高校生になってからの毎日は逃げるように過ぎていった。


クラスの雰囲気は良く気の合う友人も何人かできたし、中学に比べて幾分自由が許される高校での生活は楽しかった。
ただ授業に限ってはその例外で、進行のペースは驚くほど速く、黒板の文字を追いかけるので精一杯だった。
ここまで苦労すると思っていなかったなまえはかなりショックを受けたし、入学後5日目の夜には赤点を取る夢まで見てしまった。「このままじゃやばい…」と頭を抱えながら起きた朝、同室の女の子に「なまえの顔がやばいよ」と笑われたのは記憶に新しい。


アルバイトの方はは概ね順調だった。
アルバイトをする生徒がほぼいない高校で許可が下りるか不安だったが、高校生活に支障をきたさないことを条件に了承された。
覚える仕事はたくさんあり勉強同様大変ではあったが、音楽が好きななまえにとって楽器店で働くことは良い気分転換になったし、昔からよく知った人達と過ごせる時間は気を遣うことがなく楽だった。


頭と身体を使わない日はなく、一日が終わりベッドに入ると泥のように眠る毎日が続いていた。






その日、学校が終わった後市内の図書館で勉強していたなまえのスマートフォンがメッセージの受信を知らせた。
トークアプリを開くと爆豪からのものだった。所在を確認するメッセージに簡潔に場所を告げたなまえは、直ぐ教科書とノートに視線を戻した。
ここ最近よくあるやりとりだった。


あの春休みのやりとりの数週間後、爆豪からメールがきた。その日は図書館で勉強していたなまえがその旨を告げたところ、その小一時間後、なまえが帰り支度をする頃に彼が来た。
まさか来るとは思っていなかったなまえはまたも吃驚した。先日の電話の続きだろうかと思ったがその日も何を話されるでもなく、「いつもここで勉強してんのか」と尋ねられただけだった。
それからというもの、こうしてたまに連絡が入り、なまえが図書館に居る時は爆豪が来る、ということが続いていた。


最初こそ何かあるのではないか…と身構えたが、特に何もなくただ同じ空間で勉強しているだけの状況が続き、次第に気にするのをやめた。爆豪が通う雄英、とりわけヒーロー科が群を抜いてハイレベルなのはなまえも知っていたし、いくら才能マンの彼とはいえ勉強しなければならないのだろうと思った。


なまえの返信から30分もしないうちに爆豪が来た。
隣の椅子を引く音に顔を上げ小声で「おつかれ」と告げると、赤い瞳から目礼が返ってきた。最初の頃は緊張のあまり勉強どころではなかったが、今はこうしてやりとりするくらいには爆豪への抵抗感はなくなっていた。
その後閉館時間になるまで、お互い話しかけることはなかった。






「やっぱり雄英って大変?」
「ア?」
「いや、頭の良い爆豪くんでもこんなに勉強しないといけないんだな、と思って」

不機嫌そうな表情にも、喧嘩腰に聞こえる彼の応答にも怯えることはなくなった。普通に応えてくれるに越したことはないけれど、これが今の彼の通常運転だと知ってしまえばさほど気にならなくなった。

「ンなわけねぇだろうが。ヨユーだわ。入試1位舐めんな」
「…え、うそ、1位だったの?」
「嘘ついてどうすんだよ」
「ご、ごめん。雄英で一番取る人が身近にいるとは思わなくて。そっかあ、一番かあ…」
「てめェは相当苦労してそうだな」
「あはは…。大変なのは知ってたけどね、予想以上というか、上には上がいるのを毎日思い知らされてるよ」

図星を言い当てられ、なまえは苦笑いをするしかなかった。

「行きたい大学でもあんのかよ」
「あー、まだそこまでは決まってないけど。……できるなら奨学金で進学したいんだよね。良い制度ほど成績の条件も厳しくなるから、一学期も落とせなくて」
「……」

なまえの事情を知っている相手に隠すこともないだろうと思い話したが、無言で逸らされた視線にしまったと思った。

「で、でも落ち込んでるとかじゃなくて!疲れた時は休んでるし、無理なら無理で別の方法あるし、ただ頑張れるうちは…目指そうとしてる、というか……」

勢いで言い募ったが、眉を寄せた視線が戻ってきたことでなまえの言葉は尻すぼみになっていく。
誰にも気を遣われたくないし、可哀想とも思われたくなかった。けれどそう思うあまり変に勘繰りすぎたのかもしれないと、なまえは恥ずかしさから視線を外してしまった。

「…いいんじゃねえの」
「え、」

声が降ってきて、なまえは視線を戻す。赤い瞳が静かにこちらを見据えていた。

「自分でコントロールできてりゃ問題ねえし、やることやんねえと何も手に入れられないのはどいつも一緒だろうが」
「う、うん」


眉間の皺がふっと薄くなった。


「……勝手に他人の気持ち決めつけて、自分追い込んでんなよ」


──あ、やばい。
なまえは咄嗟に顔を背けた。見透かされたような気がしたし、どこか思いやるようなニュアンスも感じ取れて、なまえは胸がきゅっとなるのを感じた。
不自然に逸らした顔を戻すことも、言葉を返すこともできず、なまえは俯いたまま爆豪に歩調を合わせた。




いつも別れる交差点に差し掛かり、なまえは心の中で息を吐いた。さすがに目を合わせないままは失礼だと思い、なまえは顔を上げた。いつもと同じように眉根を寄せた爆豪がいた。

「…なんか、ごめんね」
「は?なにが」
「いや、最後、態度悪かったかな、なんて…」

そう返されてしまうと、さっきの発言同様勝手に一人で空回っている感じがして、またも歯切れの悪い言葉になってしまう。恥ずかしい。

「……あ、あと、」
「なんだよ」
「あの…、ありがとう」
「……」
「励ましてくれた、のかな、とも思ったから」
「………」


ダメだ。これ以上は無理だった。早く立ち去りたくて、信号が青になったのをきっかけに「じゃ、じゃあ!」と横断歩道へ歩を進めた。


──話せるようになって、小学生の頃に戻れたみたいで嬉しかったのに。
「次」があるのかはわからなかったが、その時はまた普通に話せるように努めよう、と思いながらなまえは帰路に着いた。




去り際に見た彼の横顔に差した夕陽の色が、綺麗だと思った。






赤く染め上げたのは果たして夕陽だったのか





残照




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