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──来年も 素敵なカードを贈ってね


「……はあ」


いつもよりインクが滲んだその文字を見送って潜り込んだベッドの冷たさが、大広間へ向かう爪先にまだこびりついている気がする。
鞄を肩にかけて、すれ違う上級生を見送りながらはねた前髪を押さえつける。カナリアイエローのマントを翻して駆け抜けていったのはクィディッチチームのビーターの二人で、レイブンクローとの試合の後、アンドリュー先輩の後ろに乗せられて一緒に競技場を飛んだ二人だった。
ばたばたと音を立てて翻るマントを眺めながら、最後にもう一度だけ前髪を撫でた。目の前にはもう大広間の扉が見えていたけれど、爪先にはやっぱり冷たさがこびりついたままだった。


「なーにやってんだっ、カザリ!」


思わず爪先を見つめて立ち尽くしていると、不意に後ろから声をかけられる。振り返ろうとすると鼻先を擽るように不思議な甘い匂いが私を包んできて、肩越しに誰かが私の顔を覗きこんできた。マグルの香水と、癖のあるくすんだ赤毛が目の前にぷかぷかと揺れている。カナリアイエローのマントが、眩しかった。


「アンドリュー先輩、練習、ですか?」

「おう、朝飯食ったらな!カザリも今からだろ?一緒に食おう。ってもグリフィンドールのあの子もいるだろうし、……俺も混ぜてください」


きっと、とっても生真面目でぴんとした背筋のミネルバを、彼はほんの少しだけ苦手なのだろう。
にっ、と大きく笑った彼、アンドリュー先輩に、サミュエルの薄くて小さな笑みは重ならない。それでも私の肩に腕を回して歩き出した彼の揺れるくすんだ赤毛と、真っ直ぐ前を見つめるグレーの瞳は、私のよく知るそれと同じに思えた。
サミュエルもこんな風になるのだろうか。ぐっと背が伸びて、私を簡単に抱き上げてしまうような、アンドリュー先輩のように。ニコラス先輩よりはほんの少し背は低いけれど、それでも私よりもずっと背の高い彼を見上げ、私は頭を振る。サミュエルは、もっと華奢で、そう、アルヴィ先輩のような線の細い魔法使いになりそうだ。


「カザリ、何食べる?何が好き?俺が全部やってやるよ」

「え、と、えっと、私、蜂蜜を入れた、ミルクが好きですっ」

「かっ…………わいいなー!そうかそうか!ホットミルクな!任せとけ!」


ホットミルクの何が可愛いのだろうか。蜂蜜を垂らしたときにミルクの中に渦を巻く、あの琥珀色が可愛いのだろうか。大広間の扉をぐっと押して、私を中へと誘う彼についていきながら、私はひとり首を傾げる。けれど、彼はそんな私に気付くことなく、テーブルの端、ダンブルドア先生とビンズ先生が並んで座る教員席のすぐ近くに座るミネルバとサミュエルを見付けるなり、私の肩に回した腕に力を込めるだけだった。
あ、と此方を見たミネルバの眉間に、ぎゅ、と皺が寄る。ちゃんと皺を伸ばして座らないせいでくしゃくしゃになっている私のローブよりもくっきりとしたそれに、向かい側に座るサミュエルがほんの少しだけ身を引いたのが見えた。
喉元にべったり貼り付いている白い息が、音もなく消える。昨日のあれは、きっと、気のせいだ。


「よ!真面目組!良い朝だな!」

「……カザリ、おはよう。ねえ、どうしてその人といるのかしら、私、分からないわ」

「知らないようだから教えてやるけど、俺って上級生なんだぜ。それも、クィディッチチームのシーカーだ」


ミネルバからぴったりひとり分空けて座ったアンドリュー先輩に、ミネルバは返事の代わりにまた眉をぎゅっと寄せてフォークを指で弾く。それからとんとんとん、と指先でテーブルを叩いて、アンドリュー先輩から目をそらした。ミネルバが気付いているのかどうかは分からないが、その指先は眉間の皺を深くする合図だった。
肘をついてホットミルクに蜂蜜を垂らすアンドリュー先輩を見ながらテーブルをぐるりと回り込み、サミュエルの隣に鞄を下ろす。は、と思い出してスカートとローブの皺を伸ばせば、不思議と背中がぴんと伸びる気がした。


「ほら、カザリ」


そんなことを考えていれば、アンドリュー先輩の骨ばった手が、ホットミルクがたっぷりと入ったゴブレットを差し出してくる。ゆるく渦を巻くミルクに半分とけた蜂蜜が光っていて、思わず頬がゆるんだ。


「ありがとうございますっ」

「おー、ポリッジも食うか?ジャムかけるか?オレンジも剥いてやるよ」

「……カザリを餌付けしようとしないでください!」

「しっ、してねえよ!失礼な!兄貴ぶりたいだけだろ!?」

「止めてください!」


がしゃん!と、ミネルバの指先がフォークを弾く。テーブルの上をくるくると転がったそれはサミュエルの手元に滑り込んだけれど、ミネルバはそれに気付かない。彼女の大きくて綺麗な形をした瞳には、何か言おうと口を開閉させるアンドリュー先輩がいっぱいにうつっていた。


「サミュエル、サミュエルとお兄ちゃんって、あまり似てないのね」

「え、?」


手元に滑り込んできたフォークをつまみ上げたサミュエルにそう言えば、サミュエルは一瞬目を見張って、それからグレーの瞳を泳がせる。それが何故だか気付くより先にサミュエルは慌てたようにくすんだ赤毛の前髪を引っ張ったので、私は思わず口をつぐむ。手のひらの中で、ぱしゃんとミルクがはねた。


「……そ、うだね」


まるで水の中に沈んでいるかのように、サミュエルは少しずつ息を吐く。大きな声を出すと、直ぐに溺れてしまうかのように。その姿を見て、私はそっと喉元を撫でた。べったりと貼り付いたままのそれは、確かにそこにいたのだ。


「なに!?今お兄ちゃんって言ったか!?呼んだ!?」

「止して!止めなさい!カザリ!もう行きましょう!」


けれど、それはアンドリュー先輩が身を乗り出して、ミネルバが私を呼んだことで音もなく消えてしまう。
は、と顔を上げるとミネルバが細かいレースの飾りがついたハンカチを広げてそこにサンドウィッチを乗せているところで、私は咄嗟に鞄の中からハンカチを取りだし、同じようにサンドウィッチと、それからスコーンをひとつそこに乗せた。沢山乗せすぎたそれを上手く包むことは出来ず、鞄にしまいこもうとした途端にスコーンがはみ出てしまったけれど、今更それを包み直すことは出来ない。ミネルバはぴんと伸びた背中をアンドリュー先輩に向けて、大広間を出ようと歩き出していた。


「あ、あの、サミュエル、サミュエルまたねっ」

「おいおいおい!俺は!俺にも言って!」

「あっ、アンドリュー先輩、練習頑張って、頑張ってくださいっ!」

「っ…………おう!任せとけ!次の試合、期待しとけよ!」


テーブルの向こう側を早足で歩いていくミネルバを追いかけながら、サミュエルを振り返る。溺れないようにと閉じられた唇は私の名前を呼ぶことはなく、行く宛もなく泳いでいたグレーも私のもとに向けられることはなかった。
く、と奥歯を噛みしめて、一足先に大広間を出ていったミネルバと、すれ違いで入ってきたイアン達に向き直る。きっとミネルバはまた眉間に深すぎる皺を寄せていたのだろう。とん、と肩をぶつけたジャックが怯えるように身を竦めたので、私は鞄の中で踊るスコーンが潰れないように祈りながらイアン達の横を通り過ぎた。


「おはよう、ヴィッセル、また授業でね」

「う、うん、うん!またねっ!」


小さく微笑むストロベリーブロンドを通り過ぎたその瞬間、視界の端で、藍色が揺れる。ローブの隙間から伸びる細い杖先を、私は見逃さなかった。


「み、ミネルバ、待って……!」


ぐんぐんと先を行く真っ直ぐと姿勢のいい背中を、必死に追いかける。
藍色が、ガーランドが私の手に握らせた羊皮紙の切れ端を、くすんだ赤毛の隙間からグレーの瞳が覗いていた。






「あれ、ヴィッセルが一人でこんなところにいるなんて珍しいね。待ち合わせ?」


廊下にぽつりぽつりと浮かび上がる蝋燭の灯りは、廊下の先にいる人影を浮かび上がらせることは出来ない。それでも、目の前に現れたストロベリーブロンドは照らし出してくれたので、私は廊下の壁に凭れながらこっくりと首を縦に振った。ストロベリーブロンドの彼、イアンはそんな私に小さく微笑んで、そっか、と歯を覗かせた。


「ここ、あまり人が通らないし、暗いから気を付けてね。ピーブズが出るかもしれない」

「う、うん、うん。分かった、気を付ける……」

「うん、本当に気を付けて。じゃあ、僕は行くけど、もし本当にピーブズが出たら直ぐに助けを呼ぶんだよ、ヴィッセル」


じゃあね。そう言って、ひらりと手を軽く振るその仕草がとても素敵なものに見えて、私は振り返す手の動きがぎこちないものになってしまった。
イアンはもしかすると、お伽噺に出てくる王子様のような魔法使いなのかもしれない。ゆったりと流れるように歩く背中から目に見えないくらい薄いレースのマントが揺れている気がして、私はそっと目をこらしてみた。けれど、廊下にぽつりぽつりと浮かぶ蝋燭の灯りはすぐにイアンを暗闇に放り出して、彼の背中を確かめる間もなく見えなくなった。微かに聞こえていた足音だけが、廊下に響いている。
廊下の壁に凭れて、私はイアン以外の足音が聞こえてこないかと耳を澄ませる。ローブのポケットに突っ込んだ羊皮紙の切れ端は、ベリー色と杖に押し潰されて、くしゃくしゃになっていた。


「……まだかな」


ぽつりと呟いたそれが廊下の壁に吸い込まれたその瞬間、こつり、と足音が響いてくる。イアンのものよりも静かに踵を踏み鳴らしたそれは、暗闇の中で震えるように音を響かせた。
ローブのポケットをそっと撫でて、私は振り返る。夕食の前、西塔奥の廊下、とだけ書かれたそれが、ベリー色に潰されてかさかさと音を立てた。


「ガーランド……?」


ゆっくりと近付いてくる足音に、私は声をかける。もしかすると彼じゃないかもしれないと思いながら呼んだその名前は、レイブンクローの寮がある西塔の静かな廊下によく響いた。
足音が、少し先でぴたりと止まる。壁にかかる蝋燭の灯りが爪先を照らし出し、ゆらゆらと揺れている。息を飲み込むよりも早く、それが誰なのか気付いた。


「……ヒュー・ガーランドと、待ち合わせ?」


ゆらゆら揺れる灯りの下に現れた彼を見て、喉元を撫でる。彼が、サミュエルが吐き出した言葉に、白い息が混ざっている気がした。
蝋燭の灯りの真ん中で、サミュエルは困ったように笑っている。くすんだ赤毛のカーテンの隙間から覗くグレーを薄い水の膜が覆っていて、喉の奥から何かが込み上げてくる。けれど、べったりと貼り付いた白いそれが邪魔をして、私は何も言えない。


「ねえ、最近、よく、彼と会ってるよね。二人で、何を話してたの?」

「あ、わ、わたし、」

「気味が悪いなんて、思わないで。ただ、本当にそれだけ、何を話してるのか、知りたいだけなんだ」


サミュエルのか細い声が、蝋燭の灯りよりも揺れている。溺れてしまう、と思ったのは、彼に対してなのか、それとも自分に対してなのか、分からない。もしかすると、二人ともなのかもしれない。それくらいに彼は苦しそうに言葉を零していたし、私は喉を締め付けられたかのように苦しかった。
くすくす妖精が、甘えるようにサミュエルの肩にしがみついていた。


「何を、話してたの。マクゴナガルにも、僕にも、言えないようなこと?」

「ち、がう、違うの、私は、」

「ねえ、こんなこと、言いたくないよ、言いたくないけどさ、僕、嫌なんだよ、本当は、すっごく嫌なんだ」


くすくす妖精が、羽をはためかせながらサミュエルの肩を撫でる。それから小さな手を伸ばして彼の髪に絡み付き、耳元に隠れる。かつかつと、少し早い足音が響いてきたからだろうか。
くすくすと、嫌な笑い声が響いた。サミュエルのグレーの瞳から、ぽろりと水滴が零れ落ちた。


「あんな奴と、仲良くしないでよっ……!」


サミュエルの向こう側で、足音が止まる。ぼんやりと照らし出された人影は、暗闇に溶けそうな髪を揺らして私のことをじっと見つめていた。


「悪かったな、こんな奴で」


あ、と思うより早く、その人影はサミュエルを照らす蝋燭の灯りの中に飛び込んで、私は思わず息をひそめる。サミュエルはもしかすると、彼が来ていたことを知っていたのかもしれない。ぽろりとまた水滴を落としながらも隣に立った彼を黙って見つめ返して、唇を噛みしめていた。


「ま、待って、待ってっ……、」


頭の中で、ぐるんぐるんと言葉の切れ端が飛び回っている。それを捕まえることも出来ないし、形を確かめることも出来ない。喉元に貼り付いた白い息が霧のように立ち込めて、目の前を覆ってしまっている。
藍色の髪を揺らして、ガーランドが私を振り返る。きっと情けない顔をしているだろう私を見たガーランドは、一度だけそっと歯を覗かせて、それからローブを揺らした。
ローブの隙間から、杖先が覗いている。待ち合わせのための羊皮紙を渡すその合図に違う意味が込められていることに、私は気付いた。けれど、それが何なのか、白い息の霧が立ち込める私の頭では、考えることすら出来ない。


「……別に、仲良くなんてねえよ。同じハッフルパフだから、課題のことで相談してただけ」

「うそ、嘘だっ、だって君は、」

「ああ、あの羽根ペンだろ?返したよ。クリスマスに、ちゃんとな」


羽根ペンとは、何のことを言っているのだろう。クリスマスに返された羽根ペンとは、私の鞄の中にいるはずの、あのハシバミ色の羽根ペンのことなのだろうか。藍色の、星の流れる小箱を連れて戻ってきた、あの羽根ペンのことなのだろうか。
そこまで考えて、私は漸く気付く。あの藍色も、流れる星も、目の前の彼によく似ていたのだ。藍色の髪と、ダークグレーの星の流れる瞳を持つ、ヒュー・ガーランドに。


「言ってなかったよ、まだ、何にも」


ミネルバと開けるから、とトムを誤魔化して、コートのポケットに突っ込んだままのそれ。それから、医務室の床に転がり落ちるように取り残されたそれ。指先でなぞる度に星が流れていくそれの持ち主が、目の前に立っている。
風邪をひいたときよりもずっと、喉が痛くて、からからに渇いていた。


「今、ここで言ってやるよ。弱虫サミュエルが、お望みならな」


サミュエルの耳元に隠れていたくすくす妖精が、顔を覗かせる。頭の中でぐるんぐるんと飛び回っていた言葉の切れ端は、とうとう白い息の霧に飲み込まれて、何も見えなくなってしまった。


「弱虫サミュエルは、カザリ・ヴィッセルの羽根ペンに、フランス魔女の間で流行ってる呪いをかけたってな!」


サミュエルのグレーの瞳を縁取る長い睫毛が、ぶるぶると震えていた。その度に零れ落ちてくる水滴が、廊下に吸い込まれて、音もなく消えていく。


「同じハッフルパフだから、忠告だけしといてやるよ。こいつ、今回のは失敗してたけど、もし成功してたらとんでもないことになってたぞ」

「……な、に、」

「お前が、弱虫サミュエルのことを好きになってたってこと」


ふるり。サミュエルが首を横に振って、後ずさる。けれど、それよりも早くガーランドが蝋燭の灯りの下から逃げるように出て、ふん、と鼻を鳴らした。
一瞬だけ見えたその瞳の中には、ひとつだって星が流れていなかった。


「じゃあな、弱虫」


現れたときと同じように、ガーランドは早足で暗闇の中に飲み込まれていく。それがとても恐ろしいことに思えるのに、私は引き留めることが出来ずに立ち尽くしていた。


「ち、違う、違うんだ、僕は、そんな、違うんだよっ……」


ぶるぶると震えるその言葉を、白い息の霧が隠してしまう。私は何も言えないまま、ゆっくりとその場にしゃがみこんだサミュエルの背中を撫でていた。
遠くから、ピーブズの甲高い笑い声が聞こえてくる。白い息の霧がそれをそっと覆い隠して、私は黙ってサミュエルの細い背中を撫で続けた。

ガーランドが羊皮紙の切れ端を渡すことは、それから一度も無かった。


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