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「…あ、勝己くん」
夏休み、爆豪がコンビニに寄って実家に帰る道中、なまえと会った。
「久しぶりだね。いつ帰ってきたの?」
「昨日」
隣を歩くなまえはリクルートスーツを着ていた。
ジャケットを腕に掛けシャツの袖を捲ってはいたが相当暑いようで、右手には透明のプラカップを持っていた。レモンとミントが入った冷たく爽やかそうな見た目でも、カップの表面には無数の水滴が浮いていた。
爆豪の視線に気付いたのか、なまえは「絶賛就活中です」と軽く腕を広げて見せた。
「こんな真夏もリクスー着ないといけないってほんと辛い」
「見てるこっちがあちぃわ」
「でしょ?街行く人の気分悪くしてる自信あるよ」
「はやく脱ぎたい、ノースリーブ着たい…」とぼやくなまえが手の甲で首筋を拭った。揺れるポニーテールの下からじんわりと汗をかいた頸が覗いた。
あまり見たことのない髪型と初めて見るスーツ姿になんとなく目が離せないでいると、視線を上げたなまえが首を傾げた。そのまま数秒爆豪をまじまじと見た後、微笑みを浮かべた。
「勝己くんも高校生かあ」
唐突になまえが発した言葉はしみじみとしていて、そしてそのトーンが少し気に入らなかった。
「ハァ?今さらすぎんだろ」
「そうなんだけど。入学してわりとすぐ寮に入っちゃったでしょ?だから高校生の印象が薄くて、今再認識した感じ」
「……そーかよ」
「…特に他意はないよ」
視線を逸らした爆豪の様子になまえは心中を察したらしい。「ごめんね」と、重すぎない謝罪が聞こえてきた。
こうやって言外の疎通ができる人間はごく僅かだ。そしてそういうやりとりができるということは、少なくとも爆豪にとっては幼馴染という関係以上の意味を持っていた。
「高校どう?楽しい?」
手に持ったプラカップのストローを一吸いしたなまえが尋ねてきた。
「遊びに行ってねぇのに楽しいもクソもあるか」
「うわあ、高校生らしくない。遊べるうちに遊んでおかないともったいないよ」
「…テメェ、前はもっと勉強しとけば良かったって嘆いとっただろが」
「てめえじゃないです」
「変わんないなあ」と呆れ混じりに零すなまえを心の中で否定した。なまえの発する言葉は全て気になるし、気に入らない言葉ほど耳に残るようになった。
「勉強も大事、遊びも大事、どっちも本当。出来る人ほどどっちも手を抜かないんだよ」
「ンだそれ」
「就活してて一番身に染みたこと」
小さく溜息を吐くなまえに爆豪は眉を顰め、顔を正面に戻した。
そのまま無言でいる爆豪に肯定と受け取ったのか、「落ち込んでるわけじゃないんだけど」となまえが言葉を発した。
「書類で落ちたり面接で微妙な顔されるとさ、もっとやっとけば良かったなって思うんだよ、色々とね」
「もっと勉強頑張ってもっといい大学に受かってればあの会社の書類選考通ったのかなとか内定出てたのかな、とか。でも、もしそうなった自分を想像してもあんまりピンとこなくて」
「だからまあ、結局なにって感じだけどさ。巻き戻ったって今以上の結果を出せるイメージなんて持てないのに一丁前に後悔はするって話だよ」
なまえが爆豪の経験していない話をするたびに焦燥が募りだしたのはいつ頃からだったか。
こういう時、絶対に埋まらない距離を突き付けられているように感じる。
無言の爆豪に構わずなまえは話し続ける。
「勝己くんはすごいよ」
「小さい頃からの夢を叶えるためにストイックにブレずに頑張って」
「甘えも妥協もしないってなかなか出来ることじゃないと思うし、今になって色々後悔してる身としては本当に尊敬する」
こういう言葉も聞き飽きたし、同じ言葉を繰り返すなまえが不服だった。
以前は褒められるたび得意になっていたのも、なまえに対する気持ちを自覚してからはまるで「それ以上の気持ちはない」と暗に伝えられているように聞こえた。なまえに気持ちを伝えて以降はさらに余所余所しく感じた。
なまえの爆豪に対する評価に変化がないことを見せつけられているようだった。
「社会人になれたらお祝いしてね」
その言葉に顔を左に向けると、微笑むなまえが爆豪を見上げていた。それはいつもと同じ、今までと変わらない表情だった。
体格も身長もなまえより大きくなった。ヒーローになるために雄英に入った。入試も体育祭も1位を獲った。それ以外でも結果を残してきた。それでもなまえが爆豪に向ける視線の色は変わらなかった。毎回「すごい!」と瞳を大きく見開いた後「さすが勝己くん」と褒めるだけだ。
5歳。その差が邪魔だった。年齢だけはどうにもならなくて、そして自分の力ではどうにもならないことを通して爆豪を見るなまえが気に食わなかった。「常識的に考えて有り得ない」など、爆豪にとっては何の理由にもならなかった。
爆豪が雄英を卒業してヒーローになるまであと1年半以上ある。来年の春にはなまえはきっと社会人になっていて、本当に大人になってしまう。そうなればきっと彼女の線引きはより一層明確になり、自分を遠ざけるだろうことは容易に想像がついた。
早く大人になりたいと思った。
「なれんかったらどうすんだよ」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないで」
眉を下げたなまえは「考えたくもないなぁ」と呟き足元に視線を落とした。パンプスのリズムがほんの少し遅くなった。
「弟妹のこと考えたら就活留年はできないし…。バイトか派遣でなんとかするんじゃないかな」
「ふうん」
「…興味ないなら訊かないでよ」
「ひどい」と言いながら苦笑いする声についに言葉が滑り出た。
「興味がねェのはどっちだよ」
爆豪の言葉に何かを予感したようで、その顔から笑みが消え静かな表情になった。それでも勿論その視線の色が変わることはない。
足を止めたなまえに合わせて爆豪も立ち止まる。
「万が一の時は待っとけや」
どんなに言葉を重ねてもなまえは応じてこなかった。
「1年くらいなんとかなんだろ」
それでも、どうしてもその瞳を揺らしたい気持ちは変わらなかった。
「つか、社会人してようがニートだろうが待っとけ」
「…あのね、勝己くん」
「付き合ってる奴いねぇだろ」
「勝己くん」
なまえの瞳が真剣味を増したが、諭すような色はかえって爆豪に火をつけた。
「断んなら歳以外の理由にしろや」
そう言って軽く睨むがなまえの表情は変わらなかった。
毎回理性的であろうとするなまえに比例するように、爆豪の意志は強くなっていった。
一瞬外された視線が戻ってきた。なまえの表情にこの後聞かされるだろう言葉を想像した爆豪はまたか、と心の中で毒吐いた。
「勝己くんはこれからヒーローになってもっと広い世界に行くんだよ。わたしも働きだしたら少しは変わるんだと思う」
「…」
「きっと気持ちも変わるよ」
「変わんねェよ。つかテメェが決めんな」
「勝己くんの気持ちは嬉しいよ。わたしだって勝己くんのことは凄いとかかっこいいなとか思うけど、でもそれはかわいい幼馴染としてなんだよ」
「だぁから、ンなもんクソほど聞かされたわ」
何度も何度も聞かされた。そしてそれでも変わらないこの気持ちを伝えているのに、いつも正面から見ようとしないなまえに苛立ちは募っていくばかりだ。
「そこまで言うならハッキリ言え」
語気を強めて吐き捨てた言葉になまえの瞼に微かに力が入ったのがわかる。
なまえは爆豪の気持ちを受け取らない。そして断ることもしない。
そんななまえに最初のうちは押せば進展するのではないかと思ったこともあったが、諭すように話すばかりで爆豪の視線を躱す彼女の態度は爆豪のなかに苛立ちを積み上げていくだけだった。
向き合ってくれさえしないなまえはどこまで自分を子供扱いするのか。大人になってしまえば誤差範囲で珍しくもない差に何故そこまで拘るのか。
「俺はイエスかノーかしか興味ねェ」
本当はそんなわけはないのだが、なまえの変わらない態度に張る意地は固くなる一方だった。
ふと、なまえの表情が変わった。いつもの理性的なものではなく悲しげな色を宿した瞳に爆豪が眉をひくつかせたと同時、なまえは視線を下げてしまった。
これまでとは違う反応に爆豪は沈黙する。
「…時間が経つにつれてね、」と、なまえから零れた声は先ほどまでより小さかった。
「環境が変わって価値観が変わって、同じままじゃいられなくなって。喧嘩して修復できなかったり相手への気持ちが冷めてさ、それで別れるのが恋愛なんだなって」
「昔はああだったのにって後ろ向きに比べたり。関わってきた期間が長いほどそういうのって起こると思う」
それはなまえの経験から言っているのだろうか。
時折言葉を探すように動く瞳はいつかを、誰かを思い出しているのだろうか。
「…わたしは、勝己くんをそんなふうに見たくない」
一層寂しげに発せられた言葉に爆豪の片眉が上がる。
「……終わりたくない」
そして目を見開いた。
「終わる形に収まりたくないんだよ」
そのまま黙って見つめていたがそれ以上の言葉はないようで、なまえは俯き動かなくなった。
小さい声で淀みなく発せられた言葉をしばし反芻した爆豪はゆっくり口を開いた。
「…歳関係ねェじゃねーか」
「理由はそれだけじゃないよって話」
顔を上げたなまえは眉を下げ笑っていた。
その表情を捉えた瞬間、溜まりに溜まった感情たちが渦を巻いて一気に込み上げた。
爆豪はなまえの右手首を掴んだ。吃驚したようななまえを無視してその手首を軽く引き、プラカップに刺さったストローに口をつけた。
「………あっま。炭酸抜けてっし」
「びっ、くりした」
そのうえ温い口当りに爆豪は思わず顔を顰めた。
そのままなまえに視線をやる。驚いたように瞬きをする様子にもう少しこの気持ちをぶつけてやろうと思った。
「オイ」
「なに」
「メンドクセーから今すぐ付き合え」
「……ねえ、話聞いてた?」
「聞いとったわクソが」
「こら、年上に向かってクソって言わない」
「年上年上ウッセーな」
「そんなに気にすんならな、」そう言って爆豪はなまえの右手首をさらに引っ張りながら顔を寄せた。
「無自覚気取ってその気にさせんなアホ」
至近距離で見た瞳は本当に吃驚していて、そして気付いていなかった。
都合の良い解釈でいい。
きっとそういう意味でなまえは言っていない。爆豪の望む答えじゃない。わかっている。けれど、なまえの言葉はある意味爆豪の想像をはるかに超えていた。そしてそれは爆豪の心をさらに強くし、諦めるという選択肢を完全に掻き消してしまった。
力の限り見つめると、見開かれた瞳に水分が浮かんだような気がした。
「全部言い訳にしか聞こえねんだよ」
なまえの指先から手の甲を伝った水滴が爆豪の左手に垂れた。
lemonade
この気持ちもその温度もいつかきっと変わってゆくのだろう。高鳴りも無くなるのだろう。でもその先はそれだけじゃないのだといま確信したんだ