風柱とストーカー撃退訓練


38_慈雨
..........


「…………」

「触ら、ないで」


振り払われた右手を呆然と見つめる。
初めてなまえに拒絶された。
その事実があまりにも衝撃的だった。

そうだ、そもそも俺はなまえのことを何も分かっていない。
何も知らないのだ。
柔らかく微笑むその裏に背負う影も。
口ずさむ旋律に乗せられる悲しみの真因も。
彼女が何に怯え、必死に抗っているのか、全く分かっていないのだ。


「救えた、はずの、命が、沢山溢れた」


虚ろな目で言葉を紡ぐなまえの顔色は蒼白で、唇は青紫色に染まり震えている。
何かに怯え、自分を責め、溢れ出ようとする感情を必死で噛み殺す、そんな痛々しい姿はとても見ていられなかった。


「……なまえ、」

「私が、見殺しに、した」

「なまえ、俺を見ろ」

「私、は、穢れた存在でしか、ない。貴方に……貴方に、触れる、資格なんて」


それ以上なまえが自分自身を否定する言葉を紡がせたくなかった。
ずぶ濡れの身体を掻き抱き、必死で体温を分け与える。
どうにか暖めなければすぐにでも消えてしまいそうで、身動ぐなまえを抑え込んで腕の中に閉じ込めた。


「は、なして…」

「断る」

「…………」

「お前がお前自身を信じられねぇなら、俺を信じろ」


何も分からない。それでも良い。
今はただ、なまえの心が少しでも救われれば。
微かに伏せられた瞼にそっと口付けると、睫毛の下から涙が一筋流れ落ちる。
雨水ごとその雫を親指で拭いながら顔を上げさせれば、漸くなまえの双眸が俺を捉えた。


「しは、ん」

「よく生きて戻った、なまえ」

「でも、お、お館様、から、お預かりした、大事な……隊士たち、を、死なせて、しまいました……」

「殺したのは鬼だ。間違えるな。確かにお前はそいつらを救えなかったのかもしれない。だが殺してねえ。事実を正しく認識しろ。」

「…………」

「俺を信じろ、なまえ。お前が殺したんじゃねえ。」

「……は、い…」


胸元を濡らす水滴が温かいものに変わる。
なまえの隊服から滲み出る雨水が俺の隊服を色濃く濡らしていたが、そんなことは最早どうでも良かった。
触れ合う面積を少しでも増やすべくなまえの身体をもう一度抱き込めば、今度はしっかりと背中に腕が回される。
俺の首元に顔を埋めるなまえの頭を撫で、少しばかり腕の力が強まったのを感じ酷く安堵する。

互いの体温を分け合うように俺達はただその場で寄り添い合い、晴れ間が覗く瞬間を待ち続けていた。

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