▼▲▼▲▼▲
四つの古びたベッドの頭が壁にべったりと引っ付くように置かれた部屋に、ぱらぱらと天井から埃が降ってくる。部屋の真ん中にどっかりと座り天井を支える柱に掘られるように作られた暖炉の煙は、一体どこへ行くのだろう。談話室から響いてくる上級生の騒ぎ声にこっそりと耳を傾け、足下のカーテンの向こうでゆらゆら揺れる暖炉の灯りを見ながら、私はそんなことを考えていた。
背もたれにしていた枕の裏に手を入れて、音をたてないようにそうっと日記帳を引っ張り出す。アンドリュー先輩やニコラス先輩の歌声が大きいせいでまだ誰も瞼の重みも感じていないとは思ったけれど、それでも何の音もたててはいけない気がして、慎重に膝の上に日記帳を置く。
赤いそれをゆっくり開くと、形の良い滑らかな文字が、音もなく浮かび上がった。
──カザリ 今日はダンとウェールズへ出掛けたんだ そこで君が好きそうなお菓子が売ってあったから 梟に頼んで届けさせたよ きっと明日届くはず
いつこれを書いてくれたのだろう。今日の夕方か、それとも今書いたばかりか。カーテンの隙間から手を出して、サイドテーブルの上に転がっていた羽根ペンと、わざとうんと手をのばさないと取れない場所に置いていたインク瓶をうんと手をのばしてつかみ取る。ピクシー妖精一匹すらも入ってこれないようにカーテンをぴんと伸ばしてベッドを締め切り、インク瓶の蓋を開ける。それからほんの少しだけ羽根ペンにインクを浸して、日記帳にインクを一滴垂らしてみた。
じわじわとインクが広がって、広がった先から吸い込まれていく。すると隣の頁に浮き上がるようにインクが落とされて、思わず頬が緩んだ。トムが、隣の頁にインクを落としたのだ。起きているよ、と知らせるために。
──私の好きそうなお菓子をどうもありがとう でも 私の好きそうなお菓子ってどんなものか トムは知っているの?
ぱらぱら。部屋の床に埃が落ちる音がする。談話室からは組分けの後に一度だけ聴いた校歌が聞こえてきて、アンドリュー先輩の裏がえった声にニコラス先輩と他の上級生が笑い声をあげていた。
──知ってるよ 甘くて 柔らかくて それから 僕の選んだものが好き
すう、と誰かの意識が溶けた寝息が聞こえて、談話室からの声が不思議と遠くなる。浮かび上がった文字を撫でればまた誰かの寝息が増えて、私はいつもよりもずっと慎重に羽根ペンを動かした。まるで、誰にも知られてはいけない秘密のやりとりみたいだ。朝がくれば、私はすぐにミネルバに秘密を明かしてしまうのだけれど。
──トムだって 私が作ったお菓子 好きでしょう?
慎重に書いてもトムのように上手くはない文字が吸い込まれて、それからまばたきひとつする間に、トムの綺麗な文字が浮かび上がる。
──早くクリスマスになれば良いのに そしたら
そしたら、の後に、トムの言葉は続かない。きっとトムはもう、今日は何も書き込まない。それでもトムが言おうとしたことが手に取るように分かって、目の前できらきらと赤と緑の粒が飛んでいくのが見えた気がした。
「……はやく、クリスマス休暇にならないかなあ」
インク瓶の蓋をきっちりしめて、カーテンをほんの少し開けて羽根ペンとインク瓶をサイドテーブルに戻す。日記帳を閉じて布団に潜り込む前にそっと耳をすませば、いつの間にかまた降り出したらしい雨が窓を叩く音とゆらゆらとした寝息だけが聞こえて、私は日記帳を抱き締めて耳まで布団に潜り込んだ。
雨が雪に変わるのは、きっともうすぐだ。
「そう言えばカザリ、あなた今日の変身術のレポートはもう終わってるの?確か羊皮紙ふた巻き分が提出ラインだったはずだけれど」
喉は大丈夫か、寒気はしないか、腕は疲れてないか、と大広間で私を見つけるなり私の顔をぺたぺた触りながら問うてきたカザリに照れ隠しのつもりで口にしたその言葉は、私が思ってた異常の威力で彼女の頭に雷を落としてしまったらしかった。
「ミネルバ、どど、どうしよう、どうしよう……!」
「……知らないわよ。あなたがやってないのが悪いんだから……はい、ミルクティー」
ぴしゃん!と雷にうたれたカザリは慌ててハシバミ色の鞄から変身術の教科書を取り出し、クランペットが山盛りの皿を乱暴に退けるかと思いきやそうっと皿を持ち上げてテーブルのわきに置いたので、私は手に持つティーカップの中身がゆらゆら揺れてしまうのを必死に耐えた。カザリは、妙なところで丁寧だ。
空いたテーブルに教科書を広げ、カザリは大きなハシバミ色の鞄から羊皮紙を引っ張り出し、ローブのポケットからいつかエインズワース先輩にもらった羽根ペンを取り出した。それから思い出したようにもう一度鞄を探ってインク瓶を取り出し、ようやくミルクティーを受け取る。くしゃくしゃに広げられた羊皮紙には、ちょうどひと巻き分だけ眠気と戦った跡が残されていた。
「途中まではやってるのね。随分と眠そうな字だけれど」
「えへへ……」
「笑ってる場合なのかしら?それとあなた、天文学の方はレポート終わってるの?」
「え、え、……ああ!」
ぱちゃん。一口しか飲まれていないカザリのミルクティーが、カップの中で跳ねる。あ、と思った時にはそれはローブに吸い寄せられていて、カザリのちょうど胸のあたりに吸い込まれてしまった。しかし、カザリはそれに気付いているのかいないのか、カップを置いて再びハシバミ色の中を探る。私より小さな手が取り出したのは、さらに強敵だった眠気と戦った跡の残る羊皮紙だった。
「ふ、冬の星の、冬の星の流れをまとめようと思ってたのに……!」
「……カザリ、一度落ち着いて、ね」
落ち着いて、と口にした瞬間、ふ、と昨日の自分の行いが頭を過ぎったが、慌ててそれを誤魔化すようにクランペットを手に取る。まだ焼きたてのそれにはクランベリーのジャムが合うだろうと思いテーブルに並ぶジャム瓶を選ぼうと手を伸ばせば、視界の端にくすんだ赤毛がちらりと入り込んで、私は顔を上げた。
今大広間に入ってきたばかりのくすんだ赤毛のレイブンクロー生、メイフィールドが、長い前髪の下でグレーの瞳を動かし、辺りを見回している。グレーの瞳がぐるりと大広間を一周して彼は漸く私たちを見つけたが、何故だろうか、私には彼が妙に落ち着きがないように見えた。此方へ向かおうとした足が、自分の足を蹴飛ばして躓いたところを見てしまったからだろうか。
「お、おはよう、カザリ、マクゴナガル……」
「あ、おは、おはよう……!」
「おはよう」
「……カザリは何をそんなに慌ててるの?」
「えっと、あの、ええっと、」
「レポートよ、レポート。それも変身術と天文学の二つ」
まるで躓いてなんかいないとでも言いたげに何でもない風を装って、メイフィールドはテーブルを挟んだカザリの前の席に腰を下ろす。そんな彼をあえてつつくのも悪いだろうとさっきの事は見なかったことにしてカザリの現状を語れば、メイフィールドはほんの少しだけ目を見開いて、それから目を細めて笑った。
「なんだ、良かった、そんなことか……」
「よ、良くない、良くないよ……!」
「ああ、ご、ごめん、違うんだ、こっちの、いや、えっと、」
メイフィールドの真っ白な肌が、うっすらと赤らむ。大広間の天井は雨模様でローブを着ていても寒気がするほどだというのに、どういうことだろうか。
手にしたままだったクランペットを一度皿に置き、テーブルのわきにあったティーポットと使われていない銀のゴブレットを引き寄せ、ティーポットの中身を確かめる。アールグレイの湯気が立ち上ったのを確かめて、ゴブレットに注いだ。それから、ミルクを注ぐかどうか、考える。カザリのものなら迷わずミルクを注ぐが、私とメイフィールドは迷わず何かを出来る程の仲にはまだなれていない。
「メイフィールド、ミルク?ブラック?」
「あ、えっと、ブラックティーで……ありがとう」
「いいえ、大したことじゃないわ」
アールグレイがたっぷり注がれたゴブレットをメイフィールドに手渡せば、彼はグレーの瞳をそっと右に逸らして、それから羊皮紙に向かってうなり声をあげるカザリを見る。カザリはエインズワース先輩から貰った羽根ペンを時折思い出したかのように握りなおしては羊皮紙に向かわせるが、それが羊皮紙の上を軽快に滑ることは無かった。
クランベリージャムの瓶を取り、スプーンでそれをすくい上げながらメイフィールドから右に視線を逸らしていく。グリフィンドールの男子が二人、レイブンクローの女子が三人、それから、ハッフルパフの男子が三人。彼が見ていたのは、きっと。
「……ねえカザリ、天文学なら僕のを見なよ。ペアなんだし……」
「え、良いの?良いの?」
「うん、もちろん。……君がまだ調べてなさそうな本も調べて、レポートを書いたんだ」
「わあ、ありがとう!サミュエル、ありがとう……!」
マッシュビーンズを渋々口に運ぶ赤毛と、クランペットに蜂蜜をたっぷり垂らすストロベリーブロンド。それから、つまらなさそうにぼんやりとゴブレットをつついていたかと思えば、不意に此方を見る藍色の瞳。
クランベリージャムをクランペットに塗りつけて、一口大にちぎり取る。すっかり冷めてしまったそれを味わいながら不意に天井を見上げれば、雨に混ざって雪がちらついていた。
「……今日は寒くなりそうね」
先ほど零したミルクティーの匂いのするカザリにもたれて、ぽつりと呟く。カザリの握る羽根ペンは、その後トムから届いたウェルッシュケーキによってますます羊皮紙の上を滑らないのだった。
▼▲▼▲▼▲
top