【29.白い世界】
気がつくと景色が変わっていた。さっきまで薄暗い一本道を歩いていたのに、今は白一色の中にいる。
右を見ても、左を見ても、白い世界がそこにあるだけで誰もいない。
此処だけ刻が止まっているみたいだ。
『……七瀬ナーナよ』
「えっ?」
突如聴こえた声にナーナは戸惑う。誰もいないはずなのに?
キョロキョロと周囲を見渡すが人の姿は見あたらない。
「誰?」
『我は誰でもなく、彼の者でもない存在』
声はナーナの頭上から響いてくる。男でもない、女でもない、静かな澄んだ声だ。
「……此所は何処なのですか?」
『此処は死者の世界と生者の世界の狭間』
「狭間?」
声は続ける。
『先程までそなたが居た場所は、自ら命を絶った者が行くべき死者の世界。だが、そなたはまだ生者である。何かの手違いにより死者の世界に迷い込んだのだ』
「そんな……」
仁を裏切った汚れた自分は生きている事に苦しくて。自身の命を絶つ為に、胸をナイフで力いっぱい刺した。
『見よ』
パチッと目の前に眩い光が走ると、ある場面が映しだされた。
「!!!」
映しだされたのは病室の一室。おそらく三島財閥の軍病院だろう。
意識のないナーナに必死に呼び掛けている仁の姿であった。
『彼の者の強き想いが、そなたと現世をかろうじて繋いでいるのであろう』
「仁……っ!」
数ヵ月振りに見る最愛の人の姿に胸がキュッと苦しくなって、ナーナは目を反らしてしまう。
『そなたに選択肢を与える』
声は淡々と二つの選択肢を示した。
一つ目は元々の世界━━現世に戻る。ただしこれには対価が必要であると。
二つ目はこの世界━━死者の世界に留まる。つまり死を意味する。ただ自ら命を絶つ事になるので、長い苦しみが伴う。
『さあ選ぶがよい』
「わ、私は……」
……ピ……ッ……ピッ、ピッ、 ピッ……。
心電図の波形がゆっくりと再び動き始める。
「ナーナさんの……ナーナさんの呼吸が戻りました!!!」
「何っ!!?」
それは突然に起こった。
重苦しいその場の空気を一蹴するほどの、それは奇跡と呼ばれる事かもしれない。
誰しも最悪の事態を覚悟していたのだから。
「ナーナ……?」
ナーナの頬に徐々に赤みがさし始め、冷たかった手に、身体に、温かさが戻ってゆく。
「け、血圧、脈拍共に正常値です」
拡がる安堵の溜め息。
「……ん……」
そして、ゆっくりとナーナの瞳が開かれた。
「ナーナっ!!」
「!!?」
仁は嬉しさのあまりナーナに抱き着く。抱きしめた身体は温かく、確かに血が通っていた。
目を開けると見知らぬ白い天井が視界に入ってきた。
此処は?と考える間もなく名前が呼ばれ強く抱きしめられていた。
「ナーナ!!」
「……仁……っ」
会いたくても会えなかった愛しい人。
逃げたのは私。なのにどうして温かいの?
数ヵ月ぶりの愛しい人の温もりに包まれて、ナーナは溢れ出す感情を抑えることは出来なかった。
取り付けられていた様々な医療器具が外される。
「まさに奇跡としか言い様がない」
意識を取り戻したナーナ。すぐに主治医の診察が行われたが、何処にも異常は見あたらなかった。
不知夜月