優しい嘘 後編
辺りは静寂に包まれていた。
あれが夢ではなかったのかと思わせるほど何もなく、ただ降りしきる雨だけが二人を濡らしている。
バージルは刀に着いた汚れを振り払うとそれを鞘に収めた。
ナーナはバージルの一連の動作をただ見つめている。
すぐにでもバージルに抱きつきたい気持ちはあるのに身体は動かない。
「大丈夫かナーナ?」
「うん……」
やがて振り向いたバージルはナーナに触れようと手を伸ばす。が、すぐにその手を引っ込めてしまう。
ナーナが自分を拒否している事をバージルは感じてしまったのだ。
触れようとした瞬間バージルの手を避けるように僅かに動いたナーナの身体。バージルを見つめるその瞳にも戸惑いの色を見つけてしまったのだ。
それはバージルが一番畏れていた事。
ナーナが自分のしている事を知ったら離れて行ってしまうのではないか?
そして自分自身の事を知ったら?
バージルはぐっと拳を握った。
「……ナーナ」
ようやく絞り出たし声は微かに震えていた。
バージルの様子が違うのに気付いたナーナが彼を見つめると、彼のアイスブルーの瞳が揺れていた。
こんなバージルを見るのは初めてだった。
恐い。何かが壊れそうでとても恐い。
「お前は俺が恐いか?」
「……」
バージルの問い掛けにナーナは即答出来なかった。
バージルが恐いかと訊ねられても分からない。確かにバージルの戦っている時の表情や雰囲気には戸惑いを感じた。
そんな彼を見た事がないからだ。
だがナーナの戸惑いなどには構わずバージルは話を進める。
自分はデビルハンターである事を。
ナーナが気付かないふりをしていた事を知った上で、それにに甘えていた事を。
そして何もなければそのまま隠し続けようとした事を。
「ナーナに知られたくなかった。デビルハンターという仕事を、悪魔といえども殺戮をするという行為をしている事を……」
バージルはありのまま、全てをナーナに伝えようとしていた。
「そして俺は人間ではない。人の血と悪魔の血を引いている。いわゆる半魔という存在だ」
「半、魔?」
「父が悪魔で母が人間だ」
「父親が悪魔って、まさか!?」
「そのまさか、魔剣士スパーダが父親だ」
魔剣士スパーダ――――。
遥か数千年前、人間界を守る為に魔界の王と戦った伝説の悪魔。
未だ語り継がれているその魔剣士の物語をナーナは祖母から聞いていた。
特殊な血筋を持つ祖母の一族は数千年前、その魔剣士と共に魔界の王と戦ったという。
だが数千年前の出来事。
語り継がれているそれは伝説としての物語で、信憑性に欠けるのではないか?
けれど伝説の魔剣士の息子が存在していて、それがバージル。
まるで作られたような話しに、ナーナはにわかには信じる事が出来なかった。
でもバージルは冗談などを言うような人ではない。まして今このような情況で冗談や嘘を言う必要はない。
信じがたい出来事が目まぐるしく自分の身に起こったのが数分前。まだ気持ちの整理すらついてないナーナ。
バージルがきちんと話してくれた事は良かった。けれど。
バージルは半魔。
人間と悪魔のハーフ。
私は人間。
バージルの人間離れした身体能力と容姿は悪魔の血が入っているから?
そう考えると納得出来る。
――――悪魔と人の間に産まれた子供は月の光のような銀色の髪と、アイスブルーの瞳を持つのよ。
不意に思い出される祖母の言葉に胸がドキッとする。
その話しを聞いた時私は小さすぎてよく分かっていなかった。
でも……。
行き場を失いぐるぐると駆け巡る気持ち。
「ナーナに全てを知らせてしまえば、俺から離れていってしまうのではないかと。だから知られる事が怖かった」
思いのたけを全て吐き出したバージルは小さく息を吐いた。
雨は一向に止む気配を見せない。時間を追うごとに雨足は強くなる一方だった。
ずぶ濡れの二人。
バージルは降りしきる雨を見上げている。
ナーナは俯きかげんに何かを考えているようだった。
「あの……バージル?」
それまで黙って話を聞いていたナーナが口を開いた。
バージルはゆっくりと視線をナーナに向ける。バージルの見下ろす視線の先には頭一つ小さなナーナがいて、真っ直ぐな瞳でバージルを見つめていた。
何かを決意したかのように瞳に宿す光。
バージルは逸らす事なくその瞳を見つめ返した。
「ありがとうバージル」
ナーナの口から発せられた言葉にバージルの瞳が僅かに揺れる。
『ありがとう』と言う言葉は何を意味しているのだろうか?
助けた事に対する感謝なのか、それとも……。
そんな思いがバージルの頭の中をぐるぐると回っていた。
「私とバージル。本当にお互いの事を知らなさ過ぎたね……」
バージルを見つめるナーナの瞳が、不意に悲しげな色になった。
今までこんなにも向かい合って話をしたのは初めてだ。
これが最初で最後になるのだろうか?
一番失いたくない人をを自らの過ちで俺は失おうとしているのか?
ゆっくりと口を開くナーナ。
「もっと早くバージルの事を聞きたかった」
「すまない……」
「私に知られるのが怖いと言ったけど、私はバージルが何者でも構わなかった。バージル自身を愛していたから……」
語られた言葉は『〜していたから』。それはナーナの口から初めて聞く過去形。
「ナーナ?」
「知った事より、知らない事の方が辛いのよ?」
私を傷つけない為に黙っていたあなたの優しさは、私にとっては嘘でしかなかった。
畏れていた事だった。
次のナーナの言葉を待たなくても分かる。
バージルは唇を噛み締めた。
無くしてから初めて人は気づく。それが本当に手放してはならないものだと――――。
季節は等しく巡り来る。二人が出会ったあの春がまた巡り来る。ここで一人桜を見るのは3度目だった。
あの日二人は別れを選択した。
愛しているからこそ一緒にいられない。嫌いになったからではなく、愛しているから今は別れるのよ……。
降りしきる雨の中、ナーナが出した答えは別れ。
バージルに別れを告げたナーナは微笑んでいた。
ナーナのためについていた『優しい嘘』が、結果彼女を傷つけた。
そしてバージルは気付く。
『優しい嘘』はナーナはなく自分自身を守るためについていたのだと――――。
「やっと気付くとは、俺も相当な大馬鹿野郎だ」
ナーナを愛している。今もその気持ちに変わりない。彼女がいなくなって想いは募るばかりだった。
ひらひらと薄桃色の花びらが風に吹かれて舞い散る。バージルはただ黙ってそれを見つめていた。
(不思議だ。桜を見ているとナーナとの想い出が甦ってくる……)
バージルは瞳を閉じた。
…………。
記憶の中のナーナがバージルを笑顔呼んでいる。鮮やかに色褪せないナーナの笑顔。引き込まれる想いの彼方。
……バージル?
聞こえる懐かしい声。
……バージル!
はっきりと、それはまるで彼女が傍にいるような錯覚さえ覚えてしまう。
……バージル!!
あまりにも近くはっきりと名前を呼ぶ声に、バージルはハッとして瞳を開けた。
風が薄桃色の花びらを舞い上がらせると、鮮やかな桜吹雪がバージルを包み込む。
……!?
眼前に拡がる薄桃色の景色の中、懐かしい顔が笑っていた。
ドクン……と強く脈打つそれは、徐々に早くなり、バージルは息苦しさを覚える。動悸が止まらない。
「……バージル?」
口から紡ぎ出される自分の名前。耳に響き渡る心地好い声。
「……久し振りね……」
はにかんだ顔。
「あなたに逢いたくなって」
そこに立っていたのは――――。
夢なら覚めないでくれと願いながら、バージルは駆け出していた。
---アトガキ---
バージルの切ない話が書きたい!死ネタ以外で!と書いたお話です。結局ハッピーエンド?
人は嘘をつきます。自分を守る為、誰かを守るため。主人公は嘘が嫌だったのではなく、嘘のつかれかたが嫌だったのかと思います。