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今度、と言いながらその日の午後に箒を借り友人達を引き連れて大広間に現れたアンドリュー先輩の勢いは、いつも綺麗にスコーンを割るミネルバの手を狂わせる程のものだった。クロテッドクリームとスラグホーン先生から頂いたらしいきらきらと光るオレンジ色のジャムが歪に割れたスコーンからぽとりとテーブルにこぼれて彼女が眉を寄せたのを、私はしっかりと見ていた。
しかし、同級生には一瞥くれるだけで相手にもしないミネルバであろうと、やはり上級生には適わないというもので。あれよあれよと言う間に私の手にあった蜂蜜たっぷりのスコーンはアンドリュー先輩が連れてきたダークブラウンの髪と瞳を持った生徒の口に吸い込まれ、それをみたミネルバが慌てて自分の手にあるスコーンを口にした途端アンドリュー先輩に箒を手渡され、そして私は半ば連行されるようにダークブラウンの彼とアンドリュー先輩に両腕を捕まれながら大広間を後にしたのだった。その姿はまるでこれから庭でぐるぐると振り回されることを覚悟した庭小人のようだったと、いつの間にかミネルバと並んで歩いていたレイブンクローのタイラー先輩が言っていた。そして、タイラー先輩の名はアビゲイルと言うのだと、後からこっそりミネルバが教えてくれた。
「どわっ、待て!カザリ!待て!あっぶ、やべえ!これはやべえ!」
「ぶっ、アンディがっ、アンディがっ……!」
そして、私の後ろはやはりとんでもない乗り心地なのだとアンドリュー先輩の叫びが身を持って教えてくれたのだった。
「カザリってば、箒に乗るとそんなにじゃじゃ馬さんだったのね……」
「よく飛行訓練で死ななかったわね、貴方」
ひいひいとお腹を抱えて芝生の上に寝転がる先輩達と青ざめた顔で膝をついて動かないアンドリュー先輩をしり目に、タイラー先輩とミネルバが瞠目しながら私に言う。それに何と答えれば良いのか私は分からず、ミネルバの遙か後ろを飛んでいた真っ黒な梟を眺めた。大きな翼だ。あの真っ黒な翼で羽根ペンを作ると、トムにとても似合うだろう。
「ミネルバ、ミネルバはどんな羽根ペンが好き?」
「……私はペン先が潰れない羽根ペンが好き。カザリ、長生きしたいのならあまり箒には乗らないこと。分かった?」
「え、え?でも、楽しいよ?」
「そうね。じゃあ、私を長生きさせたいのなら、私を貴方の後ろには乗せないこと」
「え、ええー?そ、そんなに酷かった?やっぱり?」
思わず私がミネルバの目を見つめると、彼女はまるで教科書を見つめるような真剣な顔をしてこっくりと大きく頷いたので、私は箒の柄を握りしめてうなだれる。するりとラベンダー色のカーディガンを撫でるように私の肩に手を置いたミネルバは、やはり真剣な顔をしていた。よほどらしい。
つい、と視線を滑らせてみる。黒い翼を持った梟は、もう見えない。
「カザリ、俺、久々に死ぬかと思った……」
「わ、ごめん、ごめんなさい」
「あんな焦ったの、弟が癇癪起こしたときくらいだわ……」
青ざめた顔をして肩で息をするアンドリュー先輩に、私は思わず箒をミネルバに手渡して彼の手をとる。大きな手はすっぽりと私の手を握り込んで、グレーの瞳が恨めしそうに私の顔をのぞき込んできた。彼の指先は、よく冷やしたアイスティーのようにひんやりとしていた。
「タイラー、次はお前がその子に教えてやって……」
「ええ、勿論。行きましょミネルバ」
「はい、アビゲイル先輩、お願いします。じゃあねカザリ、待っててね」
「うん、うん。頑張ってね」
私の言葉に頷くや否や、ミネルバは先程まで私が手にしていた箒に跨がり軽く芝生を蹴って、ぐんぐんと空高く飛んでいく。箒にも性格があるなんて、嘘じゃないだろうか。ミネルバの手足のように空を泳ぐそれはとてもじゃじゃ馬には見えず、言うなれば屋敷しもべ妖精のようであった。
ミネルバが着ていた黒のカーディガンが、風でぱたぱたと翻る。タイラー先輩に呼ばれて飛んでいくその姿は、大きな翼を持ったあの黒い梟のようだった。
「カザリもあんな風に飛びたいか?」
「ううん、ううん。黒い梟みたいで、素敵だなあって」
「そうきたか」
「よおアンディ、振られてんのか」
「うるせえよ。振られてまっせーん」
先程までお腹を抱えて芝生に転がっていたダークブラウンの彼がアンドリュー先輩の頭を叩くのを横目に、私はカーディガンのポケットの上から甘いベリー色を握りしめた。
ハシバミ色の鞄と同じ、ハシバミ色の大きな羽根ペン。お気に入りのそれと同じように、トムも来年持つようになるのだろう。それが黒い鞄と黒い羽根ペンだと素敵なのに、と、私はそんなことを考えながら、妖精のように軽やかに飛ぶミネルバのカーディガンを眺めていた。
弱虫サミュエル、と初めて陰口を叩かれたのはまだ記憶に新しい。どこの誰がそんな事を言い出したのかは知らないが、きっと何を言われても言い返さない僕を見てそう言ったのだろう。とても陳腐な言葉だと思うと同時に、それでもやはり言い返さない僕も僕である。今し方すれ違いざまにその言葉を呟いた三人組のハッフルパフの生徒の後ろ姿を振り返りながら、僕は小さくため息をこぼした。
決して聡明ではないが快活で、クィディッチのシーカーとして活躍する両親の自慢の兄。そんな兄の陰に隠れて膝に本を置き、ただ黙々と本を読むふりをして眩いその姿を羨む弟。どちらが愛されるかなんてヴィーラとゴブリンを見分けるよりも簡単で、後者の僕はやはり何も言えずに三人の後ろ姿を黙って見ていることしか出来なかった。
半歩遅れて歩いていた深い藍色の髪をした生徒が角を曲がって消えたのを確かめて、僕はゆっくりとした足取りで中庭に向かう。ここ数日、イギリスは珍しく太陽が顔を出していて、残り少ない暖かな日差しを浴びるには中庭が一番最適な場所だった。
暇潰しに借りた東洋の魔法生物の本が入った鞄を持ち直し、廊下を歩く。かつんかつんと石の廊下と靴底が触れあう度に鳴り響く音は、嫌いではなかった。
「ふう、……眩しい……」
その固い感触が柔らかな芝生へと変わった瞬間、きらきらとした日差しが僕の長めの前髪をかき分けて目を刺激する。思わず目を細めて空を見上げると、滑るようななめらかな動きで箒で飛んでいく二人の生徒が見えて、物好きだな、と一人呟いた。飛行術は、あまり好きではない。
中庭の真ん中にあるベンチの砂埃を軽く払って、腰をおろす。鞄からくすんだ紅色の本を取りだして膝に乗せると、その重みに心がようやく落ち着いた気がした。
「弱虫サミュエル、ねえ……」
所々掠れて消えた表紙の金の文字を指でなぞって、ほこり臭いそれを開く。現れた文字を目で追うが、頭はそれをうまく理解できなかった。まるで歌うように呟かれたその言葉の重みを、受け入れることは僕には難しい。
彼女も、そうなのだろうか。
「……ハシバミ色の羽根ペンか」
不意に頭を過ぎったのは、スリザリン生とすれ違う度にローブの端を恐る恐る払う、ダークブラウンの髪をしたハッフルパフの女の子だった。
ゆっくりとしていて、それでもふわふわとどこか軽い足取り。授業中はいつも余所を向いていて、その視線の先を僕は見つけられない。たまにローブのポケットに手を突っ込んだかと思うと小さく笑って、彼女は手のひらにキャンディーを乗せて転がすのだ。そんな彼女が、変な顔のスクイブ、とののしられているのを、僕は知っていた。
「弱虫サミュエルより、酷いな……」
昨日彼女が中庭で落とした羽根ペンを鞄から取り出して、僕はぽつりと呟く。彼女には大きすぎる鞄とおなじ色のそれはとても彼女に似合っていて、一番後ろの席に座る僕は確かめるように一文字一文字を書いていく彼女の後ろ姿を見るのがとても好きだった。
羽根ペンを指先でつついて、空にかざす。羽根ペンで出来た陰から太陽を覗いていれば、じぐざぐと不思議な飛び方をする女の子が見えた。それは初めての飛行訓練の時に教師を酷く驚かせた、彼女の飛び方だった。
「……相変わらず危なっかしい飛び方だなあ」
羽根ペンを下ろして、塔の陰に吸い込まれていった彼女を視線で追いかける。その後からすうっと飛んできたダークブラウンの髪ととくすんだ赤毛に見覚えがあったので、僕はそのまま視線を落とし本の文字を見つめる。右手は、羽根ペンを握ったままだった。
「……カザリ・ヴィッセル」
話してみたい。彼女の視線の先を見つけて、ダークブラウンの瞳を正面から覗いてみたい。そうすれば、何かが変わる気がする。
陽に照らすときらきら光るハシバミ色の羽根ペンを指先で撫でながら、僕は瞼を下ろす。イギリスの夏は、暑くならずに終わりを告げていた。
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