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「なんであの時止まった」
「え?」
「捕まえられただろ」
放課後、前の席に座るや否や爆豪くんが投げかけてきた言葉に、わたしはレポートを書く手を止め俯けた顔を上げた。
今日、爆豪くんとペアを組んだ演習の2回目があった。
演習内容はヒーローチームとヴィランチームに分かれ、ヒーローは制限時間内に演習場内に隠されている要救護者のダミー人形を避難所まで連れて行くことができれば課題達成、ヴィランはそれを阻むというものだった。
わたし達はヴィランチームだった。
ヴィランに有利な状況設定だったし「とっとと終わらすぞ」との爆豪くんの一言に今日は上手くいきそうな気がする、なんて楽観視したのが間違いだった。わたしレベルがそんなこと思っちゃいけなかった。
こちらを見る瞳に申し訳なさや情けなさがせり上がってくる。逃げるように机の上の演習レポートに視線を落とした。
「…どうしよう、って思っちゃった」
シャーペンを軽く振りながら演習中のことを振り返る。
「追いかけてる間は平気だったんだけど。障子くんと目が合ったら作戦全部トんじゃって」
人形を守る障子くんと対峙した瞬間、身体が強張った。たった1秒かそれに満たないくらいのほんの一瞬だったと思う。それでもその隙が命取りになる。
「また失敗するかもって、頭真っ白になって」
「ウチがやる!行って!」と大きな声が聞こえた瞬間、真後ろから爆音の攻撃を受けてしまった。わたしは飛ばされ地面に叩きつけられたたうえに三半規管を潰されてしまった。ギリギリ吐くのは耐えられたけれど脳が揺らされる感覚に立ち上がることはおろか、蹲っているので精一杯だった。その間に障子くんはみるみる遠ざかり、耳郎ちゃんもその姿を追うように駆け去って行ってしまった。
「……ごめん」
また何も出来なかった。
今回も爆豪くんの力だけで課題達成してしまった。
あの時、去って行く2人の後ろ姿も、助けに来てくれた爆豪くんの背中も滲んで見えたのはきっと気のせいではなかった。
わたしは爆豪くんのペアでいいのだろうか。このクラスにいていいのだろうか。
反省で埋め尽くしたレポートもまだ空白の箇所がちらほら残っている。でもこれ以上何を書けるわけもなくて、そんな自分に辟易した。
「何のためのトレーニングだ」
「…」
「あんだけやってりゃいけんだろが」
「テメェは過信するくれぇが丁度いい」との爆豪くんの言葉を思い出す。
これだけやった、準備した。焦った時ほどそうやって自分に言い聞かせるようになった。そうしたら幾分落ち着いて対応出来ることが増えたし、テストも冷静に受けることができるようになった。
けれど演習やインターンはそういうわけにはいかない。心が落ち着くのを待ってくれるヴィランは勿論、ヒーローもいない。
「ほんと、ごめん」
ここまで面倒見てもらっておいてこんな散々な結果しか残せないことが悔しい。謝罪しか口にできないことが情けない。そして涙が溢れそうになる自分に嫌気が差す。とにかく腹が立って仕方なかった。
爆豪くんが息を吐く気配がした。
「苦手なモンに気ィ取られ過ぎなんだよ」
励ますような言葉に涙が出そうになる。
爆豪くんは本当は優しいと思う。言葉遣いは乱暴でずっと眉間に皺を寄せているし、爆破の個性でより怖さが増すけれど、いざ話してみるとそこまで怖くない。そのうえ先々を見据えているような、はっとするようなアドバイスをくれる。周りのことがよく見えてるんだなと思う。
本当に同い年なのかなと思うくらい出来た人だ。同じ年数生きてきてここまで差を感じる誰かに出会ったのは彼が初めてだし、そしてショックだった。
「無ェもんばっか数えて人と比べて落ち込んでりゃ世話ねぇわ。得意伸ばせ」
「…」
「失敗に囚われんな」
その言葉に目を見開く。
…とくい。とくいって、なんだ。
「なんかあんだろ」
「……」
「オイ、マジか」
顔を上げ黙り込むわたしを見る爆豪くんの表情は驚きと呆れが混ざったようなものだった。
「考えもしなかった」
わたしに得意はあるのか、何が得意なのか。
そんなことを考えたことすらなかったことにたった今気が付いた。
「は?必殺技とかそうだろが」
「いや、個性の性質的にこんな感じかなあ、みたいな、程度で…。自分でも無理矢理感満載というか……」
「ハァ!?」
爆豪くんの剣幕に思わず目を閉じた。
正直言って、必殺技には納得できていない。
みんながどんどん決めていく中にいて半ば焦りながらそれっぽいものを作っただけだ。使ううちに違和感はなくなるかと思っていたけれど、そんな気持ちで決めた技だからか未だにしっくりきていない。
「わたしの得意ってみんなの当たり前だってわかってから、その、得意って思えなくなって」
「卑屈が過ぎんだろ」
「苦手をひとつでも減らして追いつくほうが大事かなって」
中学までなら堂々と言えていたことも、雄英に入ってからは恥ずかしくて言えなくなった。井の中の蛙だったんだと思い知らされてからは自分の弱さや欠点ばかりが目につくようになった。
本当に情けない。わたしは何をしているんだ。
爆豪くんが視線を外した後、椅子に座り直した。そして再び戻ってきた視線にわたしも自然と背筋が伸びる。
「出来ねぇって自分下げるのが一番楽だ。誰も責めねぇし憐れんでもらえんだろうよ」
赤い瞳にまっすぐ告げられた言葉がぐさりと刺さった。
そうだ。
できない、底辺だから、どうせ。
誰かに言われる前に誤魔化すように口にしてきた言葉だ。そうすれば誰からも責められなかった。何も言われなかった。頑張ってるもんね、と背中を撫でてもらえた。
そうなることが心のどこかでわかっていたんだ。できない自分を指摘されたくなくて、先回りして自分を守る壁を作っていた。
「でもちげェだろ」
強くなりたい、できるようになりたい。
そう思っていながらまるで反対のことをしていた。そこから抜け出たいともがきながら壁の内側に座ったまま、傷つきたくないと縮こまっていた。
「強くなんだろ」
「……うん」
「なら考えろや」
「うん。そうする」
爆豪くんの言葉には力がある。きっとそれは彼が強いからで、わたしみたいに守りに入っていないからだ。
また少し視界が開けたような気がした。
「はよしろ。今日も演習場行くんだろ」と机を叩いて立ち上がる爆豪くんを見上げ、そしてレポートに視線を落とした。
このまま書いてたってロクなレポートにならなそうだ。
いそいそと机の上を片付け鞄に仕舞ったわたしは、前扉の前で立つ爆豪くんを追いかけた。
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「テメェの怪我の多さはもはや趣味だな」
「趣味…」
保健室の扉をノックもせず引いた爆豪くんに続く。「失礼します」と声をかけて入るも、どうやらリカバリーガールは不在のようだった。
教室での一件があった翌週の今日、爆豪くんとペアを組んだ演習の最終回が終わった。
演習中に捻った右手首に最初は大きな違和感はなかったものの、講評が終わり解散になる頃にはじんじんと痛みが増していた。見た目に酷い様子は現れていなかったけれど念のため湿布しておこうと思ったわたしは、制服に着替えた後保健室に向かった。その道すがら「今度はどこ痛めた」と爆豪くんに声をかけられた。
大した怪我じゃないし1人で大丈夫だと断るも、「却下」とさらに断られてしまった。
「そこ座っとけ」と言われるままベッドに腰掛け、腕に抱えていたブレザーを横に置いた。
戸棚から救急箱を持って来た爆豪くんは丸椅子を引き正面に座った。近くのもう一つの丸椅子も引き寄せ、そこに救急箱を置いた。
「ありがとう」
「別に」
いつも通りのぶっきらぼうな爆豪くんに笑みが零れる。その根っこを知っている今はそんな態度に怯えることはない。
「演習、最後まで足引っ張っちゃってごめんね」
「引っ張られる俺じゃねェわ」
「そうかもだけど。でも、さっきの、チャンスでまた反応遅れちゃったし…」
今回ヒーローチームだったわたし達は無事課題を達成した。
やはり前回に引き続き爆豪くんありきの結果だったのは明白だった。回を重ねるごとに自分の動きはましになったと思うけれど、それでも爆豪くんに庇ってもらわなければ立ち回れなかった場面は沢山あった。
「ただ。ペアで協力して取り組むという点においては…、みょうじ、お前が一番わかっているな」との相澤先生のコメントが思い出された。
先生、わたしの評価は下げて良いからどうか爆豪くんの評価だけは下げないでください。むしろわたしがいても対処できてしまう爆豪くんを評価してください。
「テメェがなんもしねぇであの結果なら殺してた」
「ころ」
「人形守ったのはテメェだろ」
「それはほぼ爆豪くんが」
「オラ、とっとと見せろ」
言われるままシャツの袖を捲り差し出した右手首はいつのまにか赤黒くなっていて、感じる痛み以上のグロテスクさに思わず目を剥いた。爆豪くんも右手首を数秒見つめた後、傍らの椅子に置いた救急箱から湿布を取り出しフィルムを剥がした。
両手で包み込むように貼られた湿布は冷たくて、でも爆豪くんの大きい掌は温かかった。そう認識すると同時に男の子と直に触れていることを意識してしまい、でも当然爆豪くんには何の変化もなくて、そんなことを考えている自分が少し恥ずかしくなった。
救急箱を探る爆豪くんの横顔は静かで淡々としていて、その姿に今日で最後なんだなあ、と思った。
「……ありがとう」
「さっき聞いた」
「手当てだけじゃないよ」
爆豪くんの顔が上がる。
「爆豪くんにたくさん教えてもらったから」
トレーニングも勉強も、それだけじゃない、なにより考え方がガラリと変わった。自分を狭めていたのは他でもない自分自身だったのだと気付くことができた。それは全て爆豪くんのおかげだ。
「正直、最初は怖かったんだけど…」
「…」
「でも、今は違うよ」
わからないところを教えてくれて、悩んでいたらすかさずアドバイスをくれて。今だって、怪我したことに気付いて、さらには手当てもしてくれる。
爆豪くんの察してくれ具合は半端じゃない。強くてよく気付くって最強のヒーローだと思う。わたしもそんな人になりたい。
「ペアの相手が爆豪くんで良かった。本当にありがとう」
だから、もう今度こそ1人で頑張ろうと思う。ヒーローが頼ってばかりじゃいけない。
でもそんな想いを言葉にする勇気はまだない。「どの口が言ってんだ」とか言われそうだ。だからせめて心構えだけでも伝わって欲しいと、出来る限りの笑顔で感謝を伝えた。
しばらくして爆豪くんが脱力しハァ、と溜息を吐いた。それでも左手だけはわたしの右手を支えるように握ったままだ。
「な、なにか変だった…?」
「誰にでもすると思っとんのか」
「え?」
「下心だわ」
顔を上げた爆豪くんの赤い瞳にじぃ、と見つめられる。
「付き合え」
「…………へ?」
それ以上反応できずにいるわたしに、わかれや、と控えめな舌打ちが落とされた。
「……好きだ」
「ッ!?」
絶句ってこういうことなんだろう。叫びそうなくらい驚いたけれど声は上げられず、目と口を開けたまま、ただただ爆豪くんを見つめるしかできなかった。
青天の霹靂、まさか爆豪くんの口から聞くとは、ましてや自分に向けられるなんて想像だにしていなかった言葉に唖然としていると、爆豪くんの眉尻が訝しむように上がった。
「……マジで気付いてなかったんか」
「だ、だって…、爆豪くんに限ってその可能性は、考えないというか…」
「俺をなんだと思ってんだコラ」
「す、すみません…」
少しの間の後、軽く息を吐いた爆豪くんの視線が再び手元に落ちた。爆豪くんは湿布を押さえるように親指で右手首をなぞった後、包帯を手に取った。
「自分のことに必死で周りのことなんて見ちゃいねぇ」
流れる動作で包帯を巻く両手が時々右手首に当たる。
「そんな奴の認識の中に入るにはどうしたらいいか、」
包帯をハサミで切り、折り曲げた端を金具で止めた。淀みなく動く指先を見つめていると、爆豪くんの顔が上がった。つられてわたしも視線を上げた。
「考えた結果だ」
まっすぐこちらを見る瞳は今までとは違って見えた。その視線の温度を真に受けた瞬間、爆豪くんの左手に緩く包まれていた右手を胸元に引き戻した。
視線を逸らしたいのに逸らせない。胸が、手首が、頬が、熱い。
「……爆豪くん、らしくないよ」
「あ?」
やっとの思いで出せた声は情けないくらい小さかった。爆豪くんの左手が膝に下りる。
「だって、爆豪くん的に言えば、わたし、モブだよ?」
「ハァ?」
「落ちこぼれで才能なくて、頑張っても底辺ウロウロし「そういうのヤメろっつったろが」
ピシャリと言い放たれた言葉に声が止まる。眉根の寄った鋭い瞳に気圧される。
「また下げんのかよ。変わるんじゃなかったんか」
「…っ」
「俺がいいっつってんだ。後はテメェがどうしたいかだ」
「ばくご、くん…」
「もう、前ほど必死こく必要もなくなっただろ」
爆豪くんの言葉を必死に反芻するけれど上手く働かない頭ではその意味を拾うことができなくて、言葉が一切浮かんでこない。
射抜くような瞳に見つめられるままただ唇を噛んでいると、視線が外された。爆豪くんが頭を掻きながら、再び小さく息を吐いた。
「考える余裕、できただろ」
「……あの、」
そのまま救急箱の中身を片付けていく爆豪くんを見つめる間も熱さが引く気配はない。
「返事は今じゃなくていい」
パチン、と蓋の留め具を掛けた爆豪くんは丸椅子から立ち上がり、救急箱を手に戸棚に向かった。広くてがっしりとした背中を目で追いかけていると、扉を閉めた爆豪くんが振り返った。
振り返った瞳にはさっきまでの鋭さは全くなくて、それでもまっすぐこちらを見つめることだけは変わらなかった。
「少しくらい悩めや」
不満気な声が鼓膜を震わせた瞬間、体温が3度くらい上がった気がした。
「先戻んぞ」と言い残され閉められたドアを見つめたまま、わたしはリカバリーガールが戻って来るまでベッドから立ち上がることができなかった。
呆然としながら摩った右手首はじんじんと痛み、脈打つ鼓動が鮮明に伝わってきた。
それだけはなんとかわかった。
泥塗れの鬣が燦めくから
なにがあっても諦めない横顔に気付くのも魅かれるのも、自分だけでいいと思ったんだ