優しい嘘 前編
「ねぇバージル?」
昼下がり窓際のソファーで寝転がりながら雑誌を見ていたナーナは、ふと思いついたように彼氏の名前を呼んだ。
呼ばれた彼氏――バージルは、手にしていた書物から顔を上げる。
「何だ急に」
その表情はやや憮然としていた。
思いつきで自分の名前を呼ぶナーナは、たいがいろくな事を考えていないことが多い。
付き合い始めてもう3年。互いのことは二人共それなりに分かっていたつもりだった。
――――ナーナのあの言葉を聞くまでは。
霞みがかった空はどんよりとして今にも泣き出しそうだった。
まるで今の自分の気持ちを表しているかのように。
「やっぱり聞かないほうがよかったかな……」
数時間前の出来事を思い出し更に気持ちは沈む。
何故今になって気になり始めたのだろうか?
3年も知らんぷりをしていたことなのだから、そのままバージルの言葉を信じていればよかったのに。
でも、限界だった。
バージルと3年も付き合っているのに、彼のことを知らない。
バージルは自分のことを話したがらない。
無理にでも聞き出そうものなら、一週間は口を聞いてもらえないうえ下手をすると帰って来ない。
そんなに私に知られるのが嫌なのかな?
ナーナがバージルについて知っている事は、彼に双子の弟がいるということ。
そして二人は同じ仕事をしているということ。
―――たったこれだけ。
知らなくてもよかった。
今までだったらそうだったから。
でも……。
発端はバージルの双子の弟ダンテの仕事仲間レディだった。
彼女はダンテの仕事仲間という事で、バージルともそうである。
レディとナーナの出会いは初めてこの国を訪れた時、今から3年前に遡る。
路上で引ったくりにあい、その犯人を追い掛けてスラム街に迷い込んだナーナ。そこで待っていたのは無法地帯・無秩序の世界。
現地の人でもけっして近付かない場所。
ましてや女性などが迷い込むのは以っての外。
案の定ナーナは引ったくりを追い掛けるどころか、逆に逃げ惑っていた。
知らない街知らない人達。
『助けて!』と叫んでも誰も助けてはくれない。
自分の身は自分で守るしかない。
やがてナーナは裏路地の行き止まりに追い込まれてしまった。
じりじりと近付く男達。もう後がない。ナーナ覚悟を決めたように抵抗するのを止めた。
…………。
しばらく経っても何も起こらなかった。
恐る恐る目を開けるとそこには、ロケットランチャーのような武器を携えたに黒髪の女性が立っていた。
そしてその周りにはあの男達が倒れていたのだ。
「もう大丈夫よ」
そう言って笑う彼女の瞳の色は左右違う色。ナーナは思わずまじまじと見つめてしまった。
「何?私の瞳の色が気になるの」
あまりにもナーナがまじまじと見つめていたのがカンに障ったのか、声色が不機嫌になる。
「ご、ごめんなさい。あまりにもあなたの瞳が綺麗だったから……。あっ、助けて頂いてありがとうございます」
彼女の雰囲気を悟り慌てて謝罪と礼を言うナーナに、彼女は少し驚いていた。
「この瞳をそういう風に言われたの初めて」
これがレディとの出会いだった。
それから色々な出来事と時間を重ねて二人は仲良くなった。
ただ、レディのいで立ちにナーナは多少の違和感を感じていた。
何故そんなに武装しているのかと一度聞いたことがある。
そんな時彼女は決まって言っていた。
『女性がスラムを歩くにはこのくらい武装していた方が安全なのよ』
と。
ナーナは実際スラムで危険な目に遇っているので、レディのその言葉に妙に納得したのだった。
ナーナはスラムには絶対近付かなかった。
便利屋が実際どんな仕事をしているのかは、自分の育った国の便利屋と同じような仕事をしているのだろうと思っていた。
だから今までバージルの仕事を疑ったことはなかった。
そんなある日のこと。
バージルに頼まれた古書を探そうと、ふと立ち寄った古本屋で見かけた一冊の古ぼけた雑誌。
普段なら絶対に手に取らない、いわゆる『マニア』向けの雑誌。
その雑誌の表紙を飾っていたのがレディだった。
ただ今とは全く雰囲気が違う――まだどこか幼さが残る――そんな風にナーナには見えた。
ナーナはそれを手に取りパラパラとめくる。
アーミーマニア向けの雑誌らしく武器の紹介や最新式モデルなどが掲載されている。
何がレディに関係あるのだろうかと思っていた矢先、ナーナの指があるページで止まった。
「……え?」
ドクン、ドクンと鼓動がざわめき出す。
ページをめくる指先が震えてしまい上手にめくれない。
「なに……これ……」
ナーナの瞳に映るのは『デビルハンター』という言葉と共に紹介されインタビューを受けているレディの記事。
――――デビルハンターって何?便利屋じゃないの?
激しく全身を駆け巡る血流に一瞬気を失いそうになる。
あまりにも尋常ではないナーナの様子に、心配した店主が『大丈夫ですか』と声を掛ける。
ナーナは引き攣った表情で、それでも笑顔を作り『大丈夫です』と答えその雑誌を買い、逃げるように店を後にしたのだ。
それから色々と調べた結果『デビルハンター』とは悪魔狩人の意味をなし、文字通り悪魔を狩る仕事をする人達を指す言葉。
レディはその中でも世界トップクラスのハンターであり、実はバージルの弟ダンテが経営している『Devil May Cry』は便利屋とは名ばかりで悪魔狩り専門の仕事を請け負う店だったのだ。
確かにこの国は近年異形の者=悪魔(Devil)と呼ばれる者達が関わったとされる、原因不明の謎の事件が多い。
それがいつの間にか解決されているのをナーナは不思議に思っていたが、彼らハンターの活躍によるものだということで納得する事が出来た。
彼らの活躍で平和な日常が送れるのならそれはとても良い仕事だとナーナは思う。
だから何故バージルがその事を自分に隠さなければならないのかが不安だった。
思い返すと不審な点は沢山あった。
昼夜を問わずに出掛けるバージル。一ヶ月以上仕事で帰って来ないなんてざら。また普通の便利屋にしては報酬が桁外れに良い事。彼の部屋にインテリアのように置かれている重厚な日本刀が、彼が仕事に行く時には必ず携帯されている事。
気になってはいたがそれを聞くと不機嫌になるバージルがいて、あまりしつこいと彼が自分の元から離れて行くのではないかと不安になり、いつの間にか気付かないフリをするようになっていったのだ。
バージルには、もしかしたら悪魔とか異形の者とか無縁の世界の国で育ったナーナに心配をかけさせたくないという気持ちがあったのかも知れないが。
それでもやっぱりバージルと付き合い始めて3年は経つ。しかももうすぐ結婚する予定なのだから、隠し事はないようにしたいとナーナは思っていた。
直接バージルの口から聞きたいと思ったのだ。
だから今回、バージルに思い切って聞いてみた。
「バージル?本当は何の仕事をしているの?」
返ってきた答えは
「便利屋」
その一言。
仕事内容を聞いてもいつも通り曖昧な事しか言わない。いつもならナーナは引き下がるところだが今回は違った。
昔のレディが特集された雑誌や自分で調べた色々な資料をバージルに突き付けたのだ。
それでもバージルは何も答えようとしてくれない。堪らずナーナはバージルに問い掛けたのだ。
「バージルはレディと同じデビルハンターなんだよね……?」
『デビルハンター』
その言葉にピクリとバージルの身体が震えた。
「悪魔を退治しているんでしょう?」
「……」
「バージルは私に、仕事はただの便利屋なんて言ってたけど、どうして嘘ついてたの?」
「……」
ずっと無言で答えようとしないバージルの態度にナーナの怒りは頂点に達する。
「何故いつも黙っちゃうの!?何できちんと話してくれないの!!」
言葉と共にナーナはバージルの頬を平手打ちをした。
パシッと気持ち良いくらいの音が部屋に響き渡る。
だが、バージルは表情一つかえなかった。
問い詰めても何を言ってもバージルの答えは一切ない。
虚しく響き渡るのはナーナの声だけだった。
「……っ」
悔しくて腹立たしくてナーナの瞳からは涙が溢れ出す。
「もう、バージルの事が分からないよ……」
ナーナはくるりバージルに背中を向けた。
もう何を言っても彼は答えてくれないだろう。
ナーナは零れ落ちる涙をグイと拭う。
「私バージルのこと、本当は何も知らなかったんだね」
「……」
「私がバージルを知らなかったように、バージルもきっと私を知らない。この3年という時間は何だったのかな……」
呟くように言葉を残しナーナは部屋から出て行った。
バージルは追い掛けて来なかった。
灰白色の空は既に夕暮れを迎えていた。
肌に感じる風の冷たさにナーナはハッとして周囲を見渡す。
いつの間にか辿り着いていたのは公園だった。
「ここはバージルと初めて出会った場所」
この公園の隣には図書館がある。バージルはそこに通っており、ナーナは公園内のカフェでアルバイトをしていた。
バージルは借りた本を手にそのカフェでコーヒーを飲み寛ぐのが日課だったのだ。
ただの客と店員だった二人が恋に落ちるのに時間はかからなかった。
お互い一目惚れだったのだから。
ナーナは公園のベンチに腰を下ろした。
気がつけば辺りは暗く、公園内に設置されている街灯が辺りを照らしている。
着の身着のまま出て来てしまったことにナーナは苦笑いした。
「これからどうしょう……」
さすがにこんな所に女性が一人でいるのは危険だという事は分かっている。
でも、あの家には帰れないし、帰りたくない。
友人の所に連絡をつけたくても携帯電話は持って来ていないし、どこかに泊まれるだけのお金も持っていない。
ナーナは思案にくれていた。