幸せのカタチ�A(風間仁)
【幸せのカタチ�A】
ホテル最上階から一八は眼下に広がる景色を眺めていた。
ここは一八が宿泊するホテルの最上階、スウィートルーム。
意識を失ったナーナを一八は自分が宿泊するホテルの部屋まで運んだ。
サブのベッドルームで眠っているナーナ。念のため医者を呼び寄せ診察させたところ、妊娠初期なのではないかとの答えが返ってきた。
「妊娠だと?」
「はい。おそらく妊娠初期かと思われます。それによる悪阻で貧血が引き起こされたのではないでしょうか」
「…………」
医師の言葉はナーナに対して感じていた違和感の正体を納得させるものだった。
何故一人で屋久島に来たのか。
そして風間準に会いに来たと言った理由と、顔色の悪さ。
この様子では妊娠の事も屋久島に来ている事も仁に伝えていないだろう。
「お前らは本当に世話が焼ける」
一八は携帯を取り出すと、何処かへと電話を掛けはじめた。
『留守番電話サービスにつなぎます……』
「……」
仁は本日何度目かのため息をついた。何度掛けてもナーナの電話は同じアナウンスが流れる。何かあったのではないかと心配になり自宅マンションに戻ってみたがナーナの姿はなかった。
一八との戦いの後ナーナに付けていた発信機は外してしまっていた。だが今回はそれが裏目に出てしまったようだ。
携帯電話は昼過ぎから電源が落とされており、誘拐されたとしたら身代金の連絡が来るはずだ。
(それともまたG社が絡んでいるのか?)
やみくもにナーナを捜す訳にもいかず、仁は落ち着かない時間を過ごしていた。
「仁!ナーナさんが昼過ぎにレディースクリニックを訪れていたわ。」
体調不良との話しを聞いたニーナは、仁の自宅マンション近くの病院を調べていた。
「いつも何かあると通う病院だな」
その病院の名前を仁は知っている。
「そこを出た後ナーナさんがタクシーに乗り込むのを見た人がいたわ」
タクシー会社に問い合わせたところ、ナーナらしき女性を空港まで乗せたという運転手にたどり着いた。
「そこで航空会社を調べてみたら、屋久島行きの飛行機に搭乗してたの」
「屋久島だと……?」
ニーナの口から語られた以外な単語に、仁は驚きを隠せなかった。
故郷である屋久島は、自分にとって悍ましくも懐かしい思いのある場所だ。
「何故そこにナーナが?」
いくら考えても答えには辿り着かなかった。
「……仁?」
ニーナが口を開いたその時だった。
〜〜〜〜〜〜♪
仁の携帯の着信音が不意に鳴り響く。手に取りディスプレイを確認すると、『ナーナ』と名前が出ていた。
「ナーナか!?」
慌てて通話ボタンを押し電話にでるが、聴こえてきた声はナーナのものではなかった。
『ナーナじゃなくて残念だったな、仁』
「お前……、一八か!?」
通話口から聴こえてきた声に、仁は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。
(またナーナが一八の手に堕ちたのか?ならば今度は何を要求してくる!!)
仁の頭の中であらゆる考えが駆け巡る。最悪の事態へと仁の思考が傾き初めた時、一八は意外な言葉を発した。
『屋久島にナーナがいる理由をお前は知っているのか?』
「いや。ついさっきナーナが屋久島に行った事を知った」
『やはりな』
一八が馬鹿にしたように笑っているのが聴こえる。仁は努めて冷静に振る舞った。
「やはり、とは?お前は何か知っているのか?」
『知っている』
「!!!」
『理由を知りたいなら、屋久島に来るんだな』
一八はそう言い残し電話を切った。
仁は携帯を握りしめたまま考えていた。
(何故ナーナは体調不良の身体を推してまで、屋久島へ行ったのか)
しかも誰にも、何も言わずにだ。
一八はその理由を既に知っているような口ぶりで、腹がたってしょうがない。
「ニーナ、明日の予定は全てキャンセルだ。俺は屋久島に行く!」
ナーナが目を覚ましたのは日付が変わってからだっだ。
「……ここは?」
豪華な装飾の施された部屋にナーナは驚いて飛び起きた。見るからに高級ホテルの一室だと分かる。
確か仁の育った場所に一八と共に行き、会いたいと願った仁の母親風間準に会う事が出来た。
「それから私……」
その後の記憶がなかった。
そっと部屋を出て廊下を歩くと、スワロフスキーのシャンデリアが煌々と光り輝いているリビングらしき場所に出た。
「あ……一八さん……?」
リビングの窓際に佇んでいる一八は、どこか淋しそうに見えた。
「起きたようだな」
気配に気付いたのか一八が視線をナーナに向けた。
「あのう、ここはひょっとして一八さんの宿泊される……」
高級そうな調度品が並ぶ部屋。間違いなくスウィートルームだ。
「お前が急に倒れたからな。とりあえずこちらに運んだ」
そう言うと一八はナーナに向かって“何か”を軽く投げてきた。
「!!」
手の平でキャッチしたそれは携帯電話で、間違いなく自分のだ。
「お前、仁に連絡してないだろう」
次いで言われた言葉にナーナは瞳を見開いた。
「ああっ!!」
慌てて着信履歴を見ると仁からの着信履歴でそこは埋まっている。
はぁ…っと溜息をつくナーナに一八は笑いながら付け加えた。
仁に連絡しといてやったから、明日には奴が来るはずだと。
「え?(一八さんが仁に連絡!?)」
一八の言葉に驚きを隠せないナーナ。一八は照れ臭いのかフンと鼻を鳴らし視線を窓の外に戻した。
「ところでナーナ、お前妊娠しているらしいな」
しばらくの沈黙の後一八がナーナに問い掛けた。問い掛けられた方は信じられないと瞳を丸くしている。
ナーナが倒れたのが気になり、医者を呼んだと一八は続けた。
「……重ね重ねご迷惑をおかけしました」
ナーナはペコッと頭を下げる。
一八は全くいい迷惑だと返してきた。
その言葉にナーナは『そもそも勝手に着いて来たのはあなたじゃないですか?』と突っ込みたかったのだが、彼が居てくれたお陰で大事に至らなかったのは事実だ。
(……突っ込むより感謝しなくちゃ)
そう思い直した時、ふとナーナの中にある疑問が浮かんできた。
何故彼はそこまで自分を気にかけてくれるのかと。
風間仁率いる三島財閥と敵対関係にある一八のG社。ナーナは仁のアキレス腱で、一八にとっては仁を陥れる為に最適な駒であるのは疑う余地はない。
半年前実際にそれは起こっていたのだ。
「一八さん。ひとつ訊いてもいいですか?」
ナーナの言葉に、一八は何だと言った表情で彼女を見つめた。
「一八さんは何故私に、こうまで気にかけてくれるのですか?」
「!?」
一八のナーナを見つめる表情が変わった。それは驚きなのか興奮なのか分からなかったが、彼の深紅の左目が鮮やかに色付いたのだ。しばらくの沈黙の後一八は口を開く。
「分からん」
それは耳を疑うような意外な言葉だった。
「は?」
「俺にも分からんのだ」
初めてナーナの存在をアンナから知らされた時、仁の、三島財閥のアキレス腱になる女としか思っていなかった。
だがささやかな偶然が重なり、半ば棚ぼた式に一八はナーナを手に入れる。
真っ直ぐな瞳で、畏れることなく一八と対峙したナーナに彼は興味を抱いたのだ。
「だが。……もしかするとお前が風間仁の女だからなのかもしれない」
そう一八は言うと視線を窓の外へと戻す。それがひとりにしてくれと無言のうちに語りかけているようで、ナーナは彼に頭を下げ自分の部屋へと歩き出した。
あいつに似ているからほっとけないのかもしれん。畏れることなく近づき、入り込んできた……。
どうも今日は何故か感傷的になっているようだ。
「……らしくない」
一八は自重気味に笑った。
翌朝目覚めたナーナは悪阻の酷さから、用意されたルームサービスの朝食を食べる事が出来なかった。
健康な時には美味しいそうだと感じる匂い。だが今のナーナにとっては気分を悪くするだけのものだった。
「無理です」
ナプキンで口元を押さえながらナーナは拒否する。
「昨日から何も食べてないじゃないか。お前一人の身体じゃないだろう」
それを言われると弱い。
「一八さんって意外とお節介?」
「何か言ったか?」
「いえ……何も」
ナーナは渋々であるが、コップ一杯のミルクと果物を少しだけ口にした。
誰かに心配される事がどこか心地好よくて、自然と笑みが零れていた。
仁が指定されたホテルに到着したのは午前9時を過ぎていた。単身で最上階のスイートルームに足を踏み入れる。
スワロフスキーのシャンデリア煌めくスイートルームのリビングのソファーで、ナーナは丸くなっていた。
「ナーナ!?」
仁はナーナに駆け寄り抱き起こそうとする。が、ナーナがそれを制した。
「ごめんなさい。今起こされると吐きそうなの……」
無理して飲んだミルクのせいなのか。それとも少しかじった果物のせいなのか。ナーナは後悔していた。
「顔色が良くないな。一日で痩せた感じだ」
仁はナーナの頭を優しく撫でる。ナーナは安心したように笑った。
「遅かったな。風間仁」
背後から聞こえる声に仁は立ち上がりながら振り返る。紅い瞳が仁を見つめていた。
「あんた程暇じゃないんでな」
仁も一八を見つめ返す。二人の間に火花が散ったように見えた。ほおっておくと殴り合いを始めそうな雰囲気の二人。
「あの……」
ナーナがふらつきながら二人の間に割って入る。
「「ナーナ!!」」
仁と一八がその身体を同時に支えた。
仁、一八、ナーナは、ソファーに座り互いに向かい合っていた。
「仁、驚かないで聞いてほしいのだけど」
最初に口を開いたのはナーナだった。彼女にしては珍しい言い回しだと仁は不思議に思う。
「大丈夫だ。話してくれ」
軽い違和感を覚えながらも仁は話しを続けるように促した。
「昨日の朝から続く私の身体の変調は悪阻で、今妊娠3ヶ月に入ってるって」
「妊、娠!?」
ナーナの告白に仁の瞳が拡大した。微かに頬が紅潮しているようにも見える。
「突然の妊娠で、どうしたらいいのか分からなくなって……そんな時思い浮かんだのが仁のお母様だった」
「何故母に?」
突然出てきた母親の話題に仁は戸惑う。彼女は行方不明になっており、会う事など不可能だ。
「あなたのお母様があなたを身篭った時、今の私の気持ちと近かったのかもしれな。と思ったの」
「気持ちが近い?」
ナーナが言っている意味が仁には分からなかった。だがナーナは構わず続ける。
「仁あなたははっきり言わないけど、あなたは自らの手で全てを終わらせる事を望んでいる。三島の血と自身を……」
「くっ……」
「それなのに私は三島の血を引く、いずれあなたが手にかけるかもしれない子供を妊娠してしまった」
込み上げてくる吐き気に悩まされるナーナ。二人の様子を見ていた一八が、ナーナに少し休んだほうがいいと提案してきた。
だがナーナは首を横にふる。その申し出を断った。
「……」
「仁のお母様もあなたを宿した時に、三島の血とデビルの血を持つあなたを産もうかどうか悩んだど思う。今の私と同じように……。だから私は会いにきた」
「ナーナ、俺は……」
仁の胸がチクリと痛む。
全てを終わらせる━━━━。
確かに仁の中にそれはあった。だが今の彼にそれは過去形になっている。
ナーナと再会し共に時間を共有するうちに、薄れていったのが正直な所だ。
そんな仁の心境の変化をナーナは知らなかった。
「昨日私はあなたが育ったあの場所で……」
言葉が途中で途切れる。ナーナの顔は真っ青だった。
「大丈夫かナーナ?」
「!!」
込み上げてくる吐き気に我慢が出来なくなる。口元を強く押さえながら洗面所に駆け込んで行った。
「ナーナ!?」
慌ててナーナの後を追う仁。洗面所へ続くドアの前に立つが、一瞬ドアを開けるのに躊躇してしまった。
「くそっ!」
戸惑いを振り払いドアを開けた仁が見たのは、床の上に倒れ込んでいるナーナの姿だった。
「おい!」
仁はナーナの身体を抱きあげ、揺する。だが反応はなかった。