【22.壊れた心】
外出ができない事を除けば、軟禁生活といっても通常と変わらなかった。
携帯も使えるし、パソコンも使える。それは外部との連絡を制限しないという事を意味している。
だが、ナーナはそれを使おうとしなかった。
裏切り、汚れた私は、仁を苦しめるだけの存在。そんな私は、もう仁の傍らにいる資格などない━━━━。
それが理由だった。
毎日ボーッとただ時間の過ぎ行くままに過ごす。そして日々苛まれる罪悪感。
それは徐々にナーナを追いつめていった
いやっ!
やめて!
私に触らないで!!
いやあぁぁぁぁ━━━━!!
真っ暗な部屋に響き渡るのは恐怖に怯えた叫び声。
「!!!」
ナーナはハッとして目覚めた。
「……夢?」
自分の叫び声で目を覚ますのは、もう何度目だろうか。
その度に身体全体が激しくドクドクと脈打ち震え、呼吸はハアハアと荒く速く呼吸困難に陥りそうになる。
「……っ!!」
涙は溢れ出し幾筋にも頬を伝い落ちる。それは止まることを知らなかった。
ラースにレイプされたあの日から、もうどれくらい経ったのか分からない。
身体に残された情事の痕跡は既に消えており、妊娠の可能性は否定された。
だが心に受けた傷は癒えることなく、時間の経過と共に悪化しナーナを苦しめていた。
汚れてしまった私。
裏切ってしまった私。
こんなに苦しいなら、もう私なんていらないから━━━━。
ある日ナーナの様子を見に来た一八は、自宅の惨状を目の当たりにした。
閉め切られた真っ暗な部屋。
それを不審に思い電気を点けると、飛び込んできた光景。
食器という食器類は床に叩きつけられたのか大量に割れて散らばっており、食器棚の硝子窓も粉々に割られていた。
洗面所の鏡は原形を留めることなく砕け散り、床の所々には血痕が飛び散っていた。
「一体何が起こったんだ!?」
一八はこの現状を作り出したであろうナーナの姿を探す。
ナーナはリビングのソファーに力なく身体を投げ出していた。
「貴様!!この状況を説明してもら……」
沸き起こる怒りを抑えながらナーナを見つめた一八は、その光景に言葉を失う。
ナーナは手にした硝子の破片で、自分の手首を切り付けていたのだ。
どれくらいの間傷をつけていたのか。
溢れ出した血は絨毯に血溜まりを作っている。
「おい止めろ!!」
慌ててナーナの手を掴み硝子の破片を奪い取るが、溢れ出す血は止まらない。
急いで応急処置にと身につけていた深紅のスカーフで止血をした。
しばらく様子を見に来なかった事が、状況を悪い方へと向かわてしまったと一八は舌打ちをする。
それから携帯を取り出し至急医師を呼ぶよう秘書に伝えた。
駆け付けた医師によると、出血は多いが傷口は浅いとの事だった。
衰弱しているナーナに点滴の措置を施した。
一八はそれを見届けてから医師を下がらせた。
治療の際目に映った両手首の無数の切り傷。それは一八にも分からないように、自身を傷つけている自傷行為の痕だった。
「……死なせて、下さい」
虚ろな瞳は何も見ていない。
「自傷行為とは、馬鹿かお前は!!」
声を荒げる一八にナーナは身構えた。
殴られると思ったのだろうか。ナーナの、その身体は震えている。
一八は恐怖を与えないよう呼吸を一つし、声色を整えた。
「……身体を傷つけるな。自分を大切にしろ」
だがナーナは身構えたまま怯えていた。
「私は……汚れてる……」
「お前は汚れてなどいない」
ナーナがレイプされていた事は、彼女を自分の元に連れて来た時に理解はしていた。
だが、不意に思い出されるアンナのあの言葉。
『だとすると精神面のケアを万全にしないと、厄介な事になるわよ?』
全くその通りだと一八はため息をついた。
一応ではあるが、週に数回はカウンセリングを受けさせていた。
その時点では何も問題ないように見えていたた。しかし実際には効果はなかったようだ。
待機させている医師にナーナを眠らせるよう指示を出す。言われた通り医師は点滴に睡眠薬を投入させた。
「もういい。今は休め」
「あ……」
大きな手の平がナーナの頭を撫でる。
それは不器用な動きだったが、不思議と安心感を与えてくれた。
「…………」
それから程なく薬が効いたのか、ナーナは静かに眠りについた。
「一八様、ナーナ様の容態について申し上げたい事がございます」
二人の様子を観察していた医師が、静かに口を開く。
「言ってみろ」
一八はゆっくりと視線を医師に移した。
「ナーナ様は心身共にかなり衰弱しており、このままの状態が続けば命の危険がございます」
「……」
「誠に僭越ながら、ナーナ様を元の状況に戻して差し上げるのが、現状の最善策かと思われます」
医師は臆することなく自分の意見を口にした。
別に一八がナーナ拉致してこの状況を作った訳ではない。偶然が重なり一八の元にナーナはいるのだ。
その事実を一八は口に出さない。医師がどう思っていようが一八には関係ないのだ。
「……貴様はどうも口が過ぎるようだな」
そうは言っても医師の言葉に不快感はない。
だが一八は鋭い視線を医師に放った。
「余計な事はいい。それよりこの事は他言無用だ」
「かしこまりました」
医師はそれにたじろぐこともなく一八の真意を汲み取ると、頭を下げ静かに退室して行った。
自らの身体を意識的・無意識的に拘らず傷つける事を自傷行為と言う。
「全く、厄介なことだ」
信頼していた人に裏切られ無理矢理に抱かれたその事により、「私は悪い」「私は汚い」「私は生きてはいけない」などの罪悪感と自己否定が強く現れた結果、自傷行為に走ってしまったのだろう。
「医師の言うように、いっそナーナを仁の元へ返すか?」
ナーナの三島財閥に対する利用価値は計り知れない。
特にナーナは仁の弱点であり彼を苦しめる事の出来る、最良の駒だった。
手放すのは惜しい。
「だが今のままでは命さえも危うい、か」
薬により眠っているナーナは涙を流しながら、うわごとのように仁の名前を呼んでいた。
不知夜月