放課後、夕方だと言ってもやはり夏、容赦ない温湿度に辟易する。
風は吹いても生温かくてジメジメしてるし、木陰の隙間から燦々と降り注ぐ太陽光でベンチは熱されて、触れる太腿の裏はじっとり汗をかいている。
頭上の木ではミンミンミンミン蝉が五月蝿い。小さい頃は夕方になったらもっと大人しくなってた気がする。昼間と同じ大音量の合唱に、年々暑くなってることが関係してるのかなあ、とぼんやり考えながらソーダアイスを齧った。
ひんやりとした氷独特の食感に全身の力が抜けていくようだった。
今日はまだ帰りたくなかった。
みんなには適当に誤魔化して教室で別れた。1人になれる場所を探して校舎内を歩き回ったけど、涼しくて人目につきにくい場所はどこも先約がいて、そうして探し回って辿り着いたのが中庭のベンチだった。
こんな暑い中外にいようとする人はアホだわと思いながら、自分しかいない開放感に溜息も吐き放題だった。
しゃく、とアイスをひと口頬張る。
口内が少しキンとして、無意識に右側に寄せて咀嚼した。
今日も爆豪先輩に会わなかった。……じゃなくて、校舎内で見かけなかった。
こんな広い敷地だったらすれ違う確率も低いけど、すぐ先輩を見つけられるよう常にアンテナを張っているとわりと見つけられたりもする。
それともインターンだったんだろうか。
エンデヴァーの事務所って相当忙しそう。でもNo.1ヒーローの事務所だから人手はたくさんあるだろうし、逆に雑用すらないとかもあり得そう。
どちらにしても大変なことに変わりはないんだろうなとは思う。
「…知らないけどさ」
インターンなんて行ったことないし、ちょろっと職場体験した程度だし。
先輩とそういう話したわけじゃ、ないし。
心に浮かんだ言葉のままいじけてみてもスッキリなんてするわけもなく、そんな自分が情けなくて溜息を吐いてしまう。
もうひと齧りしながら左横に置いているスクールバッグの外ポケットを探る。スマホを取り出し確認したロック画面には何の通知も表示されていなかった。
わかってはいたのに落胆するのを止められない。そのままスマホを戻しながらまた溜息が出た。
残り少なくなったアイスを眺める。
付き合ってるはずなんだけど、彼女なはずなんだけど。
あの日、告白をオッケーしてくれた爆豪先輩はわたしの願望が見せた幻覚だったのか。
それともたまたま爆豪先輩が誰かに個性をかけられてて断れない状態だったのか。幻惑とか錯覚見せられてたとか、イエス以外の言葉が出せないとか、首を横に振れない……とか。ちょっと無理があるか。
けどこの超人社会でしかも雄英高校、どんな個性の人がいてもおかしくない、と思う。
別にネガティブに持っていきたいわけじゃないし別れたいなんて絶対ない。
でもわたしの勘違いならはやく言って欲しい。
遊びだったとか適当に返事したとか、理由なんて何でもいい。このまま何もないまま期待と落胆ばかり積み上がっていくのは、正直、しんどい。
──…ああ、そっか。
わたしの勘違いなら。
「訂正すらされないのか」
口から滑り出た言葉の虚しさに胸がチクリとした。
自分で言って傷つくとか馬鹿でしかない。でも胸の内に留めておけないくらいには毎日毎日悩んでる。
爆豪先輩本人に訊けるわけがない。そんなことして怒らせて本格的に嫌われるなんてことは絶対に嫌だ。
友達に相談したって「結局惚気じゃーん」「あの爆豪先輩と付き合えてるってだけで嬉しくない?」なんて返されてしまったらもう何も言えなくて、そうだね、なんてへらへらするしかなかった。
溶けてできた雫が薄い水色の表面を滑る。
贅沢な悩みなんだろうか。
付き合ってくださいって、イコール他の子より特別扱いして欲しいですってことじゃないのか。わかったって言うってことは、それを了承してくれたんじゃないのか。
その日交換したアカウントから誘うメッセージが届いたことはないし、勿論電話もない。
校内で会うようになったわけでもなくて、食堂で他の先輩達といるのを遠目に見るか、ごくたまに廊下ですれ違った時に会釈をすれば微かに目礼が返ってくる(ような気がする)くらい。
勇気を出してメッセージを送って会おうとしてみても断る返事ばっかり返ってくる。
それで落ち込むわたしが、欲張りなんだろうか。
角が丸くなったアイスの根元から一滴、また一滴と雫が落ちていく。
「垂れてんぞ」
右耳が拾った声がわたしに向けられたものだと理解するまでにだいたい5秒かかった。
吃驚して顔を向けると爆豪先輩がベンチのそばに立っていた。
いつの間に。ぐるぐる思考していたからか足音すら全く気付いていなかった。
「要らねんなら食うぞ」
「え」
「クッソあちぃ」
日向にいる先輩が眩しくて、思わず顔を顰めてしまう。
「ンなとこいるなんて思わねェだろ…」とかなんとか、小声で不機嫌そうな言葉はハッキリとは聞き取れなかった。
わたしの目の前まで来た爆豪先輩が舌打ちをしながら額を拭う。
その様子にほぼ無意識に右手を差し出したら爆豪先輩の顔が下がってきて、棒の根元に残った最後のひと口に向かって口をあ、と開けた。
至近距離に先輩の顔がある。
横から咥えてるからわたしの右手に先輩の口が掠りそう。
伏し目がちの瞼から生える睫毛の金色まで見える。
視界いっぱいを占める映像に茫然とする一方で、身体中の血液が急激に熱されたように体温はぐんと上がった。
顔を横にスライドさせて口端から棒を引き抜いた先輩と目が合う。その近さに肩が跳ね上がる。
シャクシャクシャク、ごくん。先輩がアイスを食べる音がクリアに聞こえる。
目が逸らせない。
「………ンな嫌だったんかよ」
「ちっ!違い!ます!!」
慌てて首を振れば爆豪先輩はそのまま視線を俯け、わたしの右手からアイスの棒を抜いた。止める間もなく左手に握っていたパッケージも奪われ、そのまま5mほど先のゴミ箱に近付き投げ捨てた。
黙って戻ってくる先輩に「ありがとうございます」と伝えると「ん」とだけ返ってきた。
爆豪先輩が右隣に座った。
腰を寝かせて背凭れに背中を預け、脚を伸ばして、軽く息を吐く。
先輩が、横にいる。それだけなのに心臓が暴れ出しそう。
「ジロジロ見んな」
「あっ!すす、すみません!!」
不躾に見過ぎた。
慌てて顔を正面に戻し、誤魔化すように右手で髪を撫でつけた。
「この後なんかあんのか」
「い、いえ!寮に戻るだけです!」
爆豪先輩と話すのが久しぶり過ぎて──記憶の限りでは食堂で挨拶した2週間前が最後だった──、緊張がやばい。心拍数が上がってるのがわかる。
わたしの言葉に特に何も返さない先輩に何か話さなきゃと思う。あんなに話したかったのに、何を話せばいいのか全然わからない。冷静になんてなれない頭に話の種は一切浮かんできてくれない。
話題を探しながらついさっきの距離の近さを思い出す。汗臭くなかったかと今さらな心配をしていると、視界の端で爆豪先輩の顔がぐるんとこちらに向いた。
「怒ってンだろ」
どちらかと言うとそれは爆豪先輩ではないですか?としか思えない顔がわたしを捉えていた。
何のことを指しているのかはわかる。けど、そうですなんて返す馬鹿はいない。
何て返そうと考えあぐねていると、爆豪先輩の眉間の皺がぐんと深くなった。
「言いたいこと言えや」
「え、あーーっと」
「怒んねェから」
言葉の威圧感が半端ない。
先輩ごめんなさい。その言葉だけは信じることができません。
「おこ……っては、ないです」
わたしが現在進行形で悩んでいることを伝えるわけにもいかない。
それでもわたしを睨むように見つめる先輩に何か言わないと、と焦る。動きの鈍い脳みそをなんとか動かすけど適当な言葉が見つからない。
「……インターン、授業、演習、報告書、自主トレ」
「え?」
「飯、風呂、便所、睡眠」
「あ、あの」
淀みなく告げられた単語の羅列に今度は頭の中に疑問符が浮かぶ。
何か言えって促したのは爆豪先輩じゃないのか。何か言わなきゃと考えていたのに、それすら無視した先輩にいよいよ脳内はパニックを起こしそうだ。
「1年だって忙しいだろが」
微かに音量の下がった言葉を聞いてしばらくの後、あ、と思う。
「マジで無理だったんだよ」
仏頂面の表情とぶっきらぼうな言い方からは悪いと思ってそうな雰囲気は微塵も感じられなかった。
それでも胸の内にあったしこりは小さく、軽くなっていく。
たったそれだけのことで気持ちが変わる自分が単純過ぎて自嘲交じりに「よかった」と呟けば、爆豪先輩の右眉尻が微かに上がった。
「付き合って、ないのかも、なんて」
「は?」
「考えちゃったりは……して、ました」
「ハァァ?」
「嫌われたかな、とか」
「いつそう言った」
「…言っては……ない、ですけど」
穏やかそうに見えた爆豪先輩が瞬時にしかめっ面に戻ってしまった。やっぱり言うんじゃなかったと後悔しながらそのまま黙っていると、さらに眉間の皺を深くさせた先輩が無言の圧力をかけてきた。
「流すな」「最後まで言え」と言っているような表情からは、少なくとも優しさは感じ取れなかった。
「えと、会えないのも、そう、ですけど」
「…」
「…………先輩からのメッセージが」
「が?」
「った、端的過ぎて…逆に勘繰る、というか……」
剣幕に気圧されて、また中途半端な言い方をしてしまった。
変わらない爆豪先輩の表情にやっぱり言ったのはまずかったと焦る。
それ以上はないとの意味も込めて「生意気言ってすみません!」と謝罪すると「怒ってねェよ」と低く不機嫌そうな声が返ってきた。
アホ、馬鹿。そういうこと言ったら駄目って思ってたのに。
首裏を流れ落ちる汗の筋の感覚がハッキリとわかった。
「テメェはどうか知らねェが」
頭を掻きながら視線を外した先輩の言葉は独り言みたいに小さくて、そんな空気感にいつの間にかスカートを握り締めていた両手の力が緩む。
「俺は今までテメェを全く知らなかったし、今もまだ知らねぇ」
そうだろうな、と思う。
わたしは去年の雄英体育祭のテレビ中継から爆豪先輩を知ってたけど、先輩がわたしを知っているわけがなかった。
告白した時、「まず名乗れや」と舌打ち交じりに返されたことはよく憶えてる。
「いきなり、馴れ馴れしくする方がやべぇだろ」
先輩の言葉にふとさっきの映像が蘇る。
浮かんだ疑問を投げたかったけどそんなことできるわけもないので、そのまま思うに留めた。
そのまま黙ってしまった爆豪先輩を横目で盗み見る。
前を見たまま、話す気配もなければ立ち上がることもなさそうだった。
震える喉を止めようと力を入れた拍子に唾が気管に流れてしまい、咽せそうになるのを必死で抑えた。
「あ、した、」
先輩の顔がこちらに向く。それだけで心臓が縮こまる感じがする。
「お昼、一緒に食べません……か?」
不機嫌そうな顔の筋肉はぴくりとも動かない。
「無理」
「え」
「インターン」
「あ……そ、そうですか…」
躊躇いなくバッサリ断られてしまった。
メッセージと全く同じ端的な言葉に傷つく。
爆豪先輩の雰囲気に今ならいけるかも、なんて淡い期待をしてしまった自分が恥ずかしい。ついさっき忙しかったって聞いた矢先に何を言ってるんだ。
居心地が悪くなり、小声で謝罪をしながら顔を逸らしかけた時だった。
「金曜」
またも単語だけで声を上げる爆豪先輩に肩がビクつく。
恐る恐る視線を戻すと、日陰にいてもわかる赤色の瞳と目が合った。
「予定変わんなきゃ学校にいる」
「…え、と、それは」
「昼ンなったら廊下の端で待っとけ」
「っ!!わっ、わかりました!」
急転直下で決まった約束にコクコクと何度も頷く。
そんなわたしが変だったんだろう、少し目を丸くした先輩に「毎回吃んな、お前」と呆れ交じりに言われてしまった。
その時の目元が微かに笑って見えたのは幻覚かもしれない。言葉はぶっきらぼうで声も低いのに怖く感じないのは、なんならどこか軟らく感じるのは、それこそわたしのご都合主義なんだろうか。
不機嫌でも無表情でもない先輩を初めて見たけど、そんな顔をしてくれるのは。
爆豪先輩がズボンのポケットから右手ごとスマホを取り出した。
無言で画面を見つめる先輩の様子を黙って窺う。
「……6時になったら起こせ」
そう言ってスマホを仕舞った先輩が首を右、左、右、と動かす。
「寝る」
「え、あ、あの、」
わたしの戸惑いは置き去りにしたまま、爆豪先輩は瞼を閉じてしまった。
慌ててスクールバッグのサイドポケットからスマホを取り出し、時刻を確認する。
6時……って、あと30分はある。
30分、このまま?寝てる爆豪先輩の横で黙って座ってる、まま?
というか、蝉、五月蝿くないですか?
爆豪先輩の馴れ馴れしいの判定ラインがわからない。
30分もあるなら話したかった。知らないなら、知る良い機会だと思うのに。
いよいよ脳みそも心臓も混乱し過ぎて疲れてきた。アイスで癒された分のMPなんて随分前に消費されてしまった。
爆豪先輩に顔を戻す。
組まれた腕に浮かぶ筋や筋肉のラインがよくわかる。鍛えてるんだろうなと当たり前のことを思う。
木の葉の影が先輩の顔を撫でる。
真っ直ぐ力の入った眉の形は変わらないけど、さっきまで刻まれていた眉間の皺はない。瞼を閉じていてもわかるイケメン具合。
静かな呼吸音が聞こえてくる。忙しかったって言ってたし、暑いし、疲れてるのかもしれない。
────かっこいいなあ。
爆豪先輩が、わたしの隣にいる。
起こしてくれって、わたしに頼んで、寝てる。
自惚れじゃない。
わたしが先輩の彼女だから。付き合ってるから。
目の前の事実が実感となって、胸に残った最後のしこりを溶かしていく。
──好き。
そんなすぐ寝れるわけないし起きてるかもしれない。
それでも胸に迫ってきた言葉を抑えきれなくて、小さく、口パクで言葉にした。
そのまま変わらない寝顔を見つめるうちに今度は恥ずかしさが迫り上がってきて、慌てて顔を背けた。幾分落ち着いたはずの心臓は再びバクバク鳴り出して、頬は日焼けしたみたいにヒリヒリと熱くなっていく。
浮かれてる、馬鹿みたい、なんて呆れながらも緩む口許を抑えきれなくて、ぱたぱたと動くローファーの爪先をただひたすら見つめていた。
淡青氷菓
「付き合っているけど普段ツンツンな爆豪くんに甘えられる」との萌えるリクエストありがとうございます。爆豪くんが告白された側でしかも付き合いたてだったらいつもの不機嫌モードのままなんだろうなと思います。甘え…てない気もしますが、私的にはめちゃくちゃ甘えてる爆豪くんです。
裏話(もとい言い訳)をmemoにひっそり書いています。ご興味持っていただけましたら覗いてみてください。
お待たせし申し訳ございません。リクエストありがとうございました。