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「そういえばカザリ、君の羽根ペンは見つかったのかな?」
「え?」
私の手をとりそう尋ねるアルヴィ先輩が目を細めて笑ったのと、そんなアルヴィ先輩を私の隣で見ていたミネルバが苦々しく口元を歪めたのは同時だった。
早く食べないと防衛術に遅れるわよ、と言いながらミネルバが取り分けてくれたハムとサラダをちらりと見て、それからアルヴィ先輩の向こう側に座るニコラス先輩、そしてアルヴィ先輩とニコラス先輩の向かい側に座るアンドリュー先輩を見た。そういえばアルヴィ先輩はいつの間に私の隣に座ったのだろうか、寝起きが悪いせいで私がぼんやり朝食を眺めているうちに座ったのだろうか。そんなことを思いながらアンドリュー先輩のくすんだ赤毛をぼんやりと見つめれば、たちまち頭の中はくるりと景色を変える。昨日、図書室でレポートをしようと言った彼。弱虫サミュエルと、呼ばれた彼。逃げるように背中を向けて、走り去った彼。
くすんだ赤毛が、頭の中でふわふわ揺れる。少し癖のある長めの前髪は、アンドリュー先輩によく似ていた。
「……困ったな、此処まで相手にされないのは生まれてこのかた初めてだ」
「え、あ」
「ああ、やっとこっちを見た」
ぱちんと頭の中でくすんだ赤毛が弾けて、目の前にとても綺麗な顔が現れる。カザリ、とミネルバが私の名を呼んで自分の方に引き寄せるように肩を引かれたが、アルヴィ先輩がそれより早く私の手を引いた。
「カザリ、人と話すときは相手の顔を見るんだ」
「あ、は、はい」
「あの、カザリを離して下さいっ……」
「それから君は、人が話しているときに割り込まないこと。それも男女の会話には特にね」
「……っ、エインズワース先輩、カザリを、はやく、離して下さい!」
珍しく静かに声を荒げたミネルバに驚きながら、ぐ、と近くなったアルヴィ先輩の顔を見上げると、彼は楽しそうに目を細めて笑う。アルヴィ先輩の綺麗なブロンドが大広間の天井が映す空から注ぐ朝日にきらきらと光り、眩しい。
「それで、カザリ。羽根ペンは見つかったのかな?」
「羽根ペン……」
「エインズワース先輩!」
「ああ、分かった分かった。君の友人はやけに手厳しいな」
再び声を荒げたミネルバに肩を引かれ、私はアルヴィ先輩から漸く離れた。やれやれと言いながら肩を竦める彼に、私はぼんやりと考える。
「……………………あ、見つかってない、見つかってないです」
「カザリの時間って随分ゆっくり流れてるんだな……」
たっぷりの時間をかけて出した答えは、アンドリュー先輩にとってもたっぷりの時間だったらしい。アルヴィ先輩の向こう側でこっくりと頷きながらコーヒーの匂いを漂わせるニコラス先輩もそれは同じだったようで、彼はコーヒーの入っているらしいカップをテーブルに置きながら私を振り返り、小さく苦笑した。
しかし、アルヴィ先輩は私がかけた時間なんて気にならないらしい。漸く答えが返ってきたことに彼は満足そうに笑い、ブロンドの髪を耳にかけながらそうかと言って目を細める。それから漸く、私は彼に羽根ペンを貰ったことを思い出したのだった。
「あの、羽根ペン、使ってます」
「ん?ああ。使い心地はどうだ?」
「はい、あの、とっても使いやすいです」
「それは良かった。カザリみたいな可愛い魔女に使われるだなんて、羽根ペンが羨ましいよ」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして、レディ」
「おいこの女好き!所々で妙にむず痒い台詞を挟むのは止めろ!」
がたっとテーブルを揺らしながら立ち上がったのはアンドリュー先輩で、彼は心底不快そうな顔をしてアルヴィ先輩を睨みつける。が、アルヴィ先輩はそんなアンドリュー先輩に対して不快そうに眉を寄せ、彼を向き直った。アルヴィ先輩の横顔は、眉を寄せても綺麗なままだった。もしかすると、彼にはヴィーラの血でも流れているのかもしれない。
「おい、むず痒いとは何だ。将来自分の伴侶になるかもしれない魔女と真剣に向き合ってるんだぞ」
「お前は何人嫁を作るつもりなんだよ!」
「そんなの一人に決まっているだろう」
「昨日は三人口説いてたぞ!?」
「誰が妻になるかまだ分からないんだ。可能性を摘むような真似はよくない」
今にも相手に飛びかからん勢いのアンドリュー先輩と、眉を寄せながらもそれでも優雅にティーカップを引き寄せたアルヴィ先輩の向こう側で、ニコラス先輩が気にするなと唇を動かしたので、私はミネルバを振り返りながらフォークを手に取る。ぱちりと合った視線に私が笑えば、難しい顔でアルヴィ先輩を見ていたミネルバが少しの間を置いて小さく笑い、跳ねた私の前髪を優しく撫でつけた。
「カザリ、エインズワース先輩は駄目よ」
「うん、うん、ん?どうして?」
「どうしてって、あなたねえ……」
こっそりと耳打ちしてきたミネルバに首を傾げつつ、ハムを口に放り込む。それを咀嚼しながらミネルバの言葉を待っていれば、視界の端をくすんだ赤毛が横切った。
それにミネルバも気付いたらしい。二人して横切ったそれを振り返り、私はあ、と声を上げる。それに直ぐさまやってしまったとフォークを手にしたまま口元をおさえるが、どうやら聞こえてしまったようだ。
くすんだ赤毛が、教科書を片手にゆっくり振り返る。今日は、防衛術の教科書だった。
「……あ、」
あ、と私が再び声を上げる間に、グレーの瞳はふいっと前を見て、それからつま先を見つめて歩き出す。おはようと、言えば良かったのだろうか。それとも、それとも。
目の前でちかちかと色が爆ぜている間にいつの間にか私も同じようにつま先を見つめていて、は、と視線をずらす。ずらした先にあったミネルバの制服のスカートを握れば、ミネルバは可笑しそうに小さく笑って私の手に次分の手を重ねてきた。
ちらり。視線を上げると、ミネルバの大きくてそれでいて涼しげな瞳の中に私がうつる。不思議そうに首を傾けながらも口元で笑みを浮かべる彼女に、ほんの少しだけ泣きそうになった。
「この!女好きの!スリザリン!この!スリザリンめ!」
「ああ、スリザリンさ。何が悪い。スリザリンさ!このハッフルパフ!」
「お前等五月蝿いんだけど」
意味の分からない罵りあいを始めたアンドリュー先輩とアルヴィ先輩にニコラス先輩が呆れたようにコーヒーを飲み干して、ミネルバがそんな先輩達に目もくれず紅茶を口にする。視界の端にうつるくすんだ赤毛が妙に心をつついてきて、私はたまらずミネルバの肩に額を寄せた。
羽根ペンのことは、とうに頭から消えていた。
「……この階段、苦手だなあ……」
朝食を終えミネルバと別れてから暫く。私はハシバミ色の鞄を両の腕で抱きかかえ、その中にある分厚い魔法史の教科書の感触を指先で確かめながら階段の前で立ち尽くしていた。
慣れた動きで階段を上っていくグリフィンドールの上級生をちらりと見上げ、それから目の前からゆっくり離れていく階段を見る。どうしてホグワーツの階段はこうも気紛れに動き回るのだろう。決して運動神経の良い方ではない私からしてみれば今目の前から離れようとしている階段に飛び移ることはミネルバよりも良い評価のレポートを書くくらいに難しい。そう、言ってしまえば不可能だ。
「……ゆっくり行こう」
離れていってしまった階段をぼんやりと見送って、どうせまた順番に此処へと回ってくるのだからとその場にしゃがみ込む。始業時間が近いのだろうか。生徒の姿は疎らで、私はしゃがみ込んだまま動く階段を器用に渡っていく上級生達の背中を数えた。
ひとり、ふたり、さんにん、それから二人組がふたつ。そこまで指折り数えたところで、こつりと後ろから足音が響く。それに思わず振り返れば、視界にくすんだ赤毛が広がった。
サミュエル・メイフィールドだ。
「あ、」
と、声を上げたのは今度は彼の方で、彼はくすんだ赤毛の向こうでグレーの瞳を丸くする。しかし、彼はそのままそこに立ちすくみ、今朝のように離れはしない。離れられる筈がないのだ。防衛術の授業には、今はそっぽを向いている階段が此方を振り返り、それを上らなくてはたどり着けないのだから。私がこの場から逃げ出して授業をほっぽりだすなんてことが出来ないように、きっと彼もそうなのだろう。彼はそわそわと視線を泳がせながらも、私の後ろに立ちつくしたままだった。
「………………」
「……………………」
ハシバミ色の鞄を抱きしめて、いつもより意地悪くそっぽを向く階段を見上げる。それから視線を落として靴のつま先を見れば、いつの間にか何かを蹴飛ばしていたらしいそこはほんの少し剥げていて、とぷりと気持ちが暗い水の中に落ちていく。とても、気分が悪かった。
「…………あの、ヴィッセル」
暗い水の底のように静かな空気を震わせたのは、メイフィールドだった。
震える声に振り返ると、メイフィールドは私がしていたように靴のつま先をじっと見つめて、ローブの袖を握りしめていた。皺一つなかったそこがくしゃくしゃに寄せ集められて、ああ、と私は心の中で声を上げる。ミネルバなら、なんて事を、なんて叱るのだろう。そんな事を考えながら、私も知らず知らずのうちにローブの端を握りしめていた。
「多分、こんなこと、言わなくても分かるだろうけど、言いたくなんて、ないんだけど」
「…………」
「でも、君は多分、悩むだろうから、はっきり言わないと、悩むだろうから」
くすくすくす。甲高い女の子のくすくす笑いが聞こえる。誰の声だろうかとぼんやりと考えながらメイフィールドの青いネクタイを見つめる。彼が握りしめるローブの袖は、私のものよりぐしゃぐしゃになっていた。
「僕たちは、まだ、友達じゃないよ」
「……メイフィールド、」
「だから、大丈夫。君は、弱虫サミュエルなんかと、一緒にいちゃいけない」
君にはちゃんと、友達がいるもの。
ぐしゃぐしゃのローブの袖をもっとぐしゃぐしゃにして、メイフィールドは歩き出す。ふわりとローブが揺れて、彼はいつの間にか此方を向いていた階段を駆け足で上がっていった。
鞄を抱きしめて、ゆっくり立ち上がる。此方を向いて私を待つ階段には誰もおらず、一歩足を踏み出せばつま先の剥げた靴の踵がこつりと音を響かせて、とぷりと私の気持ちを沈ませた。前を見れば、視界の下半分がゆらゆら揺れていて、瞬きをするとそれはすぐに消え去った。
「…………蛙チョコレート、食べたいな……」
頬を湿らせた何かをぐっと拭って、手すりに手をかけ階段を上る。耳元にしがみついて離れないくすくす妖精の声がブラックの声に似ていると気付いた時には、靴のつま先にまでくすくす妖精は座り込んでいた。視界が揺れて、仕方がなかった。
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