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(※原作にはない異なる世界観があります。なんでも許せる方のみお読みください)






また見た。


そう認識した時にはもう遅く、その姿を捉えられなくなっている。
水面に触れて弾ける気泡のように消え、陽炎のように急速に遠退いていく。

薄く開いた瞼の先にある天井を見つめる。その向こうに消えた何かを探す。

見た、確かに見た、見たのか、見たような気がする。
……見た?何を?
何を考えていた?何が気になっている?靄がかかっている。脳が揺れている。気持ち悪い。何故。

まだ青く暗い室内に朝ではないことを認識し、額に腕を乗せながら顔を顰めた。
微かに顔を動かし壁を見上げると、時計は4時過ぎを示していた。

(かなりの緊急事態を除いて)呼出のない非番の前夜であっても、いつからか目が覚めてしまうようになった。ぐっすり眠ることができなくなったのは職業柄か。
そして時折、「目が覚めてしまった」だけではないことがあった。
小人に引っ張られるように瞼が開く。どこか切ないような、引いていく波に足指を擽られるような感覚が胸を騒つかせる。自分は何かを失くしている心地になる。
違う気もするけれど、違うという確証はない。

細く長く息を吐く。
右の米神に浮かんだ一粒の汗を人差し指で拭った。

眠ろう。早起きと言うには早過ぎる。
枕元のスマートフォンを手に取りアラームを設定する。
今日会えるだろう綻ぶ顔を想像しながら瞼を閉じた。


/////


水の中にいるような遠く篭った音。優しい匂い。
視界が赤くなる。温かい。瞼を上げて初めて自分が瞼を閉じていたことを知る。
春のような陽光、青々とした森、草の香り。
見下ろした先にあるのは両手と脚。紋様の入った布を纏っている。視界の端、左の腰に見えるのは、剣の柄?

『   』

風に乗って聞こえた声に顔を上げる。
こちらに誰かが駆け寄ってくる。誰だ。
揺れる髪が乱反射している。女性。

『   』

笑顔。この天気によく似合う、優しく綻ぶような笑顔。
自分の左腕を取り引っ張る彼女に抗うことなく、そのまま進む。
森のざわめきが心地良い。握られる手首に無駄な力が抜けていくようだ。
似た紋様を着飾る彼女が振り返る。弧を描く瞳に光が篭る。


暗転。
今度は彼女が泣いている。
ぼたぼたと涙を流し、しゃくり上げる声を抑えることなく、ただただ泣いている。
石造りの部屋。ベッドに腰掛ける彼女の向こうの窓から月明かりが差し込む。
顔を拭う彼女の両手を掴む。ゆっくり膝の上に下ろす。
赤く潤んだ瞳がこちらを見下げる。
自分が何かを言う。それでも揺れる肩も涙も止まらない。首を振る彼女の唇が動く。

『      』

震える口角が痛ましい。涙で湿気った手の甲の感触に胸が押し潰される。
彼女を覆う哀しみに開きそうになる唇を、既のところで固く結んだ。浮かんだ言葉を口にしては、伝えてはいけない。胸が軋む。

彼女の両手から手を離す。視界から手が消える。そして数秒後、再び彼女の手に戻った。
彼女の掌の中に何かある。金色の、耳飾り?小さく深い黄緑色が輝いている。
掌に自分の両手を重ね、彼女に語りかける。涙を流し続ける瞼が微かに見開かれる。
濡れた瞳が月光を宿した。


そこからは暗転の連続だった。

晴れの日、祭りのような賑わいの街道。祝福の花弁が舞う中、厳かな行列と共に彼女が歩き去って行く。華やかで美しい後ろ姿を遠く見つめる。

夜の闇、森の中、ぽっかりと開けた青い池。黄緑色を投げ入れる自分の左手。合わせる両手。緑色の光が身体から漂い、池に吸い込まれていく。水鏡がゆらゆらと光を放つ。光は糸のように細く収束し、夜空に真っ直ぐ伸び、そして闇に溶けていく。

砂漠、鉄の街、穂がそよぐ山村、海の上、石造りの教会。爆発、煙、叫び声。
目まぐるしく変わる風景、そして姿を変える自分。
男、女、老人、鳥、子ども、馬。
変わるたび、何かを探すように視線を巡らせ、ひたすらに走っている。すれ違う人に、遠く聞こえる声に振り返る。そして落胆する。繰り返し、繰り返し。

終わりなく途方もない映像に頭が痛い。吐き気を錯覚する。
やめてくれ。痛い、苦しい、辛い。
無数の声が脳内で反響する。煩い。誰かがそこにいる。知っている。
探し、落胆し、涙を流す、その理由がわからない。きっと知っていた。
……知っていた?忘れた?何を?

いつか、次こそは、必ず。
──どうやって?
何もない空中を見上げ、雄叫びを上げる。虚無感が胸を襲う。
──何故?
繰り返すたび、力が、記憶が薄らいでいくのがわかる。
──何の?
頼む。まだ消えるな。失いたくない。

『わたしも、ちかい、ます』

──何を?


/////


白い天井。
アラーム音とバイブレーションが控えめに響く。空高く晴れ渡る青がカーテンの隙間から覗いていた。

嫌な目覚めを一日に2回もしたのはこれが初めてだ。
胸が騒めく。二日酔いのように頭が重い。米神の汗を拭い、溜息を吐きながら身体を起こす。
まだ今日で良かった。仕事の日の朝だったら気分も切り替えられないまま、重い頭で一日を過ごすところだった。

額を右手で押さえながらベッドから降り、ふらふらと洗面所へ向かった。


支度をし、家を出、電車に乗る。ドアに凭れ、青天を見上げる。
逢える喜びと天候に恵まれた嬉しさと、少しの虚無感。
まだ怠さの残る頭に電車の揺れが響いた。

待ち合わせ場所には早く着いてしまった。
スマートフォンを弄るけれど連絡は特になく、ネットニュースも朝確認した時から大きな変化はなかった。SNSもゲームもない画面に適当な暇潰しは見つからない。
スマートフォンをポケットに仕舞う。顔を上げ、行き交う人の波を眺める。

違う、違う、違う、人。無数の他人が目の前を行き交う。
視線が巡る。見落とすまいと、意志を持っているかのように動く。
歩き出しそうに浮く踵を何度も地面に戻す。頭が重い。
落ち着かない右手を左手で押さえながら顔を動かし、より広くを見回す。


「出久!」


ビル風に乗って聞こえた声に振り返る。
陽光の中、人混みを避けながら駆け寄ってくる姿が見える。
降り注ぐ陽光を一際反射させる髪がなびいている。
張り詰めた力が抜けていく。頭の重みが引いていく。

笑顔。この天気によく似合う、優しく綻ぶような笑顔。
目の前にやって来た彼女を見下ろす。
弧を描く瞳に光が篭っている。


「ごめん!待たせた?」
「ううん。全然」


ペリドットと常永久の国

君に恋ふこと 忘れたまふな
(もしも緑谷くんの無個性に何らかの因果があったとしたら)