優しい嘘 中編
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか?
バージルはソファーに腰をかけじっと窓の外を見ていた。
どんよりとした空は時間と共にその暗さを増していく。
何もしたくなかった。
息をすることさえも面倒だと思った。
『私がバージルを知らなかったようにバージルも私を知らない。この3年という時間は何だったのかしら』
数時間前のナーナの言葉が反芻している。さすがにこの言葉はバージルの心を貫いた。
確かに仕事の事は隠していた。
しかしそれはナーナに心配をかけさせたくないという気持ちが第一にあったからだ。
けれどもデビルハンターとして、悪魔を退治し沢山の血を流している自分。例え悪魔だろうが手にかければかけるほど内なる悪魔の血が騒ぎ立て快感すら感じている自分。
そんな自分をナーナが知ったら、彼女は自分から離れていってしまうのではないか?
それらを知られて彼女が離れて行ってしまうらくらいなら……。
バージルの中でナーナを失うことが怖かったのだ。
だから隠していた。
だがそれが逆にナーナを苦しめていたとは思わなかった。
ナーナの言葉に何も言えなかった自分。
そして動けなかった自分。
今だ腫れている頬にバージルはそっと触れた。
「思い切り叩いたな」
ナーナが自分に手を上げたのも初めて。
自分の思いをぶつけてきたのも初めて。
どちらかと言うと大人しいナーナ。自分の気持ちもをストレートに伝える方ではない。
互いに似ている二人なのに、互いを知らない二人。
「あいつの言う通りだ」
ついと口から滑り出した言葉にバージルは苦笑いした。
気がつけばナーナのことばかり考えている。
誰かと関わるのなんて煩わしだけだと思っていた。一人の方が楽だし自分の事だけ考えていればそれでいい。
だがナーナと出会い彼女はどんどん自分の中に入ってきた。
自分のテリトリーに他人が入ってくるのだからもちろん戸惑いもある。
ところがナーナには不思議と煩わしさも不快さも感じなかった。
自然に入り込んできたナーナは、バージルにとっていつしか大切な存在になっていたのだ。
Trrr……Trrr……。
静寂を破るようにバージルの携帯の着信音が鳴り響いた。
バージルは携帯を手に取るとディスプレイに表示された名前に目を向けた。
「一体何の用だ?」
ディスプレイに表示されていたのは『Dante』
今日は仕事は入っていなかったと思うが……。
仕事以外全く連絡を取り合わない二人。
バージルは面倒くさそうに通話ボタンを押した。
ポツンと頬にあたる水滴にナーナは空を見上げた。
暗いどんよりとした空からは大粒の雨が落ちてくる。
結局行く宛のないナーナはあれからずっと公園のベンチに座っていた。
ふと時計を見ると深夜を回っている。
さてこれからどうしたものかと改めて辺りを見渡したナーナは、公園の一角にいる何かを見つけた。
複数の紅い瞳がナーナを見つめている。身体は闇に紛れてよく確認出来ない。大きい紅い瞳だけが暗闇の中ぎらぎらしていた。
「何?」
ゾクリと悪寒が走る。雨が降っているせいなのか、空気が重く息苦しい。そして生臭い。
「!!」
ナーナは不意にバージルの言葉を思い出した。
『夜は、特に雨の降っている夜は例えどこであろうが絶対出歩かないでくれ』
それが何を意味していたのかはその時は分からなかった。
悪魔とか異形の者とか言われても出会った事などないのだから恐怖など分からない。
バージルに言われていた事だからそれは守っていただけだった。
でも今なら分かるバージルの言葉の意味。それを理解した時にはもう手遅れだった。
ギャオォォ――――!!
闇夜に響き渡る咆哮。
紅い瞳のそれと見て分かる異形の者たちは、それぞれに咆哮しながらゆっくりナーナを取り囲んだ。
四方を見渡しても逃げることは出来ない。
「……バージル、ごめんなさい……」
ナーナは観念したのか、それだけ呟くと瞳を閉じた。
バージルは闇夜を走っていた。降りしきる雨など構っている暇などない。
遠くからは異形の者たちの咆哮が聞こえてくる。
――――雨の降っている夜は例えどこであろうが絶対出歩かないで欲しい。
自分が彼女に言った言葉。
夜は奴らの、悪魔らの活動が活発になる。特に雨夜は奴らの好むもの。
奴らが出現する場所は大概決まっているが雨夜だけは違う。
人混みに紛れ、闇夜に紛れ殺戮を繰り返す。
バージルは逸る心を抑えながらナーナを探していた。
数分前に受けたダンテからの電話。
依頼で出かける途中に感じた凶々しい気配。明らかに奴らの気配がする。
そしてその気配のする中にナーナの姿を見かけた。
「ナーナ?」
深夜近いこの危険な時間帯に一人出歩くなんて自殺行為だ。
それでなくとも最近この辺りは悪魔が頻繁に出没する危険地帯なのだから。
「……ったく世話が焼けるぜ」
おそらくバージルの奴と喧嘩でもしたのだろう。
一つ小さな溜め息をつくとナーナを追い掛けようとしたダンテ。だがついさっきまで見かけていたはずのナーナの姿が、忽然と消えていたのだ。
一瞬で見失うほどナーナの足は早くないはずだ。
「これはちょっと厄介だ」
チラリと時計を見る。自分の約束時間が迫っていた。
今回の依頼は政府直々のものでに反古にできるものではない。
ダンテは迷うことなく携帯に手をかけた。
AM2:22――――。
雨足はますます強くなり時折雷鳴が轟いていた。
ようやく辿り着いた公園はもはや日常のそれではない。
霧が公園を覆い異様な雰囲気を醸し出している。
入口近く広場に集まっていた異形の者たちの中にナーナの姿があった。
「ナーナ!!」
バージルは叫ぶのと同時に閻魔刀を抜き異形の者たちの中に切り込んでいった。
新たなる侵入者を見つけた異形の者たちは、紅い瞳をぎらつかせながらバージルに向かって襲い掛かってくる。
「バージル!!」
「無事かナーナ!?」
ギャアアア―――!!
目にもとまらぬ早さで抜かれるバージルの刀技に悪魔たちは次々と塵に返ってゆく。
それでも二人を遮るように異形の者たちが立ちはだかる。
ギャァァォ―――!
振り下ろされる鋭い爪を避けるナーナ。それでも身体を掠める爪の後に至る所血が滲んでいた。
襲い掛かる異形の者たちの攻撃をかわしながら何とかバージルはナーナをその腕に取り戻すことが出来た。
「無事かナーナ!!」
「バージル!!」
片腕で抱き寄せるバージルにナーナはしっかりとしがみつく。
戦いの中で二人は互いを確認しあった。
ギャァオオ―――!
バージルの攻撃はやむことはない。一体また一体と異形の者たちを倒してゆく。
「絶対に俺から離れるな!」
ナーナを自分の背中に回らせ守りながら戦うバージル。その流麗な刀技にナーナは自身が危険な状態であることを忘れて見とれてしまっていた。
初めて見るバージルの戦う姿。青白い闘気のオーラを纏わせ、重厚な日本刀を流麗に振るう。
彼の攻撃により一瞬にして異形の者たちが砂に還ってゆく。
戦っているバージルの表情は無表情なのだが、どこか楽しそうに見える。
私、こんなバージル知らない。
これがデビルハンターのバージルなの?
目の前にあるバージルの背中。広く大きな背中。ナーナに攻撃が及ばないように守ってくれている。
だが、不意に現実に引き戻される。バージルは自分を助ける為に戦ってくれている。でも、でも一度心に巣食った思いは消えない。
バージルに守られながらもナーナの心は風が吹き荒れていた。
やがてあれほどいた異形の者たちは跡形もなくいなくなっていた。
ただそこには砂塵が舞っているばかりだった。