忘れ物とキス

「恭弥さん、頼まれてたもの送っておいたので確認してくださいね」
「ん」

風紀委員の延長に出来上がった財団。リーダーはもちろん雲雀恭弥。相も変わらずその下で働き続けている私。彼自身は否定しているけれどボンゴレとの関わりは切り離せないもので、私もその傘下にいる状態であった。私の能力を高く買っているリボーンくんによって仕事が回されることもしばしば。恭弥さんは直属の部下がいい様に使われているのを面白く思ってないようだけれど、私は案外この仕事が嫌いではないのだ。
理由は沢山あるけど、一番大きいのは__

「あ、そういえばボンゴレのとこに忘れ物してきちゃったので取ってきますね」
「何忘れたの」
「パスポートです、必要ですよね」

来週に彼と草壁くんと私の三人でイタリアに向かう任務がある。私は居てもいなくてもいいのだが、いざと言う時の翻訳係と記録係にと恭弥さんが無理やりスケジュールを動かした。すげぇ人。

「…………へぇ、そう。忘れ物ね、君が」
「ぅ、話に夢中になっててつい」
「まあいいよ、早く戻って仕事してね」

どうやら彼にはお見通しらしい。忘れ物なんて嘘だということ。しかしパスポートがボンゴレ日本支部、基綱吉くんの所にあるのは事実だ。なぜなら私がそこに置いてきたから。

「じゃあ急いで行ってきます!」

今日は彼が来るらしいと、事前に綱吉くんから聞いていた。だからわざと忘れてきた。小走りで急いでいるフリをしてアジトを後にする。特別なルートから繋がっているボンゴレ支部。目指すは応接室だ。


この仕事が嫌いではない理由は、私の大好きな彼にある。彼と似たような環境に居られるのなら、私は危険なことだってしてしまうだろう。



その頃、ボンゴレのボスである沢田綱吉は大きなため息をついていた。応接室の机のど真ん中、誰しもがそこにあると分かるほどわかり易い場所に忘れられたものを見て。

イタリアからの客人を招く話はしていたけれど、まさかあの情報だけで彼だと見抜くとは……愛の力は偉大なり。
いつぞやの気迫溢れるセーラー服の少女を思い浮かべていると、背後から声が掛かる。

「どうしたツナ、忘れもんか?」
「いやその、俺じゃないんですけど」

例の客人、ディーノは扉を開けて硬直した綱吉を見て首を傾げる。そっと隙間から覗いた先には広い部屋の中心に位置するローテーブル。真ん中のパスポート。察しのいい綱吉はその主に気付いたものの、ディーノには疑問が広がるばかり。

「はあ。とりあえず座ってください。それは……そのまま、置いといて」
「これ、ツナのじゃないのか?」
「違いますね……誰のかは何となく分かってはいるけど」

最後の方は声が小さく、ディーノには聞き取れなかった。ツナのじゃないなら本人に届けた方が、とも思ったがそのまま置いとけと言われては不用意には触れない。言われた通りソファに腰を掛け上着を脱いだ。ここまで来てやっと開放された気分。ぐっと背中を反らして伸びをするディーノを見て、綱吉はさらに深いため息をつく。

この「わすれもの」の犯人が誰かなのは分かっている。どんな意図があってこれを忘れていったのかも察しがつく、が、いつ来るかが予測できない。今から話すことはそこまで重要なことではないが、見聞きしたことは忘れない彼女にあまり細部について知られたくないのは事実。
言いふらしたりしないことは分かってるけれど、それをネタに脅されたりすることがある……というのも、経験済みなのだ。

「んじゃ、例の話なんだが__」

コンコン。

ディーノが口を開いたと思えば、部屋に響いたノック音。二人の視線がそちらに一気に向けられて話どころではなくなってしまった。

「会合中失礼します、先刻忘れ物をしてしまいまして。入ってもよろしいでしょうか」
「……いいよ」
「ありがとうございます」

凛とした女性の声。綱吉もディーノもその正体に気付いた途端肩の力を抜いて顔を見合わせた。ギィ、と開いた重い扉の向こうに立っていたのは予想通りの人、少し息を荒らげた風紀財団に属する例の彼女であった。

「あっ、ディーノさん! いらしてたんですね!」
「わかってたくせに……」
「こらツナくん、余計な事言わないの」

ディーノを視界に捉えるや否や一直線に走り出す。机に置いてある忘れ物など思考にあれど眼中には無い。小言を零す綱吉を小さな声で牽制して、大好きな彼に向き合った。
ディーノはというと、異様な存在感を放つ彼女のパスポートを手にひらひらと掲げニコニコと笑っている。

「よ、忘れ物ってこれか?」
「ああそうなんです、私のパスポート!」

ありがとうございます! と負けないくらい眩しい笑顔で彼の掲げたパスポートへ手を伸ばした、が、手は空を掻いた。スカッと綺麗に。ディーノがひょいっと逃げたのである。

「な、ディーノさん意地が悪いですよ」
「ははっ! 意地が悪いのはそっちだろ、こんな言い訳使わなくても会いたいなら素直に言ってくれていいんだぜ」

寂しそうな目が彼女に向けられている。それを見た綱吉は右手で顔を覆い本日何度目かの溜息をつく。まーた二人のいちゃいちゃタイムが始まってしまった。そんなことより話を終わらせてしまいたいのに。

「バレてましたか…」
「お前が忘れ物なんてする訳ないだろ」

記憶力が非常に優れた彼女が物忘れなどするはずが無いのである。生まれた日から一度たりとも「忘れた」経験がない彼女が。それを知っている綱吉やディーノ、そして雲雀も彼女の稚拙な作戦に気付いていたということだ。

項垂れる彼女の手にぽんとパスポートを収めてそのまま手をぎゅっと包み込む。おそらく十年前の彼女なら顔を真っ赤にして逃げ出していただろうがもうお互い成長しているのだ。嬉しそうに目を細めてその温もりを感じ、じっとディーノの瞳を見つめて、距離を近づけて……

「って!! 俺いるんですけど!!」
「うわびっくりした」
「後でやってください!!」

ボンゴレボス、プチギレ。当然だ、仕事の最中に目の前でイチャつき出したら誰でも腹を立てるだろう。目を大きく開いて呆然と綱吉を見つめた彼女は深呼吸をしてディーノの手を離す。パスポートを胸ポケットに仕舞いさすがというべきか、綺麗なお辞儀をして見せた。

「まあ私にも非はあるね、お仕事中断させちゃってごめんなさい。でもそんなに大事な話なの?」
「大事っちゃ大事だが、恭弥達の方にもちゃんと行くつもりだったぜ。今度イタリアで催されるパーティの件でな」
「ぱーてぃー」

ボンゴレファミリーと関わりのある人たちを集めて親睦を深めようという催しらしい。ボンゴレのボスと守護者はもちろん、キャバッローネの人やシモンの人達、その他大勢が集まりどんちゃん騒ぎするだけ。しかし風紀財団としてはそれに関係があるのは雲雀だけで、わざわざ顔を出す程のこととは思えなかった。

「それ私関係ないですよね」
「まさか! ちゃんと招待状に名前載せてるぜ。お前が来てくんねーと恭弥も来ないだろ」
「あー……」

そこまでの大人数が集まるところ、私がいようといまいと彼は来ないと思うが……。そう言っても連れてこいと言わ(脅さ)れる気がする、リボーンくんに。間接的にとはいえお世話になっているわけだし、参加するのは私的にはやぶさかではないのだけど。

「話はしてみます。拒否されたら……すみません」
「そん時は恭弥に使える常套句教えてやるよ」
「ありがた〜い」

顔が見れて会話もできたし、満足とまではいかないけど補給はできた。そもそも乱入してきて迷惑をかけている自覚はあるのだ、さっさと退散しよう。それでは、と挨拶をして背を向けるとくいっと服の裾を引かれた。そんなに強い力ではないものの重心が後ろに傾き足元がよろける。

「終わったら話したいことがあるんだ、待っててもらってもいいか?」
「……はいっ、うちの方で待ってますね!」

ディーノからの誘いにほんのり頬を染めて満面の笑みで了承した彼女は小さく鼻唄を歌いながら部屋を後にした。
彼女の言う「うちの方」とは雲雀のいる風紀財団のアジトの方である。なんとなくこの後に起こりうる事を直感した綱吉は客人の前であるというのに大きく落胆し頭を抱えた。

「ディーノさんも素直じゃないですよね」
「……まあ、恭弥が来なくてもあいつには来て欲しい、ってのが本音だけどな。どうせならみんなで集まりたいとは思ってるぜ」
「途中で二人で抜け出すつもりでしょ」
「そこまでバレてんのか、さすがだなツナ」
「あはは……でもあの人は雲雀さんから離れないと思いますよ」
「それは痛いほど分かってる。多分、俺が一番」

その痛みを経験して、理解している。



同日の夕方。沢田綱吉との会合を終えたディーノは、約束していた話をすべく彼女のいる風紀財団のアジトの方への向かった。彼女の部屋がどこにあるかは知っているが、今はそこに居ないこともわかっている。彼女は基本資料室に居るようで、全ての資料に目を通すことを目標にしているらしい。歩く資料室になっちまうな、と冗談を言ったら「あはは! 恭弥さんには喋る資料室って言われましたよ、お二人共似てますね」などと返されてしまい複雑な気分にされたのは最近のこと。

その資料室の扉を開き、ずらりと並ぶ本棚の向こうに揺れる髪を見つける。音を立てずに近づけば、本に視線を集中させてペラペラと紙を捲り続ける彼女がいた。あんな速読で頭に残るんだから凄いものだ、才能を超えた一種の能力であることは確かで、それを評価して欲しがるマフィアがいるというのも頷けるほど。

「よ、お待たせ」
「………………っは! お疲れ様です、ディーノさん」

声をかけてから少し間が空き肩を跳ねさせ反応する。さながら獲物に気づいた可愛らしいうさぎ。耳をピクっと動かしてこちらに振り向き、花開くような笑顔を見せた。その表情に俺が弱いの、分かっててやってんのかな。

「それで、お話とは?」
「いつものだよ、勧誘だ。……うちに来ないか?」
「ぁー……」

いつものである。ディーノはいつも、それこそ日本に来る度に彼女をキャバッローネに勧誘している。彼女自身昔はそれを望んでいた時もあったし、丁度十年ほど前に「入れてくれませんか!?」と興味津々な様子で詰め寄られたこともあった。その時は幼い少女を巻き込むことに反対していたが今は違う。彼女とてもう立派な大人で、自分の意思で自分の進む道を決めることが出来るのだ。

そしていつも勧誘するということは、いつも断られるということ。

「すっごく嬉しいです! でも……ごめんなさい、私が居る場所はここなので」

分厚い本を大事そうにぎゅっと両手に抱え小さく頭を下げた。

「恭弥さんの下で働くのは確かに大変だし横暴だしで困っちゃうこともありますけど……財団のみんなも、もちろん恭弥さんことも大好きなんです。あっ! ディーノさんのことも大好きですよ、むしろ愛しています」

彼女にはもう恥じらいがない。愛を伝えることの大切さを学んだのか、機会があればこうして愛を伝えてくれる。それに応えるようにディーノも愛を伝えるが、彼女があの男の傍を離れることはない。

「俺も好きだぜ、愛してる」
「えへへへ、めちゃくちゃ嬉しいです!」
「だからこそ納得できねぇな、なんでそんなに恭弥の近くに居たがるんだ?」
「異性として大好きなのはディーノさんです、優しいしかっこいいしこうして思ってることをちゃんと言葉にしてくれるし……でも、支えたいのは恭弥さんなので」

彼女曰く、近くにいて楽しいのはディーノではあるものの、近くで支えたいのは雲雀恭弥らしい。難しいものだ。彼女の言葉に嘘は無い。
昔、雲雀に助けられたとかいう話はディーノも聞いているがそれ以上言及することは無かった。

「ん、そっか。嫌がる子を無理矢理連れてくわけには行かないしな」
「私がいないと恭弥さん何も出来ないので!」
「それ恭弥が聞いたら怒ると思うぜ……」
「ここにはあまり近付かないので大丈夫ですよ。……また、勧誘してくださいね。私の気が変わるまで、ずっと」

それは彼女なりの愛。誘い自体は断るけれど、また愛を伝えるために勧誘して欲しい。彼女が折れるまで、お互いに愛が掠れないかの長期戦。

それをディーノは理解していた。彼女が絶妙に天邪鬼である事を。それが可愛くて堪らないことも。

「あっ、夕食の準備しなきゃいけないのでそろそろ行きますね。よければディーノさんもどうですか?」
「いや、この後すぐ帰んなきゃいけなくてな。また今度来た時に是非食わせてくれ」
「はい! 楽しみにしてます。……またね、ディーノさん」

ちゅ、と唇が頬に触れた。異国の文化に触れた彼女のこれは愛のキスなどではなくただの挨拶である。それがわかっているのに嬉しいのは何故だろう。顔に集まっていく熱、嬉しさと驚きで硬直する身体。その間にも彼女は歩みを進めて資料室から出てしまっていた。

「今度イタリアに行った時遊びに行きますね!」と言いながら背中を向けて駆けていく彼女を見つめてため息をつく。また、振られてしまった。もう何度目か分からない。お互いこの状況に満足していることも確かで、変わってしまうことを恐れているのは自覚している。それでも好きな人にはそばにいて欲しい……本音を言えば、他の男のため、なんて腹立たしくて仕方が無いのだ。それでも我慢できるのは、納得してしまうのは__

「泥棒かい? 僕のものに手を出すなら容赦なく殺すけど」
「……聞いてたのか恭弥。つかいつもの事だし断られてるし手は出してねぇ……し」
「何その間」

彼女が駆けてった方向とは別、ディーノの背中側から聞こえた声の正体は雲雀恭弥だ。ここでいう「僕のもの」は書物かそれとも彼女か。おそらく後者であろう事が気に入らない。が、ディーノは雲雀より年上で、大人で。落ち着いている自分を好いてくれてる彼女のために全ての感情を表に出したりはしないのだ。

「お前も大変だな、恭弥」
「なんの話」
「同じこと言われてんだろ? なんとなくわかるぜ」
「……ちょうどいい、退屈しててね。売られた喧嘩は買うよ」
「売ったつもりはねぇけど……まあいいぜ、一戦だけだからな!」


__目の前の好戦的な瞳をした男に振り回されてる彼女ですら、愛おしいと感じてしまうから。