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「ねえ知ってる?ほら、あの子よ」

「ああ、グリフィンドールの一年生に、それも女の子一人に負けた子ね」

「ええ、それもブラック家らしいわよ。あのブラック家が、とんだ笑い話ね」

「まあいいじゃない。どうせ一年生の喧嘩だもの。可愛い可愛い一年生の女の子同士のね」


どろどろに溶けたヌガーのようにねっとりとした甘い話し方は、スリザリン女子の特徴なのだろう。薄暗く静かな談話室の壁はそのヌガーを吸い込まず、べたべたと僕の耳に纏わりついた。そして、僕の隣で気味の悪い絵が描かれた本を広げた彼女、ヴァルブルガの耳にも纏わりついているのだろう。大きな蛇が蜘蛛を飲み込む絵を指でなぞっていた彼女の眉間には、年寄り魔女のように深い皺が刻まれていた。どうやら昼休みを談話室で過ごすという僕の選択は間違っていたらしい。一人で本を読んでいればヴァルブルガが無言で隣に座ってきたし、座ってきてかと思えばこの現状である。


「…………ふう」


このまま此処にいては八つ当たりを受けそうだ。彼女の持つ本で叩かれたり、その本に書かれた呪いの練習台にさせられたり、そんな八つ当たりを。そう思って僕は本を閉じ、ソファーから腰を上げる。
革の鞄を肩にかけ、ヌガーを吐き散らす上級生の女子達の前を通り過ぎる。どろどろに溶けたくすくすとした笑いが僕を追いかけてきたのは、ヴァルブルガが僕の後を追いかけてきたからではないと思いたい。


「……何で付いてくるんだ」

「別に、付いていってなんかないわよ」


真っ黒い表紙をした本を僕と似たような黒い革の鞄にしまい込んで、ヴァルブルガは僕の隣に並ぶ。かつかつと床を蹴る彼女の足音はいつもより少し早足で、苛立っていることは嫌でも分かった。
地下の階段を上がりきり、漸く地上の廊下に出る。中庭に続く廊下へと無言で歩み進めていれば、途中で真紅の上級生とすれ違った。ヴァルブルガの眉間の皺が、ますます深くなる。


「ああもう、何なのよ、何なのよ……!」

「……お前がグリフィンドールなんかにやられるからだろう」

「アブラクサスはただ見てただけじゃない!何で何もしなかったのよ!」

「女子の喧嘩に割って入れって言うのか?君は」


吹きさらしの廊下を、早足で歩いていく。薬草学の授業へ向かうための道のりを、こんなに早く進んだ事なんて未だかつて無かった。決して早く薬草学を受けたいだなんて思わないが、それでもこれ以上彼女と並んで歩くよりはそちらの方が良いように思える。
かつかつと床を蹴っていた音が、中庭の土を蹴る音に変わる。中庭のベンチには此方に背を向けて座る真紅と青と、それからカナリアイエローの色をしたローブのフードの裏地が見えて、僕はそっと目を逸らして前を向く。ヴァルブルガは、気付いていない。僕を睨みつけるのに必死だからだ。


「ええそうよ、割って入るべきだったわよ、あのレイブンクロー生みたいにね……!」


中庭を通り抜けた所で、ヴァルブルガはとうとう舌打ちをこぼす。それから僕の真正面に回り込み、きっちり真ん前から僕を睨みつけ、ふんっと鼻をならして黒い革の鞄で僕の肘を叩く。ごつんと中に入っているあの黒い表紙の本が当たったが、僕は黙ってヴァルブルガを見ていた。何か反論をすれば、ますます機嫌を悪くするのは目に見えている。


「薬草学出ないから、適当に言い訳しといてよね」


真っ黒な瞳が不機嫌そうに細められ、ヴァルブルガは僕に背を向け足早に歩き出す。温室とは正反対の方へと曲がっていった彼女は、図書室にでも向かったのだろう。


「……結局八つ当たりを受けたじゃないか」


はあ、とため息を吐き出して、肘をさする。中庭を振り返ると瓶詰めの小さな青い炎を手に笑うカナリアイエローが見えて、僕はその日初めて舌打ちを零した。
笑うあいつは、好きじゃない。






「イアーン!カタログ!カタログ貰ったー!」


びゅーん、と目の前を風のように横切っていった赤毛に驚いて大広間の目の前で思わず足を止めたのは、ミネルバだった。
ミネルバの半歩後ろから大広間をのぞき込んで、私はそっと口元に手をあてる。ほう、と息をもらして天井を見つめていれば、きらきらと光る銀と白が鼻先へと落ちてきた。大広間の天井は、すっかり雪空へと変わっていた。


「……カザリ、行きましょう」

「うん、うん。今日の夕飯何だろうね」

「さあ……でも何だか、温かくて甘いものを食べたい気分だわ」


赤毛の風が横切ってからたっぷりの時間をかけて、ミネルバは私の手をひいて歩き出す。きっとミネルバは廊下を走り回ったり、休みの日に外で木登りをしたりする男の子は苦手なのだろう。甘いものを食べたいと言いながら空いた席を探すミネルバは時折先程の赤毛の風であるジャックを視界の端にうつして、呆れたように瞳を細めていた。ジャックはそんなミネルバに気付かず、フォークを手にするイアンの前で何かの本を広げている。藍色は、そこにいなかった。


「カザリ、マクゴナガル」

「あ、サミュエル。ミネルバ、ミネルバ、サミュエルがいたよ」

「あら、本当」


名を呼ばれて振り返ると、少し離れた席から此方に手を振るサミュエルがいて、私はミネルバの手を揺らす。彼の周りはテーブルひとつ分まるまる席が空いていて、私とミネルバは並んで彼の前に座った。テーブルを挟んで三人座るのが、すっかり定位置になっていた。
サミュエルの白くて細い手がローストチキンを綺麗に切り分けて、銀の皿に取り分けていく。器用に同じ厚さに揃える彼は、家でもローストチキンを切り分ける役なのだろうか。切り分けられたローストチキンをトムが配ってくれるのを受け取る役だった私はテーブルの端のグレービーソースを引き寄せながら、今日も受け取る役を引き受けていた。


「はい、カザリ、マクゴナガル」

「ありがとう」

「ありがとう、……サミュエルってお家でもその役なの?」

「え?そ、その役……?」

「うん、うん。ほら、ローストチキンを切り分ける役」


ナイフを手にグレーの瞳を丸くしたサミュエルにそう言えば、彼はほんの少し間をおいて、ああ、と笑って私を見る。その間にも彼は私の手からグレービーソースをとりスプーンで私のローストチキンにたっぷりグレービーソースをかけてくれていたので、私はやっぱり受け取る役にしかなれなかったのだった。
サミュエルの手からミネルバの手にグレービーソースが渡されるのを見つめていれば、サミュエルとミネルバが顔を見合わせて小さく笑う。それが不思議で二人を見れば、二人は私を見てまた小さく笑った。


「んー……、確かに、切り分けたり取り分けたり、そんな役が多かったかな……」

「ミネルバも、ミネルバもそうだよね、サミュエルと同じで、よく切り分けてくれるもの」

「そうね、まあでも私は家に弟がいたから慣れてるし……」

「……私もいるのに、私も、弟がいるのに」


く、と隣に座るミネルバが笑いを堪えるように喉をならして、私の前髪を撫でる。その慣れた手付きも弟がいるからなのだろうかとぼんやり思いながら、私はトムの頭を撫でたことがあっただろうかと頭の奥でトムとの日々をひっくり返す。春の色をまとってひっくり返されたそこに、私が姉らしく振る舞う姿はどこにもおらず、あるのはトムに宥められる姿だとか、蛙チョコレートを捕まえてもらう姿だとか、砂糖付けパイン味のかじりかけのビーンズを食べさせてもらう姿だった。


「……サミュエルも、サミュエルにも弟はいるの?」

「え?僕……?あー、僕は……」


クリスマス休暇で帰ったら、私がローストチキンを切り分ける役をしなくては。頭の中に広がっていた姉らしくない姿を片付けながら此方を見て楽しそうに目を細めるサミュエルに問いかけると、サミュエルは途端にグレーの瞳を泳がせた。テーブルの端、降ってくる雪、手元のナイフとフォーク、それから私の前髪へと泳いだグレーが、最後に大広間の入り口に向かう。ミネルバと一緒にその視線を追いかけると、サミュエルと同じグレーの瞳とダークブラウンの瞳が此方に歩いてくるところだった。クィディッチの練習でもしていたのか、それとも外で何か授業があったのか、グレーとダークブラウン、アンドリュー先輩とニコラス先輩の鼻先は真っ赤だ。
そんな二人が此方に気付き、二人はにっと笑って駆け寄ってくる。冷たいローブを押し寄せて隣に座ってきたのはアンドリュー先輩だった。


「おっ、ローストチキンじゃん。俺も食おうかな!ニック、切り分けてくれよ」

「やだね。自分で切れよ」

「お前は雪より冷たいな!」


サミュエルの隣に座ったニコラス先輩がローストチキンの乗ったお皿をアンドリュー先輩に押しつけて、そのまま空いたテーブルの上に本を広げる。広げられた本から細かい光の粒が舞ったので思わず腰を上げれば、ニコラス先輩は直ぐそんな私に気付き、本を私の方に向けてくれた。
きらきらと舞う光の粒が、本の中に吸い込まれては飛び出してくる。どうやらそれは文字の部分から飛び出しているようで、『煌めきのピオニー』と書かれた文字の隣で、小さな花の妖精の絵が光の粒を撒き散らしていた。


「わあ……!これ、これ、何ですか?」

「これ?カタログだよ、クリスマス用の。去年のだけど」

「……魔法界のカタログって派手なんですね」

「うん、うん……とっても凄い、凄いね」


ぽつりと呟いたミネルバに、私はこっくりと頷きながら『煌めきのピオニー』を見つめる。光の粒を私目掛けて振り撒いた花の妖精の下には、コーラルピンクの丸い小さな瓶が載っている。どうやら花の匂いの香水らしい。頁の左端には、大きな文字で女性用プレゼントと書かれていた。


「ニコラス先輩、誰かに、誰かにこれをあげるんですか?」

「ん?違う違う、俺はこっち」


違う、と言われて怒ったように真っ赤な光の粒をニコラス先輩に投げつける花の妖精にミネルバとサミュエルが目を丸くする中、私はニコラス先輩の人差し指を追いかけて、その先の文字を読む。『甘いお菓子の詰め合わせ』を指さすニコラス先輩は、空いた手で自分を指さしていた。どうやらこれは、ニコラス先輩が自分用に欲しいものらしい。


「お前もっと違うの欲しがれよ。俺もうやだよ、ハニーデュークスでクリスマスプレゼント選ぶの」

「去年は五分で店から出てきたもんな、アンディ」

「あんな女子ばっかの中でクリスマスプレゼント選べねえよ!入るのも嫌だし、自分で買えよな」

「俺だって嫌だから人に頼むかカタログで買ってんだよ」

「お、お前、自分が嫌なことを今まで俺にさせてやがったのか……!」


かしゃん!とアンドリュー先輩の手からフォークとナイフが滑り落ちて、フォークに乗せられていたシェパーズパイがテーブルに落ちる。ふと自分のお皿に視線を落とすとシェパーズパイが乗せられていて、どうやらアンドリュー先輩は私の分まで取り分けてくれていたらしい。


「てめえニック!今年はベジボムだ!覚えてやがれ!お前の嫌いなニンジンにしてやるからな!」

「別にそんな苦手じゃないから良いけど……じゃあお前はオニオンのベジボムだな」

「くっそ!何でだよ!止めろよ!」


ベジボムとは何だろう。悪戯グッズか何かだろうか。野菜の名前がひっついて飛び出してくるその言葉に耳を傾けながら、私はカタログの頁を見つめる。去年のカタログを捨てられないほどにニコラス先輩は甘いものが好きで、この頁を見つめていたのだろうか。
フォークにシェパーズパイを乗せて、一口食べる。まだ温かいそれにほんの少しだけグレービーソースが混ざって、不思議な味がした。


「クリスマスプレゼントかあ……」


ぽつりと呟いて、花の妖精に手を振ってみる。私に気付いた彼女はロータスピンクの光の粒を振り撒いて、にっこり笑っていた。
頭の中で、私は考える。けれど、家族が一人増えたクリスマスに相応しいプレゼントは、私の頭には入っていなかった。






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