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今日、私が有り得ないミスをしていたことが判明し、それが発端となって大きな問題が発覚した。
お客さんにはこっぴどく指摘され、上司や先輩に多大なるご迷惑をかけた。お客さんもなにもあそこまで言わなくても…と言いたくなるくらいにはネチネチしつこかった。それでも私がミスした事実は変わらないわけで、一切の抵抗をせずただひたすら謝るしかなかった。
せっかくの金曜日なのに、最悪な1週間の終わり方をしてしまった。

────会いたいなあ。

リビングのソファで膝を抱える私は、テレビ横の卓上カレンダーを眺めた。
2日後の日曜日に赤マルの入ったそれに息が漏れた。




私はどこにでもいる普通のサラリーマンだが、あのプロヒーロー爆心地こと爆豪勝己くんとお付き合いしている。
お付き合いをして1年2ヶ月、同棲を始めて3ヶ月だ。
一般人の自分がまさかプロヒーロー、しかも人気ヒーローとこうなるとは人生何が起こるかわからない。


私の勤める会社は都心にあるオフィスビルの2フロアに入居している。そして1年半ほど前に勝己くんの事務所が入った。
勿論関わりなんてあるわけがなかった。独立したてだけれど実力のある若手ヒーローの事務所が入ったことで、「ヴィラン除けになるな」なんて失礼なことを上司が言うのを聞くくらいだった。


去年のお盆、我がチーム宛にお得意先から大量の桃が届いた。
高級でとても美味しいと有名な品種でかなり喜んだが、何せ量が多過ぎた。
お盆に夏季休暇を取る社員が多いからオフィスはがらんとしていて、2フロアを回って配ったけれど出勤している社員はまばらだったからまだまだお釣りがあった。
傷みやすいしダメにするわけにはいかないと思った私は、どこかの会社さんが貰ってくれないかと各フロアを回った。でもこの時期はどこも状況は同じで、閉まっているオフィスがほとんどだった。

そうして辿り着いたのが勝己くんのヒーロー事務所があるフロアだった。
ヒーロー事務所は声かけづらいな、でもお盆休みとか無さそうだし誰かいるかも、なんてエレベーターホールで悩んでいるとタイミングよく事務の男性が現れた。
そうして無事、全ての桃を配り終わった。


その後しばらくしてエレベーターに乗ったある夜、あの事務の男性と勝己くんが箱の中にいたのだ。
「先日はお裾分け、どうもありがとうございました」と丁寧に挨拶をくれるその人の横にいるのがまさか爆心地だとは思わなかった。


それ以降、たまにエレベーターが一緒になるとヒーロー事務所の人と言葉を交わすようになった。当たり前だけれど話すととても普通な人達に私も次第に打ち解けていった。
その中には勝己くんもいた。ヒーローは芸能人に似た側面もあるから別世界の人と緊張していたけれど、なんでもないように普通に会話をしてくれた。
鉢合わせるのは深夜残業後が多く、いつしか車で自宅まで送ってくれるようになった。今時珍しくもない女の一人暮らしを心配してくれてるのかな、ヒーローって大変だな、なんて思いながらお礼を言い続けること2ヶ月ほど経った頃、「気付けや」とぶっきらぼうに告げられた。

お盆に出勤していて、桃を一人占めせず配って回って良かったと思う。

変則的な勝己くんの生活に合わせるようにお付き合いして1年が目前になった頃、同棲することになった。
なかなか会えなかったからその提案は嬉しかった。週刊誌的なところは大丈夫なのかと尋ねた私に、「ンなもん、事実になるんだから関係ねェ」とまたもぶっきらぼうな言葉が返ってきたのだった。




勝己くんの仕事は怪我どころか命の危険がある。わかってはいたけれど、同棲を始めてからその重さを再認識した。包帯や湿布だらけで帰って来る時、無言で自室に直行する時、彼の背負っているものの大きさを痛感する。

それに比べれば私の仕事で失敗して辛い、なんてなんてことのないものだ。でもそういう弱音を吐く私を彼は黙って受け入れてくれる。「働かんでも案外生きてけんぞ」と逃げ道を見せてくれる。
仕事にやりがいも感じているし、したいことや欲しいもののためには稼ぎたい。そんな私を察してか、勝己くんは辞めろとも弱音を吐くなとも言わない。そしてそんな勝己くんがそばにいるからこそ、私もなんだかんだ言いつつ毎日仕事に行くことができる。
仕事の負荷が相当重いにも関わらず私を気遣ってくれる勝己くんにお礼と謝罪を伝えるのだけれど、彼はいつも黙ってこちらを見るだけだ。


なにか返したいな、と思うことがある。
でも勝己くんは仕事のことは話さない。唯一話してくれたのは「行方不明の飼い猫を探して完徹した」という、大変そうだけれどほのぼのとした内容だった。きっと機密情報も多いのだろうし、守秘義務も強く言われているんだろうと思う。
それに世を守る仕事をする人にお返ししたいなんて、少しおこがましい気もする。だから私はなるべく自分のことは自分で整理しようと思うのだけれど、やはり今日のようなことがあると溜息を吐きながら膝を抱えてしまうのだ。
自分のキャパをもっと増やしたいと、勝己くんの隣にいると切々と思う。けれど器は大きくしようとして大きくできるものじゃない。


勝己くんに想いを馳せていると、またお客さんの剣幕が脳裏に蘇った。まるで忘れるなと言われているようなタイミングに土日で会社が霧散してくれないかなあ、などと思いながらそのままボーッとテレビを見ていた。


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眩しさと肌寒さを感じ、眉根を寄せながら瞼を上げた。ほんの少し頭が重い。
カーテンの隙間から差し込むのは朝陽で、私は勝己くんとの部屋のダブルベッドに横たわっていた。そして左隣には勝己くんが寝ていた。予想もしていなかった状況に目と口が開くも、乾燥で喉が張り付き声は出なかった。

昨晩、自分の足でベッドに向かった記憶はない。隣で静かに眠る勝己くんにまたやっちゃった…、と状況を理解した。


「遠くへ行く」と言い残して家を出た勝己くんと会うのは1週間ぶりだった。今回は目立った怪我もなさそうでホッと息を吐いたが、大怪我の時は仕事終わりにそのまま治療へ向かい粗方治るまで帰って来ないこともわかっているだけに、手放しに喜ぶこともできなかった。
それでも無事に帰って来てくれたことが嬉しい。隣で眠る顔を見せてくれることが幸せだ。


その無防備な寝顔に、私は無意識に手を伸ばし掠るように頬に触れた。
静かな寝息と微かに上下する肩を感じる。しばらく撫でていると、ン、と勝己くんが声を発した。慌てて手を離すも遅かったようで、勝己くんの瞼が上がりとろんとした赤い瞳が顔を出した。

「…ごめん。起こしちゃった」

勝己くんは眩しそうに目を細めこちらを見た後、枕元を探りスマホを手に取った。画面を見た勝己くんは顔を顰めた。

「ごめんね。ベッドまで運んでくれたんだよね?」
「…電気もテレビもつけっぱでリビングで寝んなって、あれほど言ったろーが」
「はい…。ごめんなさい」

その理由が電気代がかかるとか私を運ぶのが面倒とか、そういう類のものでないことがわかったのはいつだったか。
勝己くんは生活もきちんとしている。それが彼の安定したメンタルの基盤になっているのかもしれないと思ったのも同棲を始めてからだ。
日々の生活を蔑ろにしてはいつか心も崩れてしまう。毎日を生きるとはどういうことかを教えてくれているようで、私はその姿に感化された。

「…おかえりなさい。無事でよかった」
「おう」

久しぶりの体温に胸板に額を寄せた。微かに感じる心音とゆっくり上下するリズムが心地良い。

「なんかあったんか」
「え?」

勝己くんを見上げ聞き返すと、「おもしれぇくらい、寝言で何回も謝っとったぞ」と指摘された。

「ああ…。昨日、仕事で凡ミスしてインシデント一歩手前なことをやらかしました…」

自分のなかで終わらせようと思っていたのについ話してしまう。
どうりで夢見も寝起きもすっきりしなかったのか、と思いの外堪えてる自分に気付かされた。
恥ずかしさを誤魔化すように「あー」と声を出す私に勝己くんは何も言わない。

「まだ金曜日で良かったよ。休み挟んだら少しはトーンダウンしてくれるかも…」

再び大きい胸板に戻り、半ば独り言のように呟く。「ふうん」と興味無さげな相槌を打ちつつも頭を撫でてくれる左手に私の心は少し浮上した。


そのまま微睡むように2人で寝転がっていると勝己くんがくあ、と欠伸をした。その様子に勝己くんの頭をひと撫でした私は「朝ごはん作ってくる。寝ててね」と声を掛けた。身体を起こしかけるとぐん、と右腕を引かれた。

「?」
「まだはえーだろ」

そう言った勝己くんにさらに腕を引かれた私は勝己くんの上に半ば覆い被さる形になった。

「…仕事は?」
「休みブン取った」
「ほんと?」
「ウソなんかつくかよ」

そう言ってニヒルに笑う勝己くんに胸が温かくなる。この顔が見れるなら、見れたら、嫌なこともどうにかなるかもって思える。

「嬉しい。一日一緒って久しぶりだね」

そう言って笑うと、勝己くんの両手が私の頬を包んだ。

「甘やかしたるわ」
「…でも、時間…」

嬉しい提案に、でも休みの日でもきっちり起きる勝己くんに尋ねる。

「こっちのケアも大事だろーが」

意味深に笑う勝己くんにどきりとした。
こっちってどれのことだろう、なんて考えしまった私の体温がみるみる上がっていく。そんな私の反応に「ウブかよ」とくつくつと笑う勝己くんがいた。


尚も頬を撫でる両手に抵抗せずにいると、顔をぐんと下げられた。
そのまま触れ合った唇は深くて温かくて、その心地良さにずるずると沈んでいった。


無敵の微笑み

毎日を生き抜くために、どうか君は笑っていて