「どこ行くんだ」

背中から聞こえた声に爆豪は静止し、軽く舌打ちした。




ヒーロー仮免許取得のための講習はいつも教師の引率があったが、今日は都合がつく教師がいないと言い渡され、轟と2人だけで会場へ向かった。
その道すがら、爆豪はなまえに手短にメッセージを打っていた。
講習終わりにスマートフォンを確認すると、数時間前になまえから返事がきていた。『わかった。そっち向かうね』とのメッセージに講習が終わった旨を返信した爆豪は轟には声をかけず、そのまま立ち去ろうとしていたのだった。


「…先に帰ってろ」
「?」
「野暮用がある」

それだけ言い残し再び歩き出すも轟が追いかけてきた。

「駄目だ。またヴィランに狙われないとも限んねぇ。1人行動はやめとけ」
「すぐ終わる」
「先生に真っ直ぐ帰れって言われただろ」
「小学生かよ。寄り道くらいさせろや」
「自覚しろよ。なんのために毎回先生達が引率してくれてると思ってんだ」
「しつけぇ!マジですぐだっつってんだよ!!」

思いの外食い下がる轟に苛立ちが募る。

「何だよ、用事って」
「ハァ?言うかクソが」
「じゃあ駄目だ」
「アァ!?」
「何かあってからじゃ遅いだろ」
「ケッ!保護者かよ!!」
「あらら、爆豪ご乱心?」

轟をどう撒こうかと考える前に現見が現れた。面倒な展開に爆豪はさらに舌打ちを落とす。
話し始めた2人に、この際強引に走り去ってやろうかと思っていた矢先、轟の肩越しに懐かしい姿を捉えた。周囲を見回しながらこちらに近づいてくる。

やばい、と思った。
瞬間、なまえも爆豪に気付いた。
しかしこちらの様子に何かを察したように足を止めたなまえは、くるりと踵を返した。そのまま見えない所まで去ってくれるのを祈っていたが、そこへまたも面倒な展開を起こしそうな人物が現れた。

「チワッス!」
「うっわあ!?こ、こんにちは!?」

大声で挨拶をする夜嵐に、なまえが素っ頓狂な声を上げた。その声に轟と現見が振り返ってしまう。爆豪は肩と頭をガックリ落とし、盛大な溜息を吐いた。

「なになにー?夜嵐ナンパ?」
「ケミィさん!違うっス!通りすがりの女子にご挨拶しただけっス!」
「それを世間じゃナンパって言うよねぇ」
「マジすか!ゴメンナサイ!違うっス!!」

地面に激突させんばかりの勢いで頭を下げる夜嵐に、なまえの背中が大きく揺れた。

「ちょっとー、マジ女子ビビってるー。ごめんね?」
「あ、あの、…」

寄って行った現見と夜嵐に交互に顔を向けながら言葉に詰まったような様子のなまえに、爆豪は眉を顰める。
と、その顔がこちらを振り向いた。その表情は突然の出来事に怯えきった様子で、目線が「助けてくれ」と訴えていた。ここまできて流石に他人の振りをすることはできなかった。
爆豪は3人に近付きながら「離れろや」と声をかけた。

「え、なに?爆豪知り合い?」
「テメェにゃ関係ねェ」
「彼女だろ?」
「は!?」

突然の言葉に振り向くと「違うのか?」と首を傾げる轟がいた。その表情に怒りという怒りが一気に噴出した。

「開明の制服着てるからそうだと思ったんだが」
「えー、なら最初っからそう言ってよー。超水臭〜〜」
「舐めプの半分野郎テメェ口軽すぎんだろマジで殺したろかァア…!!」

轟の胸倉を掴む爆豪の横で「現見ケミィでぇす。よろぴ〜」と、こちらのやりとりは一切無視した現見がなまえに声をかけた。

「は、じめまして…。みょうじなまえです」
「名乗らんでいい」
「轟焦凍。爆豪のクラスメイトだ。よろしく」
「オイコラよろしくすんじゃねぇ」
「士傑高校1年、夜嵐イナサっス!よろしくです彼女サン!」
「わっ!…よ、よろしくお願いします…」
「ウチ、なまえちゃんに俄然興味アリアリ」
「へ?え?」

「連絡先教えて〜」と手を差し出す現見に、言われるがままスマートフォンを取り出したなまえの左手首を掴んだ。

「教えんでいいわ」
「そ、うなの?」
「ウッワ、もしかして束縛タイプ?マジドン引きー」
「ハァア!?ちっげーわ!!」
「じゃあいいだろ。QRコードでいいか?」
「舐めプがどさくさに紛れてんじゃねェ」
「あ、じゃあ俺も!」
「このハゲ野郎!」
「勝己くん落ち着いて…」

なまえを囲む面々に吼えるも、誰も止まるどころか気にする素振りが一切ない。爆豪的に最悪の展開にもなす術なく、肩を震わせるしかできなかった。

諦め半分でなおも3人に吼え続けていると、ふいに轟がこちらを向いた。

「用事って、彼女か」
「……」

その言葉に無言を貫いていると、轟がフッと笑った。

「ワリィ。ほんとに野暮だったな」
「だからそう言ってんだろが。つか笑うなキメェ」
「先に帰る。し、先生には黙っとく。安心しろ」
「おうとっとと帰りやがれ」
「言っとくが、貸しだからな」
「ハァ!?」

威嚇するも、表情を変えずじっと見つめてくるオッドアイに負けた。
「…わぁったよ」と舌打ち交じりに答えると、無言で頷いた轟が2人に声をかけその場を去っていった。




3人が見えなくなるとなまえが爆豪を振り仰ぎ、そして微笑んできた。

「…ンだよ」
「ううん。勝己くん、友達とはあんな感じなんだなって」
「ハァ?」
「いつもと違って新鮮だった」
「ダチじゃねぇしあんな感じでもねぇ」
「ふふ」
「っ忘れろ…!」

微笑みながら「うん、わかった。忘れるね」と返すなまえの視線に耐え切れなくなった爆豪は視線を外し、歩き出した。

こういう場面をなまえに見られたくなかったから学校の近くに来させなかったのに、今日でついに瓦解してしまった。轟だけならなんとかなると思っていた数時間前の自分に舌打ちを落とした。




建物裏で立ち止まった爆豪はなまえを振り返った。

「なんで制服なんだよ」
「学祭の準備で朝から学校行ってたの」

そう言うなまえの制服姿を最後に見たのは夏休み前だったことに気付き、時間の経過に少し驚いた。
最後に会ったのですら夏休み、丸1ヶ月は前だった。

少し伸びたように思うなまえの髪に触れると、びくり、と微かに身体が震えた。
そのまま撫でながら見つめていると、記憶の中の彼女より幾分短い前髪が視界に入った。今度はそちらに指をかける。短い前髪はすぐ指をすり抜け、なまえの額に落ちた。

「変かな…?自分で切ってみたんだけど」

手で押さえながらこちらを見上げるなまえの双眸は揺らいでいて、頬は赤かった。
その様子に堪らず腕を掴み引き寄せた。ごく緩い力でもすんなりと収まったなまえに腕を回し、抱え込むように抱き締めた。なまえの腕もおずおずと背中に回った。

「…お疲れさま」
「おう」
「ありがとう。時間作ってくれて」

懐かしい感触と温かさに思わず頭頂部に鼻を寄せ、息を吸い込んだ。柔らかい匂いが鼻腔を擽った。


一発で試験に合格出来なかった自分に腹が立った。
3ヶ月という期間に眉を顰めた。
土日もしばらく会えないことを伝えた時の「頑張って」に苛立った。
「毎日電話しなくてもいい」と気遣う声に焦燥が募った。

会えなくなってしまったのは全て自分サイドの都合だ。だから何も言うつもりはなかった。
そう決めたはずなのに1ヶ月も経てば限界だった。話すだけじゃ物足りなくて、触れたくて仕方がなかった。でも甘えを一切口にしないなまえにそう思っているのは自分だけなのかと思い、そしてそんなことを考える自分に嫌気が差した。

でもこちらを見上げてきた瞳にそんな思いは一瞬で消し飛んだ。

「んな顔すんな」
「え?」

我慢の限界だった。
爆豪はそのままなまえの耳に唇を寄せ、耳朶を軽く食んだ。瞬間、なまえから声が上がり腕に力が入った。

「な、なに!?」
「だぁってろ」
「いや、なんで耳…ふっ」

やわやわと愛撫しながら少し舌でつつく。なまえは明らかに戸惑っていたがそんなことを気にする余裕はなかった。
ぎゅうぅ、と背中を掴むなまえの掌の感触がわかる。
耳の後ろを舐めた後、唇を滑らせた。他より少し体温の高い首筋からどくん、と脈が伝わる。

「や、だ。かつ、き、く…」

なまえは顔を逸らして逃げようとするが、かえって露わになった首筋になおも唇を這わせ舌で撫でた。

「やだ」

静かだがはっきりとした拒絶に爆豪は愛撫を止め、顔を上げた。
首を右手で隠し、顔を真っ赤にした瞳が爆豪を睨んでいた。その表情に嗜虐心が擽られた爆豪はニヤリ、と笑った。

「ヤダって顔してねぇぞ」
「そんなことない!」
「ア?」
「恥ずかしいから、もうやめて」


「……キス、が、いい…」



「…へぇ。キスは恥ずかしくねェの、なまえチャン?」
「っ!?」
「最初の頃はあんなに照れとったのになぁ?」
「からかわないで…!」
「事実だろ。なァ、どうなんだよ」

腕の中で言われるがままのなまえに爆豪の表情は止まらない。なまえの表情に口角が上がるのを抑えられない。
するとふい、と顔を逸らしたなまえが背中から腕を抜いた。両腕を爆豪の胸板に乗せ、ぐ、と力を込めてきた。

「ア?なにしとんだ」

なおも無言で頭を振り押し返してくるなまえに、少し苛めすぎたか、と息を吐いた。
右手を頭に乗せあやすように叩くとなまえの肩が揺れ、腕の力が少しだけ緩んだ。

「もうしねェよ」

そう言うとなまえの顔がゆっくりとこちらを向いた。涙目だった。
滑らせた右手の親指で目尻を拭った爆豪は顔を寄せ、掬い上げるようにキスをした。柔く啄んでいると次第になまえから力が抜け、爆豪に身を委ねた。

────足んねぇ。

薄目で盗み見たなまえの瞼に、微かに漏れる吐息に、舌が動きそうになるのをぐっと堪えた。
もっと深く触れたい。先ほどの濡れた瞳にだって本当は興奮してしまっている。
でもなまえが嫌なら意味がないと、劣情を滾らせる自分に言い聞かせた。


しばらくして唇を離すと、開口一番「意地悪」と零された。

「…もうしねェっつったろ」
「うん。びっくりした…」

ホッとしたように息を吐くなまえの様子に、爆豪は再度息を吐いた。





「気を付けて帰ってね」
「男の心配してんじゃねェ」
「違うよ、ただの挨拶だよ」

「勝己くん気にしすぎ」と笑うなまえに、次会えるのはいつかと思ってしまう。


接近メロディがホームに反響した。
少しして目の前に電車が滑り込んできた。吹き抜けた風に舞い上がる髪をなまえが左手で抑えた。
開くドアに、絡めた指の力を緩めた。

「……おい」
「…」
「来てんぞ」

2人を避けるようにして、決して多くはない人々が行き交う。
視線を下げて見たなまえは、ホームの端を見つめるように眉を寄せていた。なまえの右手の指に力が入り、爆豪の左手を握った。
そのまま動く気配のないなまえを見つめているうち発車メロディとアナウンスが響き、エアー音と共にドアが閉まった。滑り出て行った電車にまた風が過ぎ去っていった。

誰もいなくなったホームは静かすぎた。

「…なまえ」
「…、次のには、乗るから」

「ごめん」と呟く声は細かった。
その表情に爆豪は眉を顰め、左手に力を込めた。

なんでもない日であればそのいじらしさに微かに感じる嬉しさも、さすがに湧いてはこなかった。

試験で手を抜いたわけではないし、なによりヒーローになることが一番大切だ。だから謝るつもりはない。そんなことをしたところで楽になるのは自分だけだとわかっているし、なまえの気持ちを踏み躙る行為だと思った。
それでも自分が招いた事態に、彼女の耐える表情に、自らを罵らずにはいられなかった。
寄り添えていると思っていた。でもきっと違った。
それでも、気付いたところでどうすることもできない。環境、距離、時間、全てにおいて制約が多過ぎた。

────なにしてんだ、俺は。

掠れた声で名前を呼ぶと、なまえは再び「ごめんね」と呟いた。




なびいた髪の香りも、押し出した右手がほどける様も、振り返った微笑みも、全てがスローモーションとなって焼きついた。
再び電車が去ったホームで、爆豪は一人、左手を握り締めた。





君の香りが鮮明すぎて今夜は眠れそうにない





残映




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