嘘つき(風間仁)
【嘘つき】
風間仁と七瀬ナーナは友達以上恋人未満。同じクラスになるのは3回目。互いに好意を持っているのに、行動にうつせずにいる。
更に凌暁雨という中国からの留学生が三島高専に入学し、しかも三島平八の元に身を寄せており仁ととても親しい。中国拳法を習得しているパンダを連れたツインテールの小柄な女の子だった。
ナーナとは違う健康的で元気な女の子。
(……羨ましい)
「今日も風間くんあのツインテールの彼女と一緒だね」
「うん……」
音楽室の窓から親友の凛と校庭を眺めていると、不意に飛び込んできた光景。仲良く並んで歩いている二人の姿。
ほぼ毎日その光景は見られた。
「『仁』『シャオ』だもんね。うかうかしてたら風間くん取られちゃうよ?」
「取られるも何も私と風間くんはクラスメイトなだけで……」
二人の姿を見るたび胸がチクリと痛む。はたから見てもお似合いの二人に見える。
「ちょっとあんた本気で言ってるの!?」
どこまでも内気なナーナに凛はため息をつく。
(心配してくれてありがとう凛。でも、無理なんだ私)
心配してくれる友人に感謝しながらもナーナは哀しそうに微笑んでいた。
声楽コンクールが近いため朝練が終わるのは予鈴ぎりぎり。だがナーナは教室まで急がないのでいつも遅刻だった。
「コラッ七瀬!また遅刻だ!!」
「文句はいつものように顧問にどうぞ」
雷もなんのその。ひらひら手をふりながら席に行くナーナ。担任とナーナのやり取りは、もはや朝の恒例行事となっていた。
「おはよう七瀬。相変わらずだな」
「おはよう風間くん。私急げないからね」
「あ……すまない」
交わした言葉の気まずさに仁は彼女から視線を外す。窓際の一番後ろの席に腰を下ろしたナーナ。窓の外をぼんやりと眺めている姿が仁の視界に入ってきた。
隣同士の席の二人。
(最近の七瀬は元気がないような気がする)
出会って三年。線の細い儚げなナーナが気になっていた。
昼休みお弁当を片手に教室を出て行こうとしていたナーナを仁は呼び止めた。
「なに?」
「よければ昼飯を一緒に食べないか?」
「えっ?」
かけられた言葉に驚いているのか、ナーナは言葉に詰まっている。
「最近七瀬と会話らしい会話してないから、少し話しがしたいんだ」
仁が続けて理由を言った。
「時間余り取れないけどそれでいいかな?」
胸がトクンと騒ぎだす。
「かまわない」
頬を微かに紅く染めているナーナの様子に、自然と笑みがこぼれていた。
吹き抜けて行く風が気持ち良い。雲ひとつない青空が広がっていた。
「青空ランチも気持ちいいね。たまには良いかな」
「室内だとどうしても息がつまるからな」
屋上の青空の下、二人は並んで座りお弁当を食べる。
「それ美味しそう」
「じゃあそっちの卵焼きと交換だ」
互いのおかずを交換したり、他愛のない話しをしたり、久しぶりに会話をしながら穏やかな時間が過ぎていた。
「仁、ここにいたんだ!!」
楽しい時間はあっという間に過ぎる。二人の時間の終了を告げる第三者の声。振り返るとあのツインテールの彼女が立っていた。
「!?」
胸がズキンと痛い。
「シャオどうしたんだ?」
「仁とお昼食べようと思って」
えへへと笑いながらシャオと呼ばれた彼女は、ナーナを気にすることもなく仁の隣に座りお弁当を広げた。
「……じゃあ私練習に行くね」
「七瀬、5時間目は移動教室だから遅れるなよ」
「うん。ありがと」
ナーナはその場から逃げるように、足早に去って行った。
「なんか邪魔しちゃった?」
「いや……別に」
シャオに悪気はないんだろうと思いながら、仁は心の中でため息をついた。
音楽室に着いた時自分が息切れを起こしているのに気がついた。
あの場から一刻も早く離れたくて無意識に走ってたらしい。
「……何で逃げたんだろう?」
やばいと思いながら、久しぶりに感じる息苦しさ。
ナーナはぼんやりと考える。
「何で逃げたんだろう?逃げなくてもよかったのに……」
チクリと痛む胸。
あまりにも自然に仁の隣に入ってきた彼女。
そこにいるのが当前のように見えた。
そう思ったら急に心が苦しくなって、どうしたらいいのか分からなくなり。
キーンコーンカーンコーン━━━━。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く。
「結局練習できなかったな」
軽い自己嫌悪に襲われながらナーナは、音楽室を出て次の授業が行われるであろう化学室に向かった。
「また怒られるよ」
化学室のドアから中を覗き見する。既に授業が始まっている事を確認しため息をつく。
それから深呼吸をし気持ちを整えると化学室のドアに手をかけた。
視線が一斉にナーナに注がれる。
「!!」
だがその瞬間、それは前触れもなく突然に襲ってきた。
「……はう……っ……」
心臓をわしづかみされたような激しい痛みと圧迫感に襲われたナーナは、胸を押さえながらその場にしゃがみ込む。
「七瀬さん!?」
「……は、っ…、うあ……」
息苦しさに言葉を発することができず、意識が朦朧としてくる。
「ど、どうしましょう!!」
新人の女性教師は目の前の出来事にただおろおろするばかりだった。
「先生、医務室に連絡をして下さい!俺が運びますから!!」
聞き覚えのある声と共に抱き抱えられる身体。
「しっかりしろ七瀬!!」
「……」
力強い腕に安心感を覚えたナーナはゆっくりと意識を手放していった。
仁は帰って来なかったナーナが心配になり、放課後医務室に向かっていた。
「失礼します」
軽くノックをし医務室に入る。だが部屋の主の姿はなく、かわりに部屋の奥から話し声が聞こえてきた。
「君のそれが命を縮めるんだよ。分かっているのかな?」
「はいはい、分かってますよ」
どうやらこの部屋の主である李超狼と話しをしているらしい。
(よかった。大丈夫そうだ)
仁は声の方へ歩き出そうとするが、かわされている二人の会話の内容に足を進める事ができなかった。
「入院すれば少しは時間が伸ばせるのに、私からみたらナーナくんは自ら時間を縮めてるように見えるが……」
「限られた時間なら有効に使いたいと思いませんか?例え残りの時間が少なくても悔いを残したくないんです」
その内容は重いはずなのに、明るく、普通のおしゃべりでもするように、ナーナは自分に残された時間について話していたのだ。
「……」
その場に立ちすくむ仁。
……聞いてはいけない事を聞いてしまった気がする。俺はここにいてもいいのだろうか?
「悔いを残さない、か。ナーナくんが言うと重いな」
「お褒めいただき恐縮です」
明るく、あくまでもナーナは明るかった。
それがとても痛々しい。
「それだけ言えるなら大丈夫そうだな。落ち着いたら帰るように」
「はーい」
やれやれと苦笑いしながら李はその場を後にした。
「ん?」
不意に聞こえてきたドアの開閉音。
「……風間?」
後ろ姿であったが、医務室から小走りで出て行こうとしている仁の姿を李は見たのだった。
「あいつ、聞いていたのか!?」
彼なら口外はしないだろうと思いながらも、まずったかなと李は思った。
逃げるように辿り着いたのは屋上だった。
残りの時間を悔いのないように生きる。
時間を縮める。
頭の中を駆け巡る二人の会話。
(そんなに七瀬の病気は重いのか?)
普段のナーナからはそんな様子は微塵も感じられない。
みんなに病気のことを気にさせないよう明るく振る舞っているのだろう。
━━━━知ってしまった真実。
仁の胸がざわざわと騒ぎ出した。
「綺麗な夕日」
医務室から教室に戻ったナーナは、窓から見える夕日をぼんやりと眺めていた。
校庭から聞こえる賑やかな声を聞き流しながら、自分の残された時間がもう少ないことを噛み締めていた。
あとどれくらいの時間が私には残っているのだろうか?
「足りない」
さ来月の声楽コンクールに出場できるのだろうか。
親友の18歳の誕生日を共に祝うことができるのだろうか。
まだまだやりたい事がある。
時間がなさすぎる。
一日が、短い。
「あれ?なんだろう……」
ぼやける景色。
頬をつたってゆく滴。
気がついたのは夕日が滲んでいたからだった。
気持ちを落ち着かせた仁は屋上を後にする。さすがに部活動以外の生徒らの下校時間が間近なので校舎内に人の姿はまばらだ。
「……?」
教室に足を踏み入れようとした仁はナーナの姿に息をのんだ。
鮮やかな夕日が、窓際に佇むナーナの横顔を鮮明に映し出す。
「七瀬……」
「!?」
仁の声にビクッと身体を震わせ振り向いたナーナの瞳は真っ赤だった。
いく筋もの涙が頬をつたっている。
「泣いているのか?」
ナーナの泣いている姿に胸が苦しくなった。
「かざま……くん?」
気づいたナーナは慌ててそれを拭う。
「七瀬!」
仁の身体が自然と動いていた。
「!?」
名前を呼ばれたかと思うと次の瞬間ナーナは仁に抱きしめられていた。
「か、風間くん??」
突然の出来事にナーナは戸惑い彼の名前を呼ぶ。
だが仁は答えなかった。
頭ひとつ小さなナーナは自分の腕の中にすっぽりと収まっている。
なんて華奢で、小さいのだろうか。
胸がぎゅっと締め付けられるように苦しくなるのを仁は感じていた。
「仁どうしたのかな?」
いつもの時間仁の姿が見えなかったので、暁雨は彼のクラスまで足を運ぶ。
「!?」
だが覗いたそこで見たのは、仁がナーナを抱きしめている姿だった。
声すらかけられない、重苦しい雰囲気の二人。
驚きと戸惑いに暁雨は来た道を一目散に引き返していた。
どのくらいそうしていたのだろうか。
「風間くん……あのう……」
ナーナの消え入そうな声にハッとして我に返った仁は慌てて身体を離した。
「あ……わ、悪い!!」
耳まで真っ赤になって挙動不審になっている仁。その姿がおかしい。
「突然すぎて、びっくりした」
クスリと笑うナーナの、その瞳から涙は消えていた。
「やっと笑ったな」
「えっ?」
「泣き顔は七瀬に似合わない」
「!!」
気づいているのだろうか。今、さらりと真顔で恥ずかしい台詞を言ってのけたことを。
(恥ずかしい台詞を真顔で言える風間くんはド天然!?)
カアッとナーナの頬が紅く染まった。
「泣いている七瀬の姿を見たら、自然と身体が動いていた」
抱きしめたいと思った。
こんな気持ちは初めてだった。
「七瀬の残りの時間を、俺にくれないか?」
残された時間が少しなら、泣き顔より笑顔でいてほしいと仁は思う。
「……何、で?」
仁の言葉にナーナの表情が驚きに変わる。
「さっき七瀬の様子を見に保健室に行った時、李先生と君の会話を聞いてしまったんだ」
申し訳なさそうな仁の表情にナーナは哀しそうに微笑んだ。
「そっかぁ……」
きっと偶然だったのでだろう。
偶然であろうが何であろうが、できれば知られたくなかった。
「病気の事を知ったから言うのではない。七瀬は同情なのかと思うかもしれない。だけど俺は隣にいたい。初めて出会った時から、」
「駄目!!」
仁の言葉をナーナが遮った。
本当は欲しかった言葉。
ずっと夢みていた言葉。
けれど、
「風間くんダメ。その先は言わないで……」
近づくタイムリミットとあの子の登場に、仁を想う気持ちを心の奥底へと封印しょうと決めていた。
それなのに仁の言葉が決心を鈍らせる。
「悪いが七瀬の願いでもそれを聞くことは出来ない。俺は後悔したくないんだ」
「せっかくあなたを諦める決心したのに、そんな事言われたら……」
溢れ出す本当の気持ちを抑えることはもう出来ない。
「好きだナーナ。ずっと前から好きだった」
「あ……」
初めて呼ばれた名前。『七瀬』ではなく『ナーナ』と。
それから再び抱きしめられる。
「私も、好き。ずっと仁だけをを見ていたの」
ナーナも仁の名前を呼び、彼にぎゅっと抱き着いた。
顔を上げて仁を見つめれば、優しくナーナを見つめ返す仁。
「いつ終わるかわからないこの身体。だけど私の傍にいて下さい」
ナーナは仁の頬を両手で挟む。仁はその手に自分の手を重ねると、ナーナ抱き寄せた。
「ずっと傍に居させてくれ」
誓いの言葉の後は誓いの口づけを。
重なる二つの影。
夕日だけが二人を見ていた。
それからの二人は、過ぎて行く時間を惜しむように一日、一日を大切に過ごした。
夏の終わり。沈みゆく夕日がどこか淋しそうに見えた。
新学期が始まってから学校を休みがちになっていたナーナが、その日久しぶりに登校してきた。
仁もナーナに会うのは久しぶりだった。
「仁あのね話があるから今日……」
「悪い今日は学園祭実行委員会があるんだ。話を聞くの明日でもいいか?」
放課後仁を誘うナーナ。だがタイミングが悪かったらしい。
「そうなんだ……」
仁の言葉にナーナは残念そうに言う。
それはどこか寂しそうな表情だった。
「悪いじゃあ行くから」
ナーナの様子に軽い違和感を仁は覚えたが、気のせいだろうと大して気にしなかった。
後に仁はこの日をどれだけ悔やんだことか!!
「じゃあ、またね仁」
「ああ、気をつけて帰れよ」
――――それが仁がナーナと交わした最後の言葉だった。
秋が終わり季節は冬へと歩み始めた頃、仁の元に一通の手紙が届けられた。
差出人はナーナの母親。
『またね仁』
あの日そう言ったナーナ。
何を自分に話したかったのか、今となっては聞く統べはない。
次の日担任からナーナが静養の為、転校した事を知らされた。
ナーナの行方は三島財閥の情報網をもっても、一向にわからなかった。
………………
…………
……
手紙には姿を消してからのナーナの様子がこと細かに書かれており、手紙の最後はこう結ばれていた。
『ナーナは眠るように旅立ちました━━━━』
と。
見上げた空は眩しくて、仁の視界はぼやけている。
「……ナーナの嘘つき……」
夕暮れの空に仁の呟きが溶けていった。