サポート科が開発した試作品の動作確認協力のため、1-Aの数名は放課後の体育館にいた。

サポート科の教師陣が旗振り役となって開催されるこの会は、サポート科生徒の技術力向上と進路支援が主な目的だった。
授業で開発したアイテムやトレーニング機材をヒーロー科に実際に使用してもらい、そのフィードバックを受けて不具合の修正や改良を行う。そうしてより実戦向きに洗練されたアイテムを携えて企業インターンや採用試験に赴くのだ。
またヒーロー科にとっても、気に入ったサポートアイテムがあればそのまま使わせてもらえるメリットがある。
自由参加とはなっていたが学年関係なく、そこそこの数の両科の生徒が参加していた。

緑谷は発目との打ち合わせを兼ねて参加していた。
彼女の開発オタクっぷりが遺憾なく発揮されたアイテムに目を輝かせつつも要らない機能を告げる緑谷に、発目は「カッコよくないですか!?」と食い下がってきたが、その無遠慮にも感じる圧にも屈することなく首を振った。こんなやりとりも回を重ねるうちに慣れてきた。

そうして発目と相談している時だった。
突然大きな衝撃音と振動が体育館全体を揺らし、思わず肩を竦めた。発生源はどこかと顔を巡らせようとすると、背後から「ごごめん!逃げて!!」と叫び声が聞こえた。
そちらを振り返ると、隆起したコンクリート柱や機材を避けながら猛スピードで飛ぶ球体がいた。某アーケードゲームのキャラクターのようなそれは口のような部位を生物のように開閉させながら誰かを追いかけているようだった。
球体から逃げる人物の身のこなしにハッとした緑谷は、すぐさまそちらへ跳躍した。

「はや、く!止めてっ!ください!!」
「出来たらやってるよ!」

球体の開発者だろう生徒と大声で会話しながら逃げるなまえに向かいつつ、周囲の障害物を確認する。
間近の壁を蹴り、なまえに向かって一直線に跳んだ。

「みょうじさん!」

緑谷の声に顔だけこちらを向いたなまえが、緑谷が伸ばした右手に左手を伸ばした。
このまま跳んで体育館から離れよう。アイテムはサポート科の教師と生徒がなんとかしてくれるだろうと考えた。

すると突然、視界の右端で球体がむくり、と大きく形を変えた。ぽっかりと開いた開口部は沼のように真っ黒で、こちらも先ほどまでより広くなっていた。
緑谷はその変化に唖然としたが、すぐなまえに向き直った。大きくなったことでなまえと球体との距離がぐんと縮まってしまった。はやく逃げなければ、その一心で右手をさらに伸ばした。

ガチン!、と錠が掛かるような音が体育館に響き渡った。



「い、たた…」
「み、緑谷くん、いる?怪我ない?」
「大丈夫。みょうじさんは?」
「ぶつけただけ…だと思う」

視界が一切効かない。声の聞こえる方向に顔を向けるが、自分が目を開いているのかも不安になるほどの一面の黒にそこになまえがいるのかもわからない。
「見えないね」と呟く不安げな声に応答しようとした瞬間、黒が消えた。一転して訪れた明るさに眉を顰めると同時、正面に座るなまえを認識する。思っていたより近い距離に驚き、思わず少し後退ってしまう。
そのまま上部を見上げると、一面黒の内壁の中で明るい蛍光灯のようなものが灯っていた。

「ヴィラン捕獲用なんだって」

顔を正面に戻すと、「巻き込んでごめん」としょんぼり俯く姿があった。

「ううん。お互い怪我がなくてよかった」
「あれくらいから逃げられないとか。マジでスピードなさすぎ」
「コレもみんなも傷つけないように避けてたからだよ」

それでも顔の晴れないなまえに、緑谷はなおも言葉を続けた。

「そんな顔しないで。こんなとこに1人なんて短時間でも参っちゃうし、2人でよかったよ」
「……ありがとう。優しさの権化だね、相変わらず」

逃げていたのが君だからだよ、と伝える勇気はまだ持ち合わせていなかった。


外の様子を探ろうと壁に耳を当ててみるがゴーー、と低い無音がするだけだった。壁をコンコンと叩くも響く様子はない。かなり分厚く詰まった材質なのかもしれない。

「ほっとかれてるってことはないはずだけど」
「外が見えない音も聴こえないって初めて。こんなことになっちゃったけど、さすがというか、本来の機能はしっかりしてるね」
「確かに」

壁に触れながら何かを探る様子のなまえを一瞥した緑谷は、右手の拳に個性を発動させた。そのまま壁に正拳突きを喰らわせたが、ズン…、と低く細かい振動が球体に響いただけだった。振動が跳ね返ってきた拳の痺れるような痛みに右手を振った。

「結構頑丈そう」
「そりゃ内側からは開かないよ。捕獲用だよ?」

困ったように笑うなまえに同意を返そうとした時だった。
壁が緑谷に迫ってきた。突然のことに避けることもできず、勢いに押されるまま後ろに転がった。悲鳴を上げたなまえもすぐそばに倒れていて、無防備な姿勢で目を見開いていた。

「び、びっくりした!なに!?」
「壁が。………僕が殴ったから?」
「衝撃受けたら反発する的な?」
「かも。みょうじさんは何もしてないし」
「触ってただけ…、というか、狭く、なってる」

視線を巡らすなまえに倣うと、確かに先ほどより壁が近くなっていた。内径5m程はあったはずが、今はその半分もないのではないだろうか。

「暴れるなってことか」
「捕獲用だし、そういう機能はありそうだよね」
「ごめん。下手なことはしない…ッ!?」

謝罪しながら振り返ると、同時に顔を戻してきたなまえと至近距離で見つめ合ってしまった。鼻息が頬に当たるほどの近さに一気に体温が上がり、咄嗟に顔を逸らす。

「そ、そんなあからさまに避けないでよ…!」
「ごごご、ごめん!!つい…」

盗み見たなまえも心なしか頬が赤くなっていた。
縮んでしまったうえに球体だから底面積がほとんどなく、後退ろうにも離れられるほどの距離がない。
狭い密室に2人きりという状況を意識してしまったのはどちらも同じだったようで、気不味くぎこちない空気が2人の間を漂い始めた。




何の変化もなく、何もできないまま、ただ時間だけが過ぎていった。どれほど時間が経過したのかはわからない。
緑谷が襟元を緩め頬を拭うと、右手の甲にうっすらと湿気が移った。少し暑くなったせいかもしれないし、変わらない状況に焦燥が募りだしたからかもしれなかった。

「あつ…」
「そうだね……、え」

なまえの声にそちらを向くと、左手で米神と額の汗を拭いつつ、空いた右手を顎下にある金具に掛ける姿を捉えた。緑谷は目を剥き、すぐさま顔を逸らした。ファスナーがジジ、と下りる音がする。

ほんの2秒ほどで音が止み、なまえがほっとしたように息を吐く気配がした。ちらりと視線を戻した緑谷の視界になまえの鎖骨が飛び込んできた。
鎖骨が見えたと言っても至って普通の範囲、少し襟ぐりの広いTシャツくらいだった。私服でよくある程度、露出というほどのことでもない。
それでもこの閉鎖空間で2人きり、身体が触れ合いそうな距離で、気になっている相手の完全防備のヒーロースーツから覗く、白くてまっすぐな鎖骨。普段目にしてもきっと意識しないだろうそれに目を奪われてしまう。
色々な要素が折り重なって緑谷の脳内を侵食し、冷静であろうとする思考を掻き乱した。

「空気薄くなってるよね…」
「そ、そうだね!」

ポニーテールを掻き上げるように撫でた後、手で顔を扇ぎながら「ハイネックは苦しいや」と眉を八の字に下げるなまえに苦笑いを返した。
体勢を変えれば谷間が見えそう…、などと邪な考えが過ぎった自分の不謹慎を心の中で殴った。


「遅いね」

時計を持っていないから正確な時間はわからないが、体感では30分は経っている気がする。外の様子は一切窺えず、進捗がわからない状況はただやきもきするだけだった。
それでも慌ててはいけない、きっと助けてくれるはずだと緑谷は息を吐く。会話でもして気を紛らわせようと考えた緑谷はなまえを見た。
──が、なまえの様子に瞬時に顔が曇った。

「みょうじさん!?」
「ふ、あ!ご、ごめん!」

俯いていたなまえの顔が弾かれたように上がった。両腕で抱き締める身体は震えていて、顔は青くなっている。

「大丈夫?」
「ご、めん。ちょっと、気持ち、悪くて…」

「ぼーっとしてた」と力無く答える顔にはびっしりと冷や汗が浮かんでいた。震える身体は今にも倒れそうに頼りなかった。

「寝っ転がって……って、無理か…」

狭くなった球体は凭れるので精一杯、凭れるとしても身体が触れ合ってしまう。言ってから気付いた状況に男の自分から提案するのは不味かったと反省したが、なまえは縋るような視線を向けてきた。

「いい?」
「へ?」
「座ってるだけ、でも、う、辛くて…」

緑谷が肯定するより先に向かって左に身体を倒したなまえは、球体の側面に上半身を預けた。ふぅ、と息を吐いたなまえの瞳は赤く潤んでいて、その様に緑谷は内心焦りつつも「楽にしてて」と平静を装って声を掛けた。

「何かできることある?」

ふるふると緩く頭を振ったなまえだったが、浮かぶ冷や汗と浅くて速い呼吸は変わらない。その様子を黙って見ていられなかった緑谷はほぼ無意識に右手を伸ばし、額や頬を優しく拭った。グローブ越しでもわかる汗の量に緑谷の眉間が寄った。

「…………スーツ、もうちょっと、緩める?」
「…」
「変なことは、絶対、しないから」

「当たり前だけど」と顔を覗き込むようにして尋ねると、力の無い瞳から微かな目礼が返ってきた。
頬を撫でていた右手を鎖骨下で垂れ下がっている金具に掛ける。少し視線を外しそのままファスナーを下げる。指先が丸みに当たった気配に緑谷は瞬時に手を止め、右手を離した。

「ぁ、りがと」

脱力して吐息混じりに笑うなまえの表情に、安心感と少しの背徳感、異常に速い自身の心拍数を感じた。赤面しているであろう顔から気取られないことをひたすら心の中で祈っていた。


そうしてまた時間が経った。
会話をしては一層消耗してしまうかもしれないと考えた緑谷はなまえの隣で静かに胡座をかいていた。それでも左半身はなまえに意識を向けたまま、早く助け出されることを祈りつつじっと正面の黒い壁を見つめていた。

なんとなくなまえのことが気になり、顔を微かに左に向けた。

「……みょうじ、さん?」

視線を下げて窺うも、俯いたまま浅い息を繰り返すばかりで緑谷の声掛けに気付いている様子はなかった。
意識を手放しそうにも見える様子に危険を悟った緑谷が肩を掴むと、ゆっくり顔が上がり、上目遣いの瞳と視線が交わった。

真っ赤に上気した頬と潤んだ目元、それとは対照的に青白い肌色に緑谷は一時停止する。
その後、なまえの左手が頼りなく手首を握った瞬間、緑谷の眉に強く力が込められた。

「出よう。待てない」

なまえの身体を抱き起こす。両腕でしっかり抱き込み胸板に寄り掛からせると、その力に安心したのか、ついに瞼が落ちてしまった。

緑谷の全身を緑の稲妻が走る。
ぐぐ、と両脚を曲げながら心の中でワン・フォー・オール、フルカウルと唱える。

「ひ、らけぇぇーーーーーッ!!」

壁に衝突する瞬間を狙ってアイアンソール付近のパーセンテージを20%に引き上げると、ピシ、と亀裂が入った。そして案の定、内壁がぐんと迫ってきた。狭い。もう一度蹴り上げて失敗したら圧死してしまうかもしれない。それでも、腕の中でぐったりと脱力するなまえをこのままにしておけるはずもなかった。
足先の痺れるような痛みに顔を顰めながらも、緑谷は再び蹴り上げる体勢を取る。

「がんばって」

反応すら返ってこないなまえに緑谷の焦りは募る一方だった。
再度渾身の力を込めた蹴りを亀裂目掛けて繰り出すと、今度はそこから根が広がるように亀裂の筋が伸びた。
縮む前にもう一回、と緑谷が歯を食いしばった瞬間、亀裂が急激に広がったかと思うや壁が内側から弾けるように吹き飛んだ。

突然の浮遊感にも緑谷は厳しい表情のまま、なまえをしっかり抱き留めたまま眼下を見据えた。
高さの異なるコンクリート群を捉えると、そちらへ落下できるように体勢を立て直した。横抱きに直したなまえに衝撃がいかないよう、極力軽く、柔らかく跳ねることを意識しながら柱から柱へ跳び移り降りていった。

最後のコンクリート柱から地面に着地した緑谷はそのまま左膝をつき、腕の中のなまえを窺った。
気絶しているような様子につい大きな声を出してしまう。

「みょうじさん!みょうじさん!しっかりして!!」
「……ぅ、」

瞼が薄く上がる。
眩しそうに顔を顰めながら咳き込むなまえに、緑谷の眉や肩、全身から力が抜ける。それでも腕の力だけは強いままだった。

「よ、かったぁ……!」

息を吐きながら俯くと自然となまえの首筋が右耳に当たった。脈打つ血管の動きに安堵し、抱き締める腕の力が強くなる。

「ごめん。もっと早くに出ればよかった」

そう言って顔を上げると、まだ辛そうな面持ちのなまえが微かに首を左右に振った。
何かを言おうとしているのか、動こうとする唇に顔を寄せた時だった。

「2人とも無事かーーっ!?」

大きな声に顔を正面に向けると、飯田と常闇がコンクリート群を縫うように飛んで来ていた。
緑谷の目の前で急ブレーキをかけた飯田を見上げる。

「僕は大丈夫だけどみょうじさんが…。たぶん酸欠とパニック状態で」
「それはいけない!早く保健室へ行こう!」
「緑谷、代わるぞ」

常闇の声にダークシャドウが両腕を差し出してきた。
そのままなまえを渡そうとした時、胸元を微かに引っ張る力を感じ緑谷は視線を下げた。
未だ苦しそうに喘ぎながらもなまえの潤む瞳が何かを強く訴えかけてきて、その様子に疑問を投げかけようとした時だった。

────あ。

肌色面積の多い、際どい胸元が視界に入った。心なしか緑谷に縋るように寄せられた身体は柔らかく、特に膨らみが自身の胸板に当たり形を変えている様に、緑谷は一気に逆上せた。

「〜〜〜っだ、だだっ!だいじょう、ぶッ!!!ぼ、くが、運ぶ!!!」

緑谷の剣幕にダークシャドウが素っ頓狂な声を出して両腕を上げた。飯田と常闇もポカンとしたような顔でこちらを見つめてくる。
そんな2人に見えないようにと、緑谷はなまえをより抱き寄せた。さらに密着する感覚に全身が反応したがそんなことを気にしていられない。

「全く大丈夫ではなさそうだが」
「そっ、そんなこと、ないよ!?」
「君も何かダメージを食らったのでは!?顔が尋常じゃなく赤いぞ!!」
「ぜんっっっっぜんヘーキ!!!」

緑谷は高速で頭を左右に振った後「保健室行ってくる!!!!」と言い残し、全速力で2人の前から駆け去った。
胸元にしがみつく震える拳の力にも、安心したように凭れ掛かる頭の重さにも一切気付くことはなく、その後着いた保健室でなまえを寝かせて布団を掛けるまで視線を下ろすことはできなかった。




この後しばらくはなまえと目が合うと視覚と触覚の情報が瞬時に思い出されて赤面したし、時折夢となって現れ緑谷を困らせた。うっかり下腹部に手を伸ばしてしまった夜はそれこそ本当に自身の頬を殴り、自室の壁に激突した。
衝撃にズレたオールマイトポスターを直すこともせず、不格好に転がった姿勢のまま、こんな邪な思考で埋め尽くされていてはいつか本当に失態を犯してしまうと悶々と悩む緑谷がなまえとどうにかなる日はまだまだずっと先の話。

堂々巡る脳内密室


緑谷くんお相手とのことで自由に妄想させていただきました。お決まりの閉じ込められる系です。
リクエストありがとうございました。