ムーンリバー(風間仁)
【ムーンリバー】
夕食後のトレーニングで仁は夜の海岸を走っていた。
夏が終わり吹き抜けて行く風もひんやりと心地好い秋を感じさせてくれる。
「………?」
視線を何気なく海辺へと向けると、砂浜にポツンと座っている人影を見つけた。
遠目からでも分かるセミロングの黒髪。小さな肩。いつも見ている後ろ姿。そうあれは幼なじみのナーナだ。
一人で背中を丸めて夜の海を眺めているようだ。だがよく見るとその背中は震えているようにも見えた。
(一体どうしたんだ…?)
気が付いたら仁は彼女の元へと走っていた。
「ナーナ?」
不意にかけられた声にナーナはビクッと身体を震わせた。
「こんな時間に女の子が一人危ないだろう?」
振り返り見つめるナーナの瞳が濡れているのに仁は気付いた。
「仁……!?」
彼に気が付いたナーナは慌てて涙を拭う。その手を仁が止めた。
幼なじみのナーナが泣いている姿を仁は初めて見た。彼の中に泣いているナーナの思い出はない。
「何があったんだ?」
「…………」
仁の問い掛けにナーナは黙ってしまう。掴んでいたナーナの手首にギュッと力が込められた。
「……何があった」
再び問い掛ける仁の表情は怖いくらいだった。
「痛い!離して!!」
「駄目だ。ナーナが話してくれるまで、この手は離さない」
いつもの穏やかな幼なじみの仁はそこにいなかった。
寄せては返す波の音だけが辺りに響き渡っていた。
重い口を開いたナーナはポツリ、ポツリ、と話し出した。時折声を詰まらせ身体を震わせる。
「もういいナーナ!?」
堪らず仁はナーナを抱きしめていた。
いつも笑顔で周囲を明るくしているナーナ。仁も彼女の明るさに何度も助けられていた。
だがナーナは絶対に自分の辛さや苦しさを見せる事はなかった。
きっといつも一人でこうして泣いていたのだろう。
そう思うといたたまれなくなり、仁は抱きしめている腕に更に力を込めた。
「ナーナ。俺はまだ非力で君に何もしてあげる事は出来ない。でも今のままじゃ君が壊れてしまう!!」
「仁……」
「しばらく俺の家に、母さんに頼んでみる。大切なナーナをそんな家に戻したくない」
俺の大事なナーナが傷ついて一人で泣くのを見たくない。
想いの全てを解き放ち仁はナーナを見つめた。
「好きだナーナ」
「……私も、仁が好き」
そっと近づいてくる仁の顔。ナーナはゆっくりと瞳を閉じた。
触れ合う唇から溢れ出す想い。
二人は互いの気持ちを確かめるように何度も口づけを交わした。
「……」
「……」
名残惜しげに唇が離れる。
見つめ合うその瞳には仁が映っており、仁の瞳にもナーナが映っていた。
満月の明るい光が夜の海の水面を照らし、穏やかな海面に一筋の光の帯を浮かび上がらせる。
「ムーンリバー」
「?」
満月の夜打ち寄せる波の上を伝うように現れる一筋の月の光の帯。その光の帯の先は海上に浮かんだ月へと続き、波の上を這う階段のように見える。
『ムーンリバー』『ムーンロード』『月への階段』等とそれは呼ばれている。
そしてこの光の道を辿って行くと月に触れる事が出来るという言い伝えがあるのだ。
満の夜だけに現れる光の階段。
「オーストラリアに月の階段が現れる場所があるんだって」
「いつか一緒に行けるといいなナーナ」
「うん」
今日初めて微笑んだナーナの顔がとても綺麗だった。
君を大切にしたい━━━━。
心からそう思わずにはいられなかった。