幸せのカタチ�B(風間仁)


【幸せのカタチ�B】

通り過ぎるのは白衣を着た人ばかり。
ここは消毒薬の匂いが充満していた。

「……重度の悪阻による脱水症状を起こしています。この状態が続くと、母子共に危険です」

病室で仁は医師から説明を受けていた。

「悪阻で?」
「ええ。どうやらナーナさんは、食事も水分も取れていないようですから」
食べれなくなり痩せる。今はまだ大丈夫だが、妊娠周期が進むにつれ子供の発育にも影響が出てくるだろう。流産や死産も起こる可能性は高いと医師は言う。
「ナーナさんは出来れば大きな病院へ入院してもらい様子をみる事をお勧めします」
「分かりました。ありがとうございます」
医師はそう話しをまとめると、病室を出て行く。仁は頭を下げ見送った。
「ナーナ……」
ナーナは眠っている。腕から伸びる点滴のチューブ。薬の落ちる音だけが病室に響いていた。
「どうだ具合は?」
一八が病室に入って来る。病院に着いた後すぐ本社から連絡が入り席を外していたのだ。
「重度な悪阻による脱水症状で、このままだと母子共に危険らしい」
「そうか……」
それっきり二人は黙ってしまった。

「ところで風間仁。お前はどうするんだ?」
静寂を破ったのは一八だった。彼は椅子から立ち上がると窓際へと歩く。窓ガラスには水滴が幾つもの筋を作っていた。どうやら荒れそうな雲行きだ。
「どうするって言われても、今はよく分からない……」
昨日突然姿をくらませたナーナは、屋久島にいた。しかも一八と一緒だった。
そして何よりも仁が驚いたのはナーナの妊娠。子供が出来るという事など、正直考えた事がなかった。

……俺の血を引く子。

呪われた三島の血。
忌まわしきデビルの血。
風間の血。
そしてナーナの血。

ナーナに宿った命は、自分のように血の呪縛に振り回され生きるのだろうか。
それとも血の呪縛など関係なく穏やかに生きるのだろうか。

仁はナーナの頭を撫でた。眠っているナーナは、時折苦しそうな表情を見せていた。

「仁、一つ言っておく。お前がどういう結論をだそうとも、ナーナはもう決めているぞ」
何故なら昨日ナーナは風間準に会っていると一八は話す。
「まさか!ありえない!?」
仁は一八に掴み掛かる。
生死不明の母親が姿を現すなどとそんな非現実的な事が起こるのだろうか?
「信じられないなら信じなくていい。だがナーナは何の為に屋久島に来たと思うんだ?」
「それは……」
それは自分の母、風間準に会うため。そしてナーナの言葉は途中で途切れた。
一八の胸元を掴んでいる仁の腕から力が抜ける。一八は仁の腕を振り払った。
「どうしても気になるなら、ナーナに訊け」
自身が風間準に会った事までは口にしなかった。言った所で仁が混乱するのは目に見えていたからだ。

『一八さん。仁を、ナーナさんを、二人をお願い』

今でも準の声が頭の中に響いている。二人を心配する彼女の姿を一八は思い出す。
三島財閥の頭首として世界を動かしていても仁はまだ未熟な若者だ。
「いいか風間仁。お前は道を間違えるなよ」
それは血縁者としての精一杯の言葉だった。
「……」
一八はそれから病室を出て行こうとドアに近づく。
「一八、」
それまで言葉少なめだった仁が一八に近づいて行き彼の前に立つ。
「何だ?」
「どういう風のふきまわしか分からないが、あんたには世話になった」
そう言って仁は一八に向かって頭を下げた。これは仁の正直な気持ちだ。
「……珍しいこともある」
一八はフンと鼻で笑うと病室を出て行った。
仁はそれを見送るとさっきまで一八がいた窓際に行く。
窓ガラスには叩きつけられた雨が滝のように流れ落ちていた。昼間なのに真っ暗な雲の隙間から雷光が走る。
「まるで今の俺の気持ちを現しているかのようだ」
雷鳴が地を揺らして行った。嵐は止みそうにない。
「どうやら今日中に戻れそうにないな」
ナーナは未だ眠っており、目を覚ます気配はない。
仁は携帯を取り出すとニーナへと電話をかけ始めた。
今回彼の身に起こった事の報告。明日以降のスケジュールの確認など。

『どちらにしろきちんと話し合うべき。二人で道を間違えないようにすることね』

会話の最後、ニーナの言葉が一八と同じことに仁は苦笑いした。


眠りから覚めると白い天井が広がっていた。腕には点滴のチューブ。

(……私、倒れたんだっけ……)

少しずつ鮮明になる記憶。
仁に自分の気持ちを伝えようとした途中、今までにないくらいの吐き気に襲われ洗面所に駆け込み、そこからナーナの記憶は途切れていた。
「……」
頭をゆっくり動かし窓へと視線を動かすと、窓際に佇んでいる仁の姿が目に入る。どこか憂いを帯びた瞳で窓の外を見つめている彼の姿に胸が苦しくなった。
「起きたのかナーナ?」
ナーナの視線に気づいた仁は、ベッドにゆっくりと近づく。
「具合はどうだ?」
「まだ吐き気はあるけど、少しは楽になったみたい」
仁の問い掛けに答えるナーナの頬には少し赤みがさしていた。
「そうか無理するなよ」
仁はナーナの頭を優しく撫でた。ナーナの表情が柔らぐ。
「仁。さっきの話しの続き、聞いてくれる?」
「ああ、話してくれ」
仁はナーナの言葉に頷いた。
「私ね、あなたのお母様……準さんに会ったの」
「……」
準に抱きしめられた温もりをまだ思い出すことができる。自分を優しく包み込んでくれた準。母親の温かさを感じた。
「準さんは悩んでた私に、自分がどうしたいのか聞いてきたの」
それまで仁がどう思うのかと、彼の事だけを考えていたナーナに、準は諭したのだ。
「ナーナはどうしたいと思ったんだ?」
「この子はね私にとって唯一の血縁なんだよ」
布団の上からそっとお腹に触れてみる。まだ目立ってはいないそこに、確かに命が宿っているのだ。
「……」
仁は言葉が出て来なかった。仁も母親が行方不明になった時、自分は天涯孤独だと思った。だが実際には、祖父がいて、父がいて、母親の兄弟がいた。
けれどもナーナは違う。幼い時に両親は不慮の事故で亡くなっており、親戚兄弟もいなかった。
「私は産みたいの。仁」
「………」
出来るならナーナの願いは叶えてあげたい。だが宿った命はナーナの血だけでなく三島の血も引いているのだ。
自分のように血の呪縛に翻弄され生きなければならないかも知れない。
「仁が迷っているのは“血の呪縛”。もしこの子がそれに翻弄されても私がしっかりと抱きしめてあげる」
準さんがあなたを守っているように、私がこの子を守るから。
ナーナは両手を仁に向けて伸ばす。仁はナーナを抱き起こし、優しく抱きしめた。
「もしかしたら“血の呪縛”なんか関係のない子かもしれないね」
「ナーナ?」
「だって仁と私が愛し合って宿った命だから」
顔を上げて笑うナーナにつられて仁も笑う。
(ナーナにはかなわない。俺が悩んでいることを、簡単に笑いとばしてしまう……)
込み上げてくる愛おしさに、堪らず仁は抱きしめている腕に力を込める。

━━━━ナーナの存在が俺を救ってくれる。ずっと大切にしたい……。

心からそう思わずにはいられなかった。

「仁。一つお願いがあるの?」
「何だ?」
「あなたじゃないと駄目なんだ」
そう言ってナーナは心に秘めていた願いを話しだす。仁はその内容を聞き初めは驚いた表情をしていたが、彼女の願いの理由を聞くにしたがって柔らかい表情に変わっていた。
「それもいいかもしれない。母さんも喜ぶかもな」
早速取り掛かろうと仁は携帯を取り出すと、リダイヤルボタンを押した。

(それが完成したら、仁と私。そして……)

携帯を片手に“頭首の顔”になっている仁を見つめながら、ナーナは幸せをかみ締めていた。


それから月日は流れ━━━━。

湿気を含んだ空気に土の香りが混ざった初夏の風が鼻腔をくすぐってゆく。
仁にとって数年ぶりの屋久島は、優しく穏やかな時間が流れていた。
「……懐かしいな」
歩く町並みも昔のまま。だがひとつだけ大きく変わっている場所があった。
獣道だった緩やかな山道は、自然そのままで整備され人が行き交いしやすいようになっていた。
「こんにちは」
「こんにちは」
山道を下る人と登る人達が挨拶を交わし合う。昔ならこんな場所来るような人はいなかった。
山道を登りきると目の前に拡がるのは色とりどりの花が咲きほこる花畑。
数年前まで荒廃していたこの土地。近付く人などいなかった。
「仁?どうしたの」
先に到着していたナーナが仁の姿を見つけ近付いてきた。
「いや……昔の姿を思い出していたんだ」
木々は無惨に薙ぎ倒され残された自分は、母親を失った悲しみに絶望感に苛まれていた。そんな忌まわしき場所。
だがあの時のナーナの願いがこの場所を一変させた。
「あの時ナーナが言ってくれなければ、この場所はいつまで経っても忌まわしき場所だった」
だが今は違う。これからは懐かしい場所に変わるだろう。
「ナーナ、ありがとう」
そっと抱き寄せるとナーナは静かに微笑んでいた。
「ぱぱぁ!!」
花畑を駆け回っていた男の子が、仁の姿を見つけ駆け寄ってきた。
「蓮どうした?」
久しぶりの子供との再会に、仁は屈んで腕を広げると勢いよく飛び込んできた。
「これみちゅけたよ」
泥で顔を汚しながら笑顔で蓮は仁に四つ葉のクローバーを見せる。
「蓮よく見つけたな。良いことあるといいな」
「うんっ!」
仁の腕の中で蓮は四つ葉のクローバーを空にかざしたり興味津々だ。
「ねぇ蓮、花音は?」
花畑を見渡して見るがもう一人の子供が見当たらない。
「かのはね、かじゅやとあそんでた」
蓮の言葉に仁とナーナは顔を見合わせる。
「おい風間仁。こいつをどうにかしてくれ」
それと同時に後ろからかけられる声。振り返るとこの場所に似つかわしくないクロコダイル地のスーツに身を包んだ一八が頬を引き攣らせていた。
その腕には女児の姿があり、女児はべったりと一八にくっついている。
「あらあら花音。一八さんにご迷惑をかけちゃだめでしょう?」
「ままぁ」
「すみませんでした一八さん」
ナーナが一八から花音を受け取る。
「やれやれ」
ようやく肩の荷が下りたと一八はため息をついた。

3年前仁とナーナの間に産まれた子供は二卵性の男女の双子。男の子の名前は蓮(れん)。女の子の名前は花音(かのん)。
彼らが産まれてから初めて仁とナーナはこの場所を訪れたのだった。
一八もたまたまここを訪れていて花音に捕まったらしい。
「花音は本当に一八さんが大好きなんですよ。『かじゅやのおよめさんになる』が口ぐせなのよ」
ナーナは微笑みながら言う。
「いい迷惑だ」
そう言った一八の顔は笑っているように見えた。
「孫に鼻の下伸ばすな」
花畑で無邪気に遊ぶ子供たちを見つめながら3人は談笑していた。
穏やかな時間が流れてゆく。
仁と一八の関係も少しずつ変化し始めていた。

「「ぱぱ!まま!」」
蓮と花音が不思議な表情で指差している。三人はそちらに視線を動かした。

……!?

白いワンピースが風に揺れている。慈しむように双子を見つめる女性の姿がそこにあった。

走り出す仁。
ずっと逢いたくて逢えなった人がそこにいた。

初夏の風が優しく吹き抜けてゆく。
忌まわしき場所は再会の場所へと変わりこれからを見つめてゆく。

そして━━━━。

幸せは続く。
ふたりの先の、その先へと。

不知夜月