そのまま日々は過ぎ、なまえの文化祭は終わった。
クラスの出し物もライブも成功した。普段の生活に加えて文化祭の準備をする日々は目まぐるしく寝不足気味にもなったが、その忙しさはなまえに充足感と少しの逃げ道を与えてくれた。


ライブには緑谷と、さらには耳郎が来てくれた。
緑谷から「クラスの子と一緒に行くね」とは聞いていたが、まさかの人物になまえは吃驚した。
その後連絡は取っていなかったが、耳郎が爆豪に何か言われてはいないかと不安になった。

「久しぶり。みょうじさんのギターが見たくて来ちゃった」

そう言って笑う彼女に素直に喜びたいのに、どうしても爆豪との電話を思い出してしまう。
なまえが控えめに礼を告げると耳郎が続けた。

「大丈夫、断ってきたから」
「え…?」

誰に、などは言わずもがなだった。

「何かあったらあれだし見に行くって言ったんだ。そしたら、そうか、って」
「絶対何か言われると思ってたから、逆にそれだけ?って返しちゃったよ」

2人からもたらされる話になまえは複雑な思いがした。
たった一言の言葉にはどんな想いが込められていたのだろうか。それとも何もない、ただの応答だったのだろうか。
わからない。爆豪の気持ちを理解などできていなかったのだと思い知らされた今、何を想像しても的外れなような気がした。

俯き加減になってしまったなまえに2人の空気も止まったのがわかる。
せっかく来てくれた2人に失礼だと顔を上げると、耳郎が安心させるように笑いかけた。

「まあ、うちらの友達に会いに来ただけだし何か言われても来たと思うけどね」
「うん。だからなまえちゃん、気にしないで」

2人の優しさになまえは唇を噛んだ。
爆豪とも会っている2人は何かを悟っているのかもしれない。爆豪とは関係ないと言ってくれた2人の気持ちを無碍にしてはいけないと思った。

「……ありがとう。来てくれて」

今度は笑って礼を伝えられた。すると2人の顔にさらに明るい笑みが浮かんだ。

「なまえちゃんすっごいカッコよかった!」
「うん!めちゃくちゃ良かった」

そのままなまえがクラスの店番に向かうまで、しばらく2人と話し込んでいた。




翌日の夜、なまえはベッドの上で膝を抱え枕の上に置いたスマートフォンを睨んでいた。

自分から連絡をしようと思った。
爆豪の言う通り自分からは連絡をしてこなかったが、ここまできてしまったらそれを優先しているどころではない気がした。

そういう心境になったのは文化祭が終わりゆっくり考える時間ができたこともあるが、緑谷と耳郎と話したことが大きかった。
2人と話していて、そこに確かにいる爆豪を感じた。その気配に会いたい、話したい、元に戻りたいと思った。

もう充分辛かった。
爆豪と会えないだけでも寂しいのに、喧嘩をしているという事実はさらに堪えた。
一方的に突っぱねたのは爆豪だと不満に思っていたが、そんな意地がどうでもよくなるくらいにはなまえの胸は痛んでいた。


スマートフォンに手を伸ばし、メッセージアプリを開く。
随分下に下がってしまった爆豪とのタイムラインを開き、アイコンをタップした。続いて受話器マークをタップしたなまえはスマートフォンを手に取り、ゆっくり右耳に当てた。
出て欲しいような、出て欲しくないような、2つの思いに気持ちが揺れるままなまえは足首を上下に動かして待った。

10コール程しても出ない電話に、なまえの瞼が震えた。
ゆっくりスマートフォンを下ろしたなまえは終話アイコンをタップしようとした。

しかし、画面は1、2と秒のカウントを始めていた。慌ててスマートフォンを手に取り右耳に当て直す。

「…も、しもし」
『…』

返される無言に気圧される一方で、そこに爆豪がいると思うと胸が軋むようだった。


「ごめんなさい」


口から滑り出た。何が、なんてどうでもよかった。
きっと爆豪を傷つけた、不快にした。それの理由がなんであろうともう関係なかった。

「嫌な気持ちにさせて、ほんとごめん」

傷つけたいわけじゃなかった。わかりたい、わかって欲しい、それだけだった。
それでも言葉は選びようがあったはずで、自分の不快を声色に乗せてしまったことは変わらない。

それ以上は何も言うまいとなまえは黙った。どれほど言葉を尽くしたとしても、今は言い訳にしかならないと思った。
返事があるのを期待しながらも、何を言われるだろうかと怖くなる。なまえは瞼と唇に力を込めた。


『だから、謝んなっつったろうが』

聞こえた言葉に一瞬たじろぐ。まだ氷は溶けないのかと不安になる。

『……テメェは悪くねぇだろ』
「…え?」

怒っていない。声は低いがとても静かな、本当にそう思っているとわかるトーンだった。

『俺がヴィランに攫われたから、一発で受からんかったから、こうなっとんだ』
「…」
『なら、それ以上の我慢、させたくねェ』
「…っ」
『それだけなんだよ』

言いづらそうに小さい声で発せられる言葉に、なまえの頭の中に言葉の洪水が起きる。
どう言えば爆豪に伝わるのか、短い時間で必死に考えた。

「…ありがとう。言ってくれて」

きっと全てではない。爆豪はもっと色々思っていて、なまえに対しても言いたいことがあるはずだ。それでも心の内を少しでも見せてくれたことが嬉しかった。なまえの気持ちは少なからず伝わっていた。

なまえはゆっくり、静かに息を吐いた。

「もちろん、会いたいよ。でも…我慢って言われると、なんかしっくりこない」
『…』
「あんなふうに喧嘩して話せないほうがずっと嫌だよ。わたしは、夜電話して、明日も頑張ろうって思いたい。それを繰り返してたらさ、あ、もう明日会えるんだ、ってなってるよ」

目標に向かって突き進む爆豪にどれほどの力をもらっているか。諦めそうになる自分を何度思い留めてくれたか。
だから自分も毎日頑張れる。そうして過ごす毎日は充実していて、あっという間に過ぎていく。

「そういう時に、幸せだなって感じる」

沈黙が下りる。
反応のない爆豪を待っているうち、なまえはだんだんと羞恥に染まっていった。なんて恥ずかしいことを言ったのだと慌てた。
誤魔化そうと再び口を開いた時、スピーカーの向こうで笑った気配がした。

『俺のこと、相当好きだろ』
「〜〜〜っっ!!」

揶揄うような声色になまえは膝に顔を埋めた。くつくつと笑う息遣いが右耳にダイレクトに響き、なまえはさらに居心地が悪くなった。
しばらくして爆豪が息を吐く音が聞こえてきた。『アー、笑ったわ』と聞こえた声色は懐かしいもので、それだけで氷が溶けたことがわかった。恥ずかしくて堪らないがそれで元に戻れたなら良かったと思おう、となまえは言い聞かせた。

熱い頬を押さえながら膝から顔を上げたタイミングで、『仮免取るまでは会わねェ』と爆豪が言った。

「…え?」
『妙な勘繰りすんじゃねェぞ』

その声に負の感情は一切乗っていなかった。

『ケリつけてから会う』

ハッキリと告げられた言葉に強い意志を感じたなまえは短く返事を返した。

『取ったら連絡する』
「…電話は、していい?」
『…それは別だろ』

少し間を置いて返された言葉が嬉しくて胸が擽られるようだった。自然と笑みが零れる。こんな温かい感触はいつ振りだろうか。

「頑張ってね。応援してる」
『おう』
「あ、あと、学祭も。ドラム見れないの残念だけど」
『見てる奴らブッ倒してやる』
「ふ、パンクするんじゃないんだから」

自然と笑いが零れた。緊張も怯えもせずに話せることが嬉しい。
たった一言で済む話だったのかと思ったし、たった一言を伝えるためだけにどれほどの時間と労力をを要したのだろうと内省した。それさえももう気にはならないくらいに気持ちは浮上しているのだけれど。

『なまえ』
「…っなに?」

いつ振りかわからないくらい、久しぶりに呼ばれた名前にどきりとする。

『次会う時、覚悟しとけや』
「え?」

脈絡なく発された言葉を聞き返すも、それ以上は何も返ってこなかった。
それでもどこか切羽詰まったようにも聞こえた声に、何故か心臓がぎゅう、と縮んだ。不穏な言葉なのになまえの胸は高鳴るのを止めなかった。

その後しばらく話した後電話を切ったなまえは安堵の息を吐いた。
爆豪から聞いた仮免再試験の日は1ヶ月先だ。かなり先のことのように感じられたが、でもまたこうやって毎夜電話ができるならその日はあっという間に来るだろうと思った。




────わたしも頑張ろう。

いつ振りかわからない独り言だった。
マルを入れたスケジュール帳をスクールバッグに仕舞ったなまえは、代わりに参考書とノート、ペンケースを取り出し机に向かった。






翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日はここ最近にしては珍しく暖かいものだった





秋陽




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