36_ダメです
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俯いて拳を震わせる師範の姿を視界に捉え、私の頬に涙以外の液体がつうと伝う。
何故此処にいらっしゃるのか。
いや、今朝目覚めたら師範の姿が見えなかったから、蝶屋敷に訓練でお世話になって来ます、と鴉を飛ばしておいたのは私だ。
心配性の師範が迎えに来てくださることぐらい予想できたはずなのに、完全にやらかした。
「しししししし師範今のどこから聞いてらっしゃったんですか」
「女の子の会話を盗み聞きとはスケベですよねえ」
るせェ!さっさと帰んぞォなまえ!!と顔を真っ赤にした師範が私の首根っこを掴んで風の如く蝶屋敷を後にする。
蜜璃さんたちには何故か満面の笑みで見送られ、私は半泣きのまま女子会を途中退席することとなった。
「阿呆なことで泣いてんじゃねェ!!馬鹿娘が!!」
「も、申し訳ありません…!お恥ずかしい…!穴があったら入りたいです…!!」
私に背を向けてずんずんと先を歩いて行く師範の耳もしっかり赤い。
先程の話は一体いつから聞かれていたのかと気が気でなかったが、これは理想の男性像うんぬんのくだりからしっかり聞かれてしまったと思って間違いないのだろう。
思い返してみても随分と恥ずかしいことをしていた。
弟子という立場でありながら師を色っぽいだのなんだのと宣い、挙句妄想の果てに離れたくないと涙を流して目上の立場の方に慰められ。
後生ですから忘れてください…!と懇願する私を師範が振り返ってカッと見据える。
目が血走ってて正直ちょっとこわい。
「そう言うならその涙どうにかしろォ」
師範が身体ごと此方に向き合うやいなや、私の後頭部に手を回して身体を引き寄せる。
そこからの数秒間は、やけに時がゆっくりと流れたような錯覚を覚えた。
ああ今日は快晴だなあ。
師範の後方に広がるあの雲はなんて名前だったか。
空を優雅に横切っていくあの鳥はなんて名前だったか。
現実逃避するように余計なことを一頻り考えていると、生暖かくぬるりとした感触が頬に走る。
眼前にある師範のお顔をぼーっとする頭で見つめていれば、形の良い唇からぺろりと覗いた赤い舌が色っぽすぎてくらくらした。
たっぷり間を置いてから、状況を理解した私の羞恥心が限界を突破したのは仕方がないことだと声を大にして言いたい。
「お、男前が軽々しくそんなことしないでください〜〜ッ!!」
「何で今日そんな阿呆なんだお前」
師範のせいじゃないですか!と反論してみるものの、きっと私の顔は見るに堪えない程真っ赤になっているのだろう。
したり顔で楽しそうにこちらを見つめてくる師範も格好良すぎて直視できず、思いっきり目を逸らしてしまった。
気持ちを落ち着けようと深く息を吐いていると右手を取られ、更には指を絡められ、半歩先を歩く師範に引っ張られていく。
「……ちったァ俺が男だってこと意識したかよ」
そんなこと言われたって、以前からしんどいほど意識してます…なんて言えるはずもなく、私は相変わらず赤面して俯くほかなかった。
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