出た日、「いつでも遊びに来てね」と笑顔で見送る面々になまえも笑顔を返した。


親戚には一緒に暮らすことを提案された。本当はそうすべきだろうし、皆親切で優しい人柄になまえは安心していた。
しかしなまえは今後もこちらで生活したいと伝えた。
理由は色々あった。親戚とはいえまだ会ったばかりで遠慮はあるし、その他の人間関係や土地勘をゼロベースから始めることに気乗りがしなかった。正直、施設やバイト先、友人などの関係が出来上がっているこちらの方が安心して生活できると思った。親戚の存在はなまえにさらなる安心感を与えてくれるが、精神的な支柱の大部分はこちらで築かれたものだった。

会えて早々我儘を言っている自覚はしつつ頭を下げたなまえに、祖父は少し寂しそうな顔をした。それでもなまえの胸中を汲んでくれ、親元を離れ一人暮らしをする学生用のマンションを借りてくれた。
「盆と正月以外も帰ってこい」と言う言葉に頷くなまえの横で、従兄弟達が遊びに行けると楽しそうに騒いでいた。


奇しくも爆豪の寮生活と同じタイミングで始まったなまえの一人暮らしに、毎夜電話をするようになっていた。
初めの頃、勉強に加え訓練や演習がある爆豪は毎日疲れているだろうと思ったなまえは「毎日じゃなくていいよ」と気遣ったが、夏休みに聞いたあの不機嫌な声色で悪態を吐かれた。なのでそこは爆豪に「甘えさせて」もらっていた。
そのうえ、仮免許試験の翌日にかかってきた電話で「土日も会えなくなった」と伝えられて以降は、特に毎夜のやりとりが楽しみになっていた。


────なんだったのかな。

陽射しから逃げるように街路樹の日影を選んで歩くなまえは、その時の会話を思い出していた。
スピーカーから聞こえる爆豪の声は、夏休みに会った時のあの仄暗い雰囲気を纏っていた。その声色になまえは心配になったが、聞いたところで打ち明けることはないだろうと思い、そのまま黙って爆豪のタイミングを待っていた。

『デクから何か、聞いてるか』

その言葉と声のトーンになまえは目を丸くした。
特に何も聞いていないし一切心当たりがないなまえは「ううん。何かあったの?」と返したが、『ならいい。忘れろ』と遮断されてしまった。

爆豪の口から緑谷の名前が出ることは数えるほどしかなかったし、それも全て罵詈雑言交じりだった。なので爆豪の口から静かな声で緑谷の名前が出てきたことに吃驚した。


なまえにとって緑谷は友人で、そして爆豪は好きな人だ。
どちらも大切だからこそ、たまに2人との距離感に悩むことがある。2人と同時に会うことはないけれど、会話の流れで名前が出た時のそれぞれの微妙な反応になまえはいつも困っていた。
2人の関係に口出しはできないしするつもりもないが、避けて話そうにも不自然になる時はある。

2人の関係が修復されればいいのに、と願わずにはいられなかった。




「バンド?」
「そ!お願い!みょうじさんギターできるよな!?」

両手を合わせこちらを見るクラスメイトに、なまえは視線を泳がせた。

2学期が始まって早々に文化祭の話題が持ち上がった。
昨日のHRでクラスの出し物が決まり、各役割ごとに当日までのスケジュールを確認したところだった。気合いの入った内容に、2ヶ月あってもむしろ足らないのでは…となまえは不安を覚えた。

「軽音部さ、兼部とかユーレー部員多くって。どっちかってーと音楽好きの溜まり場な感じなんだよ」
「そうなんだ」
「もちろんゴリゴリにやってる人もいるんだけど。…俺と先輩達で組むバンド、どーしてもあと1人ギターが足んなくて。楽器できる人はみんな他で組んじゃってるし」

彼は軽音部だった。音楽が好きとあって割と話す彼のお願いに、なまえは即答できないでいた。
勉強もきちんとしたいしアルバイトもある。そこに文化祭の準備も入ってくるのに、バンドの練習に手が回るとは思えなかった。それでも困った様子のクラスメイトに断るのも気が引けてしまう。

「いーじゃん!なまえちゃん!学祭でバンドするとかカッコイイ!」
「ユキ、勝手に口出ししないの」
「先輩達めちゃくちゃ上手いし優しいし、メンバーのことは心配しないで!」
「でも遊びで触ってるだけだから、上手い人には物足らないと思うよ…?」
「えー?なまえちゃん、すっごく上手だったよ?」
「ユキ」

ぶすっとするユキの肩を軽く叩きながら「彼氏さん的にはいいの?」とハルが疑問を投げてきた。

「え、なんで?」
「楽器したことないからわかんないけど。練習するってなったら平日だけじゃないでしょ?今でも全然会えてなさそうなのに、土日がバイトとバンドで潰れたら会う時間取れないんじゃないかなって」
「あー、そういう意味では、土日もしばらく会えないんだよね」
「え、うそ」
「…つか、みょうじさん彼氏いんの?」
「知らない?チョー有名人だよ、なまえちゃんの彼氏!」

なまえは慌てて口許に人差し指を立てる。
はっとしたように謝るユキに笑顔を向けたなまえはクラスメイトに向き直った。

「…曲、と数によるかも」
「お、マジ!?なら放課後空いてる?今日部室で集まる予定なんだ」
「大丈夫だけど…、あの、お断りするかもだよ?」
「わかってるって。先輩達もゆるいからさ、断ってもらってもオッケーくらいのもんだよ」

「じゃあ放課後!」と友人の元へ戻ったクラスメイトから2人に視線を戻した。

「土日も会えないってほんと?」
「うん。ヒーロー仮免許取るのに、プラスで講習が入ったみたい」
「いつまでなの?」
「3ヶ月、って言ってた。学祭終わってもあると思う」
「うわぁ…ヒーローなるって大変だぁ…」
「ね。わたしもそう思う」

眉を下げて笑うなまえに、ハルの気遣わしげな視線が寄越された。

「大丈夫?」
「…仕方ないよ。それにずっとってわけじゃないし」

そう言って笑うしかできなかった。




その晩、自室で勉強していたなまえのスマートフォンが揺れた。
1人になれたタイミングで電話するという爆豪に、なまえから電話を掛けたことはない。

「もしもし」
『…遅くなった』
「ううん。勉強してたし平気」

その声に自然と口許が緩む。

『クソ共に捕まっとった』
「ふふ、ほんと仲良しだよね」
『ンなわけねェわ』
「賑やかなのは良いことだよ」

一人暮らしになってから他人の声があることの有り難みを感じていた。一人暮らしといっても朝と夜のたった数時間の話だが、部屋に自分1人という初めての経験は意外と気になるものだった。

「あんまり気にしないでいいからね」
『は?』
「友達と盛り上がることもあるだろうし、その時は電話なくてもいいよ」
『…』

怒ったように何かを言われることは予想されたが、本音なのだから仕方ない。毎日忙しいだろう爆豪には、ゆっくりできる時くらいは何も考えずに過ごして欲しかった。

『お前なあ…』
「ほんとにそう思ってるよ」

スピーカー越しに聞こえる溜息に、誤解を与えないよう言葉を選ぶ。

「たまには気にしないでって話」
『…聞かなかったことにする』
「勝己くん」

爆豪の不機嫌な様子に困りつつも、なまえは「ありがとう」と言葉を返した。

『つまんねぇこと考えてんじゃねぇよ』
「つまんなくないし本気で思ってるんだけど」
『んで実際電話しなかったらメソメソ気にすんだろが』
「しないよ」
『つべこべ言うな。これ以上言ったらぶっ飛ばす』
「ええ…」

不満気に答えつつも、なまえは嬉しさに頬を緩ませていた。




その後しばらく話している時だった。

「あのさ」
『なんだ』
「講習って、土日全部あるんだよね?」
『…だいたいな』
「…だよね」

少し暗くなった声に、余計な罪悪感を抱かせてしまったと後悔した。言うつもりはなかったのに、実際に声を聞くとどうしても欲が抑えきれなかった。

『なんかあんのか』
「あ…、会える日あるかなって思っただけだよ」
『違うだろ』
「いやいや、ほんとなんでもない」
『言わねェと殺す』

変な間を持たせてしまったばかりに爆豪に気付かれてしまった。
やっちゃったなあ、と思いながらなまえは文化祭でバンド演奏をすることになったことを伝えた。

「軽音部にヘルプ頼まれて。見に来てもらえたらな、ってちょっと思っただけだよ。ほんと気にしないで」
『…』
「余計なこと言ってごめんね」

そう言って笑うと、スピーカーから舌打ちが聞こえた。普段よりダイレクトに届いたそれに思わず肩を竦めた。

『余計じゃねぇわ。なんかあったら言えっつったろが』
「うん…」
『全部言え。遠慮すんな、隠すな。わかったか』
「わ、わかった」

低い声で捲し立てられ、沈黙が降りた。
話題を変えようと口を開くも、久しぶりに聞いた冷たい声に少し緊張してしまう。言葉が浮かんでこない。


『…なまえ』

先ほどとは違う、今度は静かな声だった。

「な、なに?」
『今度………練習、付き合ってやる』
「…ほんと?」
『時間、できたら連絡する』

少し詰まるような言葉に、なまえは眉を下げた。不器用な優しさに好きだな、と思う。

「ありがと。それまでにちゃんと練習しとく」
『ヘルプとか関係ねぇぞ。やるからにはちゃんとやれや』
「はーい」
『んだその返事』
「ふふ」
『は?なに笑っとんだ』
「なんでも」

緩むのを我慢出来ず爆豪に訝しがられたが、言ったら今度は本当に怒ってしまいそうだと胸の内に仕舞っておいた。

「勝己くん」
『あ?』
「さっき、電話どうこう言ったやつ。…やっぱ、しばらくは忘れて」
『…ハァ?』
「本心だけど。無理じゃないうちは毎日がいいなあ、って、今思った」
『ハッ、だから言っとんだろが。お前、意外とメンドクセーとこあんな』
「意外ってことは普段は違うんだ。よかった」
『ばーか。ポジティブに受け取ってんじゃねーよ』



お互い擽るように言い合う空気に、なまえの身体は火照りで満たされていった。




その後しばらく続いた会話を終えた頃には、スマートフォンが少し熱くなっていた。
視線を落とした先のノートに勉強が途中だったことを思い出したが、なまえは椅子から立ち上がり、洗面台に向かった。






残った感触を、このまま抱き締めて眠りたい





良夜




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