「相澤先生」
追いかけた先の背中に声をかけるけど、いつも通り振り返ることはない。
「質問があるんですけど」
「………なんだ」
「先生って彼女とかいるんですか?それか好きな人」
淡々と歩くペースも変わらない。この手の類の質問に沈黙を返すのだっていつも通りだ。
だから平気。慣れてる。全然気にしてないし傷つくわけがない。
「無視しないでください」
小走りで先生の右隣に並び顔を覗き込むように見上げたけど、その横顔も視線も動いた様子は一切なかった。
「先生実は既婚者とか?」
「教室戻れ」
「相手が一般人だから言えない?」
「俺がその質問に答える理由がない」
「そういう人がいるなら諦める気も起きます」
どうだろう、そんなわけないかもしれない。
先生の気を引きたくて反射で言っただけ。実際にいたとしても、わたしの先生を追う毎日は変わらないような気がする。
「何か言ってください」
「……」
「言っときますけど、無視されたって諦めませんから」
相澤先生がピタリと止まった。それに合わせてわたしも立ち止まった。
先生の横顔がゆっくりとわたしに向く。その表情は教壇に立つ時と同じ抑揚のないものだけど、それでもその視線は今、確かにわたしだけに向けられている。
「いつまで遊べば気が済む」
「遊んでないです。本気です」
気持ち力を込めて即答すると、先生の眉間が微かに動いた。きっと良い意味じゃないだろうに、なんであれ反応があるだけで嬉しくなるわたしは相当馬鹿なんだろうと思う。
「わたし、先生になら何されてもいいって思ってます」
先生の眉間にぐ、と深い皺がよった。
さすがにやばいかも、言い過ぎかな、と思った。ほんの少しだけだけど。
「それくらいには本気です」
でも何回告白したって相手にされなかったから、これくらいのことを言わないと伝わらない気もする。
先生がわたしの本気に気付いて、焦ったり慌てたりしてくれて、わたしと向き合ってくれるならなんだっていい。
視線を逸らしたら負けな気がしてそのまま見返していると、突然、先生の瞳が怒気に染まった。
その色にしまったやりすぎたと後悔したけど遅すぎて、低く鋭い声が降ってきた。
「みょうじ、お前は俺に警察の世話になれって言ってるのか」
突然の不吉なワードに思わず肩が跳ねた。
「そ、んなつもり……」
「お前が言っていることはそういうことだ」
相澤先生の鋭くなる視線に心臓が震え、両手を握り締めた。
「俺とお前がもしどうにかなったら、それは犯罪だ」
向けられた言葉と視線の威圧に息苦しくなる。俯きそうになるのを耐えようとして、思わず瞼に力が入った。
「…わ、たしが先生を好きだから、問題、ありません」
「それを一体誰が証明するんだ」
「……わたし、です」
「馬鹿言うな」
先生は個性を発動していないはずなのに、わたしの全身はみるみる強張っていく。
「証明ができないから法律がある。ルールがある。何故だ」
「……それは、は「弱い立場の人間を守るためだ」
鋭い眼光のまま見下ろす視線は、今までで一番重く厳しく感じる。
「ヒーローを目指す人間が自ら秩序を犯してどうする」
真っ当で隙のない言葉にわたしは何も返せなくて、悔しくて、唇を噛んだ。
いきなり本気で殴ってくるなんてずるい、今まで全然取り合ってくれなかったのに、と心の中で毒吐くのが精一杯だった。
雄英に入学した頃はこの人は本当に先生やる気あるのかなって思ってた。一流のヒーローだとわかっていても合理的の名の下に色々な無理無茶を言う相澤先生に、正直先生としての信頼や愛着はなかった。
でも、わたし達を守るためにヴィランに立ち向かうその姿を見た瞬間から、違うって、思った。
USJでは真っ先に闘って、わたし達を一番に考えてくれた。
そうしてボロボロになって倒れる瀕死の先生を直視できなくて、わたしはその場にへたり込んでただ泣くしかできなかった。それでも先生は命乞いなんてしなかった。どんなに傷ついてもヒーローで、わたし達の先生でいてくれた。それがどんなに強いことなのか、そんな危険に遭ってようやくわかった。
林間合宿の時はヴィランに燃やされそうになったわたしを庇って倒してくれて、「無事で良かった」と普段と変わらない声をかけてくれた。知り得る限りの林の中の状況を伝えようと思って、でも震えて言葉が出ないわたしを撫でてくれた。やっとの思いで話せたわたしに「情報助かる。よくやった」と言い残して駆け去る背中に大人の、ヒーローの大きさを見た気がした。
尊敬とか憧れとか、そうなのかもしれない。恋愛じゃないのかもしれない。
ヒーローはかっこいいし、自分のピンチを助けてくれた先生に吊り橋効果的な気持ちの揺れがあったのかもしれない。
でも相澤先生以外の誰かを見つめてドキドキすることも、目で追ってしまうこともない。ましてや何度冷たく突き離されても諦めないなんてもっとない。
先生が好き。本当に好き。そばにいたい。この気持ちを受け入れて欲しい。
先生と生徒なんて関係だから不純に見えるだけ。
ばれなきゃ良いんじゃないか。
合意なら問題ない。
そんなふうに言い聞かせて、先生に近づく自分を正当化した。
匂わせたり、ハッキリ言葉にしたり、時にはごく軽く冗談ぽく。あの手この手で繰り返し告白するわたしに、相澤先生は気付かないフリをするか無視するかのどちらかだった。
たまに表情を変えずにじっと見下ろしてくることもあったけど、肯定も否定も一切言わず、ただ無言を投げてくるだけだった。
だからわたしもめげずに、諦められずに、今日もこうして先生に縋っている。
でも流石にしつこかったんだろう。
初めて明確な言葉で否定され、今までで一番強く拒絶を向けられてしまった。捨て身の覚悟でアピールしてきたし本当は叶わないんだろうなと心の何処かで思っていたけど、いざそうなると悲しくて辛くて、胸がズキズキする。
「俺は何も聞いていない」
「先生」
「今後一切答えない」
「…っ」
喉が引き攣り口角が震えた。唇を引き結んでいないと耐えられそうになかった。
絶対に相澤先生は崩れない。言葉を重ねれば重ねるほど先生が遠退いていくのが痛いほどわかる。
先生と生徒。
こんなに近いのに遠い。
漫画やドラマみたいにはいかないんだ。あんなのフィクション、妄想、願望。わかってる。
でもどうしても重ねてしまう。頑張れば、強く想い続ければいつか届くんじゃないかって、馬鹿みたいに勇気づけられてしまう。
「……せ、めて、先生、自身がわたしを、どう思ってるか、…教えて、ください」
先生の立場としての言葉しか聞いていない。
どうにかして相澤先生自身の気持ちを知りたかった。振るなら、受け止めてから振って欲しかった。立場を理由に拒絶されたくなかった。
「じゃないと納得、できません」
「お前の納得どうこうじゃない」
それでもあくまで先生として突き離してくる言葉の数々にいよいよ耐えられなくなり、でも絶対に泣きたくなくて、下瞼にさらにぐっと力を込めた。
するとぽたり、ぽたり、とかえって涙が溢れてしまった。隠すように慌てて俯いたけど、そうなってしまってはもう止めることができなかった。
諦めたくない。好き。もうやめたい。
先生が高校生なら良かった、わたしが大人だったら良かった。
わたしが相澤先生に求めた先にあるのはわたしの望む答えじゃない。それを聞いてしまったらそれこそ立ち直れないかもしれない。わかってる、わかってるんだ。
なのに、辛くなるだけってわかってるのに、傷つきたくなんてないのに、それでも知りたい。
先生を想う気持ちが作り上げたありもしない妄想に縋ってしまう。
指先で拭うそばから溢れる涙を必死に止めようと歯を食いしばる。
こんな姿を見せたって嫌われるだけなのに。止まれ、止まれ。心の中で念じ続けると涙はより一層溢れてくるようだった。
「俺が何か言ったら…、その時点で終わりだ」
小さく聞こえた言葉に瞼を上げる。
「一時の感情に負けてその先を無駄にするな」
わたしに言い聞かせるような声にぐい、と手の甲で目元を拭って顔を上げる。
「それは俺も同じなんだよ」
見下ろす先生の瞳は長い髪と影に隠れて見えなかった。
前触れもなく雰囲気の変わった先生に頭が追いつかなくて、ただ呆然と見つめるしかできない。
涙でボーッとする思考の海の中で、先生の言葉が浮かんでは沈みを繰り返しているようだった。
そして突然、一閃の光が頭の中で弾けた。
「…っせ、んせ、あのっ!」
「今言えるのはこれだけだ」
唐突に理解したわたしを抑え込むかのような低い声に口を噤む。
ぐん、と上がった瞳はさっきまでと同じ鋭さを持っていた。突き離す眼光に、かえってわたしの気持ちは歯止めが効かなくなった。
いよいよボロボロと流れだした涙にも先生は気付いていないかのように、じっとわたしを見下ろしている。
「お前は生徒だ」
冷たくも見える瞳に、胸の中が波のように上下に揺れ動いて定まらない。
「今後、これ以上言うなら退学させる」
止まらない嗚咽に言葉が喉から出てこない。強く擦ったからか、熱い目尻に涙がヒリヒリと滲みる。
「……あとはみょうじの好きにしろ」
手の甲で拭うけど、涙はどんどん溢れてくる。鼻を啜る音が可愛くなくてみっともない。
相澤先生が立ち去った気配がしたけどぐちゃぐちゃの顔と声では何かを言えるはずもなくて、そのまま廊下に立ち竦んでいた。
先生の足音は一定のリズムで階段の向こうに消えていった。
涙を拭ってくれることも温かい言葉をかけてくれることもない。それでも、涙が止まらなくても、今はこれで十分な気がした。
涙にひらく白木蓮
ハルさま
はじめまして、うまこです。
緑谷くんの短編を何度も読み返してくださりありがとうございます。「お互い様の恋」は私の願望を詰めに詰めたおはなしなのですが、最高と言っていただけて手を握り締めています…!もっと緑谷くんのおはなしも書いていけたらと思います。
相澤先生は先生でヒーローなので、若者のまっすぐさをもってしても絶対に踏み外さないだろうなと思います。大人として叱責するだろうな、でもほんの少し、人並みに弱い、狡い大人な部分がぽろりと出てしまったら…なんて妄想しました。
リクエストとメッセージありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。