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──君のしたいように すればいい


「が、ガーランド、あの、あっ、」


ハシバミ色の大きな鞄から、何故だか羊皮紙がぽんと飛び出していく。あ、と手を伸ばしてしゃがみ込んだ時間は瞬きひとつほどなのに、彼にとっては充分過ぎるものらしい。慌てて羊皮紙を拾い上げた頃には不思議そうに目を丸くするイアンと、驚いたようにガーランドの背中を見送るジャックの姿しかなくて、私は立ち上がることもせず羊皮紙を掴んでいた。この羊皮紙は、呪いがかかっているのだろうか。それとも、この鞄が駄目なのだろうか。


「……ヴィッセル、最近思ってたんだけど、訊いても良いのかな?」

「…………私、私、避けられてるわ、ガーランドに」

「ああ、だよね。うん。それを訊こうと思ってたんだけど……」


ガーランドを見付けて駆け寄る度に鞄から飛び出すインク瓶や羽根ペンやラズベリー色を思い出しながら、私は鞄におかしなものがくっ付いていないか鞄をじっと見つめる。けれど、そこにあるのはラズベリーの包み紙と、くしゃくしゃに丸めて捨てたつもりの羊皮紙だけで、おかしなものは何もいない。呪いなんかではなく、私が慌てすぎているからなのだろうか。
イアンのよく磨かれた革靴の爪先が、視界にひょっこりと入り込んでくる。首を傾げて私に手を差し出してくる彼が、お伽噺に出てくる魔法使いの王子様に見えた。傾げた首の真っ直ぐな所だとか、柔らかくきゅっと上がる口角だとか、指先ひとつまみ分、彼は王子様の香りをさせているのだ。


「何かあったの?喧嘩でもした?」

「……し、してない」

「そう?ヴィッセルがそう言うなら信じるけど、ヒューって針より細く繊細だから、喧嘩したらきっと面倒だよ」

「えっ!?そうだったのか!?あいつ繊細なんかじゃねえだろ!」

「繊細じゃないっていうのは君の為にある言葉なんだよ、ジャック」


私が手をとるより早く、イアンは私の手を掬い上げるようにとって、私を立ち上がらせてくれる。きっと彼は古い家に生まれたのだろう。恥ずかしさなんてちっとも感じられない、当たり前のように染み付いたようなその動きは、アルヴィ先輩にほんの少し似ている気がした。
む、と頬を膨らませたジャックはそのままイアンを睨んで、つい、と視線を泳がせる。言い返さない彼に、イアンはほらねとでも言うように肩を竦めて私を見た。


「困ったことがあればいつでも言ってよ。まあ、ヒューのことは、難しいかもしれないけど」

「うん、ありがとう。ありがとう、イアン。イアンも、困ったことがあったら言ってね。きっとよ。約束よ」

「……分かったよ、約束する」


毎朝彼の髪を撫でる櫛は、とても気分が良いだろう。私と違って癖のない綺麗な前髪が、澄ました顔をして座っている。そのストロベリーブロンドの下にある瞳はベリーで作った紅茶のような色をしていて、もしかしたらこの瞳から王子様の香りが爪先や指先、首にまで回っているのかもしれない。ぼんやりと、私は思った。


「じゃあなヴィッセル、早くヒューと仲直りしろよ」

「喧嘩はしてないんだよ。ジャック。じゃあねヴィッセル、また授業でね」

「うん、また、またねっ」


一歩先に歩き出したジャックを、イアンが追いかける。ふ、とジャックは歩みをゆるめて、二人は並んで廊下を歩いていった。その後ろ、一歩、最近は二歩も三歩も後を歩く、あのつまらなさそうな藍色の頭が、今は見つけられなかった。
鞄に羊皮紙をしまおうとして、ぐしゃりと音がする。教科書が邪魔をしたのかと鞄を覗き込むと、そこには私を見上げる赤い日記帳がいて、頭にミネルバが浮かんできた。
返事があったのだと知らせてくれた彼女の、奥歯でニガヨモギを噛み締めたような、美味しくなさそうな顔が。


「……したいように、してるけど」


トムの、珍しく階段のように上がっていった文字が、ぷかぷかと周りを漂っている。私はそれを視線で捕まえて、それから頭を振った。


「サミュエルと、レポート、しなくちゃっ」


鞄を抱え直し、今度は飛び出してしまわないようにと羊皮紙を鞄の奥に追いやってしまう。ぐしゃりとまた音を立てて私に抗議している気がしたが、私は聞こえないふりをしてサミュエルが待つ中庭へ向かった。






「良いかお前ら!俺達にイースターは存在しない!」

「キャプテンお前最高かよ!頭ぶっ飛んでやがるぜキャプテン辞めちまえ!」

「私は帰るわよ、知らないわよ、家族でイースターを迎えるんだから……!」


ハッフルパフのテーブルは、比較的静かなテーブルだ。いつもどこからか話の種を摘んできては話し声の絶えないグリフィンドールのテーブルに比べると、静かなものなのだ。勿論僕が座るべきレイブンクローや、スリザリンのテーブルに比べるとずっと騒がしい方ではあるが、やはりグリフィンドールは杖ひとつどころか箒ひとつ分は抜きん出ている。
そんなハッフルパフが今日は珍しく、クィディッチの練習着に身を包んだ上級生が叫んだことで、別れてテーブルに座っていたチームメイト達がそれぞれに席を立って騒ぎ立てている。突然のことに驚いたのはハッフルパフ生だけではなく、他の寮生もだったが、やはり一番驚いたのも、被害者もハッフルパフ生だ。テーブルの頭から爪先まで、キャプテンを批難するチームメイト達の声がびゅんびゅんと飛び交う。うう、と頭を抱えてチームメイトの声を無視するキャプテンに、遅れて反応をしたのは僕の向かいに座る彼女、カザリだった。


「な、なに?え?どうしたの……?」

「……あなたの寮のクィディッチチームは燃えてるってことね」

「イースター休暇を返上して練習するつもりらしいよ」


とっくに耳を塞いでいたマクゴナガルが、カザリの手から滑り落ちそうになっていたサンドイッチを押し戻す。それに気付いたカザリが慌ててサンドイッチを皿に戻して、首を竦めながら真上を飛び交う批難の声を見上げた。


「か、帰らないの?みんな、帰れないの?」

「さあ……少なくともキャプテンはそのつもりみたいだけど……」

「あら、メイフィールド、お兄さんをお忘れかしら」

「止めてよマクゴナガル……」


こんなテーブルで食事だなんて堪らない、と、テーブルにいた生徒達はグリフィンドールやレイブンクローのテーブルに皿を持って移動する。その中でただひとりスリザリンのテーブルに移動したのはニコラス・ブラウン先輩で、彼は夏中兄さんと遊んで過ごす割には呆気なく兄さんを捨ててアルヴィ・エインズワース先輩の隣へスプーンを口にくわえたまま逃げていった。
マクゴナガルの言葉に、僕はちらりと横、テーブルの真ん中で座る兄さんを見る。少し離れた席に座る兄さんはキャプテンの彼と同じように頭を抱えて、チームメイトの声を弾き返そうとしていた。


「アンドリュー先輩は、残るの?帰らないの?」

「……みたいだね。クリスマスもそうだったし」

「まあ、レイブンクローに勝ったんだし、このまま次も勝ちたいんでしょう」

「…………あっ、次は、……ミネルバ、ミネルバは、」

「言いたいことは何となく分かるわ。でも、残念ね。私、次はグリフィンドール席で観ることにするわ」

「あ、そうか、次はハッフルパフとグリフィンドールだったね」


思い出したように僕がそう言えば、マクゴナガルは何故だか誇らしげに頷いて見せた。僕は観に行ってはいないが、グリフィンドールは去年行われたスリザリンとの一戦目を、二百点もの点差をつけて勝利したらしい。どうやらマクゴナガルは、イースター明けのハッフルパフ戦も勝つと信じて疑わないようだ。
そんなマクゴナガルに気圧されたのか、それともただ一緒に観ることが出来ないからか、カザリは眉を下げ、つまらなさそうにサンドイッチをつつく。薄いパンの間からハムだけを抜き取った彼女の手を、すかさずマクゴナガルが叩いた。


「そういうことをしないの」

「……ミネルバも、ミネルバだって、応援し過ぎて落っこちたりしないでね」

「……何の話?どうして応援して落っこちるの?」


不思議そうに首を傾げたマクゴナガルに、カザリは驚いたように彼女を見た。二人の間に何かすれ違いがあるようだが、それが何なのかは僕には分からない。僕に分かるのは、カザリがあまり良いとは思えない提案をしたものの、彼女はすっかり丸っきり、あのヒュー・ガーランドに避けられているということと、それから、マクゴナガルがよそ見をした隙にハムを上手く抜き取ることが出来たということだけだった。
こっそりとハムを口に運んだカザリを、僕は眺める。カザリは彼と仲良くなりたいのだと言うが、僕は未だにその言葉をどうすることも出来ずにもて余していた。まるで兄さんから貰った大きすぎるクィディッチグローブのようなそれを、目の前に引っ張り出してみる度に頭には彼、ヒュー・ガーランドが浮かんできて、それを頭の奥の引き出しにしまい込みたくなるのだから、どうしようもない。カザリが未だ彼と話せていないのは、僕にとってはとても幸運なことなのだ。


「ミネルバは、知らないのよ。私がどれだけ頑張ったか、知らないんだわ……」

「だから、何の話なの?カザリってば」

「…………気を付けてね。手摺は乗り越えるためのものじゃ、ないからね」


まるで杖は魔法を使うためにあるものだとでも言うように、カザリはとても当たり前なことを言う。マクゴナガルはまた不思議そうに首を傾げたが、カザリがあんまり真面目ぶった顔で言うものだから、マクゴナガルは何も言わなかったし、僕も言えなかった。


「よう、カザリ、サンドイッチの中身は逃げたのか?」

「あ、アンドリュー先輩っ」


思わず黙ってカザリを見つめていれば、先程までテーブルの真ん中にいたはずの兄さんが、カップをひとつ片手にやって来た。
う、と、僕の喉の奥で声が引っ掛かる。それを静かに飲み込んで、僕は何事も無かったように一番近くにあった銀の大皿からチョコレートトフィーを手に取った。


「どうにかしてくださいよ、この騒ぎ。クィディッチチームのシーカーなんですよね?」

「どうにも出来ないから逃げてきたんだよ、そう当たってくれるな、グリフィンドール生よ」

「マクゴナガルです」

「ああ、そうか。知ってると思うけど、俺はメイフィールドです」


イースターが明ければ試合は直ぐだ。普段は決して敵対心なんてものを目にすることはないが、試合が近くなると話は違う。目に見えて不機嫌そうにお互いを睨み付け、ふん、と鼻を鳴らして顔を逸らした兄さんとマクゴナガルを見ながら僕はチョコレートトフィーを口で溶かしながら、中身の無いサンドイッチを千切るカザリを盗み見る。カザリのダークブラウンの瞳は、梟便も飛んでいない天井を見上げていた。


「……カザリ?どうかした?」


思わず、カザリに声をかける。ダークブラウンの瞳は、僕を見ない。サンドイッチを千切った手が、うろうろとさ迷って、口に運ばれた。


「もうすぐ、イースターなのね」

「……うん。そうだよ」

「違うの、違うのよサミュエル、ほら、見て」


さっきからその話をしていたはずじゃないか、と、僕が首を傾げそうになったその時、やっとカザリのダークブラウンは僕を見て、それから天井を指差した。兄さんとマクゴナガルの視線が、カザリの指先を追いかける。僕はチョコレートトフィーがなかなか溶けきらないのを感じながら、少し遅れて視線を上げた。
ひとつの星が、星のカーテンをひくように滑っていく。それに似合わないのは、スプリンググリーンやキャロットオレンジ、それからクリームイエローの蝋燭達だ。


「……ああ、イースターエッグみたいな色だね」

「本当、気付かなかったわ……」

「ディペット校長は、こういうの好きなんだよ。クリスマス休暇中は、金色だったんだぜ」


ぽつりぽつりと、言葉がこぼれる。頭の上には未だキャプテンを避難する言葉がびゅんびゅんと飛んでいたが、不思議なことにそれが耳に入ってくることはない。


「……俺も、帰ろうかな」


兄さんの口から飛び出した、黒く大きなグリムを見るよりも不吉な言葉も、勿論、耳には入ってこなかった。


「あ、そういえば、そういえばねミネルバ、今日はレポートが上手く書けたのよ。サミュエルとやったから、今日のレポートはきっと大丈夫よ」

「あら、本当に?じゃあ見せてもらおうかしら?」

「俺も見てやるよ」

「やめてください、メイフィールド先輩」

「……そんなこと言わずに、ミス・マクゴナガル」


ハシバミ色の鞄から、カザリはレポートを取り出す。む、と口を尖らせて睨みあう二人を横目に、カザリはそっとハシバミ色の羽根ペンを覗かせた。
天井に浮かぶ星空では、それは光らない。けれど何故だかカザリが嬉しそうに笑うので、僕も小さく笑い返す。
ぷかぷかと泳ぐイースターの蝋燭が、冬の終わりを告げていた。


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