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──私 とても素敵な魔法を覚えたのよ いつかトムに教えたいけれど やっぱり秘密にしておきます
「……カザリが意地悪だ」
珍しいこともあるものだ、という僕の呟きは、誰にも見つけてもらえずに部屋の隅に転がり落ちた。
イースター前のロンドンの外れは、風がいくら冷たくて穴の空いた袋に入れた水のようにしとしとと小雨が続こうと、柔らかな色をしたカードや花で見た目だけは春になる。孤児院にいた頃は確か、院長が何かと勿体つけた話ぶりでイースターがどれだけ素晴らしい日なのかを子供達に言って聞かせ、真っ赤に染めただけの卵を渡された。それが古いしきたりなのだと彼女は言って聞かせたが、どうやらそれはとうに埃かぶって忘れられたしきたりらしい。僕の部屋のドアには、僕には似合うはずもないクリーム色の花が飾り付けられていたし、日毎に増えるイースターエッグはやはりどれも春を持ってきた。
──そんなこと 言わないで 教えてよ
「………………へ、返事が、こない」
だというのに、僕の部屋には何を間違ったのか冬を持ってこられたようだ。
試しに日記帳をつついてみるが、カザリが羽根ペンの先からインクを溢すこともないし、迷い書きのような不思議な形をした文字が走ることもない。じ、と頁を食い入るように見つめてカザリからの返事を待つが、同じことだった。
今頃、僕の返事を眺めて嬉しそうに笑っているのだろうか。知りたがる僕をからかうように、頬をゆるめているのだろうか。カザリはいつもは何かと僕を頼るが、あれでいて自分の方が歳上なのだと時おり気にする素振りを見せることがある。僕が知らないことは喜んで教えてくれたし、箒の乗り方を教えてくれたのだって彼女だ。例え説明に大きすぎる身ぶり手振りと、全く関係のない焼き菓子が飛び出してきても、弟である僕はそれを受け止めねばならないのだ。きっと、多分、姉弟というものはそういうものに違いない。
この箒は焼きすぎたマフィンみたいな性格なのよ、と、初めて箒を手にして二人で丘を歩いた日のことを思い出しながら、僕はもう一度日記帳をつついた。やはり返事のないそれに僕は痺れを切らして、無意味に立ち上がる。
「……寝たのかな。多分、そうだ。カザリはもう、寝たんだ」
寝るには少し早いと分かっていながら、僕は小さな箱に無理矢理押し詰めるように自分を納得させた。
うろうろと、馬鹿になったみたいに部屋の中を歩き回る。それから、ドアの隙間からまたカザリの部屋に浮かぶ小さな花が入り込んできているのを見て、不意に我にかえった。何てことはない。ただカザリが、魔法を教えてくれない、ただそれだけじゃないか。
「そんなに、気にすることでもないか……」
カザリに秘密にされたからと、何故だかそこだけを気にし過ぎていた気がする。
僕の部屋のドアに飾り付けたそれと同じ、クリーム色を掴まえる。焼いていない焼き菓子のような匂いがするそれを、僕はあまり好きではない。けれど、カザリがこの家に帰ったとき、彼女はきっとこの花を見て喜ぶだろう。カザリが好きそうな柔らかそうなその色を思うと、僕はいつもの花に変えてくれとダンに頼むことが出来なかった。
「あ、」
ひとつ、ふたつと花を掴まえて、椅子に座った時だった。机の上の日記帳に、ぽたりぽたりとインクが落ちたのだ。
日記帳の隣に、花を置く。それから僕は、何故だか斜め上にゆっくりと歩いていくカザリの文字を見て、思わず目を細めたのだった。
──それよりね 聞いてトム 私 仲良くなりたい男の子がいるの
「……………………僕は、何も見なかった」
日記帳を、音もなく閉じる。
がたりと椅子の脚に躓きながら、ベッドに飛び込む。枕に顔を埋めて視界を埋めれば、汽車で出会った背の高い彼、サミュエル・メイフィールドがそこに現れ、それからゆっくりと顔が二つ、僕を覗く。僕は、記憶力が良い。とても良い。カザリに関することなら、尚更。
ストロベリーブロンドの、どこか品のある、それでも少し棘のありそうなあいつか。それとも、気の抜けたような、オオキク口を開けて話す赤毛のあいつか。それとも、まさか。もしかして。
「……何か、気分、悪いな」
喉の奥からそうっと、黒くてどろどろしたものが込み上げてくる。僕はそれを隠すように飲み込んで、軽く枕を叩いた。
頭の隅っこで、カザリがストロベリーブロンドと手を繋ぎ、それから赤毛と話している。僕の黒いどろどろに気付いたストロベリーブロンドが振り返って、彼は笑いながら赤毛を引き連れて消えていく。
それでもやはり、気分は悪かった。
部屋の中を、クリーム色の花がぷかぷかと漂っている。春の色をしたそれを睨み付けると、それは小さく震えて逃げてしまったのだった。
日記帳を両手でつかみ、ばさばさと振ってみる。ひ、と顔を引きつらせたのはオートミールの上に珍しくたっぷりとジャムを乗せたミネルバで、私は口を尖らせてまた日記帳を振ってみる。インクの滴がひとつやふたつ、降ってきてはくれないだろうかと思ったのだ。
「ちょ、ちょっと、あなた、夢から覚める時間よ?どうしたっていうの?」
ジャムのついたスプーンを置いて、ミネルバはテーブルを越えて長い腕を伸ばしてきた。やめなさい、とミネルバの綺麗な手が私の手首を掴み、私は日記帳を降ろす。ミネルバはきゅっと眉を寄せて、私を見た。
「どうしたっていうの、突然。カザリ、あなたは確かに少し、いえ、とても不思議なことを言ったりはするけれど、日記帳をそんなに乱暴に扱うのは初めて見たわよ?」
「……そう、そう?」
「ええ。そう。そうよ」
まるで母さんに怒られているような気持ちになって、私の気持ちはしゅるしゅると空気を抜いて萎んでしまう。
そんな私に、ミネルバは何を思ったのだろう。テーブルの端にあった林檎の盛られた銀の大皿を引き寄せて、その中のひとつを私に握らせる。多すぎる水に蜂蜜とレモンをたらしたような林檎の匂いが、鼻をくすぐった。
大皿の隅に座っていたナイフをとって、ミネルバは私の手から林檎のをとる。どうやら彼女は、それをわたしに食べさせてくれるつもりらしい。大きく六つに切り分けられた皮のついたままのそれが、私の前の空の皿に乗せられる。
「何も食べないから夢のままなのよ。はい、どうぞ」
「……私、起きてるわ、起きてるのに」
「良いから、食べて。…………それで、何回も訊くけれど、どうしたっていうの?」
私の言葉を聞いてくれないようで、ミネルバはしっかりと聞いてくれる。フォークにさした林檎を受け取りながら、私はそろりと日記帳を開いてみせた。
トムから返事が来るはずの頁は、汚れひとつ落ちていなかった。
「ああ、返事がないのね?」
「うん、うん。そうなの……」
「そう……カザリ、一体何て書いたの?」
ミネルバはそう言いながら、つやつやと光る爪で日記帳を巻き戻す。紙の擦れる音を聞きながら、私は林檎を一口でほうばった。
途端、こつん、と頭に何かが降ってくる。梟便だろうか、と天井を見上げるが、そこにあるのは曇り空の天井だけで、私は林檎を噛み締め飲み下す。気のせいだろうか。
頭を撫でて、もうひとつ林檎をほうばろうと視線を戻す。あ、と思わず声を上げたのは、林檎がひとつ減っていたからだ。
「お前、寝惚けてるのか?」
ぽん、と、そんな言葉が、真後ろから降ってくる。慌ててそれを拾い上げてみるが持ち主が分からなくて、誰だろうか、と私は後ろを振り返った。
首もとに、マルフォイと同じスリザリンカラーがぶら下がっている。一瞬だけびくりと跳ねた胸をおさえつけ、ぶら下がるそこからゆっくりと視線を上げた。
ハニーブラウンの前髪が、几帳面に分かれている。櫛で撫で付けたようなその髪に妖精が座れば滑り落ちてしまうだろう。長い睫毛に羽が引っ掛かったとしても、簡単に落っこちてしまいそうなたれ目がちな瞳を持っている。真後ろに立って拳を握りながら林檎をほうばる魔法使いからは、つんと鼻につく魔法薬の臭いが染み付いていた。
「……あ」
頭の中で、マダムペペが眉を寄せている。私は彼を、知っていた。
「お前のせいで追い出されただろ」
「え、と、あの、じゃあ、」
「マダムペペがお前を呼んでこいって。上級生を使うなんて酷いと思わないか?」
サミュエルの熱がひけば私を呼んでくれるという約束を、マダムペペは覚えていたらしい。そして彼は、きっと今日も嘘をついてベッドで寝ようとしたのだ。
周りを窺って、彼は林檎を口に入れながら腰を折る。私は座ったまま、おい、と手招きしてきた彼に耳を傾けた。
「熱、下がったって。今行けばちょうど良いぞ」
「寮に、戻れるんですか?」
「迎えに行ってやれば?それにしても、勘弁してくれよな、俺がハッフルパフと話すなんて……」
まあ、グリフィンドールよりは良いか。
最後の最後で棘を放り投げてきた彼に、私はお礼も言えないまま目を丸くする。彼は初めからお礼の言葉なんて求めてはいなかったのだろう。首もとのスリザリンカラーを隠しながらまた周りを窺って、誰にも見られていないことを確かめるなりさっさとスリザリンのテーブルへと行ってしまった。彼の手には、何故だか先程口の中に消えたはずの林檎がまた握られていた。
「み、ミネルバ、ねえミネルバ、私、サミュエルを迎えに行ってくる」
「あ、ええ、ねえ、それよりカザリ、」
「林檎は後で、後でねっ」
「分かった、置いておくけど、ねえカザリ、今返事が、」
残り三切れになってしまった林檎に一先ず別れを告げて、私は急いで立ち上がる。ミネルバが声で私を引っ張ったけれど、マダムペペはせっかちなのだ。急がなくてはサミュエルがひとりで廊下を歩くことになってしまう。
熱で魘された後の廊下は、ひとりで歩くよりもふたりで歩く方がずっと素敵に決まっているのだ。
「あっ、ヴィッセル、おはよう。もう朝食は食べたの?」
「お、はよう、イアン、あのね、林檎、今日は林檎が良いと思うわっ」
「そう、じゃあ僕は林檎を食べることにするから、転ばないようにね」
「前見て走れよ!」
「う、うんっ」
大広間を出るなりすれ違ったイアンとジャックに、私は大きく頷いてみせる。それから、いつもより一歩多く後ろを歩く、ヒュー・ガーランドを見た。
チョコレートの匂いが、何も言わずにすれ違っていく。ローブですっぽりと覆われた後ろ姿は、足元が少しかわいた泥で汚れていた。
トムの文字が踊って、サミュエルの顔が浮かんで、チョコレートが飛んでいく。私の頭は手当たり次第に物を詰め込んだ小さなトランクのようになっていて、今にも鍵を壊して破裂してしまいそうだった。
「さ、サミュエルっ」
「カザリ……来てくれたんだ?」
それでも、私はどうにかそのトランクを無理矢理閉じて、鍵の上からリボンをぐるぐる巻き付ける。そうしてトランクを抱え込んで、医務室へと急いだ。
名前を呼べば、丁度サミュエルがマダムペペに見送られて医務室から出てくるところで、私は思わず頬を緩めて彼に飛び込む。わ、と声を上げたサミュエルは後ろに何歩かよろけたけれど、その後ろにはマダムペペがいるのだ。クィディッチの試合で怪我をして暴れる大きなキーパーを一人で押さえ付けて骨生え薬を飲ませるのだから、彼女はとても頼もしい。
「病み上がりの生徒に何てことをするんですか、減点されたいのならたっぷりしてあげますとも!」
「あ、ご、ごめんなさい、ごめんなさいマダムペペっ」
「すみません、マダムペペ。でも、僕、平気です。だからどうか叱らないでください」
「……どこも悪くないのなら早く此処から離れることです。いつまでも居るなら、今度こそ減点ですからね」
私は忙しいんですから。
きゅ、と眉をつり上げて、マダムペペは踵を返す。そんなマダムペペの背中に二人で小さく頭を下げてから、私はサミュエルのシャツの袖を引いた。ローブはどうやら、寮に置いているらしい。まだ寒い上に熱がひいたばかりだというのに薄着な彼を見て、また熱が彼にべったり引っ付いてくるんじゃないかと思ったが、サミュエルは平気な顔をして長い足を真っ直ぐ歩かせている。
サミュエルの白い白い肌の内側に、なめらかなオペラ色が潜んでいる。撫でるとつやつやと気持ちの良さそうなそれは、とても気分が良さそうだった。
「もう平気?今日は寮で休む?朝食は食べたの?まだなら大広間でミネルバと林檎が待ってるわ。あっ、そういえば、そういえばね、今日の飛行訓練は簡単な試合をするのよ。それからね、それから、」
「ま、待って、カザリ、待ってくれるかな。僕、どうやら耳と頭がまだしっくりきてないみたいだ」
そんなサミュエルを見て、私はつい喋りすぎてしまったらしい。慌てて止めてきたサミュエルに、私はぱちんと口を閉じた。
「えー、と、僕は、もう平気。凄く元気だ。だから、今日は授業に出るよ。朝食はまだだから、カザリとマクゴナガルと、三人で林檎が食べたいな。飛行訓練は……見学にしておくよ。……それで、それから、どうしたの?」
サミュエルは睫毛も長くて、足も長くて、それから指も長い。そんな長い指をひとつ、ふたつ、折り数えながら、サミュエルは私の言葉を受け止めて、きちんと投げ返してくれる。彼の頭のトランクは、きっと私のトランクよりもずっと大きくて頑丈なのだろう。
小さく笑ったサミュエルに、私はリボンを引っ張る。トランクの鍵を外してそろそろと開けると、中からチョコレートが飛び出してきた。その後ろから流れるような綺麗な文字がトランクを覗いた私の前髪を引っ張ったけれど、私はそっとトランクを閉じた。
「あのね、サミュエル」
「うん。なあに?」
チョコレートが、藍色の小さな星空になる。その中にはダークグレーの星が浮かんでいるけれど、明るくはない。明るくないから、何も分からない。意地が悪いようで、約束は守る。冷たいようで、よく笑う。一緒にいるのに、一歩、今日は二歩、後ろを歩く。
サミュエルを見上げると、彼は丁度大広間の扉を押さえてくれているところだった。小さくありがとうと呟きながら、ミネルバが待つ席へと歩く。一番手前の席でイアンがジャックに林檎の皮を剥いてもらうのをぼんやりと見ていた藍色の瞳は、星が流れていなかった。
「……あのね、サミュエル、私ね、私達ね、きっと、うまくいきそうな気がするのよ」
「……何の話?」
サミュエルは不思議そうに、首を傾げて私を見る。それから此方に気付いて手を上げたミネルバにサミュエルは手を上げ返して、もう一度私を見た。ミネルバは、とても律儀だ。私がいない間は日記帳を見なかったらしく、赤いそれは私の席に大人しく座っている。ミネルバがほんの少し、困ったような顔をしていたけれど、私はサミュエルにそうっと囁いた。
「私と、サミュエルと、ミネルバと、それから、ヒュー・ガーランド」
「…………本当に言ってるの?冗談だと嬉しいんだけれど……」
「本当に言ってるわ。私、今言ったわ」
歯を見せて笑えば、サミュエルは頬を震わせて、ぎこちなく笑い返してくる。彼の頭には、きっと言われたくはない言葉を吐き出した、意地悪ゴブリンのようなガーランドが住み着いているのだろう。私は小さく笑って、サミュエルの裾を引いた。
テーブルの上に、お皿が三つ。切り分けられた林檎が同じ数だけ乗ったそれに、ひとつだけ蜂蜜がかかっているものがある。ミネルバのまん前、向かいの席に置かれたそれを前に、私は腰を下ろした。
「メイフィールド、貴方の調子はどうか訊きたいところだけど、先に聞いておくわね。カザリがとても嬉しそうだけれど、廊下にヌガーでも落ちてた?」
「……ヌガーは無いけど、カザリにとっては良い閃きが落ちてたみたいだよ」
蜂蜜がかかった林檎を、フォークにさす。赤い日記帳をひと撫でして、私は林檎をほうばった。
破裂しそうなトランクの前で、意地悪ゴブリンの仮面を持った小さな星空が立っている。足元を濡らして、本当の意地悪ゴブリンから私を守ってくれた彼は、わざとその仮面を手離さないように見えたのだ。そして、その仮面の後ろの星空のダークグレーの星は、本当はとても眩しいのだと、私は知っているのだった。
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