ダイヤモンドリング

見渡す限りの水平線。紺碧の海はどこまでも広がっている。
太陽の陽射しが海面に反射して、キラキラと眩しいくらいだ。
頭上には海に負けないくらい青い空と白い雲がどこまでも広がっている。
周囲を見渡すと忙しく動き回る人達がいて、甲板はとても騒がしかった。

ナーナは大平洋横断する豪華客船に乗船している。
今世紀最大の天文ショー『皆既日食』をその目で見るために、ある旅行会社のツアーに参加しているのだ。

皆既日食30分前を知らせるカウントダウンが始まると、船上はいっそう賑やかになる。
ナーナはその喧騒を遮るように瞳を閉じた。

「こんな所にいたのか?」
不意に身体に回された腕。優しく響くテノールの声。
それはきっと私の大切な人。
「探したぞ」
「バージル、どうしたの?」
ゆっくりと瞳を開けるとナーナの身体は青いコートに包まれていた。
頬に微かに冷たいバージルの肌を感じる。
「お前の姿が見えないから心配した」
「ごめんなさい。海が見たくて」
少し顔を動かしてバージルの顔を見上げると青い瞳が優しい色をたたえていた。

「もう日食が始まっているな」
「あ……」
差し出された遮光グラスを通して空を見上げると、太陽はゆっくりとその形を変え始めていた。
「不思議だね」
「何がだ?」
だってほんの数分間だけど太陽が月にすっぽりと隠れるんだよ。この地上から太陽が無くなるんだよ?」
空を見上げながら興奮したように話すナーナが堪らなく可愛いとバージルは思った。

バージルの逞しい腕に抱きしめられながら二人で見上げる空。
「あ……風が変わった……」
「ああ、そうだな」
今まで頬に感じていた穏やかな風は、時間と共にひんやりと冷たくなっていく。
青い空も心なしか薄暗くなっていた。
その時が近いのだと言う事を自然が知らせてくれているのだろう。

突然決まったこの旅行はナーナが発した何気ない一言だった。
「ダイヤモンドリング。見たいなあ」
ある日ニュースで皆既日食についての特集をしていたのを見ていた時、ポツリと呟いたナーナの一言にバージルはハッとした。
そう言えばナーナとは付き合っている時から結婚した今まで、二人で旅行に行った事がないと不意にバージルは思ったのだ。
そして2日後。
「日食を見に行くから用意しろ」
「え?ちょ。ちょっとバージル!?」
バージルは戸惑うナーナを半ば強引に連れ出したのだ。

「空が暗くなってきたね」
太陽は既にその形の大部分を闇に隠しており、青い空も今は夕闇に包まれ始めている。
昼前だというのに空は闇に包まれて、あまつさえ金星や水星までも見える。
不思議な光景だけど何故か不気味な気もする。
「怖いのか?」
ナーナの身体が微かに震えているのに気が付いたバージルは、ナーナに回していた腕にぎゅっと力を込めた。

やがて太陽が完全に姿を隠すと、辺りは暗闇に包まれる。
大平洋の海上、景色を遮る物は何もない。
光のない闇の世界。
永遠に続くのではないかという錯覚にすら陥りそうになる。
「バージル」
「どうした?」
不意に訪れる不安に思わずバージルの腕にぎゅっとしがみつく。
「大丈夫だ。俺がいる」
「うん……」
バージルの言葉が温もりが、何気ない言葉がナーナの気持ちを優しく包み込む。

「ほら、太陽が顔を出してきたぞ」
「あ」
やがて闇空に一筋の光りが輝き始める。
ゆっくりと暗闇から太陽が顔を覗かせ始める。
「「!!」」
二人はその光景に息を飲んだ。

皆既になった直後、太陽の光が一瞬だけ漏れて『ダイヤモンドリング』という現象を造り出す。
空に輝く光の宝石。

ナーナは左手の薬指をそっと空にかざす。

一瞬、それはほんの一瞬だった。

ナーナの薬指に、光のダイヤモンドが輝いたのだ。

不意に溢れ出す涙。
胸に込み上げてくる不思議な感情。
自然の偉大さに日頃忘れかけていた感情が呼び起こされる。
綺麗とか幻想的。そんな言葉じゃ現せなかった。

ナーナの瞳に光る涙を太陽の光りが微かに照らし出す。
「……綺麗だ……」
その表情がとても綺麗でバージルは呟いていた。

「バ、バージル?」
薄暗い中でもはっきりと分かるバージルの熱のこもった視線に、ナーナは何だか恥ずかしさを感じる。
「ナーナ……」
「!」
やがてバージルの唇が頬を掠めてゆっくりとナーナの唇に重なる。
何度も何度も想いを刻み付けるように唇を重ね合わせた。

やがて太陽の光が辺りを明るく照らし始めた。
二度目の朝がやってきたのだ。
だがそれは、この世紀の天体ショーが終わる事を意味している。
夢のような時間は瞬く間に終わってしまった。
「ん……」
ゆっくりと唇が離れると、銀糸が名残惜しそうに消えて行った。

「ねぇバージル?」
「何だ?」
それからしばらく二人並んで、どこまでも広がる青い空と紺碧の海を眺めていた。
「私の願いを叶えてくれてありがとう」
満面の笑みでナーナはバージルを見つめる。
「礼を言われる事でもないが、ナーナの願いは俺の願いでもある』
優しい微笑みでナーナを見つめ返すバージルのその表情に、ドキッとした。
「もう……反則だよその表情」
「そうか?」
「うん。反則でも……反則ついでに私の願いをもう一つ叶えてくれる?」
「ああ、構わない」
ナーナは気持ちを落ち着かせようと大きく深呼吸をした。
「あのね……」
背伸びをしてバージルの耳元に唇を寄せる。

次は、家族が増えてるといいな――――。

ナーナの思いがけない言葉はバージルに予想外の効果をもたらしていた。
言い終えたナーナは頬を紅く染めはにかんでいた。
「ナーナ」
「!?」
名前を呼ばれた次の瞬間、ナーナの視線はバージルと同じ高さにあった。
「ちょっとバージル降ろして?みんな見てるし恥ずかしいよ!!」
「駄目だ!見たい奴には見せてやれ」
ナーナの抗議も何のその。彼女をお姫様抱っこしながらバージルは船内へと歩き出す。
「う〜」
「ほら暴れるな!暴れるとパンツがまる見えだぞ」
「!!」
楽しそうに笑いながらバージルは船内を歩いて行く。
行く先は一つしかない。
「もう少しでお昼なんだけど……」
「まだ昼食の時間までは一時間半あるぞ?」
「そうだけど……」
「お前が火を点けたのだから責任は取ってもらう。もっとも昼飯など考える事など出来なくなるだろうがな」
「!!」
失敗したかなぁ……と思いながらナーナはバージルを見つめた。
その表情は悪戯っ子そのものだ。
でも。これはこれで良いのかもしれない。
「バージル?沢山愛してね」
「俺しか考えられなくしてやるから安心しろ」
「うん……」
ナーナは急に恥ずかしくなって、バージルにギュッとしがみついた。

――――二人の船旅は始まったばかり。


ちなみに次の皆既日食の時に家族が増えていたかどうかは、また別のお話し。


---アトガキ---
元題は diamond ring. 14000hits キリ番リクエストのお話です。

不知夜月