「バクゴーさあ、なんかあった?」
「アァ?」

食堂から帰る途中、切島から掛けられた言葉に既視感を感じた。




「つか、あったよな?」
「なんもねぇわ」

一本気で熱血漢だがこういう時は勘が鋭い。繊細な面もある男だと感じてはいたが、それが人の機微に敏感に反応するのだろうか。
一旦は誤魔化そうとしたが確信めいた視線を向けられ、爆豪は無駄を悟った。

「……てめェにゃ関係ねぇだろ」
「そうだけど」

「ダチが楽しそうだったり辛そうだったらさ、気になるだろ」

ニッカリと笑う切島を無言で見つめ返す。
その真っ直ぐさがあれば、彼女を傷付けることもなかったのだろうか。

「爆豪、最近ぼけっとしてること増えたし」
「してねェ」
「電話も怒ってたし」
「……アァ!?」

何の話だ、とは言わずもがなだった。
思わず足を止めた爆豪の威嚇に対して「あっ」と声を上げた切島は慌てて言い募った。

「だ、大丈夫!内容は聞こえてない!大声が聞こえてきただけ!!」

両手を挙げ焦ったように否定する表情は嘘を言っているようには見えなかった。
それでもあの声を聞かれていたかと思うとばつが悪い。爆豪は視線を逸らした。

「ごめん!余計なこと言った!」

横目で捉えた、合掌し頭を下げる切島になまえの姿が重なる。無意識のうちに食いしばった歯がギリ、と音を立てた。

「どいつもこいつも、すぐ謝りやがって」
「え?」
「……、なんでもねぇ」

しまった、と思った時には遅かった。窺うように上がった切島の顔には何かを悟った表情が浮かんでいた。

「…喧嘩でもした?彼女さんと」
「……」
「仲直りできてない?」
「ウッセェ!関係ねェっってんだろが!」

言い当てる切島に怒鳴るが、その顔は何故か安堵の表情に変わった。

「よかった」
「ハァ!?馬鹿にしとんのか!?」
「ああ、すまん!違う!なんつーかっ……最悪パターンも想像してたから」
「は…」
「爆豪、マジで険しい顔でスマホ見たりしてたからさ」

そう言って息を吐く切島は「仲直りできるといいな」と笑った。
それ以上は何も聞いてこなかった。




その夜、爆豪は自室のベランダに出て夜風に当たっていた。


なまえに連絡しなければいけない。
そう思えば思うほど、スマートフォンを握る指先は強張った。


自分が焦っているのはわかっていた。

付き合った当初から何でも言えと幾度も伝えてきた。それでもどこか遠慮をしているようななまえに苛立つこともあったが、無理強いする気はなかった。付き合いが長くなれば解消されると思っていた。
でもあの日──講習終わりに呼び出した日以降、なまえの耐える表情が爆豪の心に尾を引いていた。
そんなになる前に何故言わないと思った。制約があるのは自分だが、それでも言ってくれさえすればやりようはあるはずだった。

だからなまえが何かを呑み込んだのがスピーカー越しにわかった時、つい力が入ってしまったのだ。

先日会った時に突っかかってしまったのだって同じだ。
駅でなまえと同じ制服を見た時、何かを話して笑う姿を見た時、実際にそばにいるのは自分ではないのだと思ってしまった。彼女に自分以外の世界があるのは当然なのに、眼前の光景に真っ黒いものが煙のように立ち昇るのを止められなかった。
去り際、何かを含んだ無言の視線を投げてきた男に、その男を友人と言うなまえに腹が立った。普段の自分ならモブだと片付けられるはずだったのに、なんでもない言葉尻でさえ気になって不快感を言葉に乗せて攻撃するのを止められなかった。

なまえが自分を裏切っているなど微塵も思っていない。電話に出なかった理由もきっと彼女の話した通りなんだろう。
ただ気に食わなかっただけだ。不穏な電話をして、その空気を戻すこともできないまま会うことになって、それなのに笑っているなまえがおもしろくなかった。


わかっている。自分から連絡しなければ始まらない。それでも動けなかった。
八つ当たりをした自覚はあるがこの感情が間違いだとは思っていない。なまえにも非はあるはずで、だからこそ自分から連絡をすることが別の意味を持ちそうで嫌だった。
そんな虚栄心が邪魔をしてなまえから連絡が来ないかと期待するうちに、気まずさしか残らなくなってしまっていた。


手摺に腕を預けて佇んでいると、視界の右端で窓がカラカラ、と音を立てて動いた。

「んあ〜〜……おっ、バクゴー!よっす!」

伸びと欠伸をしながら出てきた切島は爆豪を認めると、昼間と変わらない明るさを向けてきた。
「秋って空気が気持ちいいよなー」との言葉に顔を向ける。

「今日出た課題してたんだけどさあ、わっかんねぇし眠くなって休憩しにきた」
「聞いてねぇぞ」
「ツレねえなあ」
「勝手に話しかけてんのテメェだろが」
「こっち向いたからてっきり話してえのかと思ったのに」

眉を下げて笑う切島に舌打ちを返した。

「なあ、勉強教え殺してくんね?」
「自分でやれ」
「今度メシ奢るから!頼む!」
「俺の授業はそんな安かねぇわ」

「じゃあ2回!」とピースサインを向ける切島に眉を顰める。「俺は忙しいんだよ」と顔を前に戻すと「そっか」と短い返答があった。

「…」
「……」
「……」
「…なんか言いてぇならとっとと言えや」
「え、何もないけど」

キョトンとした顔をこちらに向ける切島を横目に捉え、爆豪の眉間の皺が深まった。

「爆豪は、なんか言いてえの?」

真っ直ぐな瞳で投げかけられる疑問に拳を握り締めた。とぼけているようにも思える切島の表情と言葉に苛立ちを覚えたが、何故か口が動いてしまった。

「何回、言えっつっても言わねェ」
「…」
「それを美徳だと思ってそうなのが、腹立つ」

視線を逸らした先の真っ暗な空には星の明かりも見つからなかった。

そのまま沈黙が下りた。
何を言ったのだと我に返った時、「それ、」と右耳が声を拾った。

「本当に言いたくねぇのかもよ」
「……は?」

切島の言葉に微かに目を見開く。

「我慢してるのかもしれねぇけど。でも、言わないって悪いことだけじゃねぇと思う」

顔を右隣に向ける。切島は真っ直ぐ正面を見つめていた。


「爆豪だってきっと、言わないことあるだろ?」

「知られたくないとか心配かけたくないとか、言わない理由ってあるだろ、色々」

「なんつったらいーのかなあ…。その子の思いやりかもって、汲むことはできねえ?」

振り向いた切島の諭すような口調に苛立ちが深まった。


────なんっだ、それ。


爆豪は顔を俯けた。
切島の言葉は微塵も理解できなかった。

だからそれが余計なのだ。そんなものは要らないし、要らないと再三伝えてきた。にも関わらず一向に受け入れないことが腹立たしいと言っているのに。
自分はなまえの何なのだ。

爆豪はガン、と手摺を叩いた。

「もっかい、話してみたら?」
「…」
「伝わってないのかも」
「うっせ」
「話さなきゃわかんねえよ。だって、彼女だってダチだって、他人だろ」

その言葉にハッとした。あの日のなまえの声が爆豪の耳に蘇った。

『でもごめん、話してくれないとわからない。お願い、教えて』

こちらを見上げてきた時だ。
あの後、自分は何を言った。何をした。なまえはどんな顔をしていた。
思い出せない。

なまえの頑なに言わないところも、切島の言葉も、一切納得できていない。
もし思いやりだとしても、幾度も伝えた自分の言葉を無視するなまえに苛立ちは募る。相手を思う気持ちがあるなら何故自分の要求を呑まないのか、と思わずにはいられない。
爆豪の気持ちに1ミリも変わりはなかった。


それでも。




「……明日、教え殺したるわ」

俯いたまま盗み見た切島は数回瞬きをした後、快活な笑みを浮かべた。

「まじか!サンキュー!」
「とっとと戻れ。進捗ゼロだったらブッ殺すぞ」

硬い拳同士をぶつけた音が鳴った後、「おう!俄然ヤル気出た!おやすみ!」と言い残した切島が自室へ戻っていく気配がした。


窓が閉まった音を聞き届けた爆豪は顔を上げ、再び正面へ顔を向けた。


一面黒の空は平坦で焦点が合わなかった。
平衡感覚が鈍るような視界に不快感を覚えた爆豪は手摺から離れ、自室へ戻った。






それでも、きみを諦める気なんてない





暗晦




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